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gurugurian 2019年10月07日(月) 11:11:22履歴
「嫌韓」の主張(※注1) 
日本は1919年のパリ講和会議において、国際連盟規約に人種差別撤廃を盛り込む提案をした。国際会議において人種差別撤廃・人種平等を訴えた国は日本が初めて。
それ自体は誤りではないが、背景や前後の歴史を無視してそれだけを切り取れば本質を見誤り、自己欺瞞に陥る。
2019年10月4日、安倍内閣総理大臣は所信表明演説の中で次のようなことを述べています。
安倍晋三氏に限らず、いわゆる保守派、あるいは国粋主義的な思想の持ち主の中でこのエピソードを口にする人は少なくありません。
上に記したように、これ自体は事実であり、嘘ではありません。ただしこのエピソードをもってして「日本は素晴らしい国だ!」と手放しで称賛するのは少々おかしな話です。
そもそも当時、日本は移民や労働者を送り出す側の国でした。そういう状況では、欧米における有色人種差別は「国益」にかかわる重要な問題でした。もちろん日本の中には「大いなる理想」を抱いていた人もいたでしょうが、少なくとも日本政府にとってはまず損得の問題であったということです。
また安倍晋三氏は「世界中に欧米の植民地が広がっていた当時」と述べていますが、日本もまた朝鮮半島や台湾を植民地にしていたことを都合良く無視しているのはいただけません。
ちなみにパリ講和会議が開かれた1919年、朝鮮半島では民衆が独立を訴えた「三・一独立運動」が起きています。これに対して日本政府は弾圧と虐殺で応えました(柳寛順獄死、堤岩里事件など)。人種差別撤廃を訴える一方で被植民地の人々を差別・弾圧するという日本政府の矛盾は、当時の海外のメディアでも指摘・批判されています。またこのたった四年後に起きた関東大震災においては人種的偏見とデマに基づく朝鮮人・中国人虐殺が起きています。それを無視して(それどころか虐殺を否定する言論を放置しておいて「日本は世界で初めて人種差別撤廃を訴えた」と胸を張っても説得力に欠けます。
さらに「日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています」と誇らしげに語る一方で、国連の人権委員会からの「朝鮮学校差別撤廃」などの勧告を無視して(差別ではないと言い張って)恥じない態度は厚顔無恥としか言いようがありません。
「日本が世界で初めて人種差別撤廃を訴えた」─繰り返しますが、これは事実であり、それを誇ることは悪いことではありません。しかし、それをただ虚栄心を充たすためだけに利用し、現在日本で起きている差別問題を無視したり正当化したりするのならば、それはあまりに恥ずかしく、愚かしい態度ではないでしょうか。
(※注1)
本文中でも触れているように、これ自体は「事実」ではあるので、「嫌韓」言説と呼ぶのは少々抵抗もあるのですが、このエピソードを語る層と「嫌韓」言説を語る層はほとんど重なっており、またその文脈も日本における差別告発を無効化する目的で使用されるケースが多々見られるため、広い意味での「嫌韓」言説ととらえ、当サイトで取り上げた次第です。
2019年10月4日、安倍内閣総理大臣は所信表明演説の中で次のようなことを述べています。
一千万人もの戦死者を出した悲惨な戦争(引用者注:第一次世界大戦)を経て、どういう世界を創っていくのか。新しい時代に向けた理想、未来を見据えた新しい原則として、日本は「人種平等」を掲げました。世界中に欧米の植民地が広がっていた当時、日本の提案は、各国の強い反対にさらされました。(中略)日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています。https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/...
安倍晋三氏に限らず、いわゆる保守派、あるいは国粋主義的な思想の持ち主の中でこのエピソードを口にする人は少なくありません。
上に記したように、これ自体は事実であり、嘘ではありません。ただしこのエピソードをもってして「日本は素晴らしい国だ!」と手放しで称賛するのは少々おかしな話です。
そもそも当時、日本は移民や労働者を送り出す側の国でした。そういう状況では、欧米における有色人種差別は「国益」にかかわる重要な問題でした。もちろん日本の中には「大いなる理想」を抱いていた人もいたでしょうが、少なくとも日本政府にとってはまず損得の問題であったということです。
また安倍晋三氏は「世界中に欧米の植民地が広がっていた当時」と述べていますが、日本もまた朝鮮半島や台湾を植民地にしていたことを都合良く無視しているのはいただけません。
ちなみにパリ講和会議が開かれた1919年、朝鮮半島では民衆が独立を訴えた「三・一独立運動」が起きています。これに対して日本政府は弾圧と虐殺で応えました(柳寛順獄死、堤岩里事件など)。人種差別撤廃を訴える一方で被植民地の人々を差別・弾圧するという日本政府の矛盾は、当時の海外のメディアでも指摘・批判されています。またこのたった四年後に起きた関東大震災においては人種的偏見とデマに基づく朝鮮人・中国人虐殺が起きています。それを無視して(それどころか虐殺を否定する言論を放置しておいて「日本は世界で初めて人種差別撤廃を訴えた」と胸を張っても説得力に欠けます。
さらに「日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています」と誇らしげに語る一方で、国連の人権委員会からの「朝鮮学校差別撤廃」などの勧告を無視して(差別ではないと言い張って)恥じない態度は厚顔無恥としか言いようがありません。
「日本が世界で初めて人種差別撤廃を訴えた」─繰り返しますが、これは事実であり、それを誇ることは悪いことではありません。しかし、それをただ虚栄心を充たすためだけに利用し、現在日本で起きている差別問題を無視したり正当化したりするのならば、それはあまりに恥ずかしく、愚かしい態度ではないでしょうか。
(※注1)
本文中でも触れているように、これ自体は「事実」ではあるので、「嫌韓」言説と呼ぶのは少々抵抗もあるのですが、このエピソードを語る層と「嫌韓」言説を語る層はほとんど重なっており、またその文脈も日本における差別告発を無効化する目的で使用されるケースが多々見られるため、広い意味での「嫌韓」言説ととらえ、当サイトで取り上げた次第です。
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