差別・偏見やヘイトスピーチを助長する「嫌韓」デマ・中傷に対抗・反論するウィキです。

「嫌韓」の主張


在日は、日本が嫌い(反日)なのになぜ日本に留まり続けるのか。日本が嫌なら祖国に帰れば良いではないか。

反論


マイノリティに対する「帰れ」「出ていけ」はヘイトスピーチ(暴力)である。

こうした主張は、表現は様々(「日本が嫌なら帰れ!」という乱暴なものから「素朴な疑問なのですが、なぜあなたたちは日本が嫌いなのに祖国に帰らないのでしょうか」というような慇懃なものまで)ですがしばしば見られます。そしてこの主張には、いくつもの誤り、欺瞞、そして暴力性が含まれています。

まず第一に「在日は日本が嫌い」というのは単なる思い込みです。おそらくそういう風に考える人の脳裏にあるのは、日本の差別的な政策(朝鮮高校の高校無償化法からの排除など)や、日本社会に根深く存在する在日コリアン差別を告発・批判する人々の姿ではないかと思われます。そうした人々を見て、短絡的に「日本(そのもの、あるいは全体)」が、ひいては「(日本人である)自分自身」が否定されたように感じ、「そんなに日本が嫌なら…」と反発する人々が少なくないのでしょう。しかし果たして日本の政治や社会を批判したり、差別を告発したりする人々は「日本が嫌い」だからそうするのでしょうか。

現在の在日コリアンのほとんど(二世以降)は日本で生まれ育ち、日本の文化・環境に囲まれ、親しみ、そして日本で一生を終えます。その意味においては日本人とほとんど変わりません。自分が暮らす(暮らし続ける)場所をより良い所にしたい、悪い部分があるなら正したいと思うのは当然です(※注1)

第二に、在日コリアンに「国に帰れ(あるいは「帰ればいいのに」)」というのは二重の暴力性をはらんでいます。先にも述べたように、二世以降の在日コリアンにとって、日本は生まれ育った国であり、「自分の国」で、それぞれの地域に根ざした暮らしをしています。たとえば大阪で生まれ育った在日コリアンであれば大阪弁を話し、「吉本」の笑いに親しんでいたり、あるいは阪神タイガースを熱烈に応援したりするでしょう(※注2)。そうして暮らしてきた人に対して「国に帰れ」というのは、それまでのその人の人生、言い換えればその人が人生の中で培ってきたアイデンティティ・人としての「核」を根底から否定し、傷つけます。

そして、「帰れ」という、在日コリアンとの対話やその存在を否定する、文字通り問答無用の言葉は対象者を萎縮・沈黙させます(沈黙効果)。対象者は在日コリアンとして意見を述べること、あるいは自らが在日コリアンであることを表明する(アイデンティティを表出する)ことを避けることを余儀なくされます。言い換えれば、在日コリアンに対する「帰れ」という言葉は、在日コリアンの「表現の自由」を侵すヘイトスピーチ、暴力であるということです。そしてそれは単に在日コリアンだけの問題ではなく、日本社会における表現・言論の多様性をせばめ、貧困なものにしてしまうことでしょう。

近年日本におけるヘイトスピーチ規制論に対して「表現の自由」の観点から法規制に慎重、もしくは反対の態度を取る人が少なくありませんが、ヘイトスピーチ自体が「表現の自由」を侵害しているという事実は、もっと広く認識されるべきです。


(※注1)付記するならば「日本が嫌い(反日)」と表明・自己規定する人がいたとしても、後段で述べる「表現の自由」の観点に照らして、否定(「帰れ」「出ていけ」という言葉で応答)すべきではありません。

(※注2)ここでは具体的なイメージを思い浮かべやすいようにあえてステレオタイプな「大阪人」の描写の仕方をしましたが、もちろん「大阪弁を話さず、吉本の笑いも阪神タイガースも好きではない」大阪人を否定するものではありません。

Menu

メニューサンプル1

メニューサンプル2

開くメニュー

閉じるメニュー

  • アイテム
  • アイテム
  • アイテム
【メニュー編集】

管理人/副管理人のみ編集できます