反「嫌韓」FAQ(仮) - きむ・むい「「チマ・チョゴリ切り裂き事件」の疑惑」

はじめに


以下は雑誌『宝島30』1994年12月号に掲載された、ルポライターきむ・むい氏の記事『「チマ・チョゴリ切り裂き事件」の疑惑」』の全文です。

こちらでも触れていますが、この記事は『マンガ嫌韓流』で、あたかもチマチョゴリ切り裂き事件が「自作自演」であることの根拠であるかのように紹介されています。しかし実際にお読み頂ければ分かるように、氏は切り裂き事件についてある種の疑念を抱いて取材を開始したものの、それが「自作自演だった」などと結論づけてはいません。しかしネットには、おそらくは氏の記事を読んでもいないのにも関わらず「きむ・むい氏はチマ・チョゴリ切り裂き事件が自作自演だったことを明らかにした!」などという主張が多く見られます。きむ・むい氏は故人ですが、切り裂き事件を「自作自演」と決めつける主張に自分の記事が利用されていることを知れば、怒り悲しむことでしょう。また『宝島30』は既に廃刊しており、記事掲載号を入手するのも困難であるため、ここに転載した次第です。

「チマ・チョゴリ切り裂き事件」の疑惑

今春、北朝鮮の核疑惑報道とともに突然多発した「チマ・チョゴリ切り裂き事件」。朝日新聞が「反民族」の一大キャンペーンを張ったあの報道は、いったい誰が仕掛けたのか?
メディアと朝鮮総聯の隠された関係に挑む渾身のルポルタージュ!

きむ・むい(ルポライター)

朝鮮学校とは、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)が運営する教育機関のことである。一般に「民族学校」と呼ばれることが多いため、超政治・党派の海外子女教育―たとえばアメリカン・スクールのような―が行われていると思っている人も少なくないようだが、実際はそうではない。
朝鮮学校が、確かに生徒たちに民族教育を施しているのは間違いない。しかし、運営母体の朝鮮総聯が朝鮮民主主義人民共和国(以下、便宜上“北朝鮮”と表記する)の国是を支持する団体である以上、カリキュラムには北朝鮮の政治性が強く盛り込まれている。その意味では、客観的に見た時、「北朝鮮民族教育」と表現した方が、その教育内容の実状にかなっている。
現在、朝鮮学校は幼稚園から大学校まで、全国に百四十校以上の校舎が存在している。その頂点にあるのが、北朝鮮民族教育の最高学府である東京・小平市の朝鮮大学校(全寮制。二年制の師範教育学部、四年制の政治経済学部、文学部、歴史地理学部、外国語学部、経営学部、理学部、その上に二年制の研究院がある)である。
この朝鮮大学校の下に、朝鮮高級学校(高校)が設けられている。北海道、宮城、茨城、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫、広島、山口、福岡の十二都道府県が高校所在地である。
朝鮮総聯社会では、これら朝鮮学校を卒業することが、望ましい子女教育ということになっている。
事実、朝鮮総聯は常に、朝鮮学校への生徒誘致を各種活動の中でもっとも重要なものとして位置づけているのである。
一口に朝鮮学校と言っても、その土地によって微妙にスクールカラーに違いはあるようであるが、共通点の方が多いのはもちろんである。
第一は、北朝鮮民族教育である以上当然だかもしれないが、金日成・金正日思想教育に重点が置かれているということだ。在日朝鮮人子女の朝鮮学校入学率は減少傾向になって久しいのだが、その原因を思想教育にあると指摘する向きも少なくない。一般教科の教科書、理科系のものにまで「偉大なる首領・金日成元帥様」のお言葉がゴチックで引用されているくらいである。
次に、全カリキュラムを朝語で行っていること。生徒は、ほぼ一○○パーセント、生きた朝鮮語を身につけることができる。朝鮮学校出身者たちは、「教育内容には不満は少なくなかったけれど、小さいころから言葉を習得できたことだけはよかったと思う」と口をそろえる。
そして何より目立つ特徴は、女子生徒の制服が、朝鮮の民族衣装であるチマ・チョゴリで統一されているという点である。
男子生徒は、東京朝校はブレザー、他の地域では学生服など、日本の高校生とあまり変わらない制服を着ることになっているのに、である。
北朝鮮初の核兵器搭載ミサイルと目された「ノドン一号」の発射実験と核開発疑惑に揺れる今年の四月頃より、その朝鮮学校の女子生徒のチマ・チョゴリが何者かに切られるという事件が頻発し、大きな社会問題になった。この核疑惑とNPT脱退問題、米朝交渉と南北首脳会談の開催決定、そして七月八日の国家主席・金日成の死去、その後の金正日後継の動向と、今年は例年になく、北朝鮮関連の報道がメディアに溢れた年だった。

「なんだかうさん臭い」記事

<誇りの制服切られる悲しみ
朝鮮学校女生徒への暴力急増
(略)チマ・チョゴリを女生徒の制服としている東京都北区の東京朝鮮中高級学校によると、四月から同校高級部の女生徒八人が被害に遭っている。
▽一年生がJR山手線大塚駅付近の車内で刃物をちらつかされ、途中下車して逃げた(六月一日)。
▽通学途中の一年生が総武線新小岩駅付近でチマ・チョゴリを五センチほど切られた(四月二十七日)
▽東京都八重洲口通路で、二年生が中年の男性から「朝鮮へ帰れ」と怒鳴られ、飲みかけのカップ酒のビンを頭にぶつけられた(同月二十二日)。
▽帰宅途中の三年生が、同駅の地下通路ですれ違った中年の男性から「北朝鮮め」とつばをかけられた(同月十五日)。
同学校の李準沢副校長は、「これは偶発的なことではない。大韓航空機事件(一九八七年)やパチンコ献金疑惑(八九年)の時もチョゴリが標的になりましま。最近の北朝鮮の核問題に端を発した過剰な報道の結果、一部の心ない人がこうした行動に走る」と心配する。(略)>(朝日新聞六月九日付朝刊)
五月二十五日の朝日新聞の第一報「子どもたちに各地で嫌がらせ チマ・チョゴリの通学中止 栃木の朝鮮学校」を皮切りに、朝日新聞を中心として、こうした「チマ・チョゴリ切り」事件の報道が、連日のように繰り返された。どれも、「核疑惑報道によって煽られた差別意識によって、心ない日本人男性が朝鮮学校の女子生徒のチマ・チョゴリを切っているのは許せない」という内容の記事だ。覚えている方も多いだろう。
ところで、こうした報道が加熱するにつれて、周囲から、「どうもおかしい、何かうさん臭い感じがする」――そんな声が、聞こえ始めてきた。その中には日本人もいれば、在日の友人もいた。言い方や関心の度合はさまざまだが、大まかに共通していたのは、「事件の内容が何だかできすぎていて、嘘っぽい」ということだ。
確かに、そう思わざるを得ない記事も多い。
例えば、六月十五日の読売新聞。前日の夕刻に、JR中央線車内で、武蔵野市在住の朝鮮中学校二年の女子が被害にあったという内容なのだが、描写が以下の通りなのである。
<(略)五十歳くらいの男に刃物で制服のチマ・チョゴリのチマ(スカート) を切られた。女子生徒の話では、男は満員の車内で隣にぴったりとくっつくように立って、「北朝鮮」、「核」などと独り言を言い、怖くなった女子生徒が他の車両に移動した後もくっついて来たという。車内で「ビリ」という音がした後、男が武蔵小金井駅で降りたため、女子生徒が次の国分寺駅で降り、チマのすそが計六十センチほど切られているのに気付いた(略)>
満員電車の中での、「北朝鮮」、「核」との独り言。思わず、「そんなヤツいるかよ!」と言いたくなるような記事ではある。
同じ事件を、朝日新聞は一日遅れで、「立川のチマ・チョゴリ事件 安全考え集団下校」の見出しで報道している。
<(略)十四日午前八時ごろJR中央線の下り電車内で、後ろにいた作業服姿の五十歳くらいの男性が「核」、「朝鮮」などと、ひとり言を言い、ビリビリというような音がした。こわくなって国分寺駅で降りたところ、スカートが横に六十センチぐらい切り裂かれているのに気づいたという。同日、立川署に被害届けを出した。(略)>
そして、以下のように記事をまとめている。
<被害届を出したのは今回が初めてだが、同校の生徒は四月中旬から、暴言によるいやがらせを少なくとも九件受けたという。主に通学時の駅ホームや車内で、いずれもチマ・チョゴリを着た女子生徒が、「朝鮮に帰れ」「なぜ日本にいるのか」「へんな服装をしている」などと言われた。発言した側は一件が六十歳ぐらいの女性で、八件は四十~五十歳ぐらいの男性だったという。中級部の女子生徒約八十人は普段、制服としてチマ・チョゴリを着ているが、父母らの不安に配慮して、十一日から体操服での登校も認めていた>
中学二年生の女の子が、満員電車の車内で理不尽な暴力にあったことは、おそらく事実だろう。だが、同じくらい気になるのは、滑稽としか言いようのない犯人像の描写である。結局この事例では、犯人検挙には至っていないのだが、では誰がこの細かいディテールを事実だと確認したのだろう。それでいて、例によって朝日新聞は、「孫校長は『日朝関係の懸け橋となる子供たちの心を傷つけないでほしい
』と訴えた」と、捕まってもいない犯人を日本人と断定し、犯行の動機が民族差別であると決めつけるかのような口ぶりだ。
もう一例、引用してみよう。七月五日の朝日新聞。
<相次ぐチマ・チョゴリへの攻撃
日朝合同で調査委
(略)六月九日にJR京浜東北線の車内でチョゴリを切られた高校三年生は、自衛のために体操服で通学した同月十三日にも、駅構内で「朝鮮が……」と言われ、上着を引っ張られて切られた。さらに二十日にはタクシー運転手に「あんたこの前新聞に出ていた子だろう。こういう情勢だからしょうがないんだ。このやろう」と言われたという。このほか数人の生徒が、(調査委員会に対して――筆者注)複数の被害を受けていると証言している。(略)>
この記事を読んだ限りにおいて生じてくる疑問を、率直に記述してみよう。
なぜ、犯人が「タクシー運転手」だとわかったのか。そして、なぜその「タクシー運転手」は、通りすがりの女子高生を、「あんたこの前新聞に出ていた子だろう」と特定できたのか。新聞に限らず、この件についてのすべての報道は匿名でなされ、もちろん顔写真などはどこにも出されていないのだ。
さらに、常識的に見て「怪しい」としか言いようのない事態がこの当時起きていた事実をもう少し追ってみる。
<朝鮮学校生 暴力・嫌がらせ被害124件朝鮮総連調べ 今月急増、全国で>
(朝日新聞・六月十六日)
<電車で暴行、ば声受けた女生徒 でも ……私はチマは脱がない
東京中高級朝鮮学校 視察の都議18人に訴え>(朝日新聞・六月十八日)
なぜ朝鮮学校生 標的に 姜在彦・花園大教授に聞く 戦前の歴史観ひきずる>(朝日新聞・六月二十三日)
以上のように、朝日新聞では、わずか八日間の間に三回も、社会面その他に六段、七段、あるいは記者署名入りで一ページほとんどをつぶして、この事件を報道している。まさに、世界的な大事件、といったような扱いだ。そして、これらの記事から読みとれる朝日新聞の主張は、チマ・チョゴリの女子生徒は受難者で、制服にチマ・チョゴリを着ることは絶対に譲れない民族的権利で、その大切なチマを切るのはどうやら日本人に決まっていて、つまりは核疑惑報道に端を発した民族差別が横行しているのだ、という三段飛びのような論法である。いったい、この一大キャンペーンの背後には何があるのだろうか。

被害届は二十二件


ああ、いつものヤツが始まったんだな―。
日本人・在日朝鮮人を問わず、朝日新聞が大キャンペーンを張り始めた頃、過去にも似たようなことがあったことを思い出し、ひそかにそう考えた人は多いのではないだろうか。新聞記事のコメントで朝鮮学校の教師自信が認めているように、国際情勢や日本国内世論が圧倒的に不利になると、なぜかチマ・チョゴリは切られだすのだ。核疑惑の今年は、大韓航空機爆破事件(金賢姫事件)、パチンコ献金疑惑についで三回目の受難なのだという。
では、それ以外の年には、朝鮮学校の女子生徒に一件の被害も発生していないのだろうか。もしそうだとしたら、それはそれでずいぶん不思議なはなしではある。
いったい、少女のスカートを切るという行為にいそしんでいる、言わば「変態さん」系のクラい犯罪者が、朝鮮半島情勢にだけはずいぶんと熱心な関心を払っている、などということが本当にあるのだろうか。それも一人や二人ではなく、申し合わせたかのように全国共通で。
だが、おかしいと思いつつも、なぜだかそのことは口に出してはいけないような雰囲気が、当時あったことも確かである。なにしろ、被害者は在日朝鮮人の女子生徒である。彼女たちが恐怖に怯えている、とされる時に、その事件に対して「なんだかうさん臭い」と言うことは、かなりの勇気がいることだ。誰だって、好き好んで「差別者」のレッテルを張ってほしいとは思わない。
七月十二日、一連のチマ・チョゴリ切り裂き事件についていくつか教えてほしい点がある、と警察庁に取材を申し込んでみた。直接取材はなぜか却下されたが、捜査資料は送付してくれた。
<朝鮮学校生に対する嫌がらせ事案について
[嫌がらせ事案の発生状況]
被害届により警察が認知したものとして報告を受けているものは、本年四月以降、22件である(七月十一日現在)。
その形態としては、22件中12件(うち東京8件、埼玉2件、神奈川1件、福岡1件)は登下校中の女子生徒が列車内で衣服を切られたという事案であり、その外に、暴行及び傷害事件が8件、窃盗と強制わいせつ事案が各1件である。
警察としては、この種事案については、必要な捜査を行い、申告のあった22件中2件についてはすでに被疑者を検挙しているところである。
そのほかの20件については、被害届を受理し、必要な捜査を推進中である>
被害届は二十二件、被疑者検挙は二件。被害届はあくまで任意のものだから、提出しないから事件はなかった、と言えないのはもちろんである。しかし、朝日新聞による「被害数124件」と比較した時に生じる、実に七倍近い格差をどう評価すべきなのだろうか。
また、衣服を切られたものとは別に「暴行及び傷害」が八件とある。大問題ではなかろうか。この八件の中には、怪我で入院にまで追いこまれた少女もいるとのことなのだが、社会に伝えられる被害のメインはあくまで、「切り裂かれたチマ・チョゴリ」なのだ。
「窃盗と強制わいせつ」が各一件。これも、たんなるハレンチ罪ではなく、その犯行の裏に「民族排外主義」があると考えられるのだろうか。
この書類を手にした時は、すでにチマ・チョゴリ切り事件は鳴りをひそめ、代わりに金日成が死んだばかりの北朝鮮情勢に、メディアの大部分は関心を移していた。金日成が死んだ途端、チマ・チョゴリは切られなくなったらしいのだ。まるで日本全国の「民族排外主義的変態さん」たちが、偉大なる首領様の死に哀悼の意を表したかのように。

朝鮮総聯の仕組んだキャンペーン?


チマ・チョゴリ切り報道の現場では、何が起こっているのか。最後の最後まで報道を続けたのは、新聞では朝日だけだが、当初は他の主要紙も事件を取り上げていた。
ある全国紙の社会部記者で、この取材に携わっていた三十代の男性に、埼玉県下で会った。彼は言う。
「同じ新聞記者として、正直に言えば、ぼくも朝日さんの報道内容にはかなりの疑問を持っているんです。朝鮮総聯さんが開く記者会見で、被害数が何件、と発表されると、必ず『それは例年に比べて多いのですか、少ないのですか』という質問が出る。ところが、回答は『通常はそういう統計はとっていないからわからない』なんです。データとして不確かなものを、新聞が無批判に掲載していいのかと思います」
ではなぜ、あなたの新聞も含めて、五月頃は各紙ともこの件を積極的に取り上げていたのか、と聞くと、
「決していいことではないと承知しているんですが、毎日紙面を埋めねばならないブン屋の意識としては、それが真実か否かよりも、まず『ああ、これは記事になる』と発想してしまうんです。具体的に言うと、五月二十五日の朝日新聞に、例の[子供たちに各地で嫌がらせ チマ・チョゴリの通学中止 栃木の朝鮮学校]という記事が出た。よし、これはネタになる、ウチも取材してみよう、ということになる。朝鮮学校に電話する。取材に来てもいいという返事が貰える。つまり、一例でもあると、それが各紙で記事になってゆくんです。やがて、雑誌が取り上げる、テレビが取り上げる、そういう流れになってゆく」
―つまり、情報の拡大再生産が行われている、ということですか。
「その通りです。一般にブン屋は、それが本当にニュースかどうかなんて考えていませんから」
そして彼は、誰もが思っていながら誰もが口に出せない、例の雰囲気についてこう言った。
「記者クラブでも、この一連の事件について、何だか不自然だ、と感想をもらす者がいます。すると、必ずといっていいほど、“進歩的”な新聞記者から次のような言葉が返ってくる。『じゃあ、お前は彼女たちが自分で切っているとでもいうのか!』こう言われると、日本人の朝鮮への侵略・差別の歴史への贖罪感をつかれてしまって、もう何も言えなくなるんです」
しかし、そうすると、このチマ・チョゴリ報道に関しては、情報に何らかのバイアスがかかった時に、チェック機能が働かないということになるのではないか。それは、結果的には一種のフレームアップを生み出しているのではないか。
「フレームアップとまでは言えないでしょう。しかし、現場にいた記者として、これは朝鮮総聯さんの、少女たちの被害をうまく利用した政治的キャンペーンだったとは感じています。なぜなら、そもそもこれは、最初からウラが取れない種類の事件なんです。被害があったことまでは確認できる。しかし、犯行の動機が、北朝鮮への批判的報道が過熱したことによっての差別的な感情からのものだった、なんていったい誰が証明できるのか。ひょっとしたら、犯人本人にだってわからないかもしれない。民団系の人にはそういう被害が一切ないことを見れば、精いっぱい好意的に見ても、これは『民族差別』ではなく、『国への反感』だったと言うべきだったのではないでしょうか。もちろん、だからいいとは言っていないですよ。論理をすりかえてしまうのはよくないと言っているんです。北朝鮮の核疑惑という政治問題が、気がつけば朝鮮学校の女生徒への迫害という人権問題にとってかわられていた。朝日を中心にメディアを実にうまく使った、大成功のキャンペーンだったんじゃないかな、と思います」

背後には計画的なものがある


一九九○年、康京華<カンキョンファ>は、現役の朝鮮高校女子生徒だった。制服としてチマ・チョゴリを着ていた当事者である。この年は、北朝鮮関連で、とくに何かが起こった年とは言えない。
「あたしの時も、切られた子はいましたよ。その時も、父兄会の要請もあって、自衛手段として集団下校はしたんです。けれど、被害者の統計もとってくれなかったし、事実究明活動も行われなかったようでした。それが今年に限っては被害が何件になって、調べた結果詳細はこうで……等の詳しい調査が行われていると知ると、ひどい話だと思ってしまう。対策を立てるなら、北朝鮮がどうだろうと関係なく、日ごろからやっておくべきだと思います」
同じく東京朝高卒業の柳和実<リュウファシル>は、
「百二十四件はどうかとしても、その半分くらいの被害が今年はあったと思う」
とした上で、やはり、「何もなかった年」に、自らの目の前でクラスメイトのチマが切られた時の体験を語ってくれた。
「いつも京浜東北線で通学していたんですけれど、ある時、赤羽から二駅くらい通過したところで、友達のチマが切られていることに気がついたんです。切り方は、そうですね、乱切りって言えばいいのかな?ズタズタにされていて……。怖かった。わずかの間に、相手に気付かせずに、こんなにも見事に切れるものかと驚いてしまいました」
当然、誰がやったのかはわからずじまいだった。
「その後、ちゃんと先生には報告したんですけれど、ホームルームの時間に『みなさん、気をつけましょう』でおしまいでした。被害にあった子に何かしらケアをしてくれたという話も聞かないし、重要な問題だから運動として取り組もうということにもなりませんでした」
今の彼女は、そう憤りを隠さない。
京都朝鮮中学校出身の慎俊河<シンジュナ>は、
「実際、朝校生への暴力は、今も昔もあるんです。けれど、朝校生も、徒党を組んでずいぶん悪いことをしている。弱そうな日本人の中学生見つけて、『おい、自転車貸せ』って取り上げて、壊れるような使い方して、返す時はツバ吐きかけてから渡したり、とかね。朝校に行ってよかったと思うことはいくつもあるけれど、ぼくはああいう“伝統”みたいなんが、すごく嫌でした。もし立場が逆やったら、今頃、『日本人、男子生徒にも暴行』とか何か言うて、大々的に記事にされてるんちゃいますか。祖国が不利になると、まるで持ち駒のようにチマ・チョゴリを持ち出してくる。正直に言うて、どうかと思いますよ」
兵庫朝鮮高校を卒業した洪相基<ホンサンギ>は、よりストレートにこう述べる。
「この記事、絶対おかしいですよ。朝鮮総聯の言いなりに書いているとしか思えませんわ。だって、百二十四件や言うけれど、どういう基準でどう調査したのかは皆目わかれへん。それに、言うたら、そんなに『勇気』のあるヤツがいてるんかな、と不思議ですわ。カミソリか何か持って、女の子の後つけまわすなんて、リスクの高い行為ですやん。その場で捕まったらしまいや。もしほんまに総聯や朝高に対して反感持ってるヤツやったら、もっと堂々とした手段選ぶと思うわ」
先に引用した七月五日付の朝日新聞中では、弁護士の床井茂という人が、こうコメントしてる。
「(朝鮮学校生徒への暴力は昔からあったが)今回は非常に長く続いており、一つひとつは偶発的に見えるが、背後には計画的なものがあるようだ」
洪相基は、それを読んで、
「ぼくもそう思うわ。ただし、逆の意味で、ですけどね」
と言い、笑った。

朝日新聞記者の驚くべき発言


朝日新聞を中心とする「チマ・チョゴリ切り」事件の一連のキャンペーンには、少女たちの受難を奇貨とした、ある種の政治的な意図が働いていたのではないか。取材を進めるにしたがって、そのように考えざるを得なくなっていった。
取材期間の最後になって、チマ・チョゴリ切り事件報道記事を実際に書いた朝日新聞のある社会部記者に、匿名を条件にやっと話をきくことができた。それまで朝日新聞は、非常に官僚的な対応で取材を拒否していた。取材することで収益を得ている新聞社が取材拒否をするとは、見上げた根性である。
彼はあっさりとこう言った。
「チマ・チョゴリ事件報道のニュースソースは、朝鮮総聯です。私個人としては、事件のカウントの仕方に疑問を持っていますけれども。百二十四件の中には、女子中学生がスカートに手を突っ込まれた、というような事例も含まれているんです。これなどは、『民族排外主義』というよりは『いわゆる痴漢行為』にあたるのではないか、と思っているんです」
しばらく、二の句が告げなかった。一連の記事は、彼自身も署名入りで書いたのである。
―では、なぜそのように報道しなかったのですか。
「朝日新聞としては、朝鮮総聯の発表である、として記事にしたのです。よく『警察庁発表によると……』の表記の記事を御覧になると思いますが、基本的にはあれと同じなんです」
日本の国家機関である警察庁と、日本では法人格ですらない、いわば「私的組織」でしかない朝鮮総聯を同等の基準で扱っていいのだろうか。
―新聞社として独自の取材はしなかったのですか。
「した・しないではなく、両者は報道としては別物だということです」
―ある新聞記者は、そもそもウラ取りができない種類の事件であると語ってましたが(ここで、先の某紙社会部記者の発言の要旨を伝える)。
「それはおっしゃる通りだろうとは思います。しかし、われわれはニュースソースから聞いた情報を、ニュースソースを明らかにした上で報道したのです」
―朝鮮総聯の言う通りに報道したのですね。
「朝鮮総聯がこういう発表をした、と報道したのです」
これが、「チマ・チョゴリ切り」事件報道における朝日新聞の記事の作り方なのだ。独自取材をまったくしなかったわけではなさそうだが、それにしてもあんまりではないか。つまりは、朝鮮学校の女の子がいたずらされたというだけの事件に、そんな手間とコストはかけられませんよ、ということか。これでは、「うさん臭い」と言われても仕方がないではないのではないか。
柳和実が言っていた。
「聞いた話ですけど、今、朝校の女の子たちは、防犯ベルを持って通学しているそうですよ。あんなこと書かれたら、女の子、絶対に怖いですよ」
朝鮮総聯の発表をもとに、新聞記者たちがウラもとらずに書きなぐった記事で、女子生徒たちはさらなる恐怖に晒されることになったのである。

女子生徒は在日の「広告塔」か


東京朝鮮学校で、切られたチマ・チョゴリの現物を見た。朝鮮総聯の施設に足を踏み入れるのは、実に久しぶりのことだった。
「これはひどいですね」
保管されていたチマ・チョゴリを見た、率直な感想であった。取材の過程で、被害事実そのものについては十分に心証ができていたのだが、ナマで見る説得力は予想以上だった。このチマ・チョゴリを着ていた女の子は、どれだけの恐怖感を味わったことだろう。
夏物の上着の襟には垢の汚れがあり、背中がザクリと切られている。チマは、ザクザクに切り裂かれている。おそらく、被害がいちばんひどかったものを学校側が保管しているのだろう。
ここで、不自然としか思えなかった報道の事実経過について、疑問をぶつけてみた。例のタクシー運転手の件である。答えは、明瞭だった。
「その子の場合は、埼玉の小さな街に住んでいて、そこから通って来る子は非常に少ないんです。彼女が最初に被害にあった時、警察の人が通学時に警護してくれるようになったんですね。なにしろ小さなところだし、通学の時間は決まっているから、顔を覚えられてしまったようなんですよ。タクシーに乗った時に、ドライバーが彼女を知っていて、暴言を浴びせてきた、ということだったそうです」
そう説明してくれれば、とりあえずの納得はいく。ならば、中央線の「核」「北朝鮮」独り言オジサンに関しても、新聞が舌足らずだっただけで、やはり理解できるプロセスがあったのだろうか。
いくつかの事例について説明を聞きながら、もう一つの懸念について尋ねてみた。―ほとんど犯人が検挙されていない中で、どうして「民族排外主義的な日本人の仕業」と断定できるのか。
学校側の答えはこうだった。
「私たちは同民族の犯行であってはならないし、あってほしくないと思います。状況から見て、日本の方、と断定できます」
だが、仮に事件のすべてが日本人によるものだとしても、そこに民族排外主義なるものが介在していたかどうかは、藪の中としか言いようがない。チマ・チョゴリ切りの背後にある動機は、あれだけの大騒ぎがあったにもかかわらず、いまだ誰も解明していないのである。
そして、さらなる疑問。
なぜ朝鮮学校は、女子生徒だけに民族衣装の着用を強要するのか。これに対する学校側の答えは、「話が長くなる」という理由で、今回は得られなかった。
朝鮮には、男性の民族衣装(パヂ・チョゴリ)もある。こちらの方は、学校に限らず、朝鮮総聯社会でも滅多に着用されることはない。せいぜい、運動会などのイベントの際に、舞踊の衣装として着るくらいである。
朝鮮学校の女性教師たちは、学内ではカラフルなチマ・チョゴリを着ることが多いが、通勤時の着用は必ずしも義務付けられてはいないようである。
柳和実が言っていた。
「チマ・チョゴリを着ると、冬はすごく寒いんですよ。それでも、上にコートをはおることはしなかった。別にそういう規則があるわけじゃないんですよ。でも、コートをはおったら、チマが見えなくなってしまうでしょう。みんなが我慢しているのに、一人だけコートをはおるなんて、怖くてできなかった」
康京華も、同様の思い出を語っていた。
「チマ・チョゴリって、機能的ではないし、とにかく目立つんです。あたしたちが電車に乗っただけで、車内の雰囲気が変わるくらい。ある時、母親が、そんなにチマ・チョゴリが嫌なら、私服で通ったらどうかと言ったかとがありました。でも、本当にそうしたら、学校でどれだけの辛い思いをさせられるか。あたしは、ジャンヌ・ダルクにはなりたくなかった」
しかし康京華は今、「でも、ジャンヌ・ダルクは必要なのかな」と考えることはある、と言う。
「あのね、そんなにチマ・チョゴリが大切だったら、朝校の女の子だけじゃなく、みんなで着ればいいんですよ。民族の血、民族の誇りがチマ・チョゴリだと言うならね。それだけで民族性が満たされるのなら、朝校の先生も、総聯の職員も、女はみんな着ればいい。
朝校の女子生徒のチマ・チョゴリは、つまりは象徴にさせられているんですよ。儒教的な性差別だと思います。こういう事件も、そもそも朝校側に明らかな問題があるから起きるんです。女子生徒を大切に思うなら、いくらでも改善策はあるはずなのに」
現在、在日人口約六十八万人。朝鮮学校の女子生徒は、一校に百五十人とかなり多めに見積もって計算しても、二万五千人くらいか。
「北朝鮮」の活字が連日おどろおどろしく躍る街を、全在日人口の中で数パーセントにも満たない朝鮮学校な女子生徒だけが、チマ・チョゴリを着用させられて歩いている。彼女たちは、在日の「広告塔」なのか。
チマ・チョゴリは確かに切られていた。だが、それによって朝日新聞をはじめとする日本のジャーナリズムは「反民族差別」キャンペーンに成功し、核疑惑報道が下火になって北朝鮮と朝鮮総聯は得点を上げ、そして、チマ・チョゴリ着用を強制されている女子生徒たちだけが、恐怖に震えていた。日本のメディアと在日社会は、いつまで彼女たちをスケープゴートにし続けるのか。