浅間温泉Dチームによるページです〜


湯治場としての浅間温泉(明治以前〜1868年)

出来事 *1

浅間温泉は明治以前は保養湯治に利用されていた。
698年 「束間」と呼ばれていた
▽藩主や武士中心に利用される}
939年 犬飼氏温泉発見「犬飼の御湯」
1000年 「浅間温泉」と呼ばれ始めた
1400年 大塔合戦が起きる
1590年 石川数正 御殿を造る 
1595年 横谷沢大水が起きる
1596年 松本城主別殿ができる
▽石川氏が浅間の湯を整備 それ以後藩主専用の湯(御殿の湯)士族の湯、庶民の湯に分けられた
1642年 水野忠職により城主の保養地となる
1658年 家臣の湯 専有
1664年 源泉の増湧により内湯もちができる 
    横谷沢の洪水が起きる
1694年 殿様(水野忠直)が入湯
1711年 薬師寺大破
▽湯宿を営む村役人が増えた
1742年 横谷沢大洪水 
▽上浅間が被害を受け湯宿は下浅間へ移動
1830年 「入湯人宿」ができる
1836年 松の湯ができる 
1839年 菅の湯、桑の湯ができる
▽大洪水の復興で住民が一丸となり湯治場を形成
1849年 農業⇒農業+湯屋稼ぎ
1852年 竹の湯ができる
1854年 浅間内湯屋や外湯屋の業者で入湯人休泊について仲間一同で取定書をつくる 温泉組合のはじめ
1961年 松本藩士の入浴場新設のため上浅間のつかい湯を分湯する
1868年 浅間村から本郷村へ

〇浅間温泉は、古くは、西暦698年の飛鳥時代、日本書紀に登場する「束間つかま」であろうと推定されている。

〇浅間の地には天武天皇に仕えていた有力な氏族の数々の古墳群が見つかっていることから、古代から先住民族が群れをなして生活をしていたことが実証されている。
↓本郷村浅間付近遺跡分布(1:75000)

施設

入浴施設
  • 静保庵 ホテル小柳

  • 帰郷亭 ゆもとや

  • 紫山楼 目之湯旅館

  • 仙気の湯

  • 御座の湯

  • 梅の湯

  • 仙聚樓栄の湯

  • 香蘭荘

外湯施設
  • 枇杷の湯

寺子屋
  • 富士乃湯

歓楽街としての浅間温泉(1868年〜1945年)


明治時代以降、浅間温泉は多くの文人墨客に愛されるようになり、特に正岡子規や伊東左千夫からなるアララギ派発祥の地として知られている。
竹久夢二、与謝野晶子、若山牧水、田山花袋ら多くの文人墨客が訪れて、この地で優れた作品を残している。今でも、桜ヶ丘公園の伊東左千夫の詩碑や、神宮寺の与謝野晶子の歌碑等が存在する。

(浅間温泉全景)
明治末期から大正時代にかけての浅間温泉。板葺きの屋根の建物が目立つ。
*15

明治末から大正の頃と思われる浅間温泉の入口。当時のジェントルマンたちが渡っているのは「浅間橋」。
*16

出来事*17

1868年 浅間村から本郷村という名前に変わる。
1869年 岡田組制度が解体される。
(1869年 下浅間屋敷図)

1875年 岡本村が成立する。
1876年 筑摩県から長野県へ位置づけが変わる。
1879年 長野県から東筑摩郡へと位置づけが変わる。
1880年 郵便局が開局する。
1896年 軽谷沢、山田沢で洪水に遭う。
(1896年上浅間大洪水見取り図)

1897年 浅間銀行の営業が開始される。
1922年 信州銀行浅間支店設立
1924年 路面電車の浅間線開通※
1926年 上水道開設
1940年 浅間温泉旅館組合が発足
1943年 八十二銀行浅間出張所設立
1944年 集団疎開受入

〇当時、生糸は浅間温泉最大の輪出品であった。
→慶応元年以後,番卵紙の輪出も許可され、生糸蛋卵域の輸出は全貿馬額の八割余にも達していた。当時信州の警商葉は全国的にも有名であった。
〇浅間の湯は幕末になると増湯運動によって湯屋が立ちならび、湯の無い一般の人々も外湯を利用した。
 →作間稼ぎの旅人宿、入湯人宿を開業する者が増して温泉としての形態が整えられてきた。

(豆知識)*20

路面電車
・1924年(大正13)から1964年(昭和39)まで、松本駅前から現、浅間温泉の湯けむり公園のある場所を結ぶ路面電車「松本電鉄浅間温泉線」が運行されていた。車掌さんから運転手さんへの合図に鐘を鳴らす音から、人々からは「チンチン電車」の愛称※で親しまれていた。
*21

〇運行状況
当時は、朝5時〜夜12時まで10〜20分間隔で、多くの乗客を乗せて運行していた。
運行を請け負っていた松本電鉄(現アルピコ交通)は大正時代、上高地より浅間温泉まで電車を引く計画だったとされている。*22

〇運行場所
松本駅から新村そして島々まで線路を引き(現上高地線)のちに浅間温泉まで路面電車でつなげていった。
チンチン電車は松本駅からは現在のお城口を出てすぐ左に乗り場があり松南高校前から横田経由で浅間温泉まで引かれていた。*23

〇当時の浅間温泉周辺のチンチン電車の線路(赤線部分)
*24

〇昭和39年廃線へ
時代と共に車の交通量が増えたことから、道が狭い松本の市街地において路面電車の運行に不満の声が出てきた。路線を廃止にするには市町村の同意が必要で、廃線に賛成派の松本市と反対派の本郷村※との間で揉めた。(※路線が走っていた浅間温泉から横田地区については本郷村に含まれていた。)だが、のちに本郷村の村長に松本電鉄の推薦する人が当選したため、廃線の同意が取れ、昭和39年にチンチン電車は廃線された。*25
人力車と浅間の芸者
昭和初期自動車の普及によって人力車の姿は次第に減少。バスによる顧客が増大していき、人力車は浅間芸妓が利用するにすぎなくなってしまった。温泉での芸者遊びが盛んだった頃、浅間温泉にも20軒近い置屋おきやがあり、100人もの芸者さんたちがいた。
中でも、市丸は、浅間温泉から浅草に出て人気芸者になったあと、歌手になり、アメリカ公演もし、レコード大賞特別賞にも輝いた昭和のトップスターで、浅間温泉に生家がある。
今は、芸者さんは1人もいなくなってしまったが、地元の人が通う共同温泉には女風呂の方が大きい所もあり、そこから華やかな芸妓さんたちが「出勤」した小路が当時の面影を残している。

(100人もいた温泉芸者と市丸)
*26

施設

温泉旅館
源泉は第1号源泉、第2号源泉、第4号源泉、東北源泉、山田源泉、大下源泉、鷹の湯源泉の7カ所が使用されている。(この他に旧松の湯源泉が存在したが昭和29年頃に枯渇した。また、温泉街中心から南東約300メートルを隔てた山林内に未利用の源泉が自噴している。)
  • 菊之湯

  • onsen hotel OMOTO

  • 富士乃湯

  • 坂本の湯旅館

  • ひなの湯

  • あるぷすそば店

  • 萬山園浅間温泉店

  • 新三よし 浅間温泉いろりかこむ店

  • 藍蔵

  • 宮島みやげ店

  • 吉亭

  • 美月堂宮田名産店

  • 豆腐料理まるゐ

記念館
  • 松門(しょうもん)文庫

行事
  • 蚕玉祭 明治7.8年頃

  • 青山様 昭和10年頃

  • 道祖神の祭(三九郎)

温泉街としての浅間温泉(1946年〜現在)

出来事

1946年 浅間線 年間乗客数599万人余 ピーク迎え
1952年 浅間線 年間乗客数300万人下回る 郵便局局舎が新築移転され国有化
1961年 国鉄バス運行開始
1964年 浅間線(路面電車)廃止 浅間線廃止
1965年 県営松本空港完成 利用開始
1966年 特急「あずさ」運転開始 浅間温泉旅館協同組合が発足 
▽松本〜新宿間をつなぐ
1969年 浅間温泉国際スケートセンター開設
1974年 本郷村から松本市へ
1975年 三才山トンネル開通
1976年 三才山トンネル有料道路併用開始
1984年 観光客横ばいから減少へ
1985年 名称問題 10年計画の再建プロジェクト 第1回へそまつり開催
1987年 ホットプラザ設立 
▽観光客の増加を見込み、県が補助した
1988年 長野自動車道松本IC開通
1989年 仙気の湯 改築 ホテル富貴の湯と鷹の湯旅館が合併
1991年 バブルが崩壊
▽観光業が団体旅行から個人旅行への転換
1992年 松本電鉄所有の私道を買い取った
▽歩きやすい町へ発展
     その後浅間温泉町づくり協議会が発足
1994年 景観マニュアルを作成
     蚕玉様まつりが50年ぶりに復活
1995年 浅間の湯祭や風呂の日(入浴が無料)開催
1996年 湯けむり公園が完成
1997年 もてなしづくり・女将の会が発足。
     松本の冬を楽しむ氷上フェスティバルが開始
1998年 戦争伝える展示「いのちの伝承」公開
2000年 湯祭り無料開放中止
2002年 手しごと市開催
2003年 初の朝市開催
2005年 浅間温泉街づくりマスタープラン完成。新そば祭り開催
2006年 呼称変更問題
2007年 浅間温泉旅館協同組合から4件脱退
▽松本あさま温泉旅館組合へ
     浅間温泉地区再生プランの作成
     浅間温泉観光再生協議会
2008年 まち歩きイベントやおもてなし講習会が実施
▽「浅間温泉地区再生プラン」の第一弾
2009年 ホームページ「ASAMAP」作成。JR新宿駅からのバスツアー運行が開始
     これにより、都会からの旅行者の増加を促した。
     ネット販促進講習会
2010年 地産地消推進懇親会
2011年 浅間温泉の携帯電話向けサイト開設され、携帯を多く使う世代に対してもアプローチをしていった。
2012年 日本料理店「草創庵」が開業。閉館した旅館を利用している。
     タビオコシ会発足
     「地域の縁側 にこにこサロン」開設
2014年 おかみラベル商品化
2016年 旅館協同組合婦人部 温泉ツアー開催。
     信大生がまつもと空き家プロジェクトに参加
2017年 みんなで「共謀し」ナイトが開催
     受験生餅つき応援会、乳がん手術経験者向け温泉モニターツアー、枕ンピックも開催

(豆知識)*46

施設

温泉旅館
  • HOSTEL & SPA FAN!MATSUMOTO

外湯施設
浅間温泉には組合員専用の外湯を含めて、外湯と呼ばれる施設が全部で16カ所あるが、現在一般に公開されているのは下記3箇所。*48
  • ホットプラザ浅間

  • 仙気の湯

  • 枇杷の湯

  • 草創庵

  • ごはんカフェ笑〜emu〜

「障害者向けサービス&支援組織」
  • アトリエMOO

  • あさま茶房

  • カフェMARUKURU

  • ターメリック

  • つたのゆ

  • ビストロ鬼平

  • そば打ち楽座

建築物
  • 松門文庫

行事
  • 浅間温泉 朝市
朝市の主役は農家直販の採り立て野菜・果物・豆類。*60
  • 浅間温泉新そば祭り浅間温泉新そば祭り
とれたての新そば粉を使い、地元の自称「そば打ち名人」が、自慢のそばを提供する。又、そばと温泉入浴をセットにした商品もある。*61
  • ゆこもりでの個展 2006年から*62

補足

土地

浅間温泉は松本市の本郷地区*63に含まれ、本郷地区は長野県のほぼ中心であり、松本市の東北、筑摩山地の山麓に位置し、面積の83%が山地である。信州まつもと空港から約15km、松本駅より約5km、標高は約650mに位置している。
*64 )

地図・アクセス

【地図】
(ダウンロード可能な浅間温泉公式のマップ一覧(*65

【アクセス】
(タクシーを利用の場合)
JR松本駅より約15分
松本空港より約40分

(バスを利用の場合)
松本バスターミナルよりアルピコ交通バス利用で約25分


時代区分不明施設

温泉旅館
  • 東石川旅館

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