冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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ロシアの1800年代核戦争ネタ


KAMASは、1800年代核戦争説のビリーバーたちの5つの主張とその誤りを次のように指摘している。

まずは、1816年の北米と西欧の夏のなかった年から...
1. 夏のなかった年

これは1815年にインドネシアのスンバワ島のタンボラ火山の噴火に続いて起きた、西欧と北米での1816年の冷夏の名である。これが起きた事実だ。しかし、ビリーバーたちは、1812年の「核攻撃」のせいにしたがる。「モスクワはナポレオン軍を徹底的に爆撃し、ロシア全域の(太平洋に至るまでの)森林は焼け落ちた。これが夏のなかった年を起こした。」もっともな質問「モスクワは何故、シベリアまで1812年に爆撃したのか?」答えはない。さらに質問「森林が秋や冬も続けて4年もどうやって燃え続けたのか?」

オルタナティブヒストリーを信じるビリーバーたちは、夏のない年を引き起こしたのは、火山爆発ではなく、ロシア森林の火災だと信じている。しかし、全世界が影響を受けたのにロシアには災厄は起きていないという。そもそも奇妙なのは、森林が燃えれば、戦略物資が枯渇する(森林は艦隊用を含む建設用資材であり、エネルギー源であり、貿易の輸出品である)が、そのおうなことはまったく知られていない。そもそも最初に影響を受けるのはロシアだが、いわゆるオルタナティブヒストリーのビリーバーたちも、ロシアが影響を受けていないことを認めている。

それが事実だ。ロシアの森林に大規模火災は起きていない。太平洋の火山噴火があった。これがロシアに影響しないことを理解するにはmoving air massサイトを見る必要があるだろう。

Перемещение воздушных масс(moving air mass)を見てみよう。太平洋からの風が中国大陸に流れるが、ロシアに影響をを及ぼすことがなく、アフリカを回って、北米と西欧に向かうことがわかるだろう。したがって、ロシアは影響を受けない。そして、「ロシアの全森林が燃え落ちて」も、大気大循環から見て、西欧や北米に灰が到達できない。

[ KAMAS: "Ложь о "ядерной войне 18 века" (2016/07/19) ]
全森林が1800年代初頭に燃えたことになっているので、ロシアの森林は樹齢200歳以下の樹木しかないと主張される。
2. ロシアの森林は若い

謎の核カタストロフにより、樹齢200年以上のロシアの森林はないとされる。タイガさえもが、全て焼けて、再生したと主張される。あのような気候地域で、московиты(ロシア人)はどうやって森林を再生したのか?それで終わりだ。これ以上、問う必要はない。

何が間違っているのか?

古い樹木は樹齢80〜90歳と考えられている。事実は、樹木の平均寿命は人間の平均寿命と同様のものだ。人間は120歳まで生きられるが、何らかの理由で70〜80歳の壁を越えて、そこまで生きられるのは稀だ。同様に樹木も気候や土壌成分や遺伝や抵抗力などにより変わる。だから、多くの樹木がその生存限界まで生きられなのは、まったく自然な原因によるものだ、核爆発がなくても、森林火災や他の理由で森林は死ぬ。

森林の死の主たる理由は火災である。1994〜2005年に、530万8000ヘクタールの森林がロシア連邦で死んだ(年平均44万2000ヘクタール)。このうち、70%が火災、14.3%が悪天候、12.9%が昆虫で、2.8%がその他(伝染病、野生動物による被害、人間によるもの)。12年間のうち、1995年と2004年だけが、森林が主因ではなかった。(Лесной Дозор)


以上の通り、森林の死の30%は火災ですらない。森林は火災のほか、経済的必要で伐採される。森林は現在も重要な原材料資源だが、当時はけた違いに重要だった。 So V. I. Chopikは次のように書いている。

わずか2年(1559-1560)で、2万7000本のイチイ材が豪州から英国に輸送された。そのような量の輸送が16世紀まで続き、イチイ材交易が終わったのは19世紀初頭のことだった。


イチイ材が伐採された理由は明らかだ。当時の森林消滅の規模を想像してみよう。V. I. Stepanovaは次のように書いている。

19世紀末のロシアの森林の最大の消費者は、数百万の人口、数多くの工場を持つモスクワだった、1897年には、90万トンの燃料用木材、34万トンの材木がモスクワに運ばれた


燃料用木材の重量を1m3あたり600kgとすれば、モスクワは1897年に122万9000トン(あるいは204万8000m3)の木材を消費したことになる。1897年のモスクワの人口は103万9000人だった、18〜19世紀、木材は建築材料・艦船・熱源・産業用材料・化学用原材料(タール)だった。したがって、ロシアの老木がないのも当然のことである。これで決まりだ。さらに、シベリアと極東への植民が進むと、耕作地および牧草地のために、森林が焼かれた。

ロシアに樹齢200歳以上の樹木がないという主張そのものも誤りである。P Zverevはシベリアのカラマツについて次のように書いている。

カラマツは長寿の樹木である。シベリアの森林には千歳以上のカラマツもある。もちろん、樹齢800〜900歳のカラマツは比較的稀だが、樹齢700〜750歳のカラマツは普通にある、樹齢400〜500歳のカラマツは特に老木のようには見えない。


見てきたように、オルタナティブヒストリーのビリーバーたちの主張はまったくの間違いだ。ロシアには、いわゆる「オルタナティブヒストリー」と呼ぶビリーバーたちが使う表にも、古い森林が載っている。


見た通り、ビリーバーたちのいわゆる「オルタナティブヒストリー」の主張の誤りを、この表自身が指摘している。中欧ロシアの森林はそもそも樹齢200歳以上はありえない。そのような樹木は200歳まで生きることはない。

[ KAMAS: "Ложь о "ядерной войне 18 века" (2016/07/19) ]
そして、ロシアはもとより、世界中に見られる円形の地形。
3. 核クレーター

オルタナティブヒストリーのビリーバーたちがGoogle Mapsを開けば、これが結果だ。核爆発によるクレーター地形の驚くべき発見がある。それらは真円だとされ、魚は生息していないという。

これは特に視覚による詐欺である。オルタナティブヒストリーのビリーバーたちは円形湖の真の起源を探ることなく、核爆発によるクレーターだと言う。しかし、クレーターの位置を見てみると、ブリャンスクとドネプロジェルジンスク近くの自分たちの領土内を攻撃した理由がわからなくなる。

これらは本当は何なのか?これらの湖の起源はさまざまである。カルスト地形や、実際の隕石クレーターや、ガスハイドレードの地下爆発や、人為的なものなどだ。

最新のオルタナティブヒストリーのビリーバーたちからの例はコミカルなものだ。ロシアのペンザ地域の湖を核爆発によるクレーターだという。見ての通り、湖は特に円形というわけではない。しかし、この湖がおかしいのは、これが20世紀前半の泥炭採掘跡だということ。

この湖は人為的にできたものだ。20世紀前半の泥炭採掘の後で形成された。帯水層や下層土への排水がないため、湖は周囲の水域に危険をもたらすことはない。洪水を防ぐために、湖は保護堤防に囲まれている。洪水を防ぐために、湖は保護堤防に囲まれている。近年の湖と兵器庫は、アマチュアの噂やゴシップ、さらには日和見主義的でアンフェアな出版物や憶測の源となっている。(Penza Post)



ウドムルト共和国サラプル(正確にはエルショヴスカ村の南東)近くにある「謎のクレーター」もまた笑える。よく見ると、これらのクレーターは普通の森林である。森林を核爆発によるクレーターだという理由がわからない。


そのような貯水池は、人造湖なので魚はいない。そのような湖は他の水源との自然なつながりがないので、人間が持ち込まない限り、魚がやって来ない。

クレーター自体も問題である。なぜ、クレーターだと言えるのか?核爆発によるクレーターは、地下もしくは地上爆発でないと残らない。московиты(ロシア人)は核爆弾を地上輸送したり、地下埋設したのだろうか?核兵器はテクノロジーのみならず、歴史的および経済的な社会の発展でもある。蒸気エネルギーは古代より知られていたが、それはおもちゃの域をだなかった。核兵器について言えば、ある種の科学と技術の発展段階である。18-19世紀には、科学者たちは非常にラフに原子構造を考えていた。核兵器を生産するための能力はなかった。もしそのような生産設備があれば、ハイテク文明の産物が多くあるはずだ。московиты(ロシア人)やタタールが核兵器を持っていたなら、彼らはジェットエンジンや内燃機関や油田やプラスチックなど、原子文明の特徴的なものを持っていたはずだ。当時、何があっただろうか?ピラミッドや聖イサアク大聖堂は古代世界や17-18世紀のテクノロジーである。航空機やミサイルがないのに、核兵器だけが存在することはない。家畜小屋にハンマーと宇宙ロケットがあるようなものだ。

そもそも、何もない18世紀に核兵器は存在しえない。

[ KAMAS: "Ложь о "ядерной войне 18 века" (2016/07/19) ]

そして、定番の1812年のモスクワ大火災...
4. 1812年のモスクワでの核爆発

モスクワは19世紀にシベリアに核爆弾を投下しただけではなく、モスクワにいたナポレオン軍も核爆撃した。そのようにオルタナティブヒストリーのビリーバーたちはサポレオンのロシア侵攻のときのモスクワ大火災をそう考えている。彼らはこれを19世紀の画家の絵をつかって、この火災を語る。


たとえばこの絵だ。ビリーバーたちは火災の写真のようなものだと言うが、実際は、 I. Aivazovskyの1851年の作品である。

笑えることに、オルタナティブヒストリーのビリーバーたちは、事件の40年後に描かれた芸術家の芸術的創造物を歴史的事実と呼ぶ。それこそがビリーバーたちの本質だ。その他のモスクワ大火災の絵画も、モスクワに近づいたこともな画家によって後世に描かれた。これは「お祖母さんからそう聞いた」タイプの証拠だ。

オルタナティブヒストリーのビリーバーたちは、セギュール伯爵の記述を引用する。「14日から15日にかけての第一夜には、トルベツコイ公爵の邸宅に火の玉が落ちて、邸宅は炎上した。」空想はこの火の玉から始まる。これは核爆発の火球だとされた。

セギュール伯爵の記述をよく読めば、火災が始まったのは9月14-15日の夜間以前である。既に燃え始めているモスクワを爆撃する必要があるだろうか?この核爆弾一発で火が付いたと。まったくのナンセンスだ。

フランス人(セギュール伯爵)に目撃された火球だが、珍しいものではなく、だからこそ火球という名前が付いている。

衝撃波の作用下にあるガスの温度は、自己発火を引き起こす温度まで上昇する可能性があり、爆発的な環境では化学反応を引き起こす。衝撃波現象と化学反応域の存在との組み合わせにより爆発波が発生する。ガスの状態のパラメータ - 圧力、温度、密度の突然の変化 - これは爆発燃焼を引き起こす。炭化水素化合物で再濃縮されたレニウムガス - 蒸気混合物。障害物によって爆発への移行が促進される:建物の壁、物体、火炎伝播の経路における起伏の多い地形、乱流の現象を引き起こす。(belkmk)


たとえば、2007年にウラジオストクでも火球が見られた。

直近では、2007年7月22日にウラジオストクで、ウラジオストクホテルに近い、街で最も美しい建物の一つである行政住宅複合施設アトランティスが燃えた。火災は19階(ファサードの傾斜部分)のバルコニースラブから始まった。考えられる原因は屋根の修理での熱間加工の際の規則違反であり、それにより火災はファサードに生きおくよく広がった、14-18階は吸引力が働いて、内側扉が開いているため、火災と煙が集合住宅内のバルコニースペースを通過した。目撃者は火球が上昇していくのが見えたと語っていた。


オルタナティブヒストリーのビリーバーが核攻撃の犠牲者だとする、モスクワにいた負傷者の記述も驚くことではない。この大火災の直前に、最も血塗られた戦いの一つ、ボロジノの戦いがあった。ロシア軍の負傷兵2万7500人がモスクワにいた。フランス軍の負傷兵がモスクワにいても驚くことではない。

核爆発は閃光で有名なわけではないという点が最重要である。核爆発はキノコ雲で知られる。しかし、モスクワでは誰も見ておらず、目撃者も芸術家も見ていない。もし、オルタナティブヒストリーのビリーバーたちがキノコ雲の絵を見せていれば、まだ話もできる。また核爆発は衝撃波を起こし、建物を破壊する。しかし、誰も衝撃波に気づいていない。それはとても奇妙なことだ。火球の他に何もない。核爆発はそれだけではない。

これは1952年の米国の核実験の映像で、低出力の核爆発で見えるものだ。


このような光景を見逃すことはあり得ない。しかし、モスクワ大火災の目撃者はこのような現象に気づかなかった。ということは普通の火災である。モスクワの核爆発のついての話は全て、オルタナティブヒストリーのビリーバーたちの根拠なき妄想にすぎない。

[ KAMAS: "Ложь о "ядерной войне 18 века" (2016/07/19) ]
1812年のナポレオン軍のモスクワ遠征に准将として従軍したcomte de Ségurは、引退後は著述に専念し、1824年にHistoire de Napoléon et de la Grande-Armée pendant l'année 1812(1812年のナポレオンと大陸軍)を書いている。

なお、1812年のモスクワ大火災は9月14日に最初の火災が記録され、15日に大規模な火災となっている。

そして、最後のネタは、核といえば腫瘍...
5. 腫瘍疾患は20世紀に登場した

オルタナティブヒストリーのビリーバーたちの19世紀核戦争の最新の証拠は、人類が腫瘍疾患を知ったのが20世紀になってからだというもの、それ以前は人類はそのような病気を知らなかったという。これはまったくの嘘である、数千年前から人類はこの病気を患ってきた。古代エジプトのミイラにも痕跡が見られる。古代の医師たちは、自分たちがそのような容器を見ていることをわかっていた。この病気の研究は20世紀前半に始まっている、

[ KAMAS: "Ложь о "ядерной войне 18 века" (2016/07/19) ]



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