ロシア右翼, ロシア史教科書
ロシア史教科書9学年(近現代史導入)における「ソ連崩壊」は、以下の6つのサブセクションから構成されるが...
主として、ペレストロイカの経済政策の失敗(4.)と、軍事的にゴルバチョフが一方的に西側に譲歩したこと(5.)を批判をしている。基本的にはソ連崩壊という、プーチン言うところの「20世紀最大の地政学的大惨事」はゴルバチョフのせいだという記述をしている。
ただし、ソ連崩壊という事態そのものについては、
経緯については、少なくともゴルバチョフは連邦を維持しようとしていたことを記述し...



ロシア史教科書9学年(近現代史導入)における「ソ連崩壊」は、以下の6つのサブセクションから構成されるが...
- 危機の拡大
- ペレストロイカ戦略
- グラスノスチ
- ペレストロイカの経済的側面
- ペレストロイカと外の世界。新思考
- ソ連の危機と崩壊
主として、ペレストロイカの経済政策の失敗(4.)と、軍事的にゴルバチョフが一方的に西側に譲歩したこと(5.)を批判をしている。基本的にはソ連崩壊という、プーチン言うところの「20世紀最大の地政学的大惨事」はゴルバチョフのせいだという記述をしている。
ただし、ソ連崩壊という事態そのものについては、
ソ連は、共産主義改革者とロシア連邦の民主化運動の手によって、意図せず破壊された。ソ連は、外部からの圧力ではなく、内部の近代化の試みによって敗北した。M.S. ゴルバチョフは、改革と西側との政治的協力を継続するために東ヨーロッパの支配権を放棄し、B.N. エリツィンは、ゴルバチョフの支配を終わらせるために、他の連邦共和国を1つの国家の枠組み内に留めないことを選択した。西側は、道徳的な理由だけでなく、ソ連を解体する取り組みに無条件の支援を与えた。と位置付けている。
経緯については、少なくともゴルバチョフは連邦を維持しようとしていたことを記述し...
M.S. ゴルバチョフは、ソ連の維持を主張し続けた。1991年3月17日に彼が組織した国民投票では、参加した国民の 77.85% (投票率は80.03%) が、新生ソ連の維持に賛成した。各共和国の権限は大幅に拡大された条約の調印は1991年8月20日に予定されていた。クーデターからの流れで、ソ連崩壊に至ったことを淡々と記述している。この流れは、ゴルバチョフとともに、クーデターを起こした保守派や、これを奇禍として権力奪取したエリツィンにも責任を問うしかないものであり、免罪しがたいとプーチン政権は考えているように見える。



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