ロシア右翼, ロシア史教科書
ソ連結成について意見対立があり、レーニンは中央集権的な連邦ではなく、国家連合的な連邦という考え方をとり、連邦共和国が離脱兼を持つソ連設立を決断した(ie. Komach 2000)。1924年のソ連憲法は連邦からの離脱を明記した。そしてその後のスターリンの民族政策は大ロシア主義に基づいていたが、スターリンのソ連憲法も、有名無実化していたが、民族自決権や構成共和国の分離権を明記していた(ie Murai 1994)。この「離脱」が実体化するのは1991年のソ連崩壊だった(ie Nakazawa 1996)。
この、いわば「レーニンが仕込んでしまったソ連崩壊の仕掛け」について、プーチン政権下においても、ロシア史近現代史教科書の記述には幅がみられる。
レーニンが連邦共和国のソ連離脱権を憲法に明記させた理由について、今後の新規加盟・グルジアなどの抵抗など...
また、離脱権に関連してソ連崩壊を明記しているのは...
ソ連崩壊には触れていないが、そもそも離脱権を含む憲法自体が矛盾を持っていたと、踏み込んだ例としては...
ソ連が帝国として強大なら「共和国の連邦離脱権」は画餅にすぎず、帝国として弱体化してしまえば「離脱権」がなければ少々事態の推移を遅らせることはできたかもしれないが、崩壊を回避できるわけでもないだろう。「ソ連の崩壊を大惨事」と考えるプーチン政権だが、その要因として「離脱権」があったと教科書で強く書かせるところまではいっていないように見える。







ソ連結成について意見対立があり、レーニンは中央集権的な連邦ではなく、国家連合的な連邦という考え方をとり、連邦共和国が離脱兼を持つソ連設立を決断した(ie. Komach 2000)。1924年のソ連憲法は連邦からの離脱を明記した。そしてその後のスターリンの民族政策は大ロシア主義に基づいていたが、スターリンのソ連憲法も、有名無実化していたが、民族自決権や構成共和国の分離権を明記していた(ie Murai 1994)。この「離脱」が実体化するのは1991年のソ連崩壊だった(ie Nakazawa 1996)。
この、いわば「レーニンが仕込んでしまったソ連崩壊の仕掛け」について、プーチン政権下においても、ロシア史近現代史教科書の記述には幅がみられる。
レーニンが連邦共和国のソ連離脱権を憲法に明記させた理由について、今後の新規加盟・グルジアなどの抵抗など...
- Shestakov V.A.執筆の2011年の9学年用ロシア史近現代史教科書§18
- 「スターリンは最終的に世界革命に失望し、厳格に中央集権化された国家の創設に向けて取り組んだ。しかし、レーニンは新しいプロレタリア革命を期待し続け、ソ連を新しいソビエト共和国が参加するのにできるだけ魅力的なものにしようとした」
- Danilov D.D執筆の2015年の9学年用ロシア史近現代史教科書§12
- 「委員会メンバー I.V.スターリンは、これらの共和国が自治組織としてロシアソビエト連邦社会主義共和国に参加することを提案した。多くの共産主義者、特にウクライナとグルジアでは強く反対した。彼らは、ロシアへの従属が各共和国に国家的な反ソ運動の新たな波を引き起こすと信じていた。」
- 2023年 特別軍事作戦対応改訂 ロシア史教科書10学年用1914-1945 §16
- 「レーニンは、ソビエト共和国は平等と主権の保持を基礎として、単一の国家連合に統合されるべきであると信じていた。各共和国は連合から自由に離脱する権利を持つべきである。レーニンは、ソビエト国家のさらなる拡大、将来的に新しい共和国を併合する可能性という論理から出発した。」
- 2024年 特別軍事作戦対応改訂 ロシア史教科書8学年用近現代史導入§4
- 「レーニンが共和国の開かれた連邦を必要としたのは、主にヨーロッパやアジアの他の国々が資本主義を打倒して将来加盟できるようにするためだった。」
- Levandovsky A. A.執筆の2013年の11学年用のロシア史近現代史教科書§18
- 「自治化の考えは、アゼルバイジャンとアルメニアの共産党指導者によって支持された。ベラルーシとウクライナの指導者は、様子見の立場を取った。グルジア共産党中央委員会のメンバーだけが、自治化計画を明確に拒否し、「我々は経済努力の統一と共通政策は必要であると考えているが、独立のすべての属性は保持しなければならない」と述べた。このテーゼは、自治化の考えは政治的に誤りであり、平時にはまったく適さないと考えていた V.I. レーニンによって熱烈に支持された。」
また、離脱権に関連してソ連崩壊を明記しているのは...
- Shestakov V.A.執筆の2011年の9学年用ロシア史近現代史教科書§18
- 「共産主義者の立場が弱まると、ソビエト連邦を統合していた絆も弱まり、ソビエト連邦は崩壊した。」
- 2024年 特別軍事作戦対応改訂 ロシア史教科書8学年用近現代史導入§4
- 「レーニンの「連邦化」方式は、ずっと後になって明らかになるが、将来ソ連が崩壊する方式となる」
ソ連崩壊には触れていないが、そもそも離脱権を含む憲法自体が矛盾を持っていたと、踏み込んだ例としては...
- Levandovsky A. A.執筆の2013年の11学年用のロシア史近現代史教科書§18
- 「全体として、国家は頑固に「併合」を拒否し、祖先から受け継いだ独立、伝統、慣習を失った。それどころか、共和国の経済的、文化的台頭は、そこに住む先住民の国民的自覚のさらなる高まり、彼ら自身の国家としての国家性と主権の真の肯定への欲求を伴っていた。そして、これは形式的な連邦主義とますます矛盾せざるを得なかった。その結果、ソ連の創設時に生じたソ連の基盤の亀裂は、何年も癒えるどころか、拡大した。」
ソ連が帝国として強大なら「共和国の連邦離脱権」は画餅にすぎず、帝国として弱体化してしまえば「離脱権」がなければ少々事態の推移を遅らせることはできたかもしれないが、崩壊を回避できるわけでもないだろう。「ソ連の崩壊を大惨事」と考えるプーチン政権だが、その要因として「離脱権」があったと教科書で強く書かせるところまではいっていないように見える。
- 2011(9学年)
- 2015(9学年)
- 2023(10学年)
- 2024(9学年)
- 2013(11学年)


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