冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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資料集

原子戦に対する民防衛(1955)


稲田正純(1896-1986)退役陸軍中将を監修者とする、元陸海軍人たちの執筆した本「原子戦(1955)」で、実松譲(1902-1996)退役海軍大佐が民間防衛の意義について書いている。
一 わが国の国防における民防衛の地位 民防衛(シヴィル・デフェンス)とは軍防衛(ミリタリー・デフェンス)に対する国土防衛の方式で、この両者により国土の防衛が達成される。軍防衛は軍隊によって行われ、敵兵力を相手とする防衛行為である。民防衛は一般市民によって編成された防衛組織によって、敵の攻撃から生ずる被害を相手とし、この被害の効果を最小限に食い止めるための防衛活動である。

民防衛の重要性が認められてきたのは、第二次世界大戦からである。すなわち同大戦においては、飛行機の航続距離の延伸と、爆弾搭載能力の増加によって、敵の戦線を越え、はるか後方の重要な軍事施設、都市、軍需生産施設などの戦略拠点に対する攻撃、いわゆる戦略爆撃が行われるようになった。このため、戦場は兵力の相対する戦線に限られることなく、爆撃機の威力圏内はひとしく戦場化するに至ったのである。この結果、戦争の様相は名実ともに国家総力戦となり、戦争の勝敗は国家総力の優劣によって決せられるようになった。かくして、国防上における民防衛の重要度は、にわかに増大し、敵の攻撃効果を最小ならしめる市民の防衛活動が国家防衛のための不可欠なものとなってきたのである。

ところで、戦後における科学の進歩は実に目覚ましいものがある。とくに原水爆の出現と飛行機の発達は、戦争様式に一大革命をもたらし、国防方式を画期的に変革してしまった。それは後述するように、原水爆の破壊力が極めて強烈であり、かつこれを目標に到達せしめる飛行機の航続距離が著しく増大したからである。今日では、世界中のどこでも、原水爆の攻撃圏内におかれていると言うことができよう。かくして、科学の進歩は必然的に国防上における民防衛の比重をさらに高からしめ、第二次大戦当時に比べて、国土防衛のための民防衛の重要性を欠く団と増加し、かつ将来はさらに拍車をかけんとする情勢にある。アメリカやイギリスなどが、国土防衛のための民防衛の整備に躍起となり、真剣な努力をつづけているのは、決して故なしとはしないのである。

原水爆攻撃の防護するのは。軍防衛の任務である。軍防衛の活動によって、原水爆を搭載する敵兵力を、レーダー網によって早目に捕捉し、防空戦闘機、対空誘導弾、高射砲などをもって、目標到達前に敵を撃破すべきであることは言うまでもない。ところが、現在の防衛兵器をもってしては、来襲する敵を目標到達前に完全にうち落とすことは不可能とされている。アメリカのように極めて整備された軍備を持ち、かつ国土防衛上有利な地理的条件に恵まれている国ですら、なおかつ来攻する敵機の一0〜三五パーセントは、厳重な防衛網を突破して、目標に到達することができると見られている。のみならず、遠い将来に出現を予想される超遠距離ロケット弾に対しては、現在のような防衛手段をもってしては、効果がないと判断されているようである。

そこで、原水爆時代における、わが国土の防衛について考えてみよう。今日のわが国の"軍防衛"は、わが国だけの防衛力でなされるものではなく、集団安全保障の一環として、自由諸国家とくにアメリカの協力のもとに行われるであろう。それにしても、万一の場合が生起したならば、来襲機の相当数が目標に到達し得るものと見なければならないだろう。この場合、民防衛の備えを怠っていたとしたら、敵の攻撃の効果を最小限に止めることなどは思いもよらぬところであろう。それは敵の攻撃をして、その猛威をたくましくせしめ、原水爆の有する強烈な破壊力による、徹底的な災害を招くに至るべきは必定と見なければならない。

[実松譲:"原水爆と民防衛" in 稲田正純(監修): "原子戦(防衛と経済シリーズ)", 自由アジア社, 1955, pp.102-104 ]

この頃、既に核爆発の住宅への影響を含む民間防衛実験(Operation DoorstepとOperation Cue)が行われており、実松譲も核攻撃への備えについて記述している。
二 原水爆への備え

原水爆という言葉をきくと、われわれは直ちに広島と長崎の悲惨な経験を想起し、第五福竜丸のことを思い出して慄然とする。人道的見地から、そして人間としての感情から、このような気持ちになるのは当然のことであろう、しかしながら、世界の情勢は、このような感情のみをもっては律し得ない。冷厳にして現実的な動きを示していることは、否定し難い事実なのである。だから、われわれは原水爆問題を、単なる感情をもって眼を蔽うい、見送ってしまうわけには行かない。

原水爆の威力は(一)爆風、(二)熱、(三)放射能による影響に大別され、その破壊力を高性能爆薬(TNT)に比べると、次の通りであるといわれている。

初期の原爆(一九四五年製) TNTの約二万トンに相当する。
改良された原爆(一九五一年製) TNTの約五十万トンに相当する。
初期の水爆(一九五二年製) TNTの数百万トンに相当する。
改良された水爆(一九五四年ビキニで実験のもの) TNTの約一千万トンに相当する。

爆風と熱による被害の程度は、無防備の場合、次のように推定されている。
一九四五年製原爆では、爆心から一哩いないにある家屋は全壊または大破、一・五哩以内のものは修理不能の程度に破壊する。
一九五四年製水爆では、爆心から一二哩以内にある家屋は全壊し、四十哩以内は直接の被害をうける。爆心から八哩以内は人員の約半数が死傷する。

水爆の爆発により、風向きに沿うて葉巻型の約七千平方哩に達する放射能被害地域を生ずる(爆心の風下側に約百九十哩、幅約四十哩、風上側に約二十哩)。この地域において、セルターその他の防衛手段をとることなく、三十六時間以上放射能にさらされた場合は、次のような被害をうけることになろう。
爆心から風下側に約百四十哩、幅約二十哩の地域では、全員が死亡する。
爆心から風下側に約百四十哩以上約百六十哩以内の地域では、半数が死亡する。
爆心から風下側に約百六十哩以上約百九十哩以内の地域では、五〜一0パーセントが死亡する。
爆心から風下側に二百二十哩以上を、たとえ四十八時間以上放射能にさらされ、また防衛手段を講じなくても死亡するようなことはない。

もしこのような兵器が使わることになったら、それは人間に対しても、物に対しても、未だかつてなかった大きな破壊を与えることになる。現在各国が防衛計画をたて、防衛準備をなしているのは、真の平和が望めない現実の世界の動きに対処し、万一大きな戦争が突発した場合の仮定にたって、国家の安全を保証するため、やっているのにほかならない。それはとりもなおさず、原水爆の威力が今日予想し得るような途方もなく大きな破壊力をもっていようと、その破壊の脅威に立ち向かう決意のあらわれなのである。このような情勢下に、原水爆からの恐怖にかられ、手を拱いて防衛の手段を怠る者は、徹底的な大災害を甘受しなければならないだろうし、ひいては民族の滅亡をすら招くことになるであろう。弱気を示したり、あらん限りの防衛手段をとることを躊躇したりすることは、決して原水爆からの危険を少なくすることにはならない。

原水爆の威力は前述のように強烈であるから、もしこれが使用されるならば、最初の数発で戦争は決定的に重大な結果を見るであろう。だから、これが使用は開戦の初動に選ばれるだろうし、これによって奇襲攻撃や先制空襲ということが、大きな利益を収めることとなろう。このような緒戦期のもつ重大危機を乗り切るためには、よく組織され、装備され訓練された国土防衛の体制によって、万一への備えを整えておかなければならない。この備えこそは原水爆の被害を最小限にするためのものであるばかりでない。確固たる備えを示すことによって、たとえば原水爆による攻撃をなしたところで、決定的成果を収め得るものでないことを相手に感じさせ、その野望を抑制予防するにも役立つものである。

それでは防衛手段によって、原水爆の被害をどの程度に食い止めることができるだろうか。具体的数字をあげることはできないが、ストラウス原子力委員会の報告は、適切な防衛活動は被害を軽減し得ることを示している。例えば簡単なセルターでも、放射能からの危険を大きく軽減する。最もひどい汚染地区においても、普通の構造で、その上部に厚さ三尺の土を盛ったセルターですら、放射能からの被害を約5千分の一に減少し、ないしは完全に防ぐことができる。

[実松譲:"原水爆と民防衛" in 稲田正純(監修): "原子戦(防衛と経済シリーズ)", 自由アジア社, 1955, pp.104-107 ]

出典は記載されていないが、おそらく米国および英国の民間防衛関連文献をもとにしたと思われる「方法」も概説している。
三 自分のための民防衛

民防衛は敵の攻撃の効果を最小限に止める「市民による、市民のための」の防衛組織であって、その主な目的は次の通りである。
(一) 敵の攻撃から、市民の生命および財団を防衛する。
(二) 市民の士気を維持し、生活必需品や軍需品の生産を確保する。
(三) 敵の攻撃による被害を最小ならしめることにより、国民の戦争遂行努力の低下を防止する。

民防衛の手段と方法は(一)予防、(二)防護、(三)管制、(四)修復、に大別され、その内容は次のようなものである。

(一) 予防手段
分散
人員の疎開
隔離
地下施設
都市の将来計画
隠蔽
避難者の処置
防空警報
一般に対する民防衛の教育

(二)防護手段
防護の方法
集団防護
一般用セルター計画~^ 個人防護
被害局限
公共施設の二重装備

(三) 管制手段
通信管制
運輸管制
汚染地区の管制
公共施設の交互使用
被害地域への交通遮断

(四)修復手段
羅災者の救護および救急
破壊物の整理
損害をうけた公共施設の修理
汚染地区の浄化
羅災者の入院治療

以上を実施するためには、(一)民防衛を国家的な組織とすること、(二)すべての国民、施設、技能、努力を最大限に活用すること、(四)老若男女の積極的協力が要請される。アメリカ連邦政府民防衛本部は、民防衛を効果あらしめる要件の第一は、近代後とくに空中からの攻撃が国民の生命、社会および国家にとって大いなる脅威であることを、すべての国身が明確に認識し、かつ正しく評価することであり、第二は事態にすべての国民の積極的な協力が得られる、有効な民防衛組織を準備しておくべきことを強調している。

第二次大戦の貴重な教訓は、敵の攻撃の効果を最小ならしめるために、予め周到な準備をなしておくべきことである。もしイギリスが、民防衛が必要となった四年前から、これを計画し組織していなかったら、ドイツの攻撃に屈したであろう。さらに、戦訓は自己防衛の重要性を示している。それは各個人、その家庭、社会、国家は、緊急事態に即時対処し得なければならないということである。

ところで、自己防衛ということは、生物の"自己保存"という自然の法則から出発したものであろう。そして、自己の防衛を全うするためには、"自助"の精神に立脚しなければならない。"自助"によって自らを助け、その家族を防衛する。ところが、個人や家族の力は限られているので、充分な効果が期待されない。そこで他人と協力し、より強大な集団の力によって、より効果的な防衛をなす必要にせまられる。隣人や社会と協力することによって、部落、地方、国家単位の防衛というように、自己防衛の法則が拡大される。破壊力の大きい水爆攻撃のまえには、われわれはみんな同じ運命にあるといえよう。われわれはみんな自分で助かる工夫をするとともに他人をも救う工夫をしなければらない。われわれを防衛するために、組織されたのが民防衛なのである。

[実松譲:"原水爆と民防衛" in 稲田正純(監修): "原子戦(防衛と経済シリーズ)", 自由アジア社, 1955, pp.107-109 ]

なお、このあと8ページは「四 アメリカの民防衛」と「五 イギリスの民防衛」についての記述がある。




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