冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

×
古代核戦争

古代核戦争説への道


古代核戦争説は、1945年の核兵器使用ではなく、1949年の旧ソビエト連邦による核実験のあとに、登場している。初出は1959年の、ロシア人数学者で古代宇宙飛行士説支持者であるMatest M. Agrestによる週刊新聞の記事:
これを引用した、多くのオカルトネタを集大成したようなフランス語の本により、古代核戦争のアイデアが西側にも知られることとなった。
ただ、あまり大きな広がりにはならず、そのままパクったErich von Dänikenによって、古代宇宙飛行士説が西側世界に大きく広がった。

その流れから、シュメール神話などに基づく古代核戦争をZecharia Sitchinネタの本を1976年に出版し、マハーバーラタなどインド神話に基づく古代核戦争ネタの本をDavid William Davenportが1979年に出版して、現在の古代核戦争のパターンができあがってきたようである。

(つづく)
舞台としての失われた大陸

かつて、生物や地質の類似性などから、マダガスカルからインド亜大陸に至る陸橋があったという仮説が存在していた。プレートテクトニクス理論の登場や、アフリカにおける人類に至る化石の発見などにより、捨てられた陸橋には、レムリアという名が与えられていた。
その名だけは受け継いでいるが、場所も時代も違うオカルトとしての失われた大陸レムリアは、アトランティスとともに、1900年前後に登場した。 これが、古代宇宙飛行士説や古代核戦争説の舞台としても使われていくことになる。

(つづく)

背景としての古代宇宙飛行士説


「遺跡や古文書の記述から、古代に地球に来訪した異星人の存在を示唆する」デニケンへとつながる記述としては、おそらく旧ソ連の数学者M. Agrestの1959年あたりからの雑誌記事や学術誌記事がある。

人類進化や古代文明への介入、あるいはそもそもの起源が異星人にあるとする考えの萌芽は、クトゥルフ神話にあるとの見方もある。シッチンなどのアイデアには、この流れも入っていそうに見える。
(つづく)







コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます

広告募集中