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軍事・行政的にも日米戦における東京空襲の可能性は考えられていたようだが、フィクションでも関東大震災を参考にした記述が見られた(ie,猪瀬直樹: "戦争シミュレーション 未来戦記の精神史", 2025)。
以下実例。ひとつめは『水野広徳: "打開か破滅か興亡の此一戦"(1932』
続いて、『海野十三: "爆撃下の帝都 : 防空小説 空襲葬送曲" (1932)』
関東大震災は1923年であり、これらのフィクションの出版は1932年と、まだ10年を経過しておらず、印象に残る人々も多かったと思われる。
軍事・行政的にも日米戦における東京空襲の可能性は考えられていたようだが、フィクションでも関東大震災を参考にした記述が見られた(ie,猪瀬直樹: "戦争シミュレーション 未来戦記の精神史", 2025)。
以下実例。ひとつめは『水野広徳: "打開か破滅か興亡の此一戦"(1932』
爆彈下の東京最後の5行で「文夫の夢オチ」にしているが、次の最終章の最後で、現実化を示唆している。
大和文夫は大学出の若い会社員であった。一昨年恋仲の許婚と結婚して、去年屋早くも玉の様な可愛い男の子を挙げ、長い戦争の惨風悲雨の中に、人も羨む程の楽しい平和な愛の家庭を営んで居た。
彼の会社は飛行機製造に関係があったので、何時も其の道の人から、米国空軍の東京襲撃の話を聞かされ、万一の場合に於ける最愛の妻子の処分の為に、非常に心を痛めて居た。
彼は今日も亦会社で、米国飛行機が愈々東京を襲うとの噂を聞き、妻子を東京に億のは心配だし、と云って郷里に送るのは別れが辛く、兎に角と思い悩んだ末に、机にもたれてうとうとと眠った。
日本東海岸の日は暮れて、夜の闇は太平洋の遠き彼方から、吸取紙にインキのにじむが如く、次第次第に迫ってくる。沖に出て居た多くの漁船は、或はポッポポッポと発動機の音を立てつつ、或は垢じんだ帆に追い風を一杯に受けて、或は掛声勇まし拍子揃えて、岸へ岸へと帰って来る。赤いタ照の中にくっきりと西天に唯一つ残った富士山の影も、いっしか暗い空に消えると、東の空には早や一番星が瞬きを始める。
何百海里の沖合迄も偵察に行った飛行機が、宵闇の裡にごうごうと機音を轟かせながら帰って来た後には、唯岸の岩根を噛む波の音と、浜の松原を吹く風の声とが、騰々騒々、千歳不断の響きを立てて居るばかりである。犬吠埼の灯台も敵の目標となることを避くる為め、光力を低めて昔の輝きを見せない。
我艦隊は少数劣勢の軍艦を近海警備に残したるまま、全力を挙って布哇に進撃したるが為め、沖の警備は比較的厳密を欠いて居る。
今しも二三隻の小形駆逐艦が哨戒任務を終えて、沖合から銚子港に帰って来た。
夜は静かに更けゆいて、いつしか正午も過ぎ、早漁村の一番鶏が鳴いた。
この時多数の大巡洋艦と駆逐艦とに厳重に護衛された、敵の大航空母艦サラトガ及びレキシントンの二隻が、深夜の暗を幸いに、我が警戒の虚に乗じ、我哨艦の監視を潜り、或は之を駆逐して、大胆にも調子の沖合○百海里の海上に忍び寄った。
一は鹿島灘に、一は九十九里浜沖に近づいた敵の母艦からは、各七十五機づつ合計百五十機の飛行機が東京襲撃の為めに放たれた。その約半数の先発機は戦闘機である。
敵の爆撃機は軽重各種の爆弾、焼夷弾、毒瓦斯弾等を満載し、戦闘機に誘導せられ、東京目指して直進した。此処より東京迄僅かに一時間余りの飛行距離である。
我防空本部に於ては、哨艦よりの警報並に聴音機に依り敵機の襲来を知るや、直ちに警信を四方に発して敵襲を伝えると同時に、全力を挙げて防空配備につき、防御の飛行機は放たれ索敵の探照燈は点ぜられた。
彼我の飛行機は丁度海岸線の上空に於て衝突した。幾多の探照燈は紫青の大光芒を中天に投げ懸け、恰も竹矢来の如く光の柵を空中に結び、敵味方の飛行機を照らして眩しいばかりに銀翼を暗空に映し出して居る。日の丸の印もあり、星印もある。
要所要所に配置された高射砲や機関銃は、一斉にその砲火を開いた。
空には彼我戦闘機の間に、猛烈な戦闘が行われて居る。此方に十機、彼方に二十機。敵の爆撃機が其隙を潜って進もうとする。我が戦闘機がこれを攻撃する。数百の飛行機が流星の如く暗空に去来して、敵味方の識別も出来ない。機種の西向くものは敵として猛射を浴びせかけた。やられた飛行機が物凄い地響き立てて地上に落下する音、屋根を打ち貫く高射砲の落弾、霰の如く瓦を打ち砕く機関銃の弾丸、落ちた敵機から発散する毒瓦斯など、戦闘直下の住民は生きた心地もない。
敵は選ばれたる决死の勇者である。而も今日一日の戦ひの爲めに、千日の猛練習に鍛ひ挙げたる練達の士である。殊に機は此目的の為に製作せられたる堅牢快敏、最新の式である。中にも戦闘機乗員の勇気と剛胆と機知と敏捷とは、真に飛行機の神とも言うべく、勇敢なる我飛行機員も聊か防ぎ兼ねて見えた。
敵は既に第一線を突破した。北と南を合して尚お数十機を存して居る。
霞ヶ浦、所沢、立川、代々木、駒沢等の飛行機も時を移さず出動して、各予定の第二、第三、本防御の線に就き、優秀機五十機は宮城の周囲を警飛して居る。
敵機来襲の報東京に達するや、暁の夢尚お濃やかなりし東京市民は、予て覚悟の上とは云え、星も朧の暗の空に、敵か味方か、轟々嘡々、海嘯の寄せ来るが如き物凄い響きを聞きては驚かざるを得ない。慌てざるを得ない。寝衣で跣のまま、唯無意識に人の流れを追うて逃げ惑う百万の残留市民。父子夫婦乱離混交、悲鳴の声、怒号の叫びは、飛行機の響き、大砲の音と合して凄愴の極みである。其間を或階級の避難者を乗せた自動車が、無制限の速力を以て暗中に疾走する。轢かれて死ぬる者、傷つく者、川へ追い落とされて溺れる者、悲凄惨憺!。
敵機は海水と川の光を道しるべに、第二、第三の線を突破して、其の幾機かは最終の本防御線を潜った。
東京本防御線の探照燈は点ぜられ、高角砲や機関銃が弾丸を吐き始めた。青白い探照燈の電光を浴びて銀色に輝く敵味方の数十機の飛行機、追うものは日の丸、追われるものは藍に白星。
敵の幾機かは遂に東京の上空に進んだ。瓦斯弾と焼夷弾とは随所に投ぜられた。瓦斯マスクの用意なき市民は忽ち瓦斯に犯され、群を成して斃れた。敵機来襲の警報ありてより僅に一時間あまりである。
火災は先ず市の東と南とに起こった。やがて北にも、西にも、火の手は三十ヶ所、五十ヶ所に及んだ。避難民雑踏の為に消防ポンプも走れない。先ほどから吹き起った南東の風は、火を見て益々猛り狂って居る。満天を焦がす猛炎、全都を包む烈火。物の焼ける音、人の叫ぶ声、建物の斃れる響き。
後は非情凄景。想像も出来ない。形容も出来ない。
火災は二昼夜継続し、焼くべきものを焼き尽くしたる後、自然に消鎮した。跡は唯灰の町、焦土の町、死骸の町である。大建築物の残骸が羅馬の廃墟の如く突っ立って居る。大震災の時には、被服廠跡では三万の人間が黒焼となって死んだ。吉原の地では数百の女が水に焼かれて死んだ。隅田川は死体で掩われ、日本橋の袂にさえ、焼け爛れた数十に人間の死骸が浮かんで居た。だが、ここには十の被服廠跡がある。二十の吉原の池がある。五十の日本橋の袂がある。人間の焼ける臭気が風に連れて鼻を打つ。
満目荒涼焼野が原、唯宮城の松の緑のみが沙漠の中のオーシスの如く、色も衰えずに残っているばかりである。
灰の燻ぶりのまだ止まぬ二日目の朝、何処より迷い来たのか、派手な女の着物の片袖を握った一人の若者が、九段の坂の石垣に腰を掛け、淋し気に焦土と残骸との都を眺めて居る。
着物は破れて泥に汚れ、顔は憔悴して生気がない。眼には希望の光り消えて、唇は失意に弛んでいる。
何に昂奮したか、彼は俄に立ち上がるや自ら責むるが如く、天に向かって独り叫んだ。
『嗚呼戦争!。古来幾千万億の人間が爾の毒刃に斃れ、爾の毒焔に焼かれたることよ、
何の為めの国際連盟ぞ、何の為めの不戦条約ぞ、何の為めの軍縮会議ぞ。
そこには強者横暴の叫びがある。そこには弱者凌辱の呪いがある。
畢竟皆是曲れる世界の現状維持の奸手段に過ぎない。
偽善の正義、虚栄の人道、何の不戦ぞ、何の平和ぞ、世界も、社会も。
今日は東京、明日は紐育、明後日は倫敦、次は巴里、伯林、羅馬、莫斯古!。
嗚呼戦争!。爾の毒刃を以て全世界の不正を殺し盡せ、爾の毒焔を以て全社会の不義を焼き盡せ。
そこに初めて全人類の上に正しき平和の光りが輝き、等しく幸福の風が吹くであろう。』
彼はぐったりと再び石垣に腰を下した。そして唸る如くに言った。
おお俺は原が減った。気が遠くなった。
あれから二日も飯を食はいないんだもの。
鳴乎妻は何うした?。子供は何うした?。
妻は何処だ?。子供は何処だ?
思えば一昨日の夜中、此坂で。
子供を背負った妻と手を組み、
人波に揉まれ、押れて、
当てもなく歩むうち、
後に落ちた爆弾に、
どっと寄せ来た人の津波、
死んでも離さずと、互に堅く組んだ手も、
人のうねりに引き離されて、
手に残った此の片袖。
『あなたッ』とたった一言が最後の別れ、
暗さは暗し、呼べど聞えず、
気は焦立てど身体は動かず、
あの混雑に、あの大火、
子供を背負った弱い女の
途も助かる筈はない、
踏み潰されたか、焼け死んだか。
ああ思い出すのも物凄い、
天を焦がすあの怖ろしい紅蓮の大火焔。
ド、ドッと大厦の焼け落ちるあのすさまじき響き、
アレーッと人の泣き叫ぶ声、
前には火の子、後には焔、
途で拾った泥筵を頭に被り、
斃れた人を踏み躙り踏み躙り、
無我夢中で逃げ回った、
生に対する人間執着の醜さよ。
火の子をかぶり、煙をくぐり、
溝に落ち込み、泥に転び、
生でもよき命助かりて、
不図気がつけば我只一人、
戸山が原の土手の下。
妻も見えず、子も見えず、
片手に握った片見の片袖、
思い出深き此の染の模様。
ああ溜らない、溜らない、
妻は何処ぞ、子供は何処ぞ。
一昨日分かれたは此あたり、
唯ふらふらと迷い来たものの、
見渡す限り焼野が原、
路を埋むる死骸の床、
探し尋ねるすべもない。
ああ妻は何処だ、子供は何処だ。
おー臭い臭い、人の焼ける臭い
妻と子供の焼ける臭いだ。
俺は気が変になった。
一体誰が戦争を始めたのじゃ。
子供と妻とを生かして返せ。
見ろ、あの深い濠を埋める、
何百何千人の焼けた死骸を。
ああ何処かで子供の声が聞こえる、
あそこで妻が呼んで居る、
俺も行くよ、一所に行くよ。
彼は立ち上って、スタスタと濠の高い崖に出た。濠の中には逃げ後れ、火に追われて飛び込んだ何千と数える人間が、下なるは泥に埋まり、上なるは焼け爛れて、老若の区別も、男女の差別も判らず、丸焼のロースとなって薪の様に積み重なって居る。
何たる醜悪ぞ!。
何たる残虐ぞ!。
何たる凄惨ぞ!。
何たる悲哀ぞ!。
人の罪か?。
神の罰か?。
何が斯うさせたのか?。
誰が斯うしたのか?。
ああ恐るべき戦争の禍害!。
ああ憎むべき戦魔の毒手!。
高い崖から此の光景を眺めて居た彼は哲人の如き厳粛と、狂人の如き冷嘲とを以て、『勝敗惟天、生死惟命、死こそ永遠の平和なり、アハハハハ。』と叫びながら、妻の片袖をしっかと両手に抱き締めたまま、真っ逆様に濠に飛び込んだ。
と思ったら、彼は足をすべらして急な崖をころころ転げ落ちた。そこには年も、姿も判らぬまでに焼け崩れた女と、その下に庇われた二つばかりの子供の死体があった。しみじみと死骸の顔を眺めた彼は、忽然と夢からでも覚めた様に
『違う違う、こんな穢ない顔じゃない。』
と叫んで、再び崖を攀じ登った。着物は破れ、皮膚は裂けて、身体は血みどろである。
昂奮より覚めた彼は、身体の痛みと、空腹とに悶えながら、再び灰の東京を眺めた。そして言った。
『ああ見事に焼けた赭土の東京!。
其の赭土に芽ぐむ若き更生の日本!。
正しき、美しき、平和の日本!。
之を築き上げ、之を守り立てることが我等青年の務めだ。
死は弱き者の撰ぶ道だ、
東京と共に、日本と共に、俺も更生せねばならない。』
「そうだッ!。』
と叫んだ自分の声に彼は目が覚めた。
傍には妻が子供を抱いて立って居た。
『ああ好かった。夢だったか。』
『そんな夢?。』
『東京が飛行機で焼打に遭った夢さ!。」
[ 水野広徳: "打開か破滅か興亡の此一戦", 東海書院, 1932, pp.336-349 ]
それは恰度米国艦隊が出向してから二日目、日本艦隊が東京湾を出てから四日目であった。また、この『打開か破滅か興亡の此一戦』(1932)は、前作『海と空』(1930)をもとに拡大した作品で、「東京空襲」の描写はほぼ流用である。その終わりは、「著者の夢」オチとなっている。
○国人は果たして秘密電報を打ったであろうか?。
若し打ったとせば、それが二日の内に日本に伝わったなら、
米国艦隊は日本艦隊の為に要撃されて、太平洋の底の錆となるであろう。
若し又一週間の内に日本に届かなかったなら。
東京は文夫の夢を実現するであろう。~^ 打開か、破滅か、帝国の興亡は、今ぞ一通の海外電報に懸かって居る。
[ 水野広徳: "打開か破滅か興亡の此一戦", 東海書院, 1932, p.363 ]
嗚呼東京!
嘗て亜米利加の援けに依って復興した東京が、今また亜米利加に依って壊された。
廻り合わせの因縁だ。我等は我等自身の手に依って三たび我等の東京を復興せねばならぬのだ。
一人と雖も徒に死ぬべき時ではない。
春の草木が芽を吹く如き我新興日本の伸んとする此力を何ものも弾圧することは出来ない。だが我等は誤った。
戦争をする積りなら、するだけの準備が必要であった。
戦争をしない積りなら、しないだけの心掛が必要であった。
するだけの準備もなく、しないだけの心掛もなく
唯勢と感情とに引摺られて漫然と始めた此戦争
斯うなる結果に不思議はない。
それは誰の罪でもなく、我等国民の罪だ。
我等は東京の復興と共に新興日本の国策を確立せねばならぬのだ。
と、彼は固き決心と、そして輝かしき希望の色をさえ面に浮かべて、何かに去った。
グスグスッと劇しき地震に著者の夢は覚めた。美しき復興の都我等の東京を護れ!。
[ 水野広徳: "海と空 : 戦争小説", 海洋社, 1930, pp.149-150 ]
続いて、『海野十三: "爆撃下の帝都 : 防空小説 空襲葬送曲" (1932)』
空襲葬送曲
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次の爆弾が、空から投げ落とされる度に、物凄い火桂が立って、それは軈て、夥しい眞白な煙となって、空中に奔騰してるる有様が、夜目にもハッキリと見えた。そして、その次に浮かび出す景色は、焦熱地獄のそれだった。嘗て関東大震災で経験したところの火炎の幕が、見る見るうちに、四方へ拡がってゆくのであった。
弦三は、地響きのために、いまにも振り落されさうになる吾が身を、電柱の上に、しっつかり支へている裡に、冷やかな夜気がだんだんと正気に還ってきたようであった。
彼は、こはごは、電桂を下りた。
地上に降り立ってみると、先刻そこに見たとは又違ったいとも凄慘なる光景が展開しているのだった。
爆弾に脅かされた住民たちは、誰も彼もが氣狂いのようになって、外に飛び出してた。荷物を担ぐ者、老人を背負う者、背に綾十文字の赤襷をかけ三尺もあるやうな大刀を腰にうちこんた者、澤山の子供の手を引いた母親などがあっちへ行ったり、こっちへ引返してきたり、喚くもの、呶鳴るもの、泣くもの、いやはや大変な混乱であった。
消防隊が勇しく駈けつけて、いと頼まし気に立も働き、町の一角に焔々と燃え盛る火の手を消しとめて、サッと次の火災現場へ引上げてゆくと、待ちかまへていたように、今度は又裏の方角から、新たな火の手がチョロチョロと迫ってきた。そしていつの間にか、前よりも猛烈な火勢となって、見る見る拡がって行った。
[ 海野十三: "爆撃下の帝都 : 防空小説 空襲葬送曲", 博文館, 1932, pp.100-102 ]
関東大震災は1923年であり、これらのフィクションの出版は1932年と、まだ10年を経過しておらず、印象に残る人々も多かったと思われる。


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