冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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世界人の横顔〜原子爆彈の父アインシュタイン(1946)



一般に、"Father of the atomic bomb"(原爆の父)といえば、J. Robert Oppenheimer (1904-1967)だが、1945年頃は、Albert Einsteinの方が原爆の父として知られていたようである。

1946年に日本で出版された「世界人の横顔」で紹介されたアインシュタインは「原子爆彈の父」という扱いだった。

["原子爆彈の父アインシュタイン", 西日本新聞社外信部:"世界人の横顔" (1946/11/01), pp.106-124 ]
これはもちろん、米国などでの見方を反映したもので、Timeにもそのような記述がある。
Dr. Albert Einstein had his say about the atomic bomb last week. He was heard with respect: his classic E=mc² formula, announced in 1905, was the foundation of atomic research; a letter from him to President Roosevelt in 1939 helped set the atomic thunders rolling. Last week, in an Atlantic Monthly article ghost-written by Raymond Swing, the sage of modern science spoke:

"As long as there are sovereign nations possessing great power, war is inevitable. . . .

"I do not believe that the secret of the bomb should be given to the United Nations Organization [or] the Soviet Union.

[ International: Einstein on Politics, Monday, Nov. 05, 1945 ]
これらの記述で、Einsteinを原爆の父とする理由として、まず挙げられているのが、「E=mc2」である。しかし、E=mc2は核分裂の原因原理というわけではない。
Soon after the American atomic bombs were dropped on Hiroshima and Nagasaki, the notion took hold in the popular mind that Albert Einstein was "the father of the bomb." The claim of paternity rests on the belief that E=mc2 is what makes the release of enormous amounts of energy in the fission process possible and that the atomic bomb could not have been built without it. This is a misapprehension. Most physicists have known that all along. ... In fact what makes the fission reaction and one of its applications,the atomic bomb, possible is the smaller binding energies of fission products compared to the binding energies of the nuclei that undergo fission.The binding energies of nuclei are a well understood consequence of the numbers and arrangements of protons and neutrons in the nucleus and of quantum-mechanical effects. The realization that composite systems have binding energies predates relativity. In the 19th century they were ascribed to potential and other forms of energy that reside in the system. With Einstein they became rest mass energy. While E=mc&ref(){2} is not the cause of fission, measuring the masses of the participants in the reaction does permit an easy calculation of the kinetic energy that is released.

アメリカの原子爆弾が広島と長崎に投下された直後、Albert Einsteinは「原爆の父」であるという認識が一般の人々の心に定着した。原爆の父であるという主張は、「E=mc2こそが核分裂反応において膨大なエネルギーの放出を可能にするものであり、これなしには原子爆弾は作れなかった」という信念に基づくものである。これは誤解である。大半の物理学者は、ずっと前からそのことを知っていた。... 実際、核分裂反応とその応用の1つである原子爆弾は、核分裂を起こす核の結合エネルギーと比較して、核分裂生成物の結合エネルギーが小さいことによって可能となっている。原子核の結合エネルギーは、原子核内の陽子と中性子の数と配置の結果と量子力学的効果としてよく理解されている。複合系には結合エネルギーがあるという認識は、相対性理論よりも前のものである。19世紀に、それらは系に存在する潜在的および他の形態のエネルギーに帰された。アインシュタインにより、それらは静止質量エネルギーとなった。E=mc2は核分裂の原因ではないが、核反応に関与した質量を測定することで、放出される運動エネルギーを簡単に計算できる。}

[ Lustig, Harry: "Is Einstein the Father of the Atomic Bomb" (2009) ]

もうひとつが、「ナチスドイツが原爆を開発する可能性がある」ことを指摘し、米国は核開発に着手するよう示唆した、ハンガリーの物理学者Leó Szilárdが執筆し、Einsteinが署名した「Einstein Szilard lettre à Roosevelt 」(1939)である。
なお、その後、1946年にEinstein本人も出演した再現映像が撮られている。

これは、マンハッタン計画のひとつの誘因になったかもしれないが、この書簡を以って、「原爆の父」と呼ぶのは無理がある。J. Robert Oppenheimerの貢献に比べるにはあまりに小さい。

ところで、上記の「世界人の横顔」(1946)の「原子爆彈の父アインシュタイン」には、「方法がない」という「原子爆彈の防禦法」が書かれている。
原子爆彈の防禦法

原子爆彈の怖ろしい殺戮力と破壊力は旣に廣島と長崎とビキニで十分證明済みである。この物凄い魔王が奇襲攻撃兵器として利用される第三次世界大戦は、地球を荒廢し、人類を滅亡し、文明を破壊するであらう。本年(一九四六年)の四月ニューヨークで出版された「平和世界あるのみ(ワン・ワールド・オワ・ノーン)」といふ書物は、五人のノーベル賞受賞者を含む科學者、評論家、政治家十七氏によって執筆されたもので、原子爆彈の破壊力が怖るべきこと、これを効果的に防ぐ方法がないこと、唯一の防衛方法は世界政府の建設であることなどが學術的理論的に論證されてゐる驚くべき書物であるが、忽ち各方面に異常な反響をよび起こしたといはれてゐる。

この書物の中でいろいろの科學者は原子爆彈を防ぐ方法は全くないといつてゐるが、アインシュタイン博士もニューヨーク・タイムズ紙上で極めて暗い見透しを鋭く次のやうに述べてゐる。

そこには原子爆彈を防止することができるといふ見透しは全然ない。科學者たちはどの方面の分野が我々に懇切な防衛方法を訳するだらうかというふことさへ知らない有様である。

かつて相對性原理の發表で正しくも人間の叡知の輝かしい標本を示したこの天才が、この度は世界政府というずば抜けた構想をもつて、再び人類の叡知の正しさを示さうとしていゐる。アインシュタイン博士は原子科學者非常委員會を創設して自らその會長となり、いま必死に二十萬弗の資金獲得に努力してゐる。彼の気持ちは原子爆彈といふ驚異的な新兵器の出現に際して、一般民衆を啓蒙する必要があるといふのだ。そして彼が要求してゐることは、民衆が天才的に考へるといふ一事なのである。彼はいふ。

もし人類が生存し且つより高い水準に向かって前進しなければならないならば、民衆が新しい考へ方をするやうに教育しなければならない。

しかし一般的にいつて人類は天の啓示により考へ、行動する人は少なく、大多數が何を考へ、何をすべきかを知らないでゐる。そして彼等の大多數は原子爆彈を無神経に受け入れようとしてゐる。

[ 西日本新聞社外信部: "世界人の横顔" (1946), pp 122-123 ]
核攻撃を防ぐ方法はないというのが、1946年時点の世界では、特に異論なく受け入れられることだったようである。(そして、米軍占領下において、特に異論のないものだったようである。)






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