冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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日本語圏内の「スイス民間防衛への反発」への言及


特にZivilverteidigungsbuchの「第2形態の戦争」の「効果」により、Zivilverteidigungsbuchに対する反応はひどいもので、国会議事堂前で本を焼く抗議活動まで行われる有様であった。

しかし、日本語の文献はほとんど、反発や抗議活動に言及していない。日本語限定で調べても、当時のスイスの混乱ぶりを垣間見る事すらできないだろう。


原書房版日本語訳

官僚有志グループによる訳である、原書房版日本語訳の訳者あとがきには、スイス国民の反発についての言及はない。「全家庭でこの書が読まれ、その内容に即してまさかの準備がなされている」と、特に問題が起きたことを知らないかのような記述をしている。(実際に知っていたかは不明だが)
本書は、スイス政府により、全国の各家庭に一冊ずつ配られたものである。本書を一読された方はすでに気づかれたように、内容は相当ショッキングである。しかし、それだけに訳者は、かかる書を一般家庭に配布したスイス政府の英断、同胞の安全を最大限に考慮する責任ある態度に心を打たれ、また、全家庭でこの書が読まれ、その内容に即してまさかの準備がなされているというスイス国民の平和への執念のすさまじさというようなものさえ感じた。

["スイス民間防衛"(書房編集部訳)(1970, 1995, 2003), p.315]

「訳者あとがき」のせいなのか、その後に、「スイス民間防衛」に言及する人々が、「国民の反発で1回限りで終わった」ことを明言することは、ほぼない。たとえば...
1958年、スイスが「スイスの要塞化」を始めてから、職業軍人に対しては『軍人操典』を、全国民には『民間防衛(Zivilverteidigung)』という大部のテキストが配布されてきた。
...
何よりも素晴らしいのは、スイス政府が国民に対して「統制・制限」のギリギリの線を遠慮なくぶつけている点であろう。そして、それを受けいれて、なお自由を謳歌する国民国家がスイスだ。

[ 松村劭: "スイスと日本 国を守るということ −「永世中立」を支える「民間防衛」の知恵に学ぶ" (祥伝社, 2005/12/1), pp.56-58 ]

なお、「スイス軍人操典(Soldatenbuch)」は、「スイス民間防衛」のあおりを受けた「精神的国土防衛運動の国家支援の終了の流れで、1974年に絶版になっている。それらを含めて「自由を謳歌」なのかもしれないが。

このあたりも同様...

ところで、言及がないのは左翼側も同じで、批判はするが、スイスでも国民が受け入れなかったことに触れた文献は見当たらない。

報道・調査報告・wikipediaの記述

一方、wikipedia:民間防衛には、「スイス民間防衛」が過去のものであるという記述が、順次加えられている。
Q6 スイス政府編「民間防衛」(スイス政府編纂の災害時の対処本)について

日本では,「民間防衛(スイス政府編)」という本が最近復刊されたが,この本は現在でもスイス国内で使用されているのか。また,改訂の予定は。

→A6 1980年代までの冷戦に基づいた本であり,現在では使われることは全くない。スイスにとっては過去のものであり改訂する予定はないが,もし日本で役に立つのであれば良いことだと思う。

[ 福井県安全環境部危機対策・防災課 県民保護計画グループ - 先進事例国調査 調査概要報告 (2004) ]

「wikipedia:民間防衛」には、この記事への言及が2006/04/02で追記されている。

また、読売新聞の報道が...
ところが、スイス国内で、このマニュアルの存在を知る人は少ないようだ。スイス連邦工科大学チューリヒ校安全保障研究センターの研究者は、自身のブログ上で「スイス人がマニュアルを熟知しているというのは誤解だ」と指摘。「欧米人が『日本には今もサムライがいる』と思い込むようなものだ」と皮肉った。この研究者は、マニュアルのことを日本人に質問されて初めて知ったという。スイス国防・民間防衛・スポーツ省のロレンツ・フリシュクネヒト報道官は、「このマニュアルは1969年に配布したきり、改訂をされたこともない。無効なものと考えている」と言い切った。マニュアルは東西冷戦の終結で存在意義を失ったのだという。マニュアルの配布だけでなく、冷戦期には、首都のべルンから南東のトゥーンに延びる国道を、非常時に戦闘機の滑走路として使う構想もあり、実際に訓練も実施されたが、「廃止された」(スイス軍報道官)。国内を走る道幅の広い国道の多くは、中央分離帯が整備され、最早滑走路として使えなくなっている。それでも、同省の名称には、今も“民間防衛”の言葉が残る。その理由についてフリシュクネヒト氏は、「民間防衛は無くなったのではなく、大きく変わった」と説明する。スイス政府は目下、反共精神を剥き出しにしたマニュアルに代わって、自然災害等緊急事態から国民を守ることに主眼を置く。

[ 【民間防衛の現状スイス(中)】冷戦マニュアル時代錯誤/謀略、スパイ…今は「災害」『読売新聞』朝刊2018年1月12日(国際面) ]

「wikipedia:民間防衛」には、この記事への言及が2018/01/302018/02/05で追記されている。

いずれも、1969年の全戸配布時の混乱・抗議・対立には触れていない。

スイスに関連する一般書・解説書

スイスについての解説書・紹介本を見ても、通史程度だと言及するスペースもなく....
言及している本は少ない。
  • 踊共二: "図説 スイスの歴史"(河出書房, 2011/8/17)
    これは学生運動への言及として「反発を買った」と記載している。
1960年代以降、スイスでは各種の矛盾や対立が表面化した。1968年にはフランスの学生運動(五月革命)に影響された若者たちが、大学民主化運動、自治センター運動、ベトナム反戦運動、反核運動などをジュネーヴやチューリッヒで展開した。運動の理念は革命的マルクス主義から心情的な反権威主義、物質文明批判、性の解放まで多種多様にあった。総動員世代の価値観は支持を失い、共産国による侵略への備えを求める政府発行の手引き書『民間防衛』(1969年)も若者の反発を買った。

[ 踊共二: "図説 スイスの歴史"(河出書房, 2011/8/17), p.123 ]


  • 森田安一: "スイス 歴史から現代へ" (刀水書房, 1980, 1995)
    唯一、「民間防衛」配布時の抗議に触れている。
本書発刊の時、スイス国内でもさまざまな批判が巻き起こった。最も問題とされたのはこの第四章の内容であった。現在がすでに平和の状態になく、外国による破壊工作が進んでいるという虚構のもとに叙述がなされ、「もう一つの形態の戦争」への対応が述べられているからである。こういった状況下では、平和主義は敗北主義と等置され、政府への批判は敵の破壊工作の一端とみなされる。それへの対応策として、国民の一致団結が説かれ、連邦政府への絶対的信頼、連邦政府への全権の委任が要請される。権力の集中、平和主義と敗北主義の等置、さらには、国民の積極的な権利の主張が破壊工作の名のもとに弾圧されかねない内容に対して、厳しい批判の声があがった。スイスでも、決してすべての人が『民間防衛』に賛成したわけではない。

[森田安一: "スイス 歴史から現代へ" (刀水書房, 1980, 1995), pp.264-265]

実にあっさりした記述である。一般書を読んでいるだけでは、実情を知ることは難しい。






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