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19世紀のロシア文学に「ロシア1800年代の核戦争」を見出す人物「非公式歴史」


「Неофициальная История」(非公式歴史)という人物が、19世紀ロシア文学には「ロシア1800年代の核戦争」を間接的に示唆するような記述があると主張している。

==>Неофициальная История: "Ядерная война XIX века, глазами писателей и поэтов того времени" (2022/11/25)
(非公式歴史: "当時の作家や詩人の目を通して19世紀の核戦争")

19世紀の核戦争という問題を提起すると、懐疑論者は即座に反論する。「もしそのような出来事が実際に起こったなら、そのような壮大な出来事は文学に必ず痕跡を残し、作品にも何らかの言及があったはずだ。しかし、19世紀の作家や詩人の作品に何も残っていないということは、何もなかったということだ」。重要なのは、私たちが何かを見ていないからといって、それが存在しない、あるいは起こらなかったということではない、という点を理解することだ。重要なのは、19世紀の大惨事への言及は、当時の多くの作家の作品に実際に存在し、しかもそれらはパブリックドメインであり、私たち誰もが何度も読んでいるにもかかわらず、注意を払っていなかったということだ。

ところで、巽由樹子(2002)によれば、18世紀から19世紀半ば、ロシアの検閲体制は以下のような経緯をたどっている。
1720ピョートル1世が許可のない出版活動を禁止
1721ピョートル1世が宗務院に宗教書検閲を認める
1783エカチェリーナ2世が私的出版を完全に認め、警察機関に監督させる
1796エカチェリーナ2世が警察に代わる検閲機関を創設
1802アレクサンドル1世が検閲を国民教育省中央学校管理局に委ねる
1804アレクサンドル1世が検閲委員会を5大学に設置することを決定
1826ニコライ1世が検閲法で最高検閲委員会を創設
1828ニコライ1世が最高検閲委員会を検閲局に改組、すべての出版物の事前検閲を義務付け,各省に検閲機関を設置
1848ニコライ1世が上級検閲機関としてプトゥルリーン委員会設置

これらを背景に「非公式歴史」は、19世紀ロシア文学者たちが「確実に売れる作品かつ、事前・事後検閲を通過する作品を書かなければならず」そのために、ストレートな記述になっていないと主張する。すなわち、「ロシア1800年代の核戦争」は直接的には書かれず、示唆的なものになっていると主張し、以下のような例を列挙している。


  • アレクサンドル・ゲルツェン (1812-1870)
人類の軌道もまた計算され、ケプラー効果を持つ。突然、歴史家とその法則を嘲笑うかのように、そして意志の力によって、強大な存在が現れ、破壊と創造を行う。 モスクワ全体、この巨大で雑多な巨人全体が40マイルにわたって広がり、鱗のように輝き、不規則に敷き詰められた巨大な水晶の結晶の結晶床全体が、模様を描いた巨大な結晶の結晶床のように広がっている。
  • アレクサンドル・オストロフスキー (1823-1876)
ある種の彗星、あるいは運命の天体がやってくるとも言われています。
  • アレクサンドル・プーシキン (1799-1837)
荒れわたるこの国原も詩人のたましいには尊い。
病気の中の女王、強力なペストに。烙印を押されて… 彼は、戦場の死には囲まれずに、眉をひそめて寝床の間を歩き回り、冷ややかにペストの手を握りしめ
ひとの通わぬあの原や、いつとも知れず裸になったあの森や、なつかしい岸のほとりをおとずれよう。
窓ごしに、白一色の屋根や垣根や、庭の花壇をうちながめた。 アジアのやせた国々を、カフカースの遠い地方 陽に灼きつくされた谷間谷間、チェルケスの馬の群れの自然のままの住み家、パドクーモク河の酷熱の岸辺。荒涼たる山々の頂
  • アレクセイ・ホミャコーフ (1804-1860)
ひどい!そして畑はまだ黒いまま。アレクセイは収入のほぼすべてを農民の食糧供給に費やした
  • ワレリー・ブリューソフ (1873-1924)
略奪され、見捨てられた我々はキエフへと急いだ。せめて什一聖堂の灰に口づけをし、黄金の門の石に泣きつくために!
  • ジョージ・バイロン (1788-1824)
赫燿たる太陽消え果てゝ、幾多の星辰は無涯の空間の中を淋しく彷徨ひ、光なく、道なく而しての氷如き地球は、朦朧と月なき空に漂ひぬ、...
而して彼等は警火によりて生活し──玉座、帝王の宮殿──茅舍、その他、人の住する數多の家屋は、凡て烽火として燒かれ破こぼたれ、あらゆる都市は滅盡せられ....
  • エヴドキヤ・ロストプチナ (1811-1858)
ああ!なんと空虚な、なんと死んでいることか、第一の玉座、モスクワ!
至る所に鋳鉄、至る所に花崗岩、庭園、橋、広大な空間、数え切れないほどの通り、すべてが輝いている
  • イヴァン・クルィロフ (1769-1844)
西へ飛び、戦を計画し、ヨーロッパに平和を与えるか、新たな世界の再分割を思い描く。
  • イワン・アフレモフ (1794-1866)
最初の地震は1802年10月14日午後2時に発生し、約3分間続いた。そのため、至る所で建物が揺れ、テーブルから皿が落ちた。また、カルーガ、リフビン、コゼリスクでは鐘がひとりでに鳴った。2番目の地震は1838年1月11日午後9時半に発生し、約1分間続き、どちらの場合も地震の方向は南から北だった。
  • コンスタンチン・バリモント (1867-1942)
陰鬱なロシアの大地の闇の中、人々は避ける場所もなく彷徨い、夜には二つの月が昇った。朝には二つの太陽が空から照り、下界を凶暴に見下ろした。
再び、世界は未知なる深淵で誘う。もはや壁はなく、貧しきおとぎ話も消え、そして私はもはや醜く病んだ蛇ではない、私は天上のエメラルドのルシファー、私自身が解き放った無限の中にいる。
  • マクシミリアン・ヴォローシン (1877-1932)
炎の鬣、狂える火のうねり、宇宙の嵐に彷徨う光ぞ。
我らは彼方へと向かう… 闇の惑星よ、我らのうちに世界を脅かす罰の剣を見よ、我らは太陽へと道を定める、イーカロスのごとく、風と焔のマントに身を包みて。





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