冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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Collier's 1951年10月27日の米ソ核戦争


Collier'sは1952年5月に始まる米ソ核戦争シナリオを基軸とする核戦争特集記事を1951年10月27日号に掲載した。

想定されたシナリオは...

1952年5月10日、ユーゴスラビアのチトー元帥暗殺未遂とともに、ブルガリア・ルーマニア・ハンガリー軍が国境線を越えてユーゴスラビアに侵入。ソ連はユーゴスラビア国民の意志を理由として撤退を拒否。これに対して、米国は国連主要国家とともに宣戦布告。

西側はソ連工業地帯及び軍事拠点に原爆攻撃。ソ連はロンドン・デトロイト・ニューヨーク及び、ハンフォードの原爆プラントを航空機による原爆攻撃。米軍は占領中だった日本及び朝鮮半島を放棄。さらに1953年に入り、ソ連は航空機によりシカゴ・ニューヨーク・ワシントン・フィラデルフィアを、潜水艦によりロサンジェルス・サンフランシスコ・ノーフォーク・ブレマートンと原爆攻撃。

[Colliers, 1951/10/27 (copy by Albert Yega )]

ワシントンDCは核攻撃を受ける。
もちろん西側の被害も...

[ quoted by Paul Brians ]

シカゴやデトロイトも...

シカゴへの核テロ攻撃を受けた、28平方マイルのダウンタウンとウォーターフロント。これによろユニオンストックヤードが逃げた猛獣が民間防衛の障害となる。
2発の原爆で50平方マイルが被害を受け、デトロイトの自動車産業は叩きのめされ、遠隔地の工場も閃光の被害を受けた。
[ quoted in alternatehistory ]

1953年7月22日、米軍はB-36編隊によるモスクは原爆攻撃を成功。20平方マイルの領域を破壊。数秒後に(前景の囲われた領域であある)クレムリンは忘却の彼方へ消え去り、これを取り囲む赤の広場は瓦礫の山と化す。聖ワシリイ大聖堂は消え去る。

[Colliers, 1951/10/27 (copy by Albert Yega )]

さらに、ウラル山脈にあるソ連原爆保管施設に、降下部隊を派遣し、これを破壊。
[Colliers, 1951/10/27 (copy by Albert Yega )]

1954年以降、ソ連の内部崩壊と民主化への長い道のり。

そして、自由の勝利と、人類救済への責務...

共産主義者の帝国主義を打倒した勝者は、人類救済の最後の機会の責任を負う。壮大なビジョンのもと、この課題に直面する。
[ quoted in alternatehistory ]


ICBM実用化前であるため、核兵器の輸送は航空機および潜水艦により行われる想定。また、東側の通常兵器によるユーゴスラビア占領に対して、西側は先制核攻撃を行うという積極シナリオである。





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