冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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LIFE 1962年1月12日のコミュニティシェルター


1961年9月15日にシェルター特集を組んだLIFEは翌年始めに、コミュニティシェルター記事を掲載した。


LIFE 1962/01/12 Everybody's talking about shelters



「自宅の地下室で生き残れないなら、そんなシェルターがいいな。」
「シェルターは大したものではない。誰かが推進し、誰か大金を使って終わる。」

モデルシェルター
このようなシェルターをニューヨーク州政府が建設している。複数の地下波型金属アーチ構造が廊下で接続され、満員になっているが、安全かつ受忍可能である。

正しく整備されたコミュニティシェルター
整列したコンクリート製の箱が、強化され、地面あるいは道路の下に埋められ、これにより、放射性降下物の放射能が1/1000にまで減衰するとともに、ある程度は爆風からも防護される。平時はリクリエーションやミーティングホールとして使え、核攻撃時には500人が避難できる。食料や水や救急品や衛生用品がストックされ、フィルターのついた取込口から新鮮な空気を取り込む換気装置がついている。屋外に依存しない酸素供給装置があり、大火災にも耐えられる。交代で睡眠をとることで、スペースを節約する。

これらのシェルターは、ニューヨーク州ロングアイランドのHempsteadを想定しており、マンハッタンそのものは20メガトンの水爆で消滅する。

...マンハッタン自体は、火球が半径0.5マイル、20階建てのビルの深さのクレーターを作り、幾千の建物が圧力で破壊される。マンハッタンの摩天楼のうち、クレーターの中心から2.5マイルは瓦礫の山になる。核爆発で崩壊した街では、幾百万のガラス窓が割れ、破片は100マイル南のデラウェア州Wilmingtonに到達する。時速数千マイルの爆風が起き、地上の衝撃で。7.5マイルまでの破壊領域の広げていく。地下鉄の地下部分にいる人々は、数マイル先まであるトンネルを爆風が駆け抜けて、粉砕される、幾百万のニューヨーク市民は死亡するか、重傷となる。窓が割れ、被害を受けた建物から、数えきれないほどの火災が起きる。その結果、ニューヨークの残存部分は巨大な火炎旋風に巻き込まれ、ニュージャージー州、ウェストチェスター、ロングアイランドの1/3が、そのほか火炎旋風や火災に巻き込まれる。...







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