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以下は、古代核戦争の戦場だと主張されるモヘンジョダロについての、Rational Wikiの記述。遺体と放射能とガラスという古代核戦争支持者たちの主張への批判がなされている。
なお、モヘンジョダロ核攻撃ネタの始祖であるダヴェンポートは、モヘンジョダロを攻撃したのはエイリアンだと言っている。
以下は、古代核戦争の戦場だと主張されるモヘンジョダロについての、Rational Wikiの記述。遺体と放射能とガラスという古代核戦争支持者たちの主張への批判がなされている。
モヘンジョダロは、紀元前2000年頃に繁栄したインダス河畔の最大の文明の1つの遺跡である。疑似歴史家や古高度文明や地球外生命来訪の支持者たちは、そこお住民が紀元前1500年頃に原爆で殺された証拠があると主張している。提示された証拠はニセ科学でいっぱいである。当然のことながら、これらはHistory Channelの番組Ancient Aliensで特集されている。
泥煉瓦の建物
モヘンジョダロで核爆発が起きたという主張のひとつの難点は、発掘現場の写真を見ればすぐわかる。建物は窯焚きの泥煉瓦で造られていた。壁の一部は今でも4.6メートルの高さがある。強化されていない泥煉瓦の壁が核爆発に耐えられた理由は示されていない。
死体
モヘンジョダロでの核爆発を支持する証拠としてまず参照されるのが、都市内で発見された一連の死体である。それらは、単一の破滅的なイベントが起きとことを示唆していると論じられる。
when excavations of Harappa and Mohenjo-Daro reached the street level, they discovered skeletons scattered about the cities, many holding hands and sprawling in the streets as if some instant, horrible doom had killed its inhabitants. People were just lying, unburied, in the streets of the city; there seemed no-one available to bury them afterwards.
ハラッパとモヘンジョダロの発掘が街路レベルに到達すると、街中に散らばった骨格が発見された。多くの人々が手をつないでおり、何らかの瞬間的な恐ろしい事態で住民が殺されたかのようである。人々は街路に横たわっていて、埋葬されていない。事後に彼らを埋葬する人がいなかったようだ。
[ 1 ]
しかし、実際の証拠は大きく違っていて。もっと微妙で、興味深い。これらの遺体は1922〜1931年の発掘で発見された。学者たちは、貧弱な手法のせいで、解釈が難しくなったと、これらの発掘のアロー値を批判した[ 2 ]。しかし、最初の発掘者たちの一部は、遺体が単一の破滅的なイベントと結びつけたが、それでも、彼らはその破滅的イベントが戦争であって、核爆発だとは見ていなかった[ 3 ]。
合計37の遺体が発見された。いくつかは街の同じ場所で見つかったが、それらの分布から、多くは異なる時期のものであることを示唆していた。モヘンジョダロには、初期・中期・後期という3つの主要な時代があった。いくつかの遺体は明らかに初期のものであり、いくつかは明らかに後期のものだった。この2つの時代には、千年以上の間がある。もうひとつの重要な点は、遺体が実際には埋葬されたことを示す明らかな特徴が見られること。上記の引用でハイライトされている、街路で発見された最も悪名高い遺体群は、初期の時代に建物が建てられたあと、後期に埋葬されたことによって、生じたものだ。遺体は、数百年前の街路の上に埋められていた[ 4 ]。
爆弾爆発説支持者たちは、遺体の保存状態について述べたてる。特に、遺体に食い荒らされた跡がないことから、背景放射線によって動物が近づけなかったのだと主張する。これについて、ひとつ重要な点は、そこが遺体の保全に完璧な気候である、地上で最も乾燥していて暑い場所なことである。動物に食い荒らされなかった問題は、実際には遺体が埋葬されていたことを知らない疑似歴史家たちにとってものである。
埋葬された特徴のある、千年の開きのある少数の遺体と、地層の偶然は、核爆発説には弱い証拠でしかない。証拠は、支持者たちのウェブサイトやテレビ番組で紹介されるようなものではない。興味深いことに、モヘンジョダロの遺体群が論争となったのは、これが初回ではないという点である。最初の発掘者たちは、これらの遺体を、インダス文明が侵入してきたアーリア人によって滅ぼされたことの証拠として使った。提示された証拠の多くは、遺体が単一の大規模な出来事によるものではないことを示している。このことは、大量侵入説を反証するため、50年前に解明されている。
放射能
遺体の他に、疑似歴史家たちは、その地域の放射能レベルについて一連のちゅしょうをしている。これらの主張には、「都市全体が放射性ダストに覆われた」から、「広島や長崎と同程度に、遺体が放射能汚染されていた」[ 5, p.117]まで多岐にわたっている。これらの主張で問題なのは、出典があまりにもあいまいで、もともとの主張を検証しようにも、見つけられないことである。
ガラス化
共通した主張に、都市周辺の砂が、ニューメキシコ州トリニティ実験場のようにガラス化したというものがある。しかし、実際に発見されたのは、窯で砂をガラス化することによって作られることが多い鉢の壊れたときの投棄場所だった。
実際には何が起きたのか
インダス文明は核兵器を開発しなかったかもしれないが、他について、当時最も先進的な文明であったかは議論の余地がある。たとえば、インダス文明が、エジプトやメソポタミアのようなピラミッドやジグラットを建設したという証拠はない。たとえば、考古学者たちはインダス文明の寺院を発見していない[ 6 ]。一方、インダスの人々は、覆いのついた下水道や水洗トイレ[ 7 ]、舗装道路を備えた階層的な格子状の計画都市、水道への効率的なユニバーサルアクセス[ 8 ]、8進10進数[ 9 ]、組み立てライン[ 10, 11 ]までも建設・発明した。
インダスの人々は武器を持っていた[ 12 ]が、襲撃者に対する防衛手段として用いた可能性が高く、インダス渓谷への軍事侵攻の決定的証拠は示されておらず、人類文明史上、最も長い平和な時代を実現した。
インダス文字は未だ解読されていないが、(文字はソマリアでも見つかっており)場所的にも広く使われ、紀元前の第3千年紀において存在したどの社会よりも識字率は高かった[ 13 ]。
なお、モヘンジョダロ核攻撃ネタの始祖であるダヴェンポートは、モヘンジョダロを攻撃したのはエイリアンだと言っている。


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