「問題の構造化」という概念を念頭に置いて、核戦争が発生する6つの可能性のある経路を調べることから始めよう。
第1は、今日にような通常レベルの敵対状態で、ソ連が米国を、あるいは米国がソ連を、パールハーバーのように奇襲攻撃する。双方の社会を破壊が予測されている「相互確証破壊」として知られる状況があるため、大半の国家安全保障の専門家たちは、それはありそうにないと考えている。破滅的報復に使えるだけの核兵器を双方が保有しており、そのような破壊は確実に可能である。
MADと頭文字で呼ばれる恐怖の相互均衡によって第2次核戦争(米国が広島を爆撃した1945年8月の最初の核兵器の使用を思い起こして)を阻止しているということを知って、むしろ安心するかもしれない。MADの状態により、核戦争やさらには核兵器の使用を適切を阻止していると考えるかもしれない。しかし、次の5つの核戦争への経路を考えれば、それほど巧妙かつ理性的に、自分たちをMADの箱に封じ込めていないことに気づく。封じ込められていない理由は、これらの経路では、ストレスや恐怖や疲労や国家威信や誤情報などの要因が関係してくるからだ。
これらの最悪のシナリオの1つ目は、欧州の対立のエスカレートである。たとえば、ソ連圏諸国が西ドイツを攻撃したり、ポーランドや東ドイツに危機に西側が介入するなどである。
今日、大半の軍事オブザーバーたちは、ソ連及びワルシャワ条約機構軍の通常兵器による攻撃に対して、通常兵器で対抗できるとは考えていない。このため、我々は様々な大きさと破壊力の6000発近い核兵器を西欧に配備している。このシナリオでは、動力学を予測できない。戦場でソ連軍兵士が核攻撃を受けたとき、クレムリンがどうするのか? 同じようなソ連の反応に対して、ホワイトハウスはどうするのか? アナリストの中には、状況が急速に悪化し、超大国間の全面核戦争が起きると確信している者もいる。
まずもって、西欧とソ連が関係改善に利益を見出していることから、このシナリオの可能性は小さくなってきている。しかし、(ソ連の天然ガスパイプラインに対する米国からの制裁要請を西欧が拒否している例からも示されている)この緊張緩和にもかかわらず、このシナリオの可能性はなくなっていない。19世紀と20世紀の欧州史を真摯に学ぶものなら、これを否定できないだろう。
今日、最も戦略的思想家たちを悩ませるシナリオは、、中東やペルシャ湾、あるいは1960年代に核兵器を爆発させたインドと、国民が草を食べても核兵器を保有すると首相が述べたパキスタンなどの第三世界の紛争によって、超大国間の核戦争が引き起こされる可能性である。(パキスタン政府が首相の公約を果たそうとしているという強い証拠がある。)
この経路は、以下の2つの形態のうち1つをとると思われる。第1は、地域軍事対立にソ連と米国が引きずり込まれ、最初は通常兵器で介入し、核兵器へとエスカレートする。もう一つは、第三世界諸国自身が核兵器の保有と使用をする可能性の高まりである。イスラエルは数十発の核兵器を保有している可能性があると考えられ、韓国やブラジルやアルゼンチンも核兵器を保有する可能性があると考えられている。
過去の激しい地域紛争、米国とソ連を対立に押しやる現在の事象、政治的および外交的な風向きの変わりやすさを考えれば、第三世界の危機のエスカレーションは少なくとも当面の最大の関心事であり続ける。
第4の可能性は、それほど大きくないが、誤警報のあとのエスカレーションである。米国とソ連の現在の政策は、核攻撃を乗り切ってから、選択肢を考慮するというものである。しかし、もしどちらかがこの政策を放棄し、警報後発射したらどうなるか? 1979年1月からの14か月間で、米国は147回の誤警報を記録していることを考えれば、ある程度は深刻だと考えられる。我々が欧州へ巡航ミサイルやパーシングIIミサイルを配備しようとするなら、ソ連の脅威を考えたコンピュータ発射警報システムの推進すべきだ。そのような政策変更は、文字通り、核戦争の一触即発の状態を緩和する、
5つ目の可能性は、超大国に対するテロリストによる核兵器使用である。テロリストはマンハッタンやキエフを吹き飛ばしたと名乗りを上げることはなさそうなので、ワシントンやモスクワの指導者たちは、自分たちの最大の敵が実行したと考えるだろう。自分が米国大統領あるいはソ連書記長だったら、どうするだろうか?
核戦争への最後の経路は、米国かソ連の反政府系軍人が、正当な権限あるいは正当な司令官の命令なしに、核兵器を発射を決断した場合である。米国あるいはソ連の衛星が発射を検知するだろうが、考慮された先制攻撃の一部なのか、狂人の孤立した行動なのか、区別がつかない。再び問いかけよう。自分が米国大統領あるいはソ連書記長だったら、どうするだろうか? これら6つが核戦争に至る一般的な経路であり、これらをすべて排除することが我々の課題である。
軍備管理の失敗
1945年の広島爆撃から1962年のキューバミサイル危機まで、我々は核兵器の威力と精度の向上によって、自分たちの国家安全保障をはかろうとしてきた。キューバミサイル危機以降、ソ連と米国はともに、その道筋を変えようとした。特にソ連の核兵器保有量は増大したが、両国は軍拡競争を部分的に制限しようとした。
その方法は、軍備管理条約交渉であり、大気中と海中と宇宙での核実験を禁止し、地下核実験の威力を150ktに制限し、迎撃ミサイルの配備を禁止し、ミサイル発射装置とサイロの保有を制限することにソ連と合意することである、
これらの軍備管理手段は、新兵器システムの配備(MX、トライデント、巡航ミサイルなど)と組み合わされ、我々の安全保障を高めるものとされた。しかし、このような技術的解決策の模索は失敗した。証明として。図1に統計を示す。1962年から軍備管理イニシアチブは機能しているだろうか。明らかにそうなっていない。
我々とソ連が追求してきた技術的な解決策が非常に困難であるとするなら、どのような解決策があるだろうか? 火災が激しい森林火災に拡大するのをレンジャーが阻止する経路のように、「防火隊」と呼ばれる提案が幾つかある。