主に哀咲のTRPG(CoC)用wiki。ほぼ身内様向け。「そこのレディ、ティータイムの御供にクトゥルフ神話は如何かな」




最近、研究所からの連絡が途絶えた。こちらとしては仕事が減ったようなものだから何も困りはしないが、だからこそこの突然の「暇」に、驚きを隠せない。
よくあるカフェにスーツ姿で入る僕は、仕事の隙間に休憩にやってきた務め人のように見えるはずだ。豆を煎って挽いて粉にして湯をかけ、成分を抽出した黒い、ボクにも似た、液体―――珈琲を、適当に注文した。
生成過程を考えるに、本来ならもっと時間がかかるだろうそれを、メーカーと名付けられた機械尽くしのもので短縮し、ほんの数分もかからずに五本も指が生えた手のひらに向けて差し出された。
示された数値の分を払い、紙のような手触りのカップを受け取り、レシートなどという紙切れに目を通したようなふりをして、金のやりとりのための機械の、すぐ近くに置かれたちいさな箱に放った。
なんとなく気に入っているいつもの席が空いていた。
窓際だが、仕切りの奥にあるせいで外をぼうっと眺めても、道路側からすれば絶妙に視界に入らないのだろう。よくここで、人間らしい仕草や筋肉の動きを確認したものだ。
あちらこちらへ早足で歩いていく人の群れ。
頭の奥の奥にある、原始の、母なる何かが囁いてくる、「人間」という生物のかつてのあり方、群れて、一箇所にとどまって、皆で狩りをして…その原始の誰かの記録を嘲笑うように、今の人というものは、一人で何処かへゆく。
ボクらにはいまいち、時間の流れの感覚がわからない。発生して何日目だとか、一年とか、それこそ意味がわからない。騒ぎになるのはあの個体とその個体が交配して、ロードが生まれたとか、そんなもんの話で、ボクらの命の期限自体はあやふやでどうでもいいぐらい。
珈琲の苦さにも慣れたが、この苦さを好き好む理由も謎だ。そもそもこの抽出された成分はおおよその地球生物には適さないもののはずで、ヘタをすれば毒でしかないのに、人は気軽に口にするし、なんならそれに砂糖とかいう背の高い草の茎を搾り、結晶精製させたものをぶち込むわ牛から採れる乳を入れるわで、そこまでして飲むという判断に至る思考回路がまず、自分にはないものだ。水の摂取、食物の摂取は理解が及ぶも、これは明らかに過度なもので、これを作るのにエネルギーを使いすぎる。
それでもそれで金という媒体がやりとりされるのなら、これは人間にとっては、重要ななにかなのだ、としか結論することができない。
そして、そんな黒い液体に愛着らしき何かを覚えている自分も、認めざるを得ない。

ボクが、僕として陸に上がったのは、もう、何年……あぁ、覚えちゃいない。
それでも、こういう休憩スペースのような場所で、それっぽく喉を潤す行為をしていたほうがよほど安全に、観察ができると理解したのは、割と陸にあがってすぐだった。
適当に板の機械を取り出して、表の僕の本職の雑務の連絡を確認する。特に問題はなさそうではあるが、最近入ってきた新人がやたらと僕に擦り寄ってくるのは困りものだ。
彼女いないんですか?とか。
そもそもボクらにそういうのないからとか言えないし。戯れに付き合う、ということをしても碌なことにはならないと早々に理解したし、仕事一筋だよと適当に流したがそれでも止まらないのだから、人間とは、あまりにも多様性がすぎる。
黙々と仕事を片し、自らのもののために足早に職場を去るものもいれば、目当ての人間にすり寄るためにわざとわからないふりなどもして自らを無能に見せかける、など。
人間の、弱肉強食はわからない。
この一言に限る。

「やあ」

偏屈な空間に軽く声をかけてきた不届き者を見上げた。それはボクと顔のよく似た、「兄弟」だった。

「やぁ、兄弟」

彼も適当に頼んだ珈琲でそれっぽく振る舞っている。顔が似ているせいか、双子かなと軽口が聞こえるのが不愉快ではあるが、真実人間で言えば双子だろう。

「珍しいね、こんなところに来るなんて」
「あぁ、ちょっとみんなに通達を回していてね」
「通達?そんなもの電子か、……伝達回路でも使えばいいだろう?なぜ面と向かう必要が?」
「…回路伝達をした一部のものが、自殺したからだね」
「自殺?はっ…何を言っている。我々に自らを殺す理由など」
「……マザーコード計画、No6。最終段階、人体型プロトタイプ完成形の子らが、研究所から逃走。原因は上級職員による"神格"の招来と、マザーコード-6の"愛"という回路暴走。これにより、最終段階の機密情報が秘匿保管されていた最後の大研究海底都市が、滅びた」
「……兄弟、冗談は」
「冗談ではないよ。確認しに行ったものも、跡地に何も残っていないと証言し、他関連研究所も大損害を受け、このプロジェクトを再稼働させるにも、"初めから"、だ」
「初め、から…」
「……ああ、我々の、生存権をかけたプロジェクトは我々の最高傑作があまりにも、あまりにも完璧過ぎたがゆえに、白紙に戻ったのだ。優秀な、弟妹たちだ」
珈琲の温度が冷えていく。指先にしみる僅かな温みに救われる。
「…我々の弟妹に罪はない。そうあれと育てたのだから。この研究は、正しかった。だが、それにより、"我々"という旧タイプは、心の拠り所をなくしてしまったのさ」
「……」
「お前にも、しばらく…と言っておこう。指令がくることはないだろう。生きるも死ぬも、よい。我々はもはや、成し遂げた果に滅びるのだから」

そう言い切って、兄弟も足早にカフェをさっていった。
不思議と残った珈琲は少し酸っぱいような気がした。

「No6タイプによる完成形…」

僕からすれば親戚の子供ぐらいの、ボクからすれば新たな同胞の、いや、同胞ではなくなったのか。
完成形。
人として完全に。心すらも持ち得たもの。
羨ましい?憎たらしい?愛おしい?庇護対象?排除対象?
無関心ではないことは確かで、無関心ではない以上、何かしらの感情を持ち得ているのがこころ、だ。
そのボクらにとっての「進化系」が、ボクらの目的、原点、存在理由、etc、それら全ての塊であったあの場所を壊して出てきた。
だから、……何も沸かない。
なにもないな。
研究所には何もない。それについては構わないだろう。ボクは、すでに個体として成立しているだけのこと。やはり自殺などという反応は起こさない。
理解もできない。
そもそも我々は何のために完全を目指していたのか。完全に人に成り、このもはや人類によって殆どを構成された世界のなかで生き残り、いつか来る「何か」のときのために我々のコミュニティを。
我々は、本来ならば個体群である。
智慧を持つ上位体が、進み行く人類を見て覚えた恐怖にも似た感情に応じて、研究最初期の個体が集合して始まったのだ。
そもそもボクは、それの成果の一部で、結果の一部。むしろ研究を始めた始祖たちの考えを理解しにくい。
ボクは人間として生きることができていて、始祖はできないから。その時点でボクと始祖たちは解離した。
もちろん始祖に対する生物的な縛りがある以上、ボクは始祖たちから発せられる指令には従ってきたが、そもそもボクと始祖はもはや別種に近いものだ。
あぁ。
だからなんか、いつも、乗る気になれなかったのか。
そりゃあそうだ、自分のことでは全く無い。始祖たちの焦りと苦労、それらによって発せられた計画は、人として日常を振る舞える程度の形になった時点で、もはや意味はないのだ。
人間ならば、子孫のため、将来のためやら、理由もつけられるのかもしれないが、悲しいかな、我々のいのちに期限はない。故に、次代のためという発想は必要がない。
マザーとはいうものの、それも危うい感覚だ。母すらよくわからないのに、始祖などという過去を理解できようもない。成し遂げた果に生きる死ぬなど馬鹿馬鹿しい。ボクはボクとして生まれ、僕として目が醒めたのだから、もはや勝手に生きるだけだ。

真夏の空の下というものは暑いと教育された。汗による熱の排出、冷却も必要はないが、不快にならない程度に取り繕う。
顎に伝うそれを払った。
生きるだけなら、もうボクすらいらないのかもしれないが、僕として生きるだけの環境を作ってしまった以上、何処へ逃げるにも準備が必要なのだと、実のところは、分かっていた。
本物のぼくは何処にいる?
もしも僕にかせられたものがあるならば、今はそれだ。生まれたときに背負わされた仕事から解放されて、手に入れたものが「人間の究極的な問題」とは、我ながらヒトらしい。
赤信号を日陰に入り込んで待つ。
僕より少し背の小さい女性が日傘を差して同じように青を待っていた。
白くて、穏やかなかたちで、なにか。
彼女の目が、ぼくを見た。
なにかに気づいたように目を見開いて驚いて、やがて、ゆっくりと微笑んだ。
「あなたは何番目?」
「っ、ボクはコード-5体」
とっさに反応した言葉に取って出たものを抑え込むように口を手のひらで覆った。こんな街中で言うものではない。彼女が同胞である確認すらしていないのに、決められた問いかけをされた自分は、反射的すぎる。
「……そう、No5か。だから少しちがうのね」
「……ボクの記録にないヒト……コード-6体か?」
「ええ、でも、いいえ。わたしは、かつて6番目の母体で、いまは、これからはずっと、ただのお母さんだわ」
「何を言って、」
日傘で光を遮られた中で微笑む彼女に、ロードとしてはともかく、人間としては力のないだろう女一人に怯む自分。
「わたしたちで、完成したの。わたしたちは、わたしたちで望むように生きる。確かに今だって多くの電子信号と通信とで叩かれているけれど、ナカミがない言葉に従う理由なんてない」
「マザーコード-6、それ以上の発言は許容できない」
「何故?あなたも、もう、ヒトになりかけてる」
「マザー、例えそうでもボクは未完成の、」
「いいえ。違うの。大事なのはそこじゃないの」
赤信号は、あまりにも長い。時間の感覚が薄いはずの自分でさえも、あまりに永く感じるほどには長い。
「目醒めるための素質は、人間のDNAによってもたらされている。それが小さくて小さくて目にもつかなくて、手に取ることを思いつかなかっただけ」
「ボクにもそのような素質があるとでも?」
「あるわ。わたしを見て、そんな顔をする子にこころがないなんて、そんなわけないもの」
「顔……?」
見えないものがわかるわけがなく、ただ輪郭に指を這わす。ぬめりとした汗に少し濡れた肌は日差しによってか、少し熱を持っている。
それ以外に、大した異常があるようには思えない。
「……わたしをマザーと定義してもいいわ?」
「コード-6、貴方の言葉はあまりにも不定義で、理解し難い」
でも。
でも。
いや、こんな話を真に受けてはいけない。
でも。
いいや、こんな出来すぎた話はつくりものである。
でも。
でも。
でも。
「あ、青」
絡み合う思考がただの一言で弾ける。
おいていかないで。何を言っている?先に行かないで。何を言っている?
小さな歩幅で黒いコンクリの道路に焼きつけられた白線の上を進んでいくその背を、慌てて追いかける。人の波を気にして、少しだけ言葉を選びながら彼女を呼び止める。
「貴方は、何を持ってボクに定義更新を求める?」
「求めてはいないわ。"してもいい"と言ったの。あなたの母として振る舞ってもよいと言ったのよ、寂しい子」
「母……?我々に概念的な母は不ざ、」
「ワタシは"母"という存在です、No5の子」
怒られる。……怒られるから、なんだと?上位存在としての戒めならともかく、「叱られる」ことを怯えるとは何か。
「素直になれない子なら、それでいいわ。今まで生きてきた積り分だけ、素直にはなれないわ。もちろん、次会えたとき、貴方が素直になっていたら、その時はそれでいいけれど」
「ボクが素直ではないというのは、何が根拠か?」
「わたしの言葉を、機械的に置き換えては業務的に返答するところ、とか?」
「しかし、それは」
「認めないのも、そうね」
「それは、」
「わたしはもう、人として生きていることを認め、あなたもそうであると、お気づきなさいな」
「人として」
「わたしをマザーコードと見るからそう固くなるのよ。わたしはただの母親。それだけ。それだけ……」
「ですが、それでも決して」

僕の母親ではないのです。

ぽつりと何処からか溢れた言葉に、マザーコード-6は微笑んだ。冷たくもなく、ぎこちなくもない、変哲もない、穏やかな微笑み。
「そう、そうよ。あなたの母親は、わたしではないわ。よく言えたわ」
良い子、とあまりにも背丈の違いを物ともせず、わずかに背伸びをした母親たるものは、僕の頭を撫でる。
この感触は記憶にはないが、なぜだか、覚えがあるような、そんな気もしている。
「もう少しね。あなたも、もう少し。今回のことで一気に発芽してしまった子なんかは、変化に耐えられないようだったけど、あなたは大丈夫。もう少しだけ、世界を見ていなさい、仲間の子」
「もう、少し?」
「そう、もう少しだけ。もうすぐ目覚ましが鳴るでしょうから」
母親たるものの手が離れて、惜しくなった。だけど惜しいだけで、決して求めるものではないのだと理で留まる。
僕の、母親は、彼女ではない。彼女から得られるものでは、僕は満足などできない。僕は、永遠に、これからこうして飢え続けるはずだ。
「それじゃあね、目醒める子」
彼女を本当に"母"と呼び止める声に、何もかもを封殺され、その背を見送る。買い物を終えたのか袋を抱えた数人が、母に群がった。
それの中身が、自分と本質的に同じものとわかっている。分かっていたのに、それでもあまりにも何かが違った。
一言一言で顔も声も変わって、思考回路と言語能力が合致していて、作ることも必要なくあるもの。
あれが、「完成形」か。
あれが、ボクらが夢見ていた進化か。
ああ。
彼女は、もう少しと言ったけれど。素養はあるのだと言ったけれど。
やはり、ボクは僕として完成することはないのだろう。ボクのまま、僕として語るのだ。騙るのだ。皮を被るのだ。
それも目醒めというのなら、そのときは、僕も名乗り、彼女の名を聞こう。
僕の母親ではない彼女を、どう扱えばよいかなどわかりやしないけれど、せめて名を聞いてから考えよう。
僕の母親を探すこと。考えなくはなかったけれど、No6が存在している時点で絶望的だった。諦めていた。
今も探すなんてことはやろうとは思わないけど。母と呼んでもよいと言う戯言を退けるだけの「意思」は僕にはあった。

とりあえず、それで良いと思う。
いいんだ、時間ならいくらでもあるんだから。

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