主に哀咲のTRPG(CoC)用wiki。ほぼ身内様向け。「そこのレディ、ティータイムの御供にクトゥルフ神話は如何かな」






重い体を引きずってオフィスの椅子に辿り着く。予想以上のことだった、この数日間の疲労を叩きつけるようにデスクのパソコンのロックを解除する。
自動で開くよう設定された通話アプリが開いたのを見て、デスクの端に追いやっていたUSB接続のマイクを引き寄せた。
「通話接続……マダム・グレイス」
イヤホンを耳に詰めながら、音声認識で勝手に接続画面が開くのをデスクに崩れ落ちたまま見る。どうにか革手袋だけは外して、用意された水のボトルを手繰りよせ、激しい運動で乾いた喉を無理矢理落ち着かせた。
『随分酷い有様ね、Sir?』
ぶつん、という接続音のあと、穏やかな声が聞こえてきた。うらやましいぐらいに、穏やかで、感情がない。
「おかげさまで、Madam」
暗にあんたのせいだよとガラガラヘビのような声色でマイクに呟く。若干の笑い声ののちに、声は問う。
『どうだったの』
「……被害者総数はわからない。わかりたくもない。容疑者のグレイス商会長は死んでいた。他の職員はだいたい抑えたが何処から何処までが悪で、何処からが手駒かなんて考えたくもない」
『相当ね?』
「相当だ。……しかも諸悪の根源はまだ地下に残ったままだ。これはまた後日、ちゃんと片してくる……」
『……カルトの仕業という認識でいいのかしら?』
「貴方はそれでいいだろう」
指先が何かに触れた、ぐしゃりと握りつぶしてしまったものがそこまで重要な書類ではないことを祈ろう。
そんなことよりも、瞼の裏に映ったままの黒いあの影が忌々しい。
「ただ、これのことを全く知らなかったと、言うのは……苦しい、ですよ」
『本当に知らなかったのですけれどもね』
「……ざっと見ても数十人の子供たちをどうするおつもりですか」
『さあ、手配はいくらでもできますけど、そのあとは、ね』
握りしめた指先が震えた気がした。
「……あの子供たちの心理状態を管理しつつ、社会に適応した人間として独立させるまでどれだけの」
『貴方がそんなことを考えるなんて明日は大雪なの?』
「マダム、」
『そうね、子供たちが将来どんなおとなになるかなんて保証はできないし、数十はいるそんな不遇の子供を育てて見返りが確実にあるかなんておいしい話はないわ、貴方の経験や知識は一定数の"育成失敗"が出ると言っているのね』
「……残念ながら。このような事態に巻き込まれて精神が安定している方が人間として"どうかしている"。それが数十もいる、数値上なら恐らく二割は社会に適応できないか、シリアルの類になってしまうかだ」
天性のサイコパスは理論的に言えばいくらでもいる。だが、後天的な心理問題のほとんどは幼少期の経験から来ることが多いと、人間の知識は結論づけている。
逆にこんなことがあってもなお、真っ当に生きる道を見つけられる方が、珍しいものなのかもしれない。だが、真っ当になってもらわねばならない。数人が道を外してもそれは数字として見ることができる、が、大半がそうなってしまったら痛手を負うのは社会と、善良な人々に、「育ての親」となった名前。
可能性は、マダム……、何処かの施設か、それとも我々ボルジャーか。どれにしたって、結局、来歴が明らかにされてしまえば我々が酷い目に遭うのだろう。
『そこまで分かっていながら貴方はこの話に乗ったの?随分と丸くなったのね?そんなに奥さんが可愛いのかしら。可愛いんでしょうけど……貴方はこの件で何か、得たの?』
穏やかな口ぶりで、酷いことを話す。こんな彼女を知っている人間はそう多くはないらしい。ではなぜ私がそのような人間になっているのかは、また別の話としても、今は嫌気が差す。
「正直なにひとつ得てなどいない」
『あらまあ』
重い瞼を手のひらで擦り、溜息を吐きながら画面の向こうを見る。
「そんなにおかしいか」
『おかしいわよ。そんなに真人間じゃなかったでしょう』
「失礼な……」
『突然教授職は辞めるわ、弟に家督が行くわ、家業をやるわ、結婚するわで、本当貴方に何があったっていうのかしらね』
「……」
前髪をぐしゃりとかきあげて、薄く噛みしめた唇をごまかすように息を吐く。
「貴方には関係ないと言いたい」
『そうね、関係はないわ。でも気にはなる』
「でしょうね」
呷った水が喉に引っかかって、咽る声を抑えながら背もたれに身体を預けて、見慣れた天井を見上げた。
「……まあ、貴方にしたら、あの家の子がどうして私なんかとって感じですか?」
『家柄だけで言うならね。貴方の能力は十分だと思う』
「そりゃどうも」
『でもだって、貴方の可愛い奥様は……まあ、本当は男子のはずだったっていう理由で男の子の名前を付けられて、社交界でどんな思いをしたかは、私には分からないけれど』
「そこまで気にしてはいないようですがね。飄々とどこ吹く風のように社交界なんて躱して生きてきたと言った方が恐らく正しい。少なくとも私よりかは自由な人間だ」
画面の向こうで首をかしげるマダムに、くっと笑いが零れて噛みしめる。
『貴方よりも自由で気儘な人間がいたわけ?』
「私は好き勝手に目の前の甘そうな果物を齧っているだけで。人間性という話なら彼女の方が数十段はいいと思う。目の前の作物を食べる獣と理性にあふれた人とでは話が違うでしょう」
『……貴方は本当に、気が狂ったかのように変わったわね?少なくとも私の知る限りは、だけれど』
「いろんなことがありすぎて、エゴイズムに走り続ける余裕すらなくなっただけです。所詮私もただの人間でしかなかった。それだけの話だ」
『貴方が自分のことをそう称すのがもう違和感なの。学生の頃はもうちょっと、こう、まあ貴方の場合はちゃんと裏打ちされていたからこそ、面倒だったけれど、少なくとも自らをもっと上の人間と捉えていた気がする』
「IQのことですか?地位の話ですか?金の話?」
『全部よ』
「手酷い」
『世界は自分の力で回すもの、付加価値や能力の差異を如何に駒として使うのか。この世界は盤上と同じだ……それくらいの野心はあったでしょう』
「ありましたね」
野心ぐらい誰だって持っているだろう。そんな普通のことを考えながら崩れ落ちた人間は返す。
「マダムも全部失くしたらお分かりになるかと」
『言ってくれるわね?ふふ、まあ絶対そんなことにならないように生きているのだけれど。あなたの言う全部失くす、がどれほどの数字で人に降り注ぐものなのかは量れないわね。……かわいそうな坊や』
「私のことをかわいそうと言えるだけ、とても裕福ですよ。私は呪い殺されてもまあ、文句は言いますが」
『まあ、長生きはできなさそうよね。貴方』
「……そうでしょうね。私もそんなに長生きするつもりは、……ないんですが。どうだか。いっそ殺されたら一瞬でことが済んでしまうなとも、その一瞬のために幾人が考えてくれるのか……死にたくなってきた」
『そんな簡単に死にたくなる坊やのことを私はなんて慰めるべきかしら』
「ああ、いつものことなので結構です。どうせ忙殺されて忘れる気持ちだ。どうでもよろしい」
『本当は全部覚えているくせにね。頭がいいっていうのは、大変よね』
「……本当に死にたくなってくるから止めて頂きたい」
『まあ、その昔の貴方のことを知ってると吐き気すら覚えそうな弱気とか全部をいい具合にしてくれるのが要は彼女なのね。いい相手を見つけて何よりじゃないの。あとは子供?』
「貴方は地雷原の上でタップダンスをするのがお好きなのか?」
『でも、事実、風の噂と言えばいいのかしら。結構憶測が飛び交っているわよ?』
「そうですか……」
『英国から逃げるという手はいいけれど、ある程度ははっきりさせないといずれ何処にでも居辛くなると思うわ』
「……そうですね」
『……詳しい報告は書類で構わないから、今は休みなさいな。無理させてごめんなさいね、坊や』
途切れる前の、ほんの少しの微笑みがいつかの祖母を思い出させるのが心苦しくて、まともに返事もできないまま、通話が途切れ、あっさりと相手はオフラインになってしまう。
そんなにひどい顔でもしていたのだろうか。ずっと笑い飛ばしている、そのはずだったのに。頬を摩る。引き攣った唇が息を引き取るように戻るのが、自分の疲れを表していることに気づけているのなら、もっといたわることもできるのだろうが、あいにくと私は、これを見なかったことにしてごまかす。
まだ、やらなければならないことがある。
今はセメントの下、呼吸が必要かはわからないが、脈動しているあの影を払う術を。確か、あの本に記述があった気がする。重たい頭でも、それだけは思い出せた。まあ、思い出せなくても、どうにかできるだろうけれど。
マダムの言う昔の自分がここにいたのなら、こんな感情に振り回されずただ排除して、適当に書類を回して未来が不安が子供たちのことなど考えもせずに掃き溜めのなかに戻してしまうんだろう。
逆にそんな自分が今はいないからこそ、私は彼女に「子供たちをどうするのか」という意見具申をしてしまったのだ。彼女の中ではある程度の算が用意されているはずだ。そんなことはわかっている。それでも私は言ってしまった。どうするのかと。貴方に任せると言ってしまえば、彼女にここまで訝しげにされることもなかった。
私はいつ、こんな感情を覚えたのだろうか。
私はいつ、真人間に近づいたんだろうか。
屑だと罵られたことはあれど、善人だと言われたことなどなかったはずだ。
"全部覚えているくせにね"。
彼女の言葉が反響する。
覚えているとも。
あの日も、出遭ったものも、見てはいけなかった何かのことも、救いのような手の平も、後悔の思いも、……覚えているとも。
本当は、無くしたくなかったものが、きっと身の振り方を考えれば無くさなかったたくさんのものが見えている。人間の運命なんて、ひと時の選択で全てが変わるなんてこと、シミュレーションでもすればいくらでも味わえるだろう。何度でもやり直せるゲームでさえ、幾度と間違える人間が、どうしてこの人生を間違えずに済むだなんて保証があるのだろうか。
そういう意味では、昔の私は、慢心していたというべきなのだろう。
私は、まちがえる余地はなく。僕はそう振舞うべきであると定義。そうすれば強くあれた世界、強いと思われた世界の裏側に今は、影が暗闇に潜むように沈んでいるのだ。
そんな場所にいたほうが人間味があるだなんて誰が教えてくれるものだったのか。私に足りていないものはいったい何なのか。私が求めたものは間違いなのか、故に切れた紐はいつか結び直されるものなのか。
たくさんのことが私には分からない。
悩んでいたってわからないのだと知っていても、心はそうは思えないらしいのが人間というものだとつい最近知ったのだ。
顔を上げて、とりあえずはと、手元に残っているしわくちゃの紙を引き寄せる。
薄青の封筒が、ひしゃげていたがやぶれるまでには至らずにいてくれて、せめてその皺を引き延ばし、形を整える。差出人の名前を見て、ペーパーナイフを取り出した。
少なくとも。
真人間がどうとかそんなことよりも、優先すべきものがあるのがこの世界だ。

『まあ、真人間がアトゥという私を知っているわけがないのだがね?』

故にそうせせら笑う陰の住人の声を、笑顔でせいぜい、聞き流してやろうではないか。

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