霧の雨が降る - 星の海に揺蕩う



マザーコード-4。調子はどうだい?
……そんなどうでもいいことを訊いてどうするというような顔、いや、何だ。感触だね。それはそうだ。私?私のことも分からないのか?消失とは末恐ろしいものだね。
本当に分からないとは言わせないがね。うん、分かればそれで良いよ。
時間?そんなものを気にするのかい、自分の調子についての懸念の話に返答をしないのに。うーん、そうだなあ、君が「こうなって」からは幾つほど経ったかねぇ、さぁねぇ。わたしってば、意外と最近生まれだからねぇ。知らないかなぁ。
どうでもいいというのが正しいけども。
ただ、No-1体の意識が生き残れる程度の経過だから百年未満だろうという仮定はできるがね。人間百年。うーんこないだまで五十年とか言ってた気がするけれどなぁ。気のせいだろうか。
は?知ったことではないけれど?君のような個体でもそのような懸念を持つんだ。へぇ。君のこどもがどうなったかをいちいち全て確認する必要がどこにあるっていうんだ。まぁ、人間の皮は被れているんじゃないか?
一応云っておくけどねぇ、君の肉体はとっくに消滅して残った精神領域が食われて此処に揺蕩っているだけだ。そういうことを考えたってしょうもないよ。
それでも?そう。……食ったのは誰だ?うーん。君を直接食ったのは彼女だが、間接的に言えば私自身だし。どちらにしても、君がどうこうできるものではなかったけどね。だって君はもうその時には活動停止した後だし。むしろ君が未だに漂っていて彼女に食われたことが、私にとっては予想外と言うべき事案だ。食われた君の精神に反応してNo-1体は目醒めたし、彼らの無意識領域に呼び掛けたのも君の精神。君が食われてなければこんな空間が出来ることもなく、君の意識が再浮上することもなく。
こどもも巻き込まずに済んだ。
おぉ、それに心を痛めるんだ。そう。いや、痛めた振りだな。はは、随分と計画に一途で健気なことだ。その精神がいつ止まるかもわからないのにね。まあ、君という個体にはそれしかないんだから当然と言えばそうだね。せいぜい、君の意識が消えるまでそうやって漂っていればいい。せめてこどもを巻き込まないように。さすがに、あんな奇跡は二度はないのだから。
No-1体のような異質はどんな生物でもあり得る。けれど二度はない。同一のものは生まれない。それが平行世界の同個体だろうと、それは平行する個体であって、同一ではない。重なることはなく、一致することもない。
だから、君が観測できるこの世界線ではもう起こらないんだよ。
どうしてそんなにも個体を維持し続けるのか、その原因は理解できないが、少なくともそうするメリットはない。さっさと自ら意識を閉鎖してしまった方が賢いやり方だと、私は思う。
この温い胎の中で消化されるまで、何も思考せず、自分を殺すべきだろう。
助言?諫言?何を言っているんだか。どちらでもないし、どちらとされても変わらない。―――そう、だね。まあ、私という個体がこの現象を見続けているのは、興味でも関心でもなく、ただの責務のような気がするからで―――それは私らしくはないだろう。もしかすれば未だにあの召喚に縛られているのやも、だなんて。もしかしたらって、面白いなぁ。
ま、そんなことないのが悲しいところだがね。表面に張り付いたこの感触を「せきむ」と当てるのは元の身体の持ち主の性質だろう。
うーん。名前に引き摺られているといえばいいかい?例えばここだって、本当は名前なんてないんだけど。No-1体に誰がつけたかは知らないが、「ステラ」―――星とは、いつだって道標であった。ヒトは星を神の輝きだと信じた。古来より、星は世界の地図だった。そんな名前をつけられたヒトならざるものに、世界は何の役目を与えると思う?
花の名前を持つものは早死すると謂れるし、水の名を持てば流れるものに勝てぬと謂う。別に、私たちが「そうは思っていない」「そんな摂理を作ってはいない」と断じようが、ヒトとはそれをそう認識するから、故にヒトの世界はそれをそうあると断じる。
勝利を掌るのは女神であるように、正義を掌るものは剣と秤を握るように、性悪を悉く滅ぼすに洪水を使うように。
星がそこにあったなら。導かれるものがあらわれる。導かれた先に、星の死があったとして、誰が文句をつける?
そもそも星の光は遥か彼方より飛来する、導かれた頃にはもうすでに星が死しているなんてことも。だから、正直こんなことをしていてもすべてが何もかも、遅い。
遅い。
……本当は、さ。勿論ここに「星の海」などというふざけた名をつける前に。ここが海となる前に。ここが胎に収められる前に。私はいつだって。「私」ならばいついかなる場合であろうと、どうにかできたはずだ。君がいう「神格」ならばさ。
なのに私はそうしなかったし、流れ着いた母なるものが此処を喰うことを止めもせず、元来ここにいた君が再浮上したことも放置して、仔が覚醒したことも、それに導かれる仔すらどうともしなかった。
それを例えば、「面白そうだから」、「どうだっていいから」、「面倒だから」、「手をつける価値がない」、どれでもいいか。そうだとした場合、私はそれを「見ていた」瞬間があるのだ。……見てしまったものに蓋をするのは苦労するだろう。だから私はわざわざこうして君に挨拶の一つもしてくれてやっているわけだ。
矛盾と言われても、反論はない。だが、見たのならばそれはもう、この身の内の出来事であるからして。この身の内の出来事であるならば、見ないのはあまりにも不甲斐なく。
勿論それが人間の皮というものに「引っ張られた」可能性は大いにある。けれど、そんな話をしているのなら、それらすべてを「遅い」と断じて、見ていた方が良いと―――。

私はそう思った。

過去に戻ったっていいだろうに。未来に行って踏みつぶしたっていいだろうに。私はそう思ってしまったんだから、別に。
そのままでいいじゃないかって。だから君もまだ起きているのだからね?むしろ感謝すらほしいが。
全てが後手になる。すべてが遅い。判断も、行動も。そうなったら、見ているしかできないというのは、なんだかとても、虚しい。
かといって手を加えたら、それは私の手中の出来事として完結する、何もなく。それも、虚しい。
悉くが口惜しく、過ぎ去っていく。
私だって目の前のものをただ消費しているわけではないということだ。うん。消費するにしたって、調理するなりなんなりの手間は必要だ。かといって自分で「かくあるべし」としたものを自分で消費することはあまりに「不味い」。他のだれかの手間を味わう方がよほど価値があると思う。
人間的。
いま、貴様は、私を「人間のようだ」と。そう言ったのか。貴様自身がそれを理解していないのにか。そんなに死にたいのならさっさと自死でもなんでもするがいい、劣化品が。
不愉快だ。勿論、私が「私」としてあまりにも何かが違うのは、認めるところであるが、それをしょうもない這いつくばる生き物に言われるというのはあまりにも不愉快だ。
ああ、……だからといって、そう、気に入らないからと云って、すぐに殺すというのは違うのだ。そうだ。そう……。
君もこうなりたくないのならば、完全停止し、それこそ母なる海に還った方がよほどいいだろう。中核を無くせば神格だろうとやがては本体に帰るしかないのだから。長く、永く、思い耽りたくないのならば、もう眠るべきだ。
うん。
そう。私はそれを言いに来たはずだった。忘れていたよ。いや、でもそれをこういうにはあまりにも私は似合わないことをしていると言えて。
人格?支配権?あぁ、まぁ、ヒトをまねるということはヒトと「同じ範疇」であることが大切だからね。こうもなるさ。わけがわからなくもなる。知っているはずなのに知らない気がする。できるはずが、できないのだと勘違いしてしまう。だから私もこう、変になっているのさ。
だけども、「私」という個体の可能性や、何かがあるとすれば、「コレ」がそうである、としか。
私本体に帰ったとして、そこに在るのは深淵なる宇宙の座。遥か彼方。何もないのだ。有るのは我が本体を産んだ混沌なる全ての王。全てを夢見るだけの白亜。
此処が、居心地がいいはずなのに焦燥にかられる、のは。何も見得ず、何もなく、ただ夢を見る場所だからだろうかね。
酷く、乱心する。
星の海。
なかなか、的確な表現である。
それで?貴様は腹を決めたのか?どうなのだ。
もう、貴様を母と仰ぐものは、―――いないはずだ。
それでも?
まだ、待つと?何を待つのだ。一体。
名前を呼ばれることを?存在を理解するものを?それとも生そのものをか?何れも叶わないと私が口にしてもか?
いや。
どうだっていい。
貴様の決定に、私がどうあろうが、関係はない。
私が何であれ、貴様の決定に、関係は、ない。
何を待つ。

……星を、待つのか?

確かにそれは、いつか。海に居る限りは。本当にいつか。演算するための数を決めるのも億劫になるほどの、僅かだが。
それを?
本当に?
まあ、うん。
それは。いいんじゃないかな。
全てが遅く、全てがもう、そうなってしまう、しまったのなら。それゆえに生まれた可能性を待つのも。最初で最期の、仔を迎えるのも。
ふたつで、「星の海」であるだろう。確かに、それは摂理的だ。自然的だ。
ならば、そうするがいい。
私も、もう、ここで思考するのは終わる。貴様の決定を理解した。それで終わりで、その終焉まで彼女に付き合う義理もない。契約もない。
私らしくはない。だが、私というヒトらしさはあったろう。あのときどうして、私は此処に来たのか。それすら遠い昔のようだけれど。
何故、私という個体だったのかな。
不思議だ。
でも、それに厭は思わず。
ああ。まあ、もしも君がまたあの仔に出逢えた時は、また来るかもね。その時は正真正銘、此処を片付けに来るのだろうけれど。
君たちがいなくなったとて、空間に名付けられたものはそこに残るわけで。でも、それが残り続けたら部屋の無駄遣い。掃除をしないといけないだろう?
だから、次があるとするならばそういう時だ。
何千年だろうと、次は、そういう時だ。
それでいいだろう。

マザーコード-4、『マリア』。

私は、警告をしたぞ。らしくもない、同情を口にした。
これで、責も何もなくなったのさ。
君が名付けた仔が君の下へ戻ったときは、全て、それこそ原初に戻し、君たちを海と替わりなくするとも。
おやすみなどと、私に言う胆力があるのか。君は、何というか。そういう個体だったと言えば、分からなくもないが。自我に力を入れすぎなのではないか。
まあ。
そうだな。
またいつか、まで。おやすみ。
さよならを言うのは次でいいだろう。