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コンゴ動乱 .汽戰聞匐ベルギー人客室乗務員暴行事件の真偽


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ベルギー領コンゴ(現コンゴ民主共和国(旧ザイール))の独立時に起きたコンゴ動乱。
その際、ベルギー人のスチュワーデスがコンゴ人に集団強姦の被害にあったとして、
以下に記されたような内容がネット上で語られている。

〜2ちゃんねるより〜
68 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:05/03/13(日) 22:48:40 0
1960のコンゴ動乱はどうよ。
大規模な式典がとりおこなわれたその夜、軍の反乱分子が白人が
泊まっているホテルに押し寄せて暴虐の限りを尽くした。
ヨーロッパ系のスチュワーデスが泊まっていたホテルが真っ先に襲われ
輪姦の嵐。
とりわけ、ベルギー人の若いスチュワーデスや式典参加の芸能人が
メインストリートへ引きずり出されて、公開レイプショー。
大盛り上がりの群集に取り囲まれた美女たちのマムコの中に
入れ替わり立ち代り何日にも渡って汚液が放たれ続けた。

187 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/14(月) 04:55:38 0
あんとき当時のベルギー航空のパンフレットに写真が使われてた有名な娘が
行方不明になったんだよな。
その後の人生が偲ばれるよ。

189 :世界@名無史さん :05/03/14 05:37:47 0
 >>187
制帽の上からスカーフを巻いてタラップに立った写真が、当時のモード界で
話題を呼んだ。JAZZのレコードのジャケットにも使われたはず。
いかにもヨーロッパってアンニュイな佇まいのお人形さんみたいな子。


はたしてこのような事実があったのであろうか?コンゴ動乱の経緯を見ていきたい。


 ベルギー領コンゴ。かってはベルギー国王レオポルド2世の私領、コンゴ自由国と呼ばれていた。
そのコンゴ自由国時代、レオポルド2世はコンゴ人に対して苛烈な統治を敷いた。
人頭税を課され、ゴム園で強制労働をさせられたコンゴ人は、ノルマに達しないとその右手を切り落とされた。
切られた手は腐らないように煙でいぶして燻製にして、ベルギー人官吏に供出されたという。
そうした統治が国際社会の批判を浴び、レオポルド2世はベルギーにコンゴを譲渡した。
(自由国時代のコンゴを舞台にした小説がコンラッドの『闇の奥』である。
『闇の奥』はその後映画『地獄の黙示録』の原案となった)
ベルギー領コンゴ時代は行政機構が整備され、かってのような厳しい統治は行われなかったが、
引き続き白人による黒人支配は続いて行った。
 1950年代後半。アフリカ各地で起こった独立に刺激され、コンゴでも独立運動が起こった。
1959年1月、コンゴの首都レオポルドビル(現キンシャサ)で暴動が起き、
慌てたベルギー政府はコンゴの独立を認める方向に動く。
1960年1月に行われたコンゴ人勢力との円卓会議で、わずか半年後に独立することがが決められた。
 そして1960年6月30日。首都レオポルドビルで独立式典がとりおこなわれた。
式典にはベルギー国王ボードワンも出席したが、パレードの最中に群衆から飛び出した黒人男性が
ボードワンが腰に刺したサーベルを盗み取ってしまうという事件が起きたり、
式典のあいさつで独立コンゴ首相のルムンバは、国王の面前でベルギーを非難する演説をするなどし、
かっての宗主国ベルギーの権威は、独立を機に地に堕ちていたのである。
ボードワン国王は鼻白んで予定を早め帰国してしまったという。
こうしてコンゴは独立した。

 独立したコンゴだが、早急な独立だったことから黒人側の国家運営準備はまったく整っていなかった。
特にコンゴ公安軍(国軍)は将校・下士官の大部分をベルギー人で占められていて、
黒人で最高位は准尉が数名だけという状況であった。
独立からわずか4日後の7月4日。コンゴ人兵士は変わらずベルギー人将校が支配する軍の状況に不満の声を上げ始めた。
しかしベルギー人将軍ジャンセンは翌5日、公安軍兵士を集めて黒板に「独立前=独立後」と書いて、
今まで通りベルギー人が軍を支配すると演説した。
だが、その演説がコンゴ人兵士の怒りに火をつけてしまう。
レオポルドビルから150キロ離れたチスビルでは黒人兵士が反乱を起こし、
街へ出て白人女性を強姦し、男性へ暴力を加えていった。
兵士たちの暴動に慌てた首相のルムンバは、白人将校を解任し、
黒人兵士全員を一階級昇進させると表明して事態の収束をはかるが、
暴動は治まることなくコンゴ各地に広まり、公安軍兵士を中心とした黒人による
白人への暴行・凌辱行為が随所で繰り広げられることになる。。

コンゴ動乱における白人への暴力行為は、ベルギー政府が立ち上げた
「コンゴでの肉体的暴行に関する調査委員会」作成による報告書に詳しく記されている。
報告書に書かれた内容とは…
 
 あるベルギー人夫人は自宅に侵入した数人の黒人兵に寝室で交互に暴行を受け、
数時間後には別に十数人の黒人兵が踏み込んできて、順番に暴行していった。
夫や子どもたちの前で暴行された女性も多数いた。また複数の妊婦も黒人兵に暴行されている。
さらには出産直後で身動きできない女性にも暴行が行われた。
14歳の少女にも暴行が行われ、助けにいった母親もまたナイフで脅されて暴行された。
ある女性は娘を守るためみずから身体を差し出したが、結局娘も暴行されてしまった。
ベルギー人将校夫人は3人の子どもが泣き叫ぶ前で、無数の黒人兵に暴行された。
兵士たちは1列になって暴行の順番を待っていたという。子どものうち11歳の娘も数回暴行されている。
また別の将校夫人は陰毛を毟り取られて口に押し込まれたり、別の女性は陰部に歯磨き粉を押し込まれた。
手りゅう弾を陰部に押し込まれた女性もいた。
屋外で凌辱された女性も多かった。衣服を剥ぎ取られ、全裸にされてムチを打たれたり、
群衆の面前で子どもを抱いたまま暴行された女性もいる。

母親を助けようとした少年が銃で撃たれて殺されたり、
子どもを助けようとした母親が、顔や腕をタバコの火で焼かれるといったことも起きている。
レオポルドビルのホテル「メトロポレ」ではベルギー人の将校や役人が監禁され、白人女性は暴行された。
 当時コンゴには数多くの白人宣教師と尼僧が布教活動に訪れていたが、彼女たち尼僧も暴行の対象となった。
修道服をズタズタに引き裂かれて暴行されたり、刑務所に閉じ込められて暴行を受けたり、
意識を失っても繰り返し暴行を受けたものもいた。
 女性たちはそれぞれ数回から十数回、多いもので20回あまりもかわるがわる暴行されていて、
失神したり、裂傷や性病にかかるものが多かったという。暴行の対象となったのは公安軍将校家族や尼僧が多かった。
 一方、白人男性達は肉体的暴力を受けた。刑務所に入れられ殴る蹴るの激しい暴力を受けた。
有刺鉄線の上を裸足で歩かされたり、小便を無理やり飲まされたりもしている。
またある刑務所では数百人の白人が、無理矢理刺青を入れさせられたりもしている。
 殺害されたり行方不明になった白人も多くいたが、暴行された人数とともに、その正確な被害の実態は不明である。。

 この報告書に記された内容は、後にベルギーが軍事介入したことを正当化するために作られた面もあることや、
恐怖にかられ噂が噂を呼ぶ中で語られた真偽不明の話も多く、すべてが事実であるとは言えないが、
動乱直後に多くの白人女性たちが、黒人兵たちに激しい暴行を受けたことはまぎれもない事実である。
ただし、一方では暴行が起きなかった地域も多かったし、暴行に加わらなかったり、
白人を守ったり救い出した黒人兵や住民も数多くいたこともまた事実である。

 黒人兵の暴動により、コンゴ各地のベルギー人はじめ白人たちは恐怖にかられパニックになり、
首都のレオポルドビルや隣国のコンゴ共和国(元仏領コンゴ)、北ローデシア(現ザンビア)等へ次々と避難を始めた。
(避難途中で暴行を受けるものも多かった)
ベルギー本国への帰国を希望する者も多くいたため、ベルギー政府はサベナ航空機で脱出者をピストン輸送を行う。
 こうした事態にベルギー政府は、コンゴ国内の自国民保護を名目にベルギー軍介入を決め、
7月10日、レオポルドビルの首都駐留軍や本国からの落下傘部隊(レッドベレー)を投入し、
ルルアブルやカタンガ州など各地でベルギー人を保護・救出していく。
しかしベルギー軍の介入は、コンゴ政府や国連から非難を受けることに。(コンゴ政府の承認なしに軍事介入したため)
その国連は、国連軍の派遣を決めコンゴに送り込んだ。
国連軍は治安の回復に努め、コンゴ国内の暴動は次第に鎮静化していった。
(国連軍兵士の中に暴行や略奪をしたものが数多くいた。今日でもPKO隊員による犯罪が起きるが、
それは途上国の兵士が安い報酬で、士気とモラルが低いまま送られてきていることが原因である)
 治安が回復すると、一度は避難したベルギー人たちもコンゴへ戻ってきた。
ベルギー軍もコンゴから分離独立を宣言したカタンガ州を除き、順次撤退していった。
(カタンガ州は資源が豊富で外国資本が多く入っていて、白人住民が多かった。
カタンガ州知事チョンベが分離独立を企図したのは、ベルギーや欧州系採掘企業が裏で糸を引いていたという指摘もある)
 
 黒人兵の暴動は沈静化したが、先に述べたカタンガ州の分離独立紛争や、民族間の対立が各地で勃発する。
さらにはコンゴ政府内の内紛で首相を解任されたルムンバが逮捕され、やがて殺害されてしまう。
それに対しルムンバ派は東部で反乱を起こし、スタンレービル(現キサンガニ)を占領するなど内戦状態に突入。
国連軍にチョンベが雇った白人傭兵も交え、コンゴ国内は激しい動乱の渦に巻き込まれていく。。
 1961年の11月には、国連軍のイタリア空軍パイロット12名が、キンドウの町で反乱軍に捕えられ、
生肉をはがれながら殺害されるという事件が起きた。
パイロットの肉は川に投げ捨てられたほか、その大部分は市場で売られ住民が食べたという…
 コンゴの混乱は1963年にチョンベが亡命して、カタンガ分離独立紛争が終結するまで続くのである。

さて、冒頭に記したベルギー人スチュワーデスへの強姦事件であるが、
たしかに白人女性への凄惨な暴行が、コンゴ独立直後に多数発生したたのは間違いないが、
サベナ航空の客室乗務員が暴行を受けたという確かな資料を確認することはできなかった。
当時サベナ航空の客室乗務員が、コンゴ国内にいたことは確かであろうが、暴行の対象となったかは定かではない。
それに、独立式典後の夜に暴動が起きたとなっているが、実際に暴動が起きたのは7月5日からである。
(当日は国王が滞在していたわけで、さすがに厳重な警備がなされていたと思われる)
ただ、国連軍が駐留し暴動が沈静化した8月になって、コンゴ軍兵士と国連軍との間に衝突が起きているのだが、
その際にレオポルドビル飛行場にいたサベナ航空のベルギー人職員数人が、
空港建物に1時間ばかり監禁されるという事件が起こっている。(読売新聞1960(S35).8.19)
このことから、コンゴ動乱におけるベルギー人客室乗務員暴行事件とは、
このサベナ航空職員監禁事件と、各地で起こった白人女性への強姦とが混じって語られたものだと推察される。

暴動が沈静化した後はコンゴに戻ってきた白人たちだが、4年後にはさらに恐ろしい経験をすることになる…

コンゴ動乱◆.好織鵐譟璽咼詛鮨与夕岨件と白人虐殺(第2次コンゴ動乱)

◎参照サイト
コンゴ動乱 wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3...
元老院議員私設資料展示館 
 ・コンゴ動乱 http://www.kaho.biz/congo.html
 ※他コンゴに関するページ有

◎参考文献
『コンゴ』石坂欣二 二見書房

『コンゴ独立史』C.ホスキンズ みすず書房

『現代アフリカ・クーデター全史』片山正人 叢文社

『新書アフリカ史』宮本正興・松田素二 講談社現代新書

『アフリカ史』川田順造 山川出版


◎コンゴ関連図書
『闇の奥』J.コンラッド 光文社古典新訳新書

『「闇の奥」の奥』藤永茂 三交社

『コンゴ傭兵作戦』片山正人 朝日ソノラマ文庫

『黒い国の白い傭兵-コンゴ残虐戦記』ハンス・ゲルマニ 早川書房

『モブツ・セセ・セコ物語』井上信一 新風舎

『世界最悪の紛争「コンゴ」』米川正子 創成社新書

『ジェノサイド』高野和明 角川書店
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