アニメや漫画、小説などの登場人物の性格について台詞や行動をもとに性格診断し、予想を書き出してまとめるwikiです。キャラクターの性格と人間関係を考察したり、創作論に役立てることを目的としています。
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Tiが他者や本に書かれてあることを素直に受け入れないのは納得できないからでも理解できないからでもない客体の価値判断によって自分を矯正されるのが嫌だから、実はこれが本心だから能力的に十分理解出来ることでも論理的に筋が通ってることでも自分にとって望ましくない変化を齎しうるのであれば拒むわけよ内容を精査した上でそれが望ましい変化に繋がると分かれば素直に受け入れるよ論理的思考に強いのはFeによるレトリック(これは十分な教育を受けてきた層に多い)やTeによる緻密な設計であってTiではないある意味ではTiとは共感の究極系とも言えるのかもしれない(判断そのものを自分の内面に取り込むという意味で)
逆張りってことか?Ti Domだが自分が凝り固めて停滞した結論を論理的に否定される瞬間が人生で一番カタルシスあって爽快感あるわ、同意できん『十分な教育を受けたFe』って『良質な教育で第三以後までアクセスしたFe』を思い浮かべてるのかもしれんがそれ要するにTiだよな正直Tiの印象をTe Infと混濁させているように見受けられる
たのむ。続きの議論をみたい。
自分の思考を他者によって論理的に否定されることにカタルシスを感じるのであれば他者の評価を優先してる時点でFe優勢じゃないのか?Ti優勢の場合外部の情報や他者の批判によって自分の思考を修正するという作業を行うことによって、より良い思考に繋げられた時にカタルシスを感じるものだと思うつまるところ思考そのものの修正を目的としてるのであってそのための方法に関しては特段こだわりがないわけだ論理的に正しかったとしても自分の中のスキームと不整合があったり自分が受け入れることによって生じるデメリットが大きければ受け入れない、それだけの話自分の思考のパフォーマンスを全体的に高めてくれるかどうかが焦点なのであり局所最適解としての正しさが担保されたとしてもそれを受け入れるかは別問題
難しく考えすぎじゃないか?よく読めばわかるが自分もfUg4Db948wもほぼ同じ内容を指してTiだと言ってるぞ相違点はTiの内容を『正しい』か『自分にとっての適解である』かを重視するものだと思ってるかが違うってとこ、しかもこのどちらも十分にTiの範疇に入ると言って良いただ、やっぱり『自分を矯正されるのが嫌』だとか『自分にとって望ましくない変化を齎しうるのであれば拒む』って点はTeが弱く見えるなTiを理解してないというよりやはりTiとFiの特性をごちゃ混ぜにしてるように見える
>>『自分を矯正されるのが嫌』だとか『自分にとって望ましくない変化を齎しうるのであれば拒む』って点はTeが弱く見えるな>>Tiを理解してないというよりやはりTiとFiの特性をごちゃ混ぜにしてるように見えるこれには同意自分もTiDomだが、そもそも「自分にとって望ましい/望ましくない」という価値判断基準がない最適解が得られそうであればどんな判断でも受け入れて参照→修正を繰り返すだけ
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Tiが他者や本に書かれてあることを素直に受け入れないのは納得できないからでも理解できないからでもない
客体の価値判断によって自分を矯正されるのが嫌だから、実はこれが本心
だから能力的に十分理解出来ることでも論理的に筋が通ってることでも自分にとって望ましくない変化を齎しうるのであれば拒むわけよ
内容を精査した上でそれが望ましい変化に繋がると分かれば素直に受け入れるよ
論理的思考に強いのはFeによるレトリック(これは十分な教育を受けてきた層に多い)やTeによる緻密な設計であってTiではない
ある意味ではTiとは共感の究極系とも言えるのかもしれない(判断そのものを自分の内面に取り込むという意味で)
逆張りってことか?
Ti Domだが自分が凝り固めて停滞した結論を論理的に否定される瞬間が人生で一番カタルシスあって爽快感あるわ、同意できん
『十分な教育を受けたFe』って『良質な教育で第三以後までアクセスしたFe』を思い浮かべてるのかもしれんがそれ要するにTiだよな
正直Tiの印象をTe Infと混濁させているように見受けられる
たのむ。続きの議論をみたい。
自分の思考を他者によって論理的に否定されることにカタルシスを感じるのであれば他者の評価を優先してる時点でFe優勢じゃないのか?
Ti優勢の場合外部の情報や他者の批判によって自分の思考を修正するという作業を行うことによって、より良い思考に繋げられた時にカタルシスを感じるものだと思う
つまるところ思考そのものの修正を目的としてるのであってそのための方法に関しては特段こだわりがないわけだ
論理的に正しかったとしても自分の中のスキームと不整合があったり自分が受け入れることによって生じるデメリットが大きければ受け入れない、それだけの話
自分の思考のパフォーマンスを全体的に高めてくれるかどうかが焦点なのであり局所最適解としての正しさが担保されたとしてもそれを受け入れるかは別問題
難しく考えすぎじゃないか?
よく読めばわかるが自分もfUg4Db948wもほぼ同じ内容を指してTiだと言ってるぞ
相違点はTiの内容を『正しい』か『自分にとっての適解である』かを重視するものだと思ってるかが違うってとこ、しかもこのどちらも十分にTiの範疇に入ると言って良い
ただ、やっぱり『自分を矯正されるのが嫌』だとか『自分にとって望ましくない変化を齎しうるのであれば拒む』って点はTeが弱く見えるな
Tiを理解してないというよりやはりTiとFiの特性をごちゃ混ぜにしてるように見える
>>『自分を矯正されるのが嫌』だとか『自分にとって望ましくない変化を齎しうるのであれば拒む』って点はTeが弱く見えるな
>>Tiを理解してないというよりやはりTiとFiの特性をごちゃ混ぜにしてるように見える
これには同意
自分もTiDomだが、そもそも「自分にとって望ましい/望ましくない」という価値判断基準がない
最適解が得られそうであればどんな判断でも受け入れて参照→修正を繰り返すだけ