鈴木輝昭と、千原英喜の合唱作品を掘り下げるWiki。

混声合唱とピアノのための「わたくしという現象は

曲データ

編成SATB+Pf.
演奏時間ca.28'00"
わたくしという現象は(春と修羅・序)ca.12'30"
新しい風のように、爽やかな星雲のようにca.8'00"
エピローグ:なつかしき地球はいづこca.7'20"

初演データ

初演日2012年12月9日
初演演奏会一橋大学津田塾大学合唱団ユマニテ第50回記念定期演奏会
初演会場府中の森芸術劇場どりーむホール
初演指揮小林雄大
初演ピアノ緒形宏子
初演合唱一橋大学津田塾大学合唱団ユマニテ

備考

初演時の題は、混声合唱とピアノのための組曲「新しい風のように、爽やかな星雲のように」。

作品について

宮沢賢治の詩に作曲したもの。以下に引用した詩以外にも「応援歌」からの引用もある。

春と修羅・序

生徒諸君に寄せる

なつかしき地球はいづこ

作曲者コメント

序(「春と修羅」より)宮沢賢治がこの「序」を書き上げたとき、彼は上機嫌で弟たちに読み聞かせ、「この序文には相当自信がある。後で識者に見られても恥ずかしいものではない」(筑摩書房版/宮沢賢治全集より)と語ったといいます。ならば曲も私にとっての"相当の自信作"とならねば、とのプレッシャーです。彼の溢れ出るイメ−ジとユーモアを、多彩に、ダイナミックに音化してゆきたいと作曲しました。賢治の詞/語彙に触発され到来するヴィジョン(正しい解釈というものではなく、私流に)は思いがけなく、楽しいものです。たとえば、冒頭「ばるこく/ばららげ―」は(挿入文によるイントロダクション)賢治の心象の底に蠢き、心の表層にマグマのようにブクブクと明滅、噴出する修羅たちの様子ですが、これは私の中で神社の、わっしょいわっしょい、の神輿祭りの音風景と重なっています。曲コーダでは、人や銀河や修羅や海胆、孔雀や大学士たち―オールスターズ・メンバーによるCRAZYでJAZZYな"TAKE5"的輪舞(ロンド)―宮沢賢治劇場の大団円―を思い描いています。
新しい風のように、爽やかな星雲のように詞は盛岡中学校交友会雑誌への寄稿文としてスケッチしていたものです。賢治の肉声を―彼が教壇に立って、たかだかとした精神で力強く話しかけるのを聞く思いがします。ホットな音楽で作曲したいと思いました。「この四ケ年がわたくしにどんなに楽しかったか/わたくしは毎日を鳥のように教室でうたってくらした―」と、内省的にヴォカリーゼと朗読で静かに開始し、やがて「新しい風のように―」の歌の主部となります。さて付曲する詩行、文章量はかなり多めです。これを通常の「歌唱」に当てはめていては演説者の高揚してゆく口調を、めらめらと燃え上がる情熱を上手く表現できません。ならばラップ(rap music)風に喋らせ、歌わせてみようと考えました。Rapper―Kenjiの誕生です。
エピローグ / なつかしき地球はいづこ何か仏教的な事柄が関係しているのでしょうか、内容については今ひとつ分らないところもあります。夢の中のテレポーションでしょうか、それとも臨死体験による幽体離脱?―しかし確かに賢治は実世界と異空間を行き来することが出来た人なのです。作曲家もこうでなくてはいけません。詞の意味を私は、美しい地球が文明によって蝕まれて行くのを詩人は大気圏上空から眺め悲しんでいる、と理解します。さらに、いまだ地球への帰還がかなわず宇宙を漂う、あの小惑星探査機「はやぶさ」のけなげな姿も重なってきます。せつなさ、見果てぬ夢――。この曲にはそんな思いを込めつつ、映画スクリーンのエンドロールに流れる音楽と言いましょうか、第一曲と第二曲と豊饒な賢治ワ−ルドの余情を楽しむ音楽であれ、と作曲しました。さて、賢治が愛した地上の風景の一つに花巻の「イギリス海岸」があります。冒頭に流れるメロディーはこの名称の語感から湧いたものです。音楽用語でall’inglese(アッリングレーゼ=イギリス風)といいます。

楽譜・音源

全3曲で構成される。宮沢賢治の世界を現代的書法で表現し、日本的なものを大切にする作曲者ならではのこだわりが感じられる。叫び声を取り入れたりナレーションをいれたりと様々な工夫もあり、ステージ効果の高い仕上がりとなっている。グレード:中級 演奏時間=約25分
立ち読み可



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