ココネ なう。 - 助動詞 can
目次に戻る



助動詞 can(2011.04.23)


こんばんは。
満席ですので、授業をはじめます。
今日は久しぶりに文法です。
文法といっても can に注目してみたいと思います。

オバマ大統領の Yes, we can. は有名な標語ですね。
よく can は「できる」で能力を表すというふうに理解されています。
でも、can の本質を押さえるには、can = 能力、では限界があります。

Can I have the check, please?
「勘定をお願いします」ということですが、能力とは関係ないですね。
また、How can you be so stupid! だと「なんてそんなにばかなんだ!」という意味合いですが、
ここでも can は能力とは関係ありません。

では、can のコアは何か?
それは「実現可能性を表現する」というものです。

オバマの Yes, we can! は「やろうと思えば、実現可能だ」という意味です。

骨折して病院に入院したとします。
だいたい治ったところで、医者が
You can go home now.
と言ったとします。
この You can go home now. は「帰宅することが可能だ」ということですね。
先ほどの
How can you be so stupid!
これも「どうしてそんなにばかげたことが可能なんだ!」といった意味合いです。

もちろん「能力」は「実現可能性」の一部ではあります。
He can buy a new computer.
といえば「彼は、新しいコンピュータを買うことができる」という内容で、
彼にはそうした能力がある、という話し手の判断を表しています。
でも、よく考えてみれば、
「買うことができる」ということは、「買うことが可能だ」ということでもあるんです。

だから、 can を理解するためには
「能力(ability)」というより「可能性(potential / possibility)」に注目する必要があります。


can の使い方を「実現可能性」という観点でみていくと、
行為の実現可能性と状況の実現可能性の2つがあることがわかります。

行為の実現可能性は、
「〜することが可能だ」
「事情がゆるせば〜は可能だ」
「許可がおりたので〜は可能だ」
(疑問文で)「〜は可能かと相手に問う」
この最後の例は、
Can I open the window?
だと「許可」の意味に、
Can you open the window?
だと「依頼」の意味になりますが、
いずれも「窓を開けることは可能か」と相手に問うているのです。つまり、
Can you open the window?
はあなたは窓をあける能力があるかを問うているのではなく、
あなたは窓を開けることが可能かと問うているのです。
We can go hiking if the weather is nice.
これは「事情が許せば、〜は可能だ」の例です。
You can stay up until 11:00 on weekends.
と母親が子どもに言う際には、「そうしてもいいよ」という許可の意味合いですね。
You can use my computer.
も同じです。

ここまでを整理すると、can のコアは「実現可能性」です。
そして何が実現可能か、いえば「行為の実現可能性」と「状況の実現可能性」がある。

そして、「行為の実現可能性」には
(1) 〜することが可能だ(できる)
(2) (事情が許せば)〜は可能だ、
(3) (許可がおりるので)〜は可能だ(〜してもよい)、そして
(4) (疑問文で)〜は可能かと相手に問う(依頼、許可)
の4つがあります。
最初の「〜すつことが可能だ(できる)」については「能力」だと考えてもかまいません。

では「状況の実現可能性」とは何か?これも分類すれば3つあります。
(1) (肯定文で)〜でありうる
(2) (否定文で)〜のはずがない
(3) (しばしば否定を伴う疑問文で)一体〜だろうか、
この3つです。

具体例を挙げておきます。
Watching TV can be boring.
これは「テレビを観るのは退屈な場合がありうる」ということで、
そうした状況の実現可能性を表現したものです。
In Japan, a baseball game can end in a tie.
といえば、「日本の野球では、試合が引き分けで終わることがありうる」ということですが、
そういう状況の実現可能性を表現していますね。

2つ目の例ですが、
That can't be true.
「そんなはずがない」ということです。
That can be true. という言い方はあまり耳にしません。
「本当かもしれない」だと
That may be true.
「本当にちがいない」だと
That must be true.
という表現があるからです。
can の場合は「そんなはずがない」ということで、can't be true が一般的ですね。

3つ目は
Who can it be?
「あれはだれかしら」といった意味で使いますが、やや特殊な用法だといえます。
慣用的にはいろいろありますね。
What can I do for you?
店員が「いらっしゃいませ」の意味で使うのが What can I do for you? ですが、
「私にできることはありますか」というのが英語的な発想です。
Come on, you can do better than that.
これは「ほら、もうちょっと頑張れるんじゅない」という激励の言葉ですね。
I can hardly wait.
は「待ち遠しくてワクワクしちゃう」という状況にピッタリな表現です。

先ほど、オバマの Yes, we can. にふれましたが、
オバマ大統領が日本に来て Tokyo Speech をしました。
その時、ぼくは共同通信社からの依頼で、オバマの演説を分析するように頼まれした。
文化欄ですが、1頁の4分の3ぐらいのスペースに、
「田中慶應教授、オバマを分析!」という記事が沖縄タイムズ、京都新聞など30社ぐらいに載りました。
その際に、オバマの助動詞の使い方に注目した分析をしました。

例えば、こんなのがありました。
次の文章は、北朝鮮に言及する箇所です。
Instead of gripping poverty, it [North Korea] could have a future of economic opportunity
---where trade and investment and tourism can offer the North Korean people the chance at a better life.
この文章では could と can が絶妙な形で使われています。

内容はこうです。
「執拗な貧困に変わり、経済的機会が持てる将来も実現しようとすれば可能となるだろう、
 そして、そこでは貿易、投資、観光により、
 北朝鮮の国民がよいより生活の機会を得ることが現実に可能となる」
という内容です。
「仮にそうなれば」の could と、「現実に実現可能となる」の can が対比されております。
Instead of gripping poverty (執拗な貧困に変わり)、
North Korea could have a future of economic opportunity
この could は「むずかしいけども、仮にそうなれば」という仮想の実現可能性が語られております。
そして、そうした状況がもし仮に可能になれば、今度は現実問題として、
where trade and investment and tourism can offer
貿易、投資、観光が実際に、何かを国民に提供しうる(現実における実現可能性)ことに言及しております。

実は、助動詞は法助動詞と呼ばれます。
英語では、 modal というコトバを使います。
法助動詞といえば、ピントきませんが、
要は modal = mood で、話し手の態度を表明する際の言語的な手段なのです。
助動詞といえば文法チックですが、
話し手の態度を表すといえば、助動詞によって相手の狙いがわかるということになりますね。
can なのか、must なのか may なのか will なのか
こうした選択は、話し手の態度に依存しております。
これからは、助動詞を話し手の態度という観点から注目してみてみてください。

今日は、これぐらいにします。
can は「実現可能性」であるということをおさえてくださいね。
では、また、さようなら。

目次に戻る