個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。
履歴
初めまして、勘解由小路在種について質問します、メールアドレスにメールを送信しましたが、行き先不明で帰ってきてしまいました。実家の初代はのお墓は勘解由のお墓と言われていて、天正2年に亡くなっています。実家は太田の金山城、新田義貞の新田荘のあたりに有りました。戦いに敗れ、勘解由は何所からか来て、本当の名を名乗ったら殺されてしまうので自分の城があった土地の名前のを名のったと言い、勘解由と言うのは、百官名だと思っていました。祖母は勘解由は殿様の側に何時もついている学者のような人で武士ではなかったと言い、軍師という人が居たのだと、後年、テレビで見て解りそういう人だったのかなと考えて居ました。菩提寺の住職は、戒名から、昔の人は此の人の事を宇宙人のように思っていたと言い。口伝で伝わる内容から、暦、日蝕、勘解由など検索して、暦道家で勘解由小路という姓が有るのだと解りました。此の人は灌頂を受け真言宗の僧侶になっていたと思われます。勘解由小路在種の実父は近畿で僧呂になっていたと有りますが、真言宗の寺でしょうか、近畿の寺と言うのは根来寺ですか?
メールアドレスが死んでおり申し訳ございませんでした。まず、名字としての「勘解由」と「勘解由小路」は全く別物です。「勘解由」は愛知県に多い苗字で、ご実家が太田の金山城ということは二番目に多い栃木の「勘解由」氏と関連が深いと思われます。対して「勘解由小路」は公家の名字で、烏丸家系と歴道系がありますが歴道系は断絶し、烏丸家系が山口に残っているだけです。あと、勘解由小路在種の実父であり「宗江」を名乗るようになった在康は「出家して近畿地方を中心として回っていたらしい」というだけで足取りは全く掴めておらず、寺に関する記述もありません。
新規にコメントを書く
画像に記載されている文字を下のフォームに入力してください。
利用規約をご確認のうえご記入下さい
管理人/副管理人のみ編集できます
コメント詳細
初めまして、勘解由小路在種について質問します、メールアドレスにメールを送信しましたが、行き先不明で帰ってきてしまいました。
実家の初代はのお墓は勘解由のお墓と言われていて、天正2年に亡くなっています。
実家は太田の金山城、新田義貞の新田荘のあたりに有りました。
戦いに敗れ、勘解由は何所からか来て、本当の名を名乗ったら殺されてしまうので自分の城があった土地の名前のを名のったと言い、
勘解由と言うのは、百官名だと思っていました。
祖母は勘解由は殿様の側に何時もついている学者のような人で武士ではなかったと言い、軍師という人が居たのだと、後年、テレビで見て解りそういう人だったのかなと考えて居ました。菩提寺の住職は、戒名から、昔の人は此の人の事を宇宙人のように思っていたと言い。
口伝で伝わる内容から、暦、日蝕、勘解由など検索して、暦道家で勘解由小路という姓が有るのだと解りました。
此の人は灌頂を受け真言宗の僧侶になっていたと思われます。勘解由小路在種の実父は近畿で僧呂になっていたと有りますが、真言宗の寺でしょうか、近畿の寺と言うのは根来寺ですか?
メールアドレスが死んでおり申し訳ございませんでした。
まず、名字としての「勘解由」と「勘解由小路」は全く別物です。
「勘解由」は愛知県に多い苗字で、ご実家が太田の金山城ということは二番目に多い栃木の「勘解由」氏と関連が深いと思われます。
対して「勘解由小路」は公家の名字で、烏丸家系と歴道系がありますが歴道系は断絶し、烏丸家系が山口に残っているだけです。
あと、勘解由小路在種の実父であり「宗江」を名乗るようになった在康は「出家して近畿地方を中心として回っていたらしい」というだけで足取りは全く掴めておらず、寺に関する記述もありません。