個人的な備忘録。事実と妄想は峻別していきたい。

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妹尾河童の『少年H』を読んだ。今、この時点で読んだからこそ「何を言っているんだ、お前は」ぐらいの気分で済んでいるが、もしこれを「日中戦争で日本軍があれだけ中国の諸都市に爆撃を敢行していた」という事実を知らない時点で読んでいたらすっかり「アメリカはひどいやつだ」などという反連合国思想に囚われていただろう。特に、子供の頃に読んでいればそういう思想に染まっていたに違いない。
で、この本がいつ書かれたのかを見ると、1997年である。
私は文章の内容からてっきりもっと以前、それこそ1970年代に書かれた本ではないかという漠然とした予感を持っていたので驚いた。90年代の書籍とは思えなかったからだ。1997年刊行ということは子供の頃の自分が読む可能性はなく一安心である。
しかし、90年代後半に書かれた本でも南京陥落前後の日本軍による爆撃に対する日本を包んでいたあの高揚感の話はばっさり削られているのだなと思った。まあ、作者の妹尾河童は1930年生まれなので、7歳ぐらいの時に起こった上海南京戦争時の爆撃の雰囲気が分かっていたかというと微妙であるが。
そう考えてみると、本土が空爆によって焦土化した頃に少年時代を過ごした人々は上海南京戦争の時に日本がどれだけ中国に爆撃を行ったか実感がないはずである。となると、彼らはまるで自分たちが一方的にやられたようにしか理解しておらず、それが戦中少年派とでも呼ぶべき人々の思想を定めた可能性が高い。

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備忘録本編

「獲加多支鹵」の読み方について
銅鐸時代

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