最終更新: arahito_tajima 2011年12月14日(水) 20:48:39履歴
この章では「官制としての咒禁師」としてまずは隋唐の咒禁師、次いで日本の咒禁師に関わる官制を紹介していきたい。主に律令を中心とした話になる。
隋、唐ともに官制上の咒禁師は太醫署と呼ばれる部局に存在していた。
太醫署は隋唐ともに大常寺に存在するのだが、唐ではそれに加え殿中省の尚薬局にも咒禁師が存在している。
大常寺というのは寺の名前ではない。「寺」という漢字が仏教の寺院を表すようになったのはもっと後のことで、当時は単に役所という意味である。
まず、咒禁師の所属する太醫署について概略を説明したいのだが、太醫署の話を行う前に少しだけ古代中国の執行機関、九寺と六部の説明をしておこう。
隋、唐ともに官制上の咒禁師は太醫署と呼ばれる部局に存在していた。
太醫署は隋唐ともに大常寺に存在するのだが、唐ではそれに加え殿中省の尚薬局にも咒禁師が存在している。
大常寺というのは寺の名前ではない。「寺」という漢字が仏教の寺院を表すようになったのはもっと後のことで、当時は単に役所という意味である。
まず、咒禁師の所属する太醫署について概略を説明したいのだが、太醫署の話を行う前に少しだけ古代中国の執行機関、九寺と六部の説明をしておこう。
九寺の「寺」とは寺院のことではなく、役所のことである。寺とはそもそも役所のことを意味し、仏教の寺院を意味するようになったのが後なのだ。
古代における支那の執行機関は九寺と六部に分けられる。
秦・漢の時代には九寺が執行機関であったが、魏の頃から尚書省が実権を奪い、六部と呼ばれる尚書省の下部組織が執行機関となっていったのである。
古代における支那の執行機関は九寺と六部に分けられる。
秦・漢の時代には九寺が執行機関であったが、魏の頃から尚書省が実権を奪い、六部と呼ばれる尚書省の下部組織が執行機関となっていったのである。
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