ロシア宗教
ロシア・スラヴの民間伝承にもウピオルと呼ばれる吸血鬼の原型といえる悪魔的存在がある。
1929年当時ロシア・カルパチア地方と呼ばれた、現ウクライナ・カルパチア地方(ザカルパッチャ州)において集された呪術・儀礼・俗信には、スラブ吸血鬼ウピールの変種のひとつ「ヌチニーク」があった:
なお、現ウクライナ・カルパチア地方では、それなりにウピオルの存在は信じられており、
ロシア・スラヴの民間伝承にもウピオルと呼ばれる吸血鬼の原型といえる悪魔的存在がある。
ウピオル[Upiór, Упырь]は、スラヴ語とテュルク語の民間伝承に登場する悪魔的な存在であり、吸血鬼の原型である[1]。ウピオル信仰は、ヴォルガ川(イティル川)周辺地域とポントス川のステップ地帯に起源を持ち、キプチャク・クマン人の移住を通じてユーラシアのステップ地帯に広まったと考えられている。現代の「吸血鬼」という言葉は、古スラヴ語とテュルク語の「онпыр」(onpyr)に由来し、古ブルガリア語の特徴である大鼻母音(on)の前に「v」の音が加わったもので、ブルガリア語の伝統的な「впир」(vpir)にもそれが表れている。他に、onpyr、vopir、vpir、upir、upierzなどの名称がある[2]。
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. 一般的なスラブ人の信仰では、魂と肉体は明確に区別される。魂は滅びるものではないと考えられている。スラブ人は、死後魂は肉体から抜け出し、永遠の来世へと移る前に40日間、近所や職場をさまようと信じていた。そのため、異教徒のスラブ人は、魂が自由に出入りできるように家の窓やドアを開けたままにしておくことが必要だと考えた。この期間中、魂は故人の遺体に再び入る能力があると信じられていた。前述の精霊たちと同様に、亡くなった魂は40日間の死の間、家族や隣人に恵みをもたらすこともあれば、災いをもたらすこともあった。人が亡くなると、肉体から離れる魂の純粋さと平安を確保するために、適切な埋葬の儀式が重視された。洗礼を受けていない子供の死、暴力や早すぎる死、あるいは重大な罪人(魔術師や殺人者など)の死は、いずれも死後に魂が汚れる原因となった。また、適切な埋葬が行われなかった場合にも、魂は汚れる可能性があった。あるいは、適切な埋葬が行われなかった体は、他の汚れた魂や霊に憑依される可能性があった。スラヴ人は、復讐の可能性があることから、汚れた魂を恐れていた。[3]
死と魂に関するこうした深い信仰から、スラヴ人の「ウブル[Ubır]」という概念が生まれた。吸血鬼は、腐敗した体に憑依した汚れた霊の顕現である。この不死の生き物は、その存在を維持するために生者の血を必要とし、生者に対して復讐心と嫉妬心を持つと考えられている。この吸血鬼の概念は、スラブ諸国とその非スラブ系近隣諸国の一部で若干異なる形で存在しているが、吸血鬼信仰の発展は、スラブ地域におけるキリスト教に先立つスラブの心霊主義にまで遡れる。
[1] Jarosław Kolczyński (2003). "Jeszcze raz o upiorze (wampirze) i strzygoni (strzydze)". Etnografia Polska. 1–2.
[2] Yaltırık, Mehmet Berk; Sarpkaya, Seçkin (2018). Turkish: Türk Kültüründe Vampirler, English translation: Vampires in Turkic Culture (in Turkish). Karakum Yayınevi. pp. 43–49. ~ [3] Perkowski, "Vampires of the Slavs," pp. 21–25
[ wikipeia:Upior ]
1929年当時ロシア・カルパチア地方と呼ばれた、現ウクライナ・カルパチア地方(ザカルパッチャ州)において集された呪術・儀礼・俗信には、スラブ吸血鬼ウピールの変種のひとつ「ヌチニーク」があった:
以上の話には、俗信に登場する妖怪が出てこない。だが、我々が例に引くことのできるものでそういう妖怪の出てくる話もある。次に記すのは吸血鬼(ウピール Upiórもしくはオピール Opiór)にまつわる話である。
「おれたちは六人でトローカ(家畜の牧養場)の見張りに出かけたんだ。十一時ごろ、囲いのそばで忍び笑いが聞こえたと思ったら、人影がよぎるのが見えた。それが吸血鬼だったんだ。奴はトローカに向かって行くと馬を追いまわし始め、自分も馬のようにいなないた。見たのはおれを人れて二人。あとの四人には見えなかった。もっとも、その連中もあとになって気づいたけどね。その四人は初めおれたちを気違い扱いしたけど、吸血鬼を目のあたりに見て、なるほど本当だって言ったよ。吸血鬼はね、人の姿になることもできれば馬とか犬にもなれるんだ。釣をするときは吸血鬼に味見の魚を呉れてやるんだよ。そうしたあとでは荷車一杯分の魚が取れる。・だけど吸血鬼と話してはいけない。恐ろしくってロもきけないけどね」
また別の農夫は吸血鬼について、「吸血鬼は水辺に棲み、水辺で人と行き会うとひどい目にあわせて殺してしまう」とこう言ってから、妻の父親が吸血鬼と出会った話をしてくれた。
「丸太が盗まれるということがあって、親父は鉄砲持って見張りに出かけたんだけど、着くとすぐ、黒い色をした男が川の深みに立っているのが見えたんだ。またあるとき、筏を組んでいて、みんながまだ寝ずに起きていたとき、親父は黒い色をした大男が一人歩いてくるのを見たんだよ。岸辺に出ると男の背丈はいよいよ高くなった。で、親父はその雲衝くような大男を仲間に見せようと呼びに行ったんだ。二人で戻ってみると、そいつはたちまちルム (lum 水辺にある捩じ曲がった木の残骸 ---[ロシア語版では「ルム」を次のように説明している。『曲がった枯木の幹が水面上に垂れさがっているもの』])に変わってしまったのさ」
この農夫が吸血鬼の変わり種であるヌチニーク(夜の精)について語ったことも書きとめてある。
「川岸でヌチニークに出くわすと殺される。ヌチニークを見れば誰でも逃げ出すよ。おれはヌチニークが光るのをよく見たっけ。ヌチニークは光るんだ。岸辺に行って川を渡るんだよ。いつだったか、おれたちは三人で泊まったことがあったんだけど、不意に光が見えてまっすぐこっちへやってくるのさ。渡し守は岸辺で夜を過ごすのがこわいと言って自分ちに逃げ帰ったよ。その光は渡し用の筏の大綱に沿って、一方の岸からもう一方へと川を渡ったんだ。その渡し守だけど、あるとき、大きな板で水を叩くような音をティサ川で聞いている。水に棲む吸血鬼のしわざだろうと言ってるよ」(クリバ村のプロコプの話)。
[ P.G.ボガトゥイリョーフ(千野栄一, 松田州二 訳): "呪術・儀礼・俗信 : ロシア・カルパチア地方のフォークロア", 岩波書店, 1988.2, pp.208-209 (原著 1927)]
なお、現ウクライナ・カルパチア地方では、それなりにウピオルの存在は信じられており、
ウクライナの信仰において、ウピール[Упир]のイメージはカルパティア地方で最も多様である。カルパティア地方では、ウピールは反抗的な死体として現れ、人の血を吸い、牛の乳を奪い、夜に人に危害を加え、未来を予言します[17]。カルパティア地方でのみ、牛乳を盗む「オピリツィ」と呼ばれる女性のウピールが知られており、魔女に類似しています。フツル族には、「月生まれ」のウピールが毎月性別を変えるという伝説がある[18]。
ウピールは、赤い顔や4本の毛を持つ尻尾で見分けられる。人間はウピールとして生まれることもあれば、ウピールになることもある[19]。ウクライナの地では、魔女と悪魔、あるいは魔女と狼男の関係からウピールが生まれると信じられていた。ポジーリャ、キエフ、ポルタヴァの各州では、一家の長男がウピールになる可能性があると信じられていた。当時、長男は「善人」とみなされていた。7歳になるまで、ウピールは歩くことも話すこともできないが、魔女の姿を見たり、その呪いを解いたり、死んだウピールと戦ったりできる[18]。カルパティア地方では、魔女の死後にウピールになるという信仰があり、スロボジャンシチナ地方では「ウィッチャー・ウピール」という有名な表現がある。つまり、ウィッチャーとウピールは同一視されていた[18]。ウピールは、祈りを捧げずに寝た男の血を子供に塗ることで作られる。また、ウピール自身は普通の人間と同じ生殖器を持たないため、不妊である[19]。
夜になると、死んだウピールが墓から出てきて、犠牲者を探しにやって来る。犠牲者は親戚やかつての恋人、隣人などである。また、くしゃみをした人に「お元気で!」と声をかけられなかったり、ウピールが襲い掛かったりすることもある。ウピールは犬、猫、少年[19]、ニワトコの茂み[20]に変身する力を持っており、1匹のウピールが同時に2つの姿に変身することもある[19]。血を飲むだけでなく、犬の姿で人に飛びかかり、無理やり運ばせたりできる[19]。ウピールは女性に何かを尋ね、答えた後に血を飲むこともある。そのため、答えはできるだけ鶏が鳴くまで遅らせるようにと勧められていた[21]。
ウピールには2つの魂があり、片方の魂が体から抜け出しても、ウピールは地上を歩き続ける。ウピールの死後の存在は7年間続くと示唆されることもある。体のどこかに穴の開いた特別な球があり、そこから魂が抜け出る[19]。
ウピールが死ぬと、土砂降りの雨が降り始める。棺の中では毛布を脱ぎ捨て、うつ伏せになり、パイプを吸いながら墓場から生者を覗き見れる[19]。カルパティア地方では、魔女やウピールが朝の礼拝に教会に集まると信じられていた[18]。
ウピールは時折、音楽を奏でながら歩き、踊り、手を叩くなど、楽しい催しを催すが、真夜中過ぎに教会から出てきた者だけがそのような催しを見れる。ウピールを村の周りを3周運ぶか、頭[19]や胸[18]に杭を打ち込むことで、ウピールを追い払えると信じられていた。イヴァン・フランコは、1830年代にナフイェヴィチ村で起きたある出来事を記している。コレラの流行の原因とされるウピールが、人々に見分けてもらうために火の中を引きずり込んだという[10]。ウピールが生者に危害を加えず、ただ夜中に徘徊しているだけなら、墓に杭を打ち込めば十分だった[18]。
[10] Мирон. Сожжение упырей въ с. Нагуевичах // Киевская старина. — 1890. — Т. XXIX. — Кн. 2 — С. 102—120.
[17] Хобзей, Н. (2002). Гуцульська міфологія. Львів: НАН України, Ін-т українознав. ім. І. Крип'якевича. с. 145.
[18] Буйських, Юлія (2018). Перехідні напівдемонічні істоти / Колись русалки по землі ходили... Жіночі образи української міфології. Клуб Сімейного Дозвілля.
[19] Буйських, Юлія (2018). Перехідні напівдемонічні істоти / Колись русалки по землі ходили... Жіночі образи української міфології. Клуб Сімейного Дозвілля.
[20] Агапкина, Т. А.; Усачева, В. В. (1995). Бузина / Славянская мифлогия: энциклопедический словарь. Эллис-Лак. с. 66.
[21] Афанасьев, Александр (1869). Поэтические воззрения славян на природу (рос.). с. 138—139.
[ wikipeia:Упир ]


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