ロシア宇宙主義についてのノート・調べものメモ

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ロシア宗教
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ロシアの邪視

ロシアの邪視の概要

伊東一郎: "ロシア民話と民間信仰", in [本] 藤沼貴(編): "ロシア民話の世界", 早稲田大学出版会, 1991
スラヴ人における邪視信仰
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「邪視」という術語を日本で最初に用いたのは南方熊楠だが、この言葉は、人あるいは物に病気や物理的被害をもたらす「悪い眼差し」のことで、英語でevil eye、ロシア語でдурнойё глазと呼ばれるものである。その信仰は日本を含めて世界中に見出されるが、特に中近東、地中海地方、南アジアに顕著である。またヨーロッパで北部を中心とした全域に見られ、スラヴ圏も例外ではない。スラヴ圏では邪視の影響は人や家畜、物本や物におよび、人についてはそれを発病させたり、場合によっては死に至らせることさえある、とされる。邪視は本人が気づかぬうちに相手に影響を与えていることがあり、このために自分の家畜を自らの邪視で病気にしないように家畜飼育者や牧民は特別の配慮を払う。

人は誰もがいつでも邪視の被害を受ける可能性があるが、幼児・花嫁・妊婦など、誕生、結婚、出産といった通過儀礼的な人生の局面を迎える人間は特に邪視を受けやすいとみなされ、それを避けるために特別の配慮が払われた。
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この例のように邪視によって病をひきおこすこと、あるいは邪視によってひきおこされた病気をロシア語ではそれぞれсглаэитьという動詞、сглазという名詞で表現するが、この二語の用例をロシア語辞典で参照するだけでも、ロシアにおける邪視信仰の広範な普及の一端をうかがうことができよう。

邪視による被害を防ぐためには様々な呪術的行動がとられた。例えばロシアでは野生のケシが邪視よけのお守りとして用いられたし、ポーランドのカシューブ地方では聖別された薬草が同じ目的に使われた。またロシアでは肩ごしにつばを吐くのは一般的に魔よけの動作だが、邪視による被害を防ぐためににもこの動作が用いられたる。また言語的手段としては呪文が用いられた。様々な病気なおしの呪文はロシア・フォークロアの重要な一ジャンルだが、その中に邪視による病をいやす、あるいは防ぐ呪文もしばしば見出される。ここでその一つを訳出しておこう。

神の僕たる我はこの呪文によって封じる---行きずりの人、道ですれちがう人の邪視、凶眼、凶眼の母を、黒髪の、赤毛の人、赤黒い髪の人、妬み深い者、邪視の人、悪い目で女を見る男、灰色の、黒い目を、歯が二本の者、三本の者、妻を二人持つ者、三人持つ者を。アムニトリヤの夕焼けが色あせ消えていった如く、我に吹きこまれたすべての病は神の僕たる私から消え去るがよい。鉄の剣、青い鋼から火打石で火が打ち出されるように、神の僕たる我からすべての病、呪いによる病は我が言葉により打ち出されよ。汝、凶眼、凶眼の母、病と邪視の目よ!神の僕たる我から去り、人も通わず、家畜も歩きまわらず、獣も駆けまわらぬ暗い森の乾いた木に飛んで行くがよい。老婆ソロモーニダ、キリストの産婆よ、汝はキリストに産湯をつかわせ、キリストをとりあげ、我らに丸石を残した。我は我が呪文をあまたの鍵と錠で閉じる。そして我が言葉は石よりも堅く、鋼より鋭い。アーメン・
...
さてここでロシアの邪視信仰に戻ると、術語の問題で注意を向けておかねばならないことがある。それは実はロシア語のсглаэитьには「邪視によって病気をもたらす」という意味のほかに「相手をほめることによって逆に相手に病気や災いをもたらす」という第二の意味があることである。これも都市と農村、階層を問わず、ロシアの民間に広く知られた俗信で、革命前の文学作品ではしばしば貴族階級の言葉にも見出される。例えばチェーホフの「かもめ」ではシャムラーエフがアルカーヂナに「奥さん、あなたはまだお若い:::明るい色の服を着てさっそうとしてらっしゃる、まことの麗人:::」とお世辞を言うと、アルカーヂナはそれを「あなたはまた私をсглаэитьするおつもりね」という表現で軽く受けながしているし、ツルゲーネフの「父と子」では、思わず「なんて素敵な赤ん坊だ,!」と叫んだバザーロフが、あわてて「御心配なく、僕はまだ誰もсглаэитьしたことはありませんから」と弁解している。

この意味でのсглаэитьは、相手をほめたり、あらかじめ成功を予言したりすると、それが自らの潜在的な妬みの表現となり、自分自身の邪視の原因となったり、あるいは悪魔や悪霊の妬みを買い、その邪視によってかえって相手に災いをもたらす、という考えに基づいている。この俗信はロシアだけでなくスラヴ全域に見られるし、さらに広く世界中に見られるものである。南方熊楠は、インドでは、いかに健壮の友に逢っても、これをほめず、かえって不健康そうで気の毒に、とあいさつするのが普通である、という例を引いている。

ここで名詞。こсглаэの語源を考えると、この言葉そのものは明らかに邪視そのものによって相手に災いをもたらすことを原義としているが(сглаэ)、この語が同時に、相手をほめることによって災いをもたらす、という一見無関係の行為をも表現するのは、以上のように相手をほめることが邪視の原因となるからにほかならない。ロシア語のсглаэにあたる語は、ウクライナ、ポーランド、セルビア、プルガリアではурокで、やはり邪視による病と、ほめ言葉による災いを同時に意味するが、これらの語は同じ意味のロシア語方言нарокと共に、逆に「言葉による災い」を原義としている(у-рок)。このことからもスラヴ人において邪視とほめ言葉が、同じ災いをもたらす同一のカテゴリーの行為として考えられていたことがわかる。例えばロシアにおいては、出産後の母親は、六週間の間自分の子供を近親者以外には見せない習慣があったが、それはもし訪問者が新生児を見て、既に紹介したバザーロフの例のように、そのかわいさや健康をほめたりすると、逆に邪視による病をもたらすと考えられたからである。

[伊東一郎: "ロシア民話と民間信仰", in [本] 藤沼貴(編): "ロシア民話の世界", 早稲田大学出版会, 1991, pp.51-55
邪視と命名

ところでこの俗信に関連して触れてきたいのが、ロシア人の姓の一部に見られる邪視よけの命名の残滓である。典型的な例をあげれば、十九世紀の市民派詩人の代表として知られるネクラーソフの姓は、Некрас「不器量な子」という名に由来しているが、このような奇妙な名は、新生児が悪霊の妬みを買い、その邪視の被害にあうことがないように、と両親が子供に対する自分の望の逆を意味する名を故意につけたものである。このような名はロシア語профилактическое имяと呼ばれるが、この種の命名に由来するロシア人の姓はかなりの数にのばる。例えばГоревという姓は子供の幸福を願う両親が逆に子供につけたГореという名に由来するし、Нелобовは「かわいくない子」を意するНелобに、またトルストイの「復活」に登場するНехлюдовの姓は、Неклюдовと共に、「不恰好な子」を意味するНехлюд, Неклюдに由来する。

同様にを避けるために両親との関係が疎遠であるかのように表現する命名からもいくつかの姓が生まれた。例えばНежданов, Нечаевは、「欲しくなかった子」を意味するНеждан, Нечаиに由来するし、Ненашев, Найдёновは、それぞれ「よその子」、「ひろわれっ子」を意味するНенаш, Найдёнに由来する。後者の二つの名は、生まれた子供が病気がちの場合、その子の父親か祖父がその子を家から一旦連れ出し、一定期間の後に家に戻し、その際にこれらの名で子供を呼んだ、という習俗に由来している。こうすれば悪魔はその子を別の子と思い、その子から離れるため、その子は以後邪視による病気をまぬがれる、と考えられたのである。ちなみにНенашは「悪魔」の異称でもあり、悪魔そのものの指小形Беско, Черткоと共に、悪魔が悪魔を邪視で損なうことはない、という考えから幼児につけられた名である可能性もある。後者の二つの指小型からはБесков, Чертковという姓が生まれている。

邪視を受けて病気にならないように、という願いを直接表現しているのは、新生児がかかりやすい病名を逆に子供に与える習慣で、Нароковという姓は文字通り邪視による病気一般を意味するНарокから生まれている。個別的なものでは、Золотухинという姓はЗолотуха「るいれき」(頭部リンパ節結核)という病名に、ЖелтухинはЖелтуха(黄疸)に由来する。

同様に、寝つきのを子にならないように、という願いがらつけられたБессонという名からБессоновという姓が、くしゃみをしないように、という願いからつけられたЧохという名からЧоховという姓が生まれた。ちなみに後者の姓は後にЧеховとつづられるようにな0た為、チ=コ人を意味するЧехに由来するЧеховと区別がっかなくなったが、作家アントン・チェーホフの姓はこの邪視よけの名に由来する姓である(知られている限りではチェーホフの祖先にチェコ人はいない)。
...
このような邪視よけの配慮は、既に述べたように幼児にのみ払われたわけではない。結婚の時期は、誕生時とならんで最も邪視を受けやすい人生の局面と考えられた。このため結婚式には魔術師を儀礼的に招待し、その妬みを買うことのないよう配慮をしなければならなかった。婚礼衣装のかぶりものは邪視よけのためとも考えられるし、スムチョフによれば、地方によっては花嫁や妊婦を隠したり、網でおおったりする呪術的行動がとられたという。さらに花嫁を意味するロシア語невестаの語源を「見知らぬ女」Неизвестнаяと解するならば、そこに幼児の場合に見られたおうな邪視を避けるための命名と見てとることができよう。...

[伊東一郎: "ロシア民話と民間信仰", in [本] 藤沼貴(編): "ロシア民話の世界", 早稲田大学出版会, 1991, pp.55-58

どのような目が邪視をもたらすか

ロシアでは魔女や魔術師などの目は確実に邪視をもたらすとされたが、一般人の目も無意識の邪視をもたらしうると考えられたし、ある種の動物の目もまた同様に邪視をもたらすことができるとされた。その際邪視をもたらす目はしばしば一定の身体的特徴に結びつけられる。

アファナーシェフによればそれはまず第一に斜視であり、第二に濃い眉毛を持つ目であり、第三に黒い目であり、第四に突き出たあるいは落ちくぼんだ目とされる。

[伊東一郎: "ロシア民話と民間信仰", in [本] 藤沼貴(編): "ロシア民話の世界", 早稲田大学出版会, 1991, p.58

А. Афанасьев «Поэтические воззрения славян на природу» (A.アファナシエフ「スラヴ人の自然詩観」)
«Дурной», «недобрый» глаз распространяет свое влияние на все, чего только коснется его взгляд: посмотрит ли на дерево – оно тотчас засыхает[418]; глянет ли на свинью с поросятами – она наверно их съест; полюбуется ли на выведенных цыплят – и они суток в двое переколеют все до единого[419], и т. дал. Недобрый глаз влечет за собою болезни, убытки и разного рода несчастия, и такое действие его не зависит даже от воли человека.

Недобрыми очами считаются: а) косые, b) выглядывающие из-за больших, нахмуренных бровей, с) черные (бойся черного да карего глаза; черный глаз – опасный [420] и d) глаза, чрезмерно выкатившиеся или глубоко впавшие [421].

Косые глаза придают лицу неприятное выражение; старинному человеку они напоминали солнечный закат, умаление дневного света, близящееся торжество нечистой силы. Потому слову прикос дается значение «сглаза» (оприкосить – сглазить, оприкосливый – боящийся дурного глаза, порчи; коситься на кого – смотреть неприязненно);

「邪悪な」「不親切な」目は、触れるものすべてにその影響を及ぼす。木を見ると、たちまち枯れてしまう。子豚を連れた雌豚を見ると、雌豚はおそらく子豚を食べてしまう。孵化した鶏を賞賛すると、二日以内に皆死んでしまう。などなど。不親切な目は病気、喪失、そして様々な不幸をもたらし、そのような影響は本人の意志とは無関係である。

邪悪な目とは、a) 斜めに傾いている目、b) 大きくしわくちゃの眉間から覗いている目、c) 黒い目(黒目や茶色の目は恐れるべし。黒い目は危険である[420]、d) 過度に突き出ている目、または深く窪んでいる目[421]とされている。

斜めに傾いた目は、顔に不快な表情を与える。古代の人々にとって、それは夕焼け、薄れゆく日光、そして悪霊の勝利の到来を象徴していた。したがって、「プリコス」という言葉には「邪悪な目」(oprikosit' - 呪いをかける、oprikoslivy - 邪悪な目、損害を恐れる、誰かを横目で見る - 敵意を持って見る)という意味が与えられている。

[418] Семеньск., 130 – 1.
[419] Абев., 285,307. [420] Послов. Даля, 1038.
[421] Пов. и пред., 173.

[ А. Афанасьев «Поэтические воззрения славян на природу» (A.アファナシエフ「スラヴ人の自然詩観」) ]


豊川浩一: "近世ロシアの民間習俗をめぐる国家・教会・社会-シンビルスクの 「呪術師 (魔法使い)」 ヤーロフの事件とその背景", 駿台史學, 2013
19世紀前半にイギリス・外国聖書協会の仕事でロシアを訪れたロバート・ピンカートン(R.Pinkerton)は次のように述べている。見知らぬ人の前で子供たちにその洗礼名で呼びかけてはならなかった。なぜなら,そうすることによって子供に悪い呪文がかけられることを人びとは恐れたからである。また「そのような不吉な出会いがあれば,同時にあらゆる邪視や悪魔の影響を退ける祈りを繰り返しながら,大地に何度も唾を吐くのである」。

R.Pinkerton, D.D. :"Russia; or the miscellaneaus observation on the past and present state of that country and its inhabitants", London Seeley and Sons, 1833, p.155
Another singular superstition is still prevalent among them that of not addressing children by their Christian names, especially in the hearing of strangers ; from a fear that advantage might be taken of the discovery, for purposes of enchantment. Even in the present day, nothing exasperates a Russian mother or nurse more, than to praise a fine-looking child, whom you may happen to meet in the street in their hand or arms, or to inquire whether the child be a boy or a girl. The danger is considered to be less, if you mistake the one sex for the other; and if they condescend to give you an answer, it is sure to be with a view to mislead you : but at all events, after such an inauspicious encounter, they spit several times on the ground, repeating, at the same time, prayers against the effects of the evil-eye and all Satanic influences. If, after this, the child should seem restless, the nurse and mother take it for granted that the child is zaglazen, under the influence of the evil- eye. To remove this, various methods are resorted to : one of which is, to take a pot of water, and drop a piece of cold charcoal into it ; the child is then washed with this water over the threshold, the nurse all the while praying for its deliverance from the charm.

彼らの間には、いまだに根強いもう一つの奇妙な迷信がある。それは、特に見知らぬ人の耳元では、子供をクリスチャンネームで呼ばないというものである。これは、クリスチャンネームが知られると、魔法にかけられるのではないかと恐れるからである。現代でも、道端で偶然出会った美しい子供を腕や手に抱いて褒めたり、男の子か女の子か尋ねたりすることほど、ロシア人の母親や乳母を苛立たせるものはない。性別を取り違えれば危険性は少なくなると考えられている。もし彼らがあえて答えたとしても、それは間違いなくあなたを惑わすためである。しかしいずれにせよ、そのような不吉な出会いの後、彼らは地面に何度も唾を吐きかけ、同時に、邪視の影響やあらゆる悪魔の影響に対する祈りを繰り返すのである。その後も子供が落ち着きなく動揺するようであれば、乳母と母親は子供が邪視(ザグラゼン)の影響下にあると見なす。この邪視を取り除くために、様々な方法が用いられる。例えば、鍋に水を入れ、そこに冷たい炭を落とす。そして、敷居の向こうでその水で子供を洗い、乳母は呪いが解けるように祈り続ける。

Ryan W.F.: "The Bathhouse at Midnight", 1999, p.34
The Evil Eye

Belief in the Evil Eye is found in very many parts of the world. Its ramifications, including some Russian, Ukrainian and Belorussian details, were exhaustively charted by Seligmann.9 The earliest specific reference to Russian belief in the Evil Eye appears to be in Reginald Scot's Discovery of Witchcraft (1584)10 where the belief is imputed to the Irish, Muscovites and West Indians. The earliest Russian textual reference to the Evil Eye, as far as I can discover, is in a sixteenth-century prayer against 'zlo sretenie i lukavo oko' (`evil meeting and evil eye')." The notion of the Evil Eye probably first came to the Slays from Byzantium; certainly types of amulet used against the Evil Eye in Byzantium can be found also in the Balkans and in Russia and it is hard to resist a diffusionist interpretation of the evidence.12 Dal' (s.v. glaz) lists glazif , sglazif , (iz)urochit, (gnat , isportit glazom, oprizorit as verbs meaning `to put the Evil Eye on', and as nouns sglaz, khudoi glaz, durnoi glaz, nekhoroshii glaz, nechisOii glaz, ozeva, porcha, prikos, pritka s glazu (pritka is normally a sudden misfortune or illness), prizor, urok. It should be noted that porcha, literally 'spoiling', although often the effect of an Evil Eye, can also be the result of any kind of malefic magic.

Reputed possessors of the Evil Eye in Russia, as in most other places, were any witch or wizard; anyone with black, deepset, protruding, crossed or in some other way distinctive eyes or otherwise of peculiar appearance;13 foreigners; priests.'{ The use of the word eretun (from eretik `heretic'; coll. 'wizard') in Karelia to mean `man with a squint' and the more general use of words with the primary meaning of 'squint' in the sense of 'Evil Eye' demonstrates clearly the association of magic with ocular peculiarity.13 As late as 1881 a Russian newspaper ran a story that a prisoner who had been condemned to death had been handed over to the Academy of Sciences for an experiment to test the power of the Evil Eye. He was starved for three days in the presence of a loaf of bread. At the end of this period analysis showed that the bread contained a poisonous substance!16

The Evil Eye can also be cast inadvertently: there is a still common practice in Russia of spitting three times, crossing oneself, and saying 'ne sglazi' (`don't put the Evil Eye on me') if anyone makes a remark which tempts fate (rather as in England people say and do 'touch wood'), or is guilty of a slip of the tongue, or yawns or laughs at an inappropriate moment.'? The practice of apotropaeic expectoration in such circumstances has ancient antecedents and many analogues.'8 Spitting may also be used in spells: see Ch. 7. Triple spitting even penetrated Orthodox ritual: Captain John Perry records in 1716 the ceremony of re-baptism of foreigners wishing to join the Russian Orthodox Church. This required the man to spit three times over his left shoulder and then repeat after the priest: 'Cursed are my parents that brought me up in the religion that I have been taught, I spit upon them.'19 Another form of protection still employed is the fig gesture.

The close association of the Evil Eye strict° sensu with incurring misfortune by other means, such as tempting fate by expressing a hope or intention or by injudicious praising, is very common.20 Aksakov in his memoirs of provincial life in late eighteenth-century Russia recalls the terror of a Russian midwife that a German doctor would put the Evil Eye on a newborn infant by praising it. This was particularly frightening because of the combination of the foreignness of the doctor and the fate-tempting praise.21 Zabylin records, 'with shame', that in his time (i.e. the late nineteenth century), even in families of the higher merchant class, it was common for nurses to keep new-born infants locked away for six weeks from the gaze of all but the closest members of the family, and that the praise of a stranger was particularly feared.22 Zabylin might have been surprised, and even more shamed, had he known that this belief persists to the present day.

In March 1998 a baby was stolen from a pram left outside a Moscow clinic. It was only twenty-three days old and its mother would not take it in, fearing the Evil Eye if it were to be seen by anyone before forty days had elapsed.23 Even the use of the name of a child in the presence of strangers could, it was thought, have dire consequences — Robert Pinkerton wrote in 1833: after such an inauspicious encounter, they spit several times on the ground, repeating, at the same time, prayers against the effects of the evil eye and all satanic influences'.24

邪視(Evil Eye)

邪視への信仰は世界の極めて多くの地域に見出される。その展開、とりわけロシア、ウクライナ、ベラルーシに関わる諸相は、ゼーリヒマン(Seligmann)によって詳細に整理されている。9 ロシアにおける邪視信仰への最初の明示的言及は、レジナルド・スコットの著作 *Discovery of Witchcraft*(1584年) に見られ、そこでこの信仰はアイルランド人、モスクワ人、西インド諸島の住民に帰せられている。筆者が確認し得た限りで最古のロシア語文献上の言及は、16世紀の祈祷文に現れる「зло сретение и лукаво око(悪しき出会いと邪視)」である。邪視の観念はおそらくビザンツからスラヴ人へ伝わったものであろう。実際、ビザンツで用いられた邪視除けの護符の類型は、バルカン半島およびロシアにも見出され、拡散論的解釈を退け難い。

ダーリ(Dal’, *s.v.* glaz)は、「邪視をかける」意味を持つ動詞として *glazit’, sglazit’, (iz)urochit’, (gnat’, isportit’ glazom, oprizorit’* を挙げ、名詞として *sglaz, khudoi glaz, durnoi glaz, nekhoroshii glaz, nechistyi glaz, ozeva, porcha, prikos, pritka s glazu, prizor, urok* を挙げている。ここで *porcha*(文字通り「損壊」)はしばしば邪視の結果とされるが、必ずしもそれに限らず、あらゆる形態の呪詛的魔術の効果を指し得る点に注意すべきである。

ロシアにおいても他地域と同様、邪視の保持者とみなされたのは、魔女や魔術師、黒く窪んだ、突出した、斜視した、あるいはその他特異な眼を持つ者、または外見上異様な人物、外国人、聖職者などであった。カレリア地方における *eretun* という語(異端者 *eretik* に由来し、「魔術師」を意味する俗語)が「斜視の男」を意味すること、さらに一般的に「斜視」を本義とする語が「邪視」の意味で用いられることは、視覚的特異性と魔術との強固な連関を明示している。1881年の時点でも、ロシアの新聞は死刑囚を科学アカデミーに引き渡し、邪視の効力を検証する実験を行ったと報じている。その囚人は三日間、パン一斤を目の前に置かれたまま断食させられ、期日が経過した時点でパンを分析したところ、有毒物質が含まれていたとされた。

邪視はまた、意図せずに放たれることもある。ロシアでは今日に至るまで、誰かが不運を招きかねない発言(英語圏における “touch wood” の慣習と類似)、言い間違い、欠伸、不適切な笑いなどをした場合、三度唾を吐き、十字を切り、「не сглази(邪視をかけるな)」と言う習俗が存在する。このような状況下におけるアポトロペイ的な唾吐は古代に淵源を持ち、多くの類例が確認されている。呪術においても唾が用いられることがあり(第7章参照)、三度の唾吐は正教の儀礼にさえ浸透した。1716年、キャプテン・ジョン・ペリーは、ロシア正教会に改宗を望む外国人に施される再洗礼の儀式を記録しているが、そこでは候補者が左肩越しに三度唾を吐き、司祭の後に次のように唱えたという:「私をこの宗教に育てた両親は呪われよ、彼らを唾棄する。」また、今日に至るまで護符として「フィガのジェスチャー」が用いられている。

邪視(狭義)と、不運を招くその他の行為、すなわち希望や意図を口にすること、軽率な称賛を行うことなどとの密接な関連は極めて一般的である。18世紀末の地方生活を回想したアクサーコフは、ドイツ人医師が新生児を称賛することで邪視をかけるのではないかとロシア人助産婦が恐怖したことを記している。その恐怖は、医師が外国人であることと、称賛という運命を挑発する行為とが結びついたために一層強められていた。ザビリンは、自身の時代(19世紀後半)においてさえ、高位商人階層の家庭でも新生児を六週間にわたり最も近しい家族以外の視線から隔離する習慣があり、特に他人からの称賛が恐れられていたことを「恥」として記録している。しかし、彼がもしこの信仰が現代にまで持続していることを知っていたなら、さらに驚愕し、深い羞恥を覚えたであろう。

1998年3月、モスクワの診療所前に置かれた乳母車から、生後わずか23日の乳児が誘拐される事件が発生した。母親は、生後40日を経るまで他人の目に晒されれば邪視にかかると信じ、子を屋内に連れて入ることを拒んでいたのである。また、子どもの名を見知らぬ者の前で口にすることすら破滅的結果を招くと考えられていた。ロバート・ピンカートンは1833年に次のように記している:「かかる不吉な遭遇の後、人々は地面に何度も唾を吐き、同時に邪視および一切の悪魔的影響を退ける祈りを唱えた。」

邪視除けの呪文

片岡浩史: "ロシアの邪視 - 呪文における邪視を放つものの姿をめぐって", in 説話・伝承学会 編: "説話・伝承学 (8)", 説話・伝承学会, 2000-04
こうした「魔法使い」や「呪い師」と対立する立場のものとして、教会に関るもの達がいる。ところが、興味深いことに、彼らも邪視を放つことがある。次に見る呪文では、聖職者に邪視する力はないはずだと否定する形で、彼らも邪視を放つものと見なされている。

アリアン山とアプラミン山で聖母が、唯一の神であるキリストをお生みになったそのとき、男からも、女からも、子供からも、娘からも、魔法使いに、魔女に、異端者に、女異端者になるものはなかったのだから、修道士、役人、司祭、堂務者そして偉大な読み書きできるものが呪いをかけ、邪視することはできなかった。


「修道士」や「司祭」、そして「堂務者」は聖職者である。人々に善を与える立場にあるはずのこうしたものたちが、呪いや邪視する側として挙げられるのは、一見すると矛盾していると思われよう。しかし、たとえば、「司祭は石の壁を貫いて邪視する」という諺もある。この強力な視線を放つ聖職者の姿は、神という聖なるものに仕えるはずの彼らが邪視するということを示しているだけでなく、超自然的な力、日常とはかけ離れたものである「神」に触れるもの達が帯びる「非日常的」な性質を表わしているとも考えられよう。さらに神聖な力との関りや聖職に関するものとして、「聖パンを焼くもの」や「預言者」も見受けられる。

[ 片岡浩史: "ロシアの邪視 - 呪文における邪視を放つものの姿をめぐって", in 説話・伝承学会 編: "説話・伝承学 (8)", 説話・伝承学会, 2000-04 ]

次に、「職業」ではなく、姿そのものに特徴が見出されるものも、邪視する側のものとして挙げられている。

あなたがたよ、黄金の二七の弓を手に取り、わたし、神の僕たる某に放ちたまえ。黒髪のもの、赤髪のもの、白髪のもの、茶髪のもの、片目のもの、盲目のもの、女や男からの邪視、欠伸による邪視、恐怖、恐怖による騒ぎ、子供の欠伸による邪視を打ち落として、そしてそれらを尖がった刃の上や、鋭利な槍の上めがけて投げたまえ。


この呪文で、眼に障害を持つ人々が邪視する側に挙げられているのは興味深いことである。邪視は見る行為であるので、とくに「盲目のもの」が邪視を放っ側であるのは不自然であるかもしれない。それは、「盲目のもの」が視力を欠いているからである。しかし、こうしたもの達も、その視力を欠いた眼で視線を放つことができるのであり、そればかりか神懸かった存在としての意味を帯びることも多々ある。通常な状態から何かが欠落しているということは、「非日常的」な意味を表わす〈徴〉とされる。A.トウルーノフはこうした身体に障害を持ったもの達を「神自身が徴を与えた、危険なもの達なのである」と述べているが、ここで重要なのは神が何等かの理由で〈徴〉をあたえているという考え方である。たとえば、ロシアにおけるロ承宗教詩「ドゥホーヴヌエ・スチヒー」の語り部たる巡礼者たちは盲目である。盲目であるがゆえに、かれらの口から語られる詩は神の国の話として貴ばれた。やはり、不具者達の場合も、神であれ、魔物であれ、「この世」以外のものとの関わりをもったものとして、邪視を放っ側にいると一言えよう。

[ 片岡浩史: "ロシアの邪視 - 呪文における邪視を放つものの姿をめぐって", in 説話・伝承学会 編: "説話・伝承学 (8)", 説話・伝承学会, 2000-04 ]

さらに、ロシア民俗においては髪が、魔力のシンポルとされる。この点について、最後に手短に触れておこう。これまで例として挙げてきた呪文にも何度も登場していたように、特定の髪の色や形状をもつもの、たとえば「髪を覆わない女」や「髪の乱れた女」が、邪視するものとされている。日常生活においては、髪の毛が次のように意識されていた。

&fukidashi){北ロシア、チェレポヴェック郡では、既婚の女性は、頭にショールを被らずに庭に出てはならず、「庭にあるものが髪のせいで憔悴する」とされた。}

今日でも、教会の建物内部に入る際に女性は必ずショールを被る。また、ロシア土産として知られるマトリヨーシュカ人形の図柄であるショールを被った女性は、こうしたロシア民俗を背景にしたものである。先に「魔法使い」の外観について取り上げた資料では、その異様な姿を示すものとして「赤毛の顎鬚」や「白髪交じりの豊かな髪」が挙げられていた。こうした髪や毛に関する形容は、単に姿を詳しく描写しているだけではない。まさに髪や毛が観察者にとって、神秘的な力や「非日常的」な意味を帯びた特徴として意識されていたことを示すものであると言えよう。

[ 片岡浩史: "ロシアの邪視 - 呪文における邪視を放つものの姿をめぐって", in 説話・伝承学会 編: "説話・伝承学 (8)", 説話・伝承学会, 2000-04 ]
なお、上記は以下を参照している:
  • Майков Л.Н. - Великорусские заклинания. (репр. изд.1869 г.). М., Директ-Медиа. 2024. (L.N.マイコフ編『大ロシアの呪文』), 1869
邪視とロシアの俗信・呪術に関するレファレンス

・邪視への言及はない(結婚の儀式でも記載がない)




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