最終更新:ID:sM1ry/9ZMQ 2026年03月14日(土) 18:05:52履歴
【元ネタ】史実
【CLASS】キャスター
【真名】サラディン
【異名・別名・表記揺れ】サラーフ・アッディーン(尊称) サラハディヌス、サラディヌス(十字軍史料での表記) ユースフ・イブン・アイユーブ(本名) アル・マリク・アッ=ナーシル(援助する王)、アブー・アル・ムザッファル(勝利者の父)(異名)
【性別】男性
【身長・体重】164cm・59kg
【外見・容姿】肌は浅黒く黒髪と黒い瞳、短く整えられた黒い顎ひげを持つ。服の下に鎖帷子を着込んだ上で外套を纏い、頭にはカランスワ(帽子)を被りターバンを巻いた、如何にも中東といった感じの人物。
【地域】エジプト、シリアなどの中東地域
【年代】12世紀
【属性】中立・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型 王
【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷C 魔力B 幸運A 宝具A+
【CLASS】キャスター
【真名】サラディン
【異名・別名・表記揺れ】サラーフ・アッディーン(尊称) サラハディヌス、サラディヌス(十字軍史料での表記) ユースフ・イブン・アイユーブ(本名) アル・マリク・アッ=ナーシル(援助する王)、アブー・アル・ムザッファル(勝利者の父)(異名)
【性別】男性
【身長・体重】164cm・59kg
【外見・容姿】肌は浅黒く黒髪と黒い瞳、短く整えられた黒い顎ひげを持つ。服の下に鎖帷子を着込んだ上で外套を纏い、頭にはカランスワ(帽子)を被りターバンを巻いた、如何にも中東といった感じの人物。
【地域】エジプト、シリアなどの中東地域
【年代】12世紀
【属性】中立・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型 王
【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷C 魔力B 幸運A 宝具A+
武芸、芸術、色事など様々な分野に才を見せた逸話から。
生前に嗜んだ物はBクラス以上、新しく始めた事柄は通常より早い速度で習熟する。
ちなみに色事に関する逸話──というよりも史実性のない伝説として、後にリチャード一世の母となるエレオノールがサラディンとの逃避行を試みたとするものがあるそうな。(なお当時のサラディンは幼い少年であり、このような伝説が事実であろうはずがない)
生前に嗜んだ物はBクラス以上、新しく始めた事柄は通常より早い速度で習熟する。
ちなみに色事に関する逸話──というよりも史実性のない伝説として、後にリチャード一世の母となるエレオノールがサラディンとの逃避行を試みたとするものがあるそうな。(なお当時のサラディンは幼い少年であり、このような伝説が事実であろうはずがない)
敵対サーヴァントが精神汚染スキルを保有していない場合、相手の戦意をある程度抑制し、話し合いに持ち込むことが出来る。
聖杯戦争においては、一時的な同盟を組む際に有利な判定を得る。
敵将リチャード一世への氷と果物の贈り物。病床の敵将に侍医を派遣したとされる逸話。捕虜を馬と水で解放した史実など、その度量を示す逸話には事欠かない。
聖杯戦争においては、一時的な同盟を組む際に有利な判定を得る。
敵将リチャード一世への氷と果物の贈り物。病床の敵将に侍医を派遣したとされる逸話。捕虜を馬と水で解放した史実など、その度量を示す逸話には事欠かない。
何かしらの主義を貫くことにより、ステータスの向上を行う自戒系のスキル。それを破るような真似をすると、弱体化するという欠点を持つ。
サラディンの場合は敬虔なムスリム君主としての立ち居振る舞いの厳守。
端的に言えば「ムスリムとして口にした約束は守り、守れぬ約束は口にしない」ということである。
公言した約束を履行し続けることで強化が蓄積するが、自ら宣言した内容を反故にすると弱体化が発生する。
サラディンの場合は敬虔なムスリム君主としての立ち居振る舞いの厳守。
端的に言えば「ムスリムとして口にした約束は守り、守れぬ約束は口にしない」ということである。
公言した約束を履行し続けることで強化が蓄積するが、自ら宣言した内容を反故にすると弱体化が発生する。
ランク:A+ 種別:対界宝具 レンジ:0〜99 最大捕捉:1000人
教訓説話や俗語物語などで一神教を起源とする三つの宗教を象徴する『三つの指輪』(サラディンが登場するバリエーションもある)。
ユダヤ教徒・キリスト教徒を等しく家臣として遇したサラディンの在り方が、この例え話と概念的に結びつき宝具として形を取ったもの。
『土地の指輪(ユダヤ教由来:地脈・空間の掌握・干渉)』『財の指輪(イスラム由来:リソースの集積・転換)』『癒しの指輪(キリスト教由来:治癒・加護)』の三種の指輪を持ち、状況に応じて使い分ける。
より正確には、各指輪はそれぞれの領域における事象の確率を有利な方向へ変動させるものであり、土地の指輪は地形・空間の在り様を、財の指輪は状況に関わるリソースの流れを、癒しの指輪は傷・病・呪いの転帰を、それぞれ操作する。
しかしこの宝具の本質は三つの能力のいずれでもない。
真名解放により、ボッカッチョの説話の核心—──「どの指輪が本物か、すなわちどの信仰が正しきものかは分からない」──を概念として顕現させる機能こそがその本領である。
三つの指輪が同時に輝く時、サラディンは『成立する可能性が100%でない全ての神秘』に対し、確率変動によって発動できない状態を維持し続けることができる。
TRPG的に解釈するならば、ダイス判定の結果を次のターンに先送りにし続ける──すなわち「待った」をかけ続けることに等しい。
言い換えれば、この宝具が干渉できない唯一の領域は、いかなる条件下においても覆らない絶対的事実(ゲイボルグのような因果逆転による事象の確定など)のみである。
神代の理であれ、英霊の奥義であれ、その神秘の成立にわずかでも不確定性が残るならば、サラディンはそれを留保できる。
ただし留保のための魔力消費は、対象の神秘が成立する可能性が高い(判定の成功率が高い)ほど激しくなる。
ランクの高い宝具や上位神霊の権能を抑え込むためには相応の魔力を要し、サラディンの魔力が尽きた瞬間、留保されていた全ての神秘が同時に解放される。
逆に言えば、絶対性を証明できる者がおらず、かつサラディンの魔力が続く限り、留保は永続する。
教訓説話や俗語物語などで一神教を起源とする三つの宗教を象徴する『三つの指輪』(サラディンが登場するバリエーションもある)。
ユダヤ教徒・キリスト教徒を等しく家臣として遇したサラディンの在り方が、この例え話と概念的に結びつき宝具として形を取ったもの。
『土地の指輪(ユダヤ教由来:地脈・空間の掌握・干渉)』『財の指輪(イスラム由来:リソースの集積・転換)』『癒しの指輪(キリスト教由来:治癒・加護)』の三種の指輪を持ち、状況に応じて使い分ける。
より正確には、各指輪はそれぞれの領域における事象の確率を有利な方向へ変動させるものであり、土地の指輪は地形・空間の在り様を、財の指輪は状況に関わるリソースの流れを、癒しの指輪は傷・病・呪いの転帰を、それぞれ操作する。
しかしこの宝具の本質は三つの能力のいずれでもない。
真名解放により、ボッカッチョの説話の核心—──「どの指輪が本物か、すなわちどの信仰が正しきものかは分からない」──を概念として顕現させる機能こそがその本領である。
三つの指輪が同時に輝く時、サラディンは『成立する可能性が100%でない全ての神秘』に対し、確率変動によって発動できない状態を維持し続けることができる。
TRPG的に解釈するならば、ダイス判定の結果を次のターンに先送りにし続ける──すなわち「待った」をかけ続けることに等しい。
言い換えれば、この宝具が干渉できない唯一の領域は、いかなる条件下においても覆らない絶対的事実(ゲイボルグのような因果逆転による事象の確定など)のみである。
神代の理であれ、英霊の奥義であれ、その神秘の成立にわずかでも不確定性が残るならば、サラディンはそれを留保できる。
ただし留保のための魔力消費は、対象の神秘が成立する可能性が高い(判定の成功率が高い)ほど激しくなる。
ランクの高い宝具や上位神霊の権能を抑え込むためには相応の魔力を要し、サラディンの魔力が尽きた瞬間、留保されていた全ての神秘が同時に解放される。
逆に言えば、絶対性を証明できる者がおらず、かつサラディンの魔力が続く限り、留保は永続する。
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1人
変装してヨーロッパを旅し、馬上槍試合に出場し、貴族の宴に招かれ、令嬢を救い──それでも誰一人その正体を見抜けなかった。
史実とかけ離れた詩人の歌が、複数の言語圏で発生し、同じ像を描いた。
その伝説が、史実でのサラディンが理想のイスラム君主を意識的に演じていたことと結びつき、宝具として結実したもの。
発動すると、サラディンは指定した対象が『最も深く信頼・敬愛する人物または概念』の存在感・魔力の波形・気配を完全に模倣する。
これは外見の変化ではなく存在そのものの輪郭の偽装であり、真名看破や千里眼の類もこれを本物と識別する。
偽装の精度は対象がその模倣元に抱く感情の強さに比例する。
深く信じている相手を模倣された場合、当人でさえ一瞬判別できない──伝説の中で彼を見抜いた者がいなかったように。
ただし、サラディン自身が名を明かした瞬間に偽装は解ける。
似たような宝具にランスロットの『己が栄光の為でなく』があるが、こちらには模倣する対象が観念や概念のようなものであっても成立し、能力面にも影響を及ぼすという強みがある。
反面“何を象るか”をサラディンが任意で選択する事は出来ず、宝具の対象となった者の価値観に基づくものとなるのが欠点。。
変装してヨーロッパを旅し、馬上槍試合に出場し、貴族の宴に招かれ、令嬢を救い──それでも誰一人その正体を見抜けなかった。
史実とかけ離れた詩人の歌が、複数の言語圏で発生し、同じ像を描いた。
その伝説が、史実でのサラディンが理想のイスラム君主を意識的に演じていたことと結びつき、宝具として結実したもの。
発動すると、サラディンは指定した対象が『最も深く信頼・敬愛する人物または概念』の存在感・魔力の波形・気配を完全に模倣する。
これは外見の変化ではなく存在そのものの輪郭の偽装であり、真名看破や千里眼の類もこれを本物と識別する。
偽装の精度は対象がその模倣元に抱く感情の強さに比例する。
深く信じている相手を模倣された場合、当人でさえ一瞬判別できない──伝説の中で彼を見抜いた者がいなかったように。
ただし、サラディン自身が名を明かした瞬間に偽装は解ける。
似たような宝具にランスロットの『己が栄光の為でなく』があるが、こちらには模倣する対象が観念や概念のようなものであっても成立し、能力面にも影響を及ぼすという強みがある。
反面“何を象るか”をサラディンが任意で選択する事は出来ず、宝具の対象となった者の価値観に基づくものとなるのが欠点。。
アイユーブ朝の事実上の創始者。中東において十字軍を撃退しイスラム世界の英雄と目された。
その手腕と度量の広さによって敵対した十字軍からも尊敬の念を受け、騎士道精神の模範と見なされた。
本名はユースフ(ヨセフのアラビア語読み)であり、サラディンは後に名乗ったラカブ(尊称・あだな)であるサラーフッディーンが西欧で訛ったものだが、本稿ではサラディンで表記を統一する。
父のアイユーブはセルジューク朝からザンギー朝へ、そして情勢が変わればまたセルジューク朝に鞍替えし、かと思えばザンギー朝に内通して無血開城する、といった中々の曲者であった。
そんな父の元でサラディンは様々な地域を渡り歩いたという。
長じた後のサラディンは文武両面に才幹を発揮し、特にポロに優れた力量を発揮したと伝わる。
その後は叔父である猛将シールクーフや『公正な王』と評されたザンギー朝の君主ヌールッディーンの寵遇を受けた。
若きサラディンは、ヌールッディーンに平時でも遠征時でも常に近侍させられたという。
後にサラディンが発揮する将略は、このヌールッディーンの戦いに学んだところが大きいと思われる。
十字軍の影響を受けて激動する中東情勢の中で、ヌールッディーンはファーティマ朝統治下のエジプトへの干渉を強め、シャーワルなる宰相が失脚・亡命してきたのを奇貨としてエジプト遠征に踏み切った。
この遠征の指揮官に抜擢されたのがサラディンの叔父のシール・クーフであり、サラディンは彼が率いるシリア軍の指揮官の一人として、また幕僚として遠征を支えた。
一説には、サラディン自身はエジプト遠征には消極的であったが、命令もあって止むなく従軍させられたという。
シールクーフはシャーワルの復権を成功させたものの、シリア軍の勢威を恐れたシャーワルは今度はエルサレム王国のアモーリーと結んでシリア軍を裏切った。
これにより、シールクーフとサラディンは今度は十字軍やファーティマ朝と戦う事になる。
三度に渡るエジプト遠征の末に、シールクーフとサラディンは十字軍・シャーワルを退ける事に成功する。
勝因は十字軍の側もエジプト支配の野心を顕にした事で、ファーティマ朝のカリフであるアーディドがシャーワルの頭越しにシリア軍と手を結ぶことを決断した事にあった。
親十字軍派の筆頭であったシャーワルは進退窮まった末に誅殺。
シールクーフはファーティマ朝に開放者として迎えられ、シャーワルに変わる宰相に任じられ、エジプトの事実上の支配者に成り上がる。
これはシールクーフが独自の勢力を築こうとする野心を顕にした瞬間であり、主君であるヌールッディーンからすれば裏切りであった。
だが、状況は当事者たちの誰もが想定していなかったさらなる激変を迎える事になる。シールクーフの急逝である。
エジプトではシールクーフの後釜を巡る政争が繰り広げられたが、有力者達の思惑が絡み合い、サラディンが宰相に任じられる事になった。
かくして彼はシールクーフの路線を継承し、ファーティマ朝内部での争いやヌールッディーンとの確執、十字軍の脅威と言った諸々の内憂外患に対処していくこととなる。
バイナル・カスラインの戦いによってファーティマ朝の黒人奴隷勢力を排除して地盤を固める一方、ヌールッディーンへの表面的な恭順と貢物によって時間を稼いだ。
この頃、カリフのアーディドが病没し、ファーティマ朝は滅亡。サラディンは事実上のスルタンとしてエジプトに蟠踞することとなる。
ヌールッディーンがこうしたサラディンの面従腹背の態度を座視するはずもなく、サラディンとの戦いは目前に迫っていた。
だが、ヌールッディーンがサラディンが支配するエジプトへの遠征に取り掛かるまさに直前に病死したことで、情勢は急転する。
英主を失ったザンギー朝を幼主サーリフは統御できず、内紛や十字軍の侵攻によってザンギー朝は弱体化。
この情勢の激変に(いまだ形式上はザンギー朝の家臣でもあった)サラディンが乗じ、最終的に雄飛を助ける結果に終わるのである。
ヌールッディーンの死後、後継者問題で混乱するザンギー朝を尻目に、サラディンはシリアへと進出する。
名目上はヌールッディーンの幼い息子を保護するためとしながら、実際にはエジプト・シリア両地域の統一を着々と進めるものであった。
この頃、サラディンはニザール派イスマーイール教団(暗殺教団)との激しい暗闘を経験している。
1175年と1176年の二度にわたり、ニザール派はサラディン暗殺を試みたが、なんとか撃退する事に成功している。
その後マスヤーフ城塞への包囲攻撃を試みたものの決着はつかず、最終的に和睦を結び、以後両者が互いに攻撃することはなかった。
エジプト・シリア両地域を支配圏においたサラディンであったが、十字軍との戦いは苦戦が続いた。
アモーリーの後を襲った癩王ボードゥアン4世はらい病というハンデをものともしない名君であり、国力に勝るサラディンとも五分五分の戦いを繰り広げた。
サラディンはボードゥアン四世と彼が率いる軍の強さに「なにが彼らをあれほど勇敢に戦わせるのか」との言葉を残したという。
尤も、エルサレム王国の強さはこの名君の手腕に依るところが大きかった。
為に、ボードゥアン4世が若くして亡くなると、サラディンに敵するものはおらず、エルサレム王国の領土を次々に奪い取り、ついにはエルサレムをも奪還する事に成功している。
詩人たちはサラディンのエルサレム奪還を、預言者ムハンマドの伝説的な『夜の旅(イスラー・ミラージュ)』に重ね合わせて称えたという。
だが、エルサレムの奪還は、錚々たる面子を取り揃えた第三次十字軍というさらなる脅威の襲来を招く事となった。
特にリチャード一世(獅子心王)の戦いぶりは凄まじく、苦杯をなめさせられたサラディンは正面衝突を避けて消耗戦に持ち込んだ。
十字軍側の内紛にも助けられたサラディンは、エルサレムを守り通して引き分けの形に持ち込み、疲弊した十字軍と休戦条約を結ぶことに成功した。
だが、これらの戦いの日々がサラディンの健康状態に及ぼした影響は大きく、黄熱病に倒れた時、回復する力は残されていなかった。
サラディンは良く財産の喜捨をしていた為、残された遺産は金貨一枚と銀貨四十七枚だけだったと言われる。(尤も、すでに多くの領地・私有財産を息子たちに相続させていたという)
サラディンの人間的魅力と政治的手腕を紐帯として結びついていたアイユーブ朝は、その柱石たるサラディンが没した事で分裂状態に陥ることとなる。
その手腕と度量の広さによって敵対した十字軍からも尊敬の念を受け、騎士道精神の模範と見なされた。
本名はユースフ(ヨセフのアラビア語読み)であり、サラディンは後に名乗ったラカブ(尊称・あだな)であるサラーフッディーンが西欧で訛ったものだが、本稿ではサラディンで表記を統一する。
父のアイユーブはセルジューク朝からザンギー朝へ、そして情勢が変わればまたセルジューク朝に鞍替えし、かと思えばザンギー朝に内通して無血開城する、といった中々の曲者であった。
そんな父の元でサラディンは様々な地域を渡り歩いたという。
長じた後のサラディンは文武両面に才幹を発揮し、特にポロに優れた力量を発揮したと伝わる。
その後は叔父である猛将シールクーフや『公正な王』と評されたザンギー朝の君主ヌールッディーンの寵遇を受けた。
若きサラディンは、ヌールッディーンに平時でも遠征時でも常に近侍させられたという。
後にサラディンが発揮する将略は、このヌールッディーンの戦いに学んだところが大きいと思われる。
十字軍の影響を受けて激動する中東情勢の中で、ヌールッディーンはファーティマ朝統治下のエジプトへの干渉を強め、シャーワルなる宰相が失脚・亡命してきたのを奇貨としてエジプト遠征に踏み切った。
この遠征の指揮官に抜擢されたのがサラディンの叔父のシール・クーフであり、サラディンは彼が率いるシリア軍の指揮官の一人として、また幕僚として遠征を支えた。
一説には、サラディン自身はエジプト遠征には消極的であったが、命令もあって止むなく従軍させられたという。
シールクーフはシャーワルの復権を成功させたものの、シリア軍の勢威を恐れたシャーワルは今度はエルサレム王国のアモーリーと結んでシリア軍を裏切った。
これにより、シールクーフとサラディンは今度は十字軍やファーティマ朝と戦う事になる。
三度に渡るエジプト遠征の末に、シールクーフとサラディンは十字軍・シャーワルを退ける事に成功する。
勝因は十字軍の側もエジプト支配の野心を顕にした事で、ファーティマ朝のカリフであるアーディドがシャーワルの頭越しにシリア軍と手を結ぶことを決断した事にあった。
親十字軍派の筆頭であったシャーワルは進退窮まった末に誅殺。
シールクーフはファーティマ朝に開放者として迎えられ、シャーワルに変わる宰相に任じられ、エジプトの事実上の支配者に成り上がる。
これはシールクーフが独自の勢力を築こうとする野心を顕にした瞬間であり、主君であるヌールッディーンからすれば裏切りであった。
だが、状況は当事者たちの誰もが想定していなかったさらなる激変を迎える事になる。シールクーフの急逝である。
エジプトではシールクーフの後釜を巡る政争が繰り広げられたが、有力者達の思惑が絡み合い、サラディンが宰相に任じられる事になった。
かくして彼はシールクーフの路線を継承し、ファーティマ朝内部での争いやヌールッディーンとの確執、十字軍の脅威と言った諸々の内憂外患に対処していくこととなる。
バイナル・カスラインの戦いによってファーティマ朝の黒人奴隷勢力を排除して地盤を固める一方、ヌールッディーンへの表面的な恭順と貢物によって時間を稼いだ。
この頃、カリフのアーディドが病没し、ファーティマ朝は滅亡。サラディンは事実上のスルタンとしてエジプトに蟠踞することとなる。
ヌールッディーンがこうしたサラディンの面従腹背の態度を座視するはずもなく、サラディンとの戦いは目前に迫っていた。
だが、ヌールッディーンがサラディンが支配するエジプトへの遠征に取り掛かるまさに直前に病死したことで、情勢は急転する。
英主を失ったザンギー朝を幼主サーリフは統御できず、内紛や十字軍の侵攻によってザンギー朝は弱体化。
この情勢の激変に(いまだ形式上はザンギー朝の家臣でもあった)サラディンが乗じ、最終的に雄飛を助ける結果に終わるのである。
ヌールッディーンの死後、後継者問題で混乱するザンギー朝を尻目に、サラディンはシリアへと進出する。
名目上はヌールッディーンの幼い息子を保護するためとしながら、実際にはエジプト・シリア両地域の統一を着々と進めるものであった。
この頃、サラディンはニザール派イスマーイール教団(暗殺教団)との激しい暗闘を経験している。
1175年と1176年の二度にわたり、ニザール派はサラディン暗殺を試みたが、なんとか撃退する事に成功している。
その後マスヤーフ城塞への包囲攻撃を試みたものの決着はつかず、最終的に和睦を結び、以後両者が互いに攻撃することはなかった。
エジプト・シリア両地域を支配圏においたサラディンであったが、十字軍との戦いは苦戦が続いた。
アモーリーの後を襲った癩王ボードゥアン4世はらい病というハンデをものともしない名君であり、国力に勝るサラディンとも五分五分の戦いを繰り広げた。
サラディンはボードゥアン四世と彼が率いる軍の強さに「なにが彼らをあれほど勇敢に戦わせるのか」との言葉を残したという。
尤も、エルサレム王国の強さはこの名君の手腕に依るところが大きかった。
為に、ボードゥアン4世が若くして亡くなると、サラディンに敵するものはおらず、エルサレム王国の領土を次々に奪い取り、ついにはエルサレムをも奪還する事に成功している。
詩人たちはサラディンのエルサレム奪還を、預言者ムハンマドの伝説的な『夜の旅(イスラー・ミラージュ)』に重ね合わせて称えたという。
だが、エルサレムの奪還は、錚々たる面子を取り揃えた第三次十字軍というさらなる脅威の襲来を招く事となった。
特にリチャード一世(獅子心王)の戦いぶりは凄まじく、苦杯をなめさせられたサラディンは正面衝突を避けて消耗戦に持ち込んだ。
十字軍側の内紛にも助けられたサラディンは、エルサレムを守り通して引き分けの形に持ち込み、疲弊した十字軍と休戦条約を結ぶことに成功した。
だが、これらの戦いの日々がサラディンの健康状態に及ぼした影響は大きく、黄熱病に倒れた時、回復する力は残されていなかった。
サラディンは良く財産の喜捨をしていた為、残された遺産は金貨一枚と銀貨四十七枚だけだったと言われる。(尤も、すでに多くの領地・私有財産を息子たちに相続させていたという)
サラディンの人間的魅力と政治的手腕を紐帯として結びついていたアイユーブ朝は、その柱石たるサラディンが没した事で分裂状態に陥ることとなる。
穏やかで気さくな、どこか飄々とした人物。
王侯の威厳を纏うことを好まず、部下の失態にも大仰に怒ることなく、機知に富んだ言葉や行動でその場を収める。
その気兼ねのなさと寛大さは同時代の史書に一貫して描かれている。
感動すればためらいなく涙を流し、コーランの朗誦にも、聖地が汚されているとの報にも、人の勇敢さを目にしても泣くような人物だったと、彼を知る者たちは記している。
感動家であり、良く涙を流す人物、という点は生前と変わらない。
しかし、彼もまた乱世の雄。単純な善人ではない。
彼の慈悲は本物だったが、人心収攬の為に慈悲深さを演じる必要があることも、彼はよく心得ていた。
エルサレム開城後の寛大な処遇も、捕虜への馬と水の提供も、啓典の民への保護も、イスラームの君主が体現すべき理想像として機能することを、彼は意識していた。
感情と政治的合理性が一致するとき、彼は惜しみなく寛大であった。
問題は、それが食い違ったときだ。
感情が必要性を上回ることは、ほとんどない。
彼がファーティマ朝を廃絶し、ヌールッディーンの子を政治的に無力化し、その他の方法がないと判断すれば躊躇いなく粛清を行った。
政治的な老獪さは父アイユーブ譲りであり、情愛と合理の天秤は大抵(イスラム的な)合理の側に傾いている。
敬虔さについても同様である。
彼は生来の信仰者というよりも、ムスリムの君主が持つべき敬虔さを、長年にわたって身に纏い続けた人物だった。
礼拝を欠かさず、飲酒を断ち、法学者を重用し、聖戦の旗印を掲げ続けた──それは本物の信仰であったろうが、同時にそうあるべき理想像を自らに課し続けた結果でもあった。
若き日のサラディンは決して敬虔な信徒ではなかったのだから。
とはいえ、総合的に見れば人々の信用を得るに足る好人物。
かくあらんとする理想像通りの君主ではない地金の部分も、度量広き人物である。
王侯の威厳を纏うことを好まず、部下の失態にも大仰に怒ることなく、機知に富んだ言葉や行動でその場を収める。
その気兼ねのなさと寛大さは同時代の史書に一貫して描かれている。
感動すればためらいなく涙を流し、コーランの朗誦にも、聖地が汚されているとの報にも、人の勇敢さを目にしても泣くような人物だったと、彼を知る者たちは記している。
感動家であり、良く涙を流す人物、という点は生前と変わらない。
しかし、彼もまた乱世の雄。単純な善人ではない。
彼の慈悲は本物だったが、人心収攬の為に慈悲深さを演じる必要があることも、彼はよく心得ていた。
エルサレム開城後の寛大な処遇も、捕虜への馬と水の提供も、啓典の民への保護も、イスラームの君主が体現すべき理想像として機能することを、彼は意識していた。
感情と政治的合理性が一致するとき、彼は惜しみなく寛大であった。
問題は、それが食い違ったときだ。
感情が必要性を上回ることは、ほとんどない。
彼がファーティマ朝を廃絶し、ヌールッディーンの子を政治的に無力化し、その他の方法がないと判断すれば躊躇いなく粛清を行った。
政治的な老獪さは父アイユーブ譲りであり、情愛と合理の天秤は大抵(イスラム的な)合理の側に傾いている。
敬虔さについても同様である。
彼は生来の信仰者というよりも、ムスリムの君主が持つべき敬虔さを、長年にわたって身に纏い続けた人物だった。
礼拝を欠かさず、飲酒を断ち、法学者を重用し、聖戦の旗印を掲げ続けた──それは本物の信仰であったろうが、同時にそうあるべき理想像を自らに課し続けた結果でもあった。
若き日のサラディンは決して敬虔な信徒ではなかったのだから。
とはいえ、総合的に見れば人々の信用を得るに足る好人物。
かくあらんとする理想像通りの君主ではない地金の部分も、度量広き人物である。
リチャード一世:
最大の好敵手。リチャードはサラディンを「疑いなくイスラーム世界最強の指導者」と称え、サラディンもまた「リチャードより誉れ高きキリスト教の君主はいない」と応えた。条約締結後、両者は互いに多くの贈り物を交わした。
同じ戦場に立ちながら最後まで邂逅しなかったという事実は、キャスターの心にわずかな後悔として残っている。お互いに相手を「倒すべき敵」ではなく「語り合うべき者」として認識していたことを、両者ともに薄々知っていたからだ。
ハサン・サッバーハ:
かつて敵対するも破る事叶わず和睦を結んだ相手。
枕元に毒塗りの短剣で縫い止められた手紙を置かれた(=いつでも暗殺できる)という脅しに屈して兵を返した──というのは伝説に過ぎない。
彼が評価するのは暗殺の手際よりも峻険な山砦の守りと、結束を促す異端の信仰心の方であろう。
ダンテ:
ダンテはその著作『神曲』地獄篇において、サラディンをソクラテス・アリストテレス・カエサル・ヘクトールらと並べ、辺獄(リンボ)に置いた。
十字軍と戦い続けたイスラームの英雄を、キリスト教の大詩人が「地獄には落とせない」と認めた。
それはある意味で最大の讃辞だったと言える。が、サラディン本人はノーコメントを貫くだろう。
最大の好敵手。リチャードはサラディンを「疑いなくイスラーム世界最強の指導者」と称え、サラディンもまた「リチャードより誉れ高きキリスト教の君主はいない」と応えた。条約締結後、両者は互いに多くの贈り物を交わした。
同じ戦場に立ちながら最後まで邂逅しなかったという事実は、キャスターの心にわずかな後悔として残っている。お互いに相手を「倒すべき敵」ではなく「語り合うべき者」として認識していたことを、両者ともに薄々知っていたからだ。
ハサン・サッバーハ:
かつて敵対するも破る事叶わず和睦を結んだ相手。
枕元に毒塗りの短剣で縫い止められた手紙を置かれた(=いつでも暗殺できる)という脅しに屈して兵を返した──というのは伝説に過ぎない。
彼が評価するのは暗殺の手際よりも峻険な山砦の守りと、結束を促す異端の信仰心の方であろう。
ダンテ:
ダンテはその著作『神曲』地獄篇において、サラディンをソクラテス・アリストテレス・カエサル・ヘクトールらと並べ、辺獄(リンボ)に置いた。
十字軍と戦い続けたイスラームの英雄を、キリスト教の大詩人が「地獄には落とせない」と認めた。
それはある意味で最大の讃辞だったと言える。が、サラディン本人はノーコメントを貫くだろう。
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