最終更新:ID:UdfyKoRKAg 2024年06月16日(日) 23:48:36履歴
「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」
──ティムールの棺に刻まれた警句。
【元ネタ】史実
【CLASS】キャスター
【真名】ティムール
【異名・別名・表記揺れ】チムール、テムル、帖木児、タメルラング、ティムーリ・ラング、ティムール・イ・ラング、タンバレイン、タムレイン、タマレイン(表記揺れ) キュレゲン、サーヒブ・キラーン(称号)
【性別】男性
【身長・体重】170cm・65kg
【外見・容姿】老いたる騎馬民族。片足と片腕が負傷の後遺症により萎えている。瞼は垂れ下がりほとんど目を開けられないが、漏れ出る眼光は炯々と輝いている。
【地域】中央アジア、西アジア
【年代】14世紀〜15世紀初頭
【属性】中立・悪
【天地人属性】人
【その他属性】人型、王
【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷E 魔力B 幸運A+ 宝具EX
【CLASS】キャスター
【真名】ティムール
【異名・別名・表記揺れ】チムール、テムル、帖木児、タメルラング、ティムーリ・ラング、ティムール・イ・ラング、タンバレイン、タムレイン、タマレイン(表記揺れ) キュレゲン、サーヒブ・キラーン(称号)
【性別】男性
【身長・体重】170cm・65kg
【外見・容姿】老いたる騎馬民族。片足と片腕が負傷の後遺症により萎えている。瞼は垂れ下がりほとんど目を開けられないが、漏れ出る眼光は炯々と輝いている。
【地域】中央アジア、西アジア
【年代】14世紀〜15世紀初頭
【属性】中立・悪
【天地人属性】人
【その他属性】人型、王
【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷E 魔力B 幸運A+ 宝具EX
軍略、戦略、加虐体質の複合スキル。ティムールの軍事的天才と度を越した殺戮に由来するスキル。
勝つための軍制・兵站の整備や諜報・調略などの事前工作、戦場で七軍を的確に指揮する手腕と、その比類なき残虐性を示す。
イギリスの作家クリストファー・マーロウはタンバレイン大王(ティムール)を「神の災難」と評したという。
勝つための軍制・兵站の整備や諜報・調略などの事前工作、戦場で七軍を的確に指揮する手腕と、その比類なき残虐性を示す。
イギリスの作家クリストファー・マーロウはタンバレイン大王(ティムール)を「神の災難」と評したという。
「光り輝く星が高貴な天空から上った」「太陽は知恵、金星は天命、木星は良心」――史家サマルカンディーの対句詩。
自らの出生譚が纏わる雅号と占星術・類感魔術に由来するスキル。皇帝特権とは似て非なるもの。
惑星直列時の出生したという逸話(事実とは異なる)を共通項として
過去の覇王(イスカンダル、チンギス・ハンなど)とティムール自身とを魔術的に類似した存在として扱う。
これによりティムールは霊基を一時的に改竄し、彼らが有するスキル一つを習得した状態となる。
普段のティムールは世界帝国の長に相応しい威厳を見せる為に、彼の覇王のカリスマをコピーしている。
サーヒブ・キラーンとは本来二つの吉兆の惑星(金星と木星)が太陽と重なる現象を指す。
(不吉な星である火星と土星が太陽と重なる現象も同じ言葉で表現されるが)
その瞬間に生まれ、吉兆に恵まれる者を指す称号としても扱われ、イスカンダルやチンギス・ハンも同じ雅称で呼ばれる事があった。
自らの出生譚が纏わる雅号と占星術・類感魔術に由来するスキル。皇帝特権とは似て非なるもの。
惑星直列時の出生したという逸話(事実とは異なる)を共通項として
過去の覇王(イスカンダル、チンギス・ハンなど)とティムール自身とを魔術的に類似した存在として扱う。
これによりティムールは霊基を一時的に改竄し、彼らが有するスキル一つを習得した状態となる。
普段のティムールは世界帝国の長に相応しい威厳を見せる為に、彼の覇王のカリスマをコピーしている。
サーヒブ・キラーンとは本来二つの吉兆の惑星(金星と木星)が太陽と重なる現象を指す。
(不吉な星である火星と土星が太陽と重なる現象も同じ言葉で表現されるが)
その瞬間に生まれ、吉兆に恵まれる者を指す称号としても扱われ、イスカンダルやチンギス・ハンも同じ雅称で呼ばれる事があった。
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:99 最大捕捉:1000人
ティムールが発明したとされるチェスの一種『タメルラン・チェス』とそれに纏わる伝説が、その軍才と共に宝具となったもの。
曰く、ティムールは夜中に一人で巨大なチェス盤を前に駒を動かし、戦術の着想を得ていた、という伝説が存在する。
それが昇華された事で、この宝具は敵との戦闘の前に必勝の運命を形作るものへと変貌した。
傍目にはティムールが駒を動かしているように思えるが、実際はティムール自身にも計り知れない未来の暗喩。
その暗喩をティムールが解読する事で、逆説的にティムールの勝利が因果レベルで確定する。
(TRPG的に処理するなら、戦闘中、ティムールの敗北に直結する判定が強制的に失敗するようになる)
なお、暗号解読の難易度は、ティムールが敵について把握している情報が多いほど低下する。
敵のプロフィール・パーソナリティを熟知していれば、一夜とかけずに必勝の運命を定めることができるだろう。
この宝具を破るには
・ティムールが暗喩の解読に成功する前に戦いを挑む。
・ティムールがこちらについて情報を把握する前に襲撃する。
・幸運による対抗判定に成功して決定づけられた運命を覆す。
などの対処が必要となる。
ティムールが発明したとされるチェスの一種『タメルラン・チェス』とそれに纏わる伝説が、その軍才と共に宝具となったもの。
曰く、ティムールは夜中に一人で巨大なチェス盤を前に駒を動かし、戦術の着想を得ていた、という伝説が存在する。
それが昇華された事で、この宝具は敵との戦闘の前に必勝の運命を形作るものへと変貌した。
傍目にはティムールが駒を動かしているように思えるが、実際はティムール自身にも計り知れない未来の暗喩。
その暗喩をティムールが解読する事で、逆説的にティムールの勝利が因果レベルで確定する。
(TRPG的に処理するなら、戦闘中、ティムールの敗北に直結する判定が強制的に失敗するようになる)
なお、暗号解読の難易度は、ティムールが敵について把握している情報が多いほど低下する。
敵のプロフィール・パーソナリティを熟知していれば、一夜とかけずに必勝の運命を定めることができるだろう。
この宝具を破るには
・ティムールが暗喩の解読に成功する前に戦いを挑む。
・ティムールがこちらについて情報を把握する前に襲撃する。
・幸運による対抗判定に成功して決定づけられた運命を覆す。
などの対処が必要となる。
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:0〜99 最大捕捉:1000人
「ティムールの自伝」の翻訳――という名目でムガル帝国の皇帝シャー・ジャーハーンに献上された書物。
その名は「ティムールの言葉」を意味する。
恐らくは偽書であり、ティムールの生涯を英雄譚として物語化せしめたもの。
しかし、セミラミスの『虚栄の空中庭園』同様、信仰が集まった事で魔導書型の宝具となった。
宝具としての機能は「ティムールの生涯」という物語(虚構)と、実際に存在する生命の血肉(現実)とをすり替えるというもの。
書物を開く事で彼が創り上げた軍勢、都市、建設物(髑髏の塔含む)などを幻想として具現化する――のだが
本質が偽りに依拠するが故か、初期状態では現実に干渉できない、蜃気楼の如き虚構でしかない。
しかし、ティムールが人間ないしそれに類する知性体の血肉を情報体として“解体”し取り込む事で
喚び出す幻想の強度は上昇し、現実への干渉力も増していく。
一国を滅ぼす程の殺戮の末であれば、騎兵、歩兵、象兵が織りなす大軍勢や
青の都、黄道十二宮に擬えた庭園、武具工房、倉庫、牢獄、墓廊、鎖の宮殿、白の宮殿といった
在りし日の大帝国の威容を喚び出し、テクスチャを塗り替える事も不可能ではないだろう。
尤も、その影には血肉を情報体として取り込まれた命の残骸――無数の白骨が散らばっているだろうが。
「ティムールの自伝」の翻訳――という名目でムガル帝国の皇帝シャー・ジャーハーンに献上された書物。
その名は「ティムールの言葉」を意味する。
恐らくは偽書であり、ティムールの生涯を英雄譚として物語化せしめたもの。
しかし、セミラミスの『虚栄の空中庭園』同様、信仰が集まった事で魔導書型の宝具となった。
宝具としての機能は「ティムールの生涯」という物語(虚構)と、実際に存在する生命の血肉(現実)とをすり替えるというもの。
書物を開く事で彼が創り上げた軍勢、都市、建設物(髑髏の塔含む)などを幻想として具現化する――のだが
本質が偽りに依拠するが故か、初期状態では現実に干渉できない、蜃気楼の如き虚構でしかない。
しかし、ティムールが人間ないしそれに類する知性体の血肉を情報体として“解体”し取り込む事で
喚び出す幻想の強度は上昇し、現実への干渉力も増していく。
一国を滅ぼす程の殺戮の末であれば、騎兵、歩兵、象兵が織りなす大軍勢や
青の都、黄道十二宮に擬えた庭園、武具工房、倉庫、牢獄、墓廊、鎖の宮殿、白の宮殿といった
在りし日の大帝国の威容を喚び出し、テクスチャを塗り替える事も不可能ではないだろう。
尤も、その影には血肉を情報体として取り込まれた命の残骸――無数の白骨が散らばっているだろうが。
ティムール朝の建国者。モンゴル帝国の復活を掲げて世界帝国を築き上げた軍事的天才。その名は鉄を意味する。
数多といる同名の人物達と区別する為に、ティムール・イ・ラング(跛者)やその訛称で呼ばれる事が多い。
文盲ながら知識力に優れ、有用な学者や文化人に敬意を払う一方、それ以外の人間に対しては過剰な残虐性を示したという。
征服事業だけでなく造営事業に置いても広く知られる。特に青の都サマルカンドとアクサライ宮殿の建築で名高い。
†
若年期の時の出来事について信憑性の高い史料はない。没落貴族の出とする逸話もあるが疑わしい。
強盗団を率いていたところを西チャガタイ・ハン国の有力者カザガンに見出されたとされ、配下に加わったとされる。
その後、カザガンの暗殺、その子アブドゥラーフの失脚を経て
西チャガタイ・ハン国は有力貴族達やモグーリスタン・ハン国の勢力が相争う群雄割拠の様相を呈するようになる。
モグーリスタン・ハン国の支配者トゥグルク・ティムール・ハンに高く評価され、支配権を容認されたが
ティムール自身は現地民の支持を得られず、むしろ現地の有力者に仕えてモグーリスタン軍と戦う事が多かった。
やがてティムールは旧主カザガンの孫であるフサインと同盟を結び、モグーリスタン軍と戦う事になる。
泥沼の戦いでは手痛い敗北を喫して遁走したが、本拠サマルカンドは反モンゴル族を掲げる市民(サルバダール)の手によって守られた。
しかし、ティムールらは勝利に貢献した市民の力を危険視し、歓待を装っての騙し討ちによって彼らを一人を除いて皆殺しにしたという。
その後、サマルカンドにフサインを指導者、ティムールを補佐役とする政治体制を確立させたが
集権化を目指し重税を敷くフサインと、その動きを逆に利用して声望を高めようとするティムールの関係は日に日に悪化していった。
二人の対立はしばしば軍事的衝突に発展したが、モグーリスタンという外部からの脅威もあった為、和戦を繰り返した。
やがてティムールは反フサイン勢力を糾合する一方、
スーフィズム(イスラム神秘主義)の協力やモンゴル帝国の末裔ソユルガトミシュの擁立など既存の権威も利用し、フサインを追い落とした。
その後、フサインやその支持勢力の多くを抹殺した末に、ティムールは西チャガタイ・ハン国の旧領を支配する事実上の指導者となった。
ただし、彼自身はチンギス・ハンの旧法を尊重してハンを名乗らず、ハーンの娘婿を意味する「キュレゲン」と称したという。
以後もティムールは飽くことなく遠征と殺戮を繰り広げる。
旧敵モグーリスタン国に度々攻勢をかける一方で、スーフィー朝が支配するホラズムにも勢力を拡げる。
この戦いの過程でティムールは国内の部族長達の相次ぐ反乱・離反にも苦しめられたが
ティムールはそのいずれにも力によって迅速・果断に対処し
厳罰や氏族の解体、股肱の臣を部族の指導者に据えるなどの処置によって国内の統制を強化していった。
一方、北方のジョチ・ウルスに対しては、亡命してきたジョチ・ウルスの王族トクタミシュを支援する事で対処している。
モグーリスタン国やスーフィー朝の勢力が弱まると
ティムールはモンゴル帝国の復権を大義名分としてペルシアへの遠征に乗り出した。
当初の動機はペルシアの諸国を従属させる事や、家畜や労働力の確保、肥大化した軍勢を維持するための略奪などが目的だったという。
しかし、従属国に対する重税や現地民のケシュやサマルカンドへの連行、それに苦しんだ人々の反乱と虐殺の繰り返しは
結果としてペルシアの諸勢力の滅亡とティムールによる一元支配体制の確立に繋がった。
三年戦役と呼ばれる西アジアの遠征でもペルシア遠征と同様の流れで現地の国家を次々に轢殺していったティムールだが、
同じく西アジアを狙うトクタミシュと対立を深めていく事となる。
かつて支援した縁もあり、ティムールはトクタミシュとの和約を模索したが
遠征中のティムールの本領にトクタミシュの軍勢が侵攻した事でついに決裂。
猛烈な勢いで軍を返し、トクタミシュの軍勢とそれに呼応した反乱勢力を撃滅した。
その後、モグーリスタン国を攻めて親ティムールの君主を立てる事で後顧の憂いを無くし
トクタミシュの本領であるジョチ・ウルスへと侵攻。
コンドゥルチャ川の戦いでトクタミシュの軍勢を大破し、その勢力を大いに弱めた。
ティムールはトクタミシュを滅ぼすより先に西アジア遠征を再開したが
再起したトクタミシュは西アジアの諸国と共に反ティムール同盟を結成し、ティムール領への再侵攻を開始する。
これを受けてティムールは反ティムール同盟の一部とトクタミシュの軍勢を次々に叩きのめした。
五年戦役と呼ばれるこの戦いで西アジアとジョチ・ウルスに覇を唱えたティムールであったが、
北方ジョチ・ウルスの支配には関心がなかったらしく、現地の有力者や王族に親ティムール政権を樹立させる事で良しとしたという。
インドに対する遠征では当初孫のピール・ムハンマドに軍を率いさせていたが、彼の苦戦を知って自ら親征。
トゥグルク朝の軍勢を次々に大破し、インドの富める各都市に対し略奪と殺戮を行い、壊滅させた。
しかし、遠征の途上(あるいは終了後)に自身の息子で猛将であるミーラーン・シャーの反乱を知り、
同地の支配権を確立する事なく軍を返し、これを鎮圧した。
ミーラーン・シャーの反乱を契機とする七年戦役では
反旗を翻した西アジアの諸勢力や反ティムール同盟の残存勢力との戦いが行われた。
ティムールはミーラーン・シャーを破って更迭し、反ティムールの姿勢を示す諸国を撃滅し、覇権の健在を示した。
この七年戦役において特筆されるべきはオスマン帝国の君主バヤズィト一世との戦いである。
バヤズィト一世は西欧にも恐れられていた無敗の名将であり、ティムールとの戦いは東西の世界的名将の直接対決であった。
この所謂アンカラの戦いで、敵の誘引、その虚を突く戦略的機動、敵の調略、包囲殲滅と戦争芸術とも言える完璧な戦争を実現した。
バヤズィト一世も奮戦したが、結局は息子ムーサー共々捕虜となり、英主を失ったオスマン帝国は壊滅した。
(西欧のキリスト教国はこれを大いに喜んだが、ヨハネ騎士団の領土を奪うなど、決してキリスト教国家の味方ではなかった)
西方遠征からの帰還後、ティムールは異教徒への聖戦と称した東方の明王朝への遠征を計画する。
この時、明王朝は靖難の変に揺らいでおり、勝算は十二分にあったのだが
ティムールは遠征の途上で寒さの為に病にかかり、そのまま回復する事なく崩御した。
ティムールの遠征には騎馬民族という事を加味しても度を越した破壊と殺戮の嵐が吹き荒れた。
また征服地の人々を奴隷として首都サマルカンドや故郷ケシュに連れ帰り、数々の建設事業に従事させたという。
一方で文化人や学者、技術者は(もちろん強制的に連れてきた上でだが)礼遇し、敬意を払ったという。
余談ではあるが、彼の墓廟には「ティムールの呪い」と言われるちょっとしたエピソードがある。
曰く、ティムールの石棺は(警句が刻んであったにも関わらず)二回暴かれた。
一度目はティムールを尊敬していた後世の覇王ナーディル・シャーの手によって。二度目はソ連の学術調査によって。
そしてその度に呪いは現れた――ナーディル・シャーは次第に正気を失い、ソ連はナチスの侵略を受けたのである。
数多といる同名の人物達と区別する為に、ティムール・イ・ラング(跛者)やその訛称で呼ばれる事が多い。
文盲ながら知識力に優れ、有用な学者や文化人に敬意を払う一方、それ以外の人間に対しては過剰な残虐性を示したという。
征服事業だけでなく造営事業に置いても広く知られる。特に青の都サマルカンドとアクサライ宮殿の建築で名高い。
†
若年期の時の出来事について信憑性の高い史料はない。没落貴族の出とする逸話もあるが疑わしい。
強盗団を率いていたところを西チャガタイ・ハン国の有力者カザガンに見出されたとされ、配下に加わったとされる。
その後、カザガンの暗殺、その子アブドゥラーフの失脚を経て
西チャガタイ・ハン国は有力貴族達やモグーリスタン・ハン国の勢力が相争う群雄割拠の様相を呈するようになる。
モグーリスタン・ハン国の支配者トゥグルク・ティムール・ハンに高く評価され、支配権を容認されたが
ティムール自身は現地民の支持を得られず、むしろ現地の有力者に仕えてモグーリスタン軍と戦う事が多かった。
やがてティムールは旧主カザガンの孫であるフサインと同盟を結び、モグーリスタン軍と戦う事になる。
泥沼の戦いでは手痛い敗北を喫して遁走したが、本拠サマルカンドは反モンゴル族を掲げる市民(サルバダール)の手によって守られた。
しかし、ティムールらは勝利に貢献した市民の力を危険視し、歓待を装っての騙し討ちによって彼らを一人を除いて皆殺しにしたという。
その後、サマルカンドにフサインを指導者、ティムールを補佐役とする政治体制を確立させたが
集権化を目指し重税を敷くフサインと、その動きを逆に利用して声望を高めようとするティムールの関係は日に日に悪化していった。
二人の対立はしばしば軍事的衝突に発展したが、モグーリスタンという外部からの脅威もあった為、和戦を繰り返した。
やがてティムールは反フサイン勢力を糾合する一方、
スーフィズム(イスラム神秘主義)の協力やモンゴル帝国の末裔ソユルガトミシュの擁立など既存の権威も利用し、フサインを追い落とした。
その後、フサインやその支持勢力の多くを抹殺した末に、ティムールは西チャガタイ・ハン国の旧領を支配する事実上の指導者となった。
ただし、彼自身はチンギス・ハンの旧法を尊重してハンを名乗らず、ハーンの娘婿を意味する「キュレゲン」と称したという。
以後もティムールは飽くことなく遠征と殺戮を繰り広げる。
旧敵モグーリスタン国に度々攻勢をかける一方で、スーフィー朝が支配するホラズムにも勢力を拡げる。
この戦いの過程でティムールは国内の部族長達の相次ぐ反乱・離反にも苦しめられたが
ティムールはそのいずれにも力によって迅速・果断に対処し
厳罰や氏族の解体、股肱の臣を部族の指導者に据えるなどの処置によって国内の統制を強化していった。
一方、北方のジョチ・ウルスに対しては、亡命してきたジョチ・ウルスの王族トクタミシュを支援する事で対処している。
モグーリスタン国やスーフィー朝の勢力が弱まると
ティムールはモンゴル帝国の復権を大義名分としてペルシアへの遠征に乗り出した。
当初の動機はペルシアの諸国を従属させる事や、家畜や労働力の確保、肥大化した軍勢を維持するための略奪などが目的だったという。
しかし、従属国に対する重税や現地民のケシュやサマルカンドへの連行、それに苦しんだ人々の反乱と虐殺の繰り返しは
結果としてペルシアの諸勢力の滅亡とティムールによる一元支配体制の確立に繋がった。
三年戦役と呼ばれる西アジアの遠征でもペルシア遠征と同様の流れで現地の国家を次々に轢殺していったティムールだが、
同じく西アジアを狙うトクタミシュと対立を深めていく事となる。
かつて支援した縁もあり、ティムールはトクタミシュとの和約を模索したが
遠征中のティムールの本領にトクタミシュの軍勢が侵攻した事でついに決裂。
猛烈な勢いで軍を返し、トクタミシュの軍勢とそれに呼応した反乱勢力を撃滅した。
その後、モグーリスタン国を攻めて親ティムールの君主を立てる事で後顧の憂いを無くし
トクタミシュの本領であるジョチ・ウルスへと侵攻。
コンドゥルチャ川の戦いでトクタミシュの軍勢を大破し、その勢力を大いに弱めた。
ティムールはトクタミシュを滅ぼすより先に西アジア遠征を再開したが
再起したトクタミシュは西アジアの諸国と共に反ティムール同盟を結成し、ティムール領への再侵攻を開始する。
これを受けてティムールは反ティムール同盟の一部とトクタミシュの軍勢を次々に叩きのめした。
五年戦役と呼ばれるこの戦いで西アジアとジョチ・ウルスに覇を唱えたティムールであったが、
北方ジョチ・ウルスの支配には関心がなかったらしく、現地の有力者や王族に親ティムール政権を樹立させる事で良しとしたという。
インドに対する遠征では当初孫のピール・ムハンマドに軍を率いさせていたが、彼の苦戦を知って自ら親征。
トゥグルク朝の軍勢を次々に大破し、インドの富める各都市に対し略奪と殺戮を行い、壊滅させた。
しかし、遠征の途上(あるいは終了後)に自身の息子で猛将であるミーラーン・シャーの反乱を知り、
同地の支配権を確立する事なく軍を返し、これを鎮圧した。
ミーラーン・シャーの反乱を契機とする七年戦役では
反旗を翻した西アジアの諸勢力や反ティムール同盟の残存勢力との戦いが行われた。
ティムールはミーラーン・シャーを破って更迭し、反ティムールの姿勢を示す諸国を撃滅し、覇権の健在を示した。
この七年戦役において特筆されるべきはオスマン帝国の君主バヤズィト一世との戦いである。
バヤズィト一世は西欧にも恐れられていた無敗の名将であり、ティムールとの戦いは東西の世界的名将の直接対決であった。
この所謂アンカラの戦いで、敵の誘引、その虚を突く戦略的機動、敵の調略、包囲殲滅と戦争芸術とも言える完璧な戦争を実現した。
バヤズィト一世も奮戦したが、結局は息子ムーサー共々捕虜となり、英主を失ったオスマン帝国は壊滅した。
(西欧のキリスト教国はこれを大いに喜んだが、ヨハネ騎士団の領土を奪うなど、決してキリスト教国家の味方ではなかった)
西方遠征からの帰還後、ティムールは異教徒への聖戦と称した東方の明王朝への遠征を計画する。
この時、明王朝は靖難の変に揺らいでおり、勝算は十二分にあったのだが
ティムールは遠征の途上で寒さの為に病にかかり、そのまま回復する事なく崩御した。
ティムールの遠征には騎馬民族という事を加味しても度を越した破壊と殺戮の嵐が吹き荒れた。
また征服地の人々を奴隷として首都サマルカンドや故郷ケシュに連れ帰り、数々の建設事業に従事させたという。
一方で文化人や学者、技術者は(もちろん強制的に連れてきた上でだが)礼遇し、敬意を払ったという。
余談ではあるが、彼の墓廟には「ティムールの呪い」と言われるちょっとしたエピソードがある。
曰く、ティムールの石棺は(警句が刻んであったにも関わらず)二回暴かれた。
一度目はティムールを尊敬していた後世の覇王ナーディル・シャーの手によって。二度目はソ連の学術調査によって。
そしてその度に呪いは現れた――ナーディル・シャーは次第に正気を失い、ソ連はナチスの侵略を受けたのである。
冗談を嫌い、暗記力に優れた。数字の9を好む。ウズベキスタン発祥の格闘技「クラッシュ」の保護者であったともされる。
イスラム国家にはチンギス・ハンの法を、非イスラム国家にはイスラムの聖戦を征服戦争の大義名分とするという
思想や哲学を支配や侵略の道具としか見なさない実際家。
文盲だったが歴史やチェス(チャトランガ)など知的な遊興を好み、学者や技術者を愛し、
タメルラン・チェスの発案者でもあった――というのが歴史からうかがえる彼の人物像である。
本稿では、他者への共感性が欠けたサイコパスであり
ゲームのスコアアタックのような感覚で虐殺を愉しむ殺人狂であった、と設定する。
史実において軍に市民(敵兵にあらず)の首級を取る事をノルマとして課し
虐殺をシステマチックに進める体制を整えたのも、そうした嗜好の現れである。
一方で合理主義的な観点から、殺人スコアを伸ばす為には戦い以外の手段も必要だという事を理解している。
故に、表面上は偉大な覇王、優れた教養人を装い、スコアを伸ばすのに必要ならば殺人欲求を年単位で堪える。
尤も、その残虐性は彼にとっては「無意味な生を送るよりは有意義に活用してやろう」というある種の愛情の発露でもある。
文盲でありながら比肩なき賢者でもある彼にとって、他人は「同じ人間」であるとは認識できず
一部の英俊・賢人さえも喋るオウムと同程度の存在でしかない。
天地に人間足るは我のみという強烈な自我を有するティムールにとって
殺戮は彼の娯楽として、奴隷は建造の為の工具として、部下や学者、技術者達は己が従える畜獣として
人生を無駄使いさせず、より良い方向に活用してやっている、という認識なのだ。
建設的な趣味も有しており、歴史学や文化事業、建設事業において専門家をも遥かに凌駕する見識を有する。
しかし、それらはあくまで殺人欲求をなだめる為の遊興の結果として身につけたものに過ぎない。
文盲であるにも関わらず、遊興でそれだけの見識を身につけられるという事が
彼の知性が並々ならぬものであるという事を証明しているとも言えようか。
征服者は度々反乱を受けるのが常だが、
ティムールの場合は征服地の人間のみならず創業を共にした部下でさえしばしば反乱に身を投じた。
それも彼が本質的にはカリスマではなく絶対的な力と恐怖で支配するタイプの君主であった為だろう。
大抵の場合、こういう支配者は破滅するのだが、ティムールは知謀と武略において世に冠絶していたが故に天寿を全うした。
イスラム国家にはチンギス・ハンの法を、非イスラム国家にはイスラムの聖戦を征服戦争の大義名分とするという
思想や哲学を支配や侵略の道具としか見なさない実際家。
文盲だったが歴史やチェス(チャトランガ)など知的な遊興を好み、学者や技術者を愛し、
タメルラン・チェスの発案者でもあった――というのが歴史からうかがえる彼の人物像である。
本稿では、他者への共感性が欠けたサイコパスであり
ゲームのスコアアタックのような感覚で虐殺を愉しむ殺人狂であった、と設定する。
史実において軍に市民(敵兵にあらず)の首級を取る事をノルマとして課し
虐殺をシステマチックに進める体制を整えたのも、そうした嗜好の現れである。
一方で合理主義的な観点から、殺人スコアを伸ばす為には戦い以外の手段も必要だという事を理解している。
故に、表面上は偉大な覇王、優れた教養人を装い、スコアを伸ばすのに必要ならば殺人欲求を年単位で堪える。
尤も、その残虐性は彼にとっては「無意味な生を送るよりは有意義に活用してやろう」というある種の愛情の発露でもある。
文盲でありながら比肩なき賢者でもある彼にとって、他人は「同じ人間」であるとは認識できず
一部の英俊・賢人さえも喋るオウムと同程度の存在でしかない。
天地に人間足るは我のみという強烈な自我を有するティムールにとって
殺戮は彼の娯楽として、奴隷は建造の為の工具として、部下や学者、技術者達は己が従える畜獣として
人生を無駄使いさせず、より良い方向に活用してやっている、という認識なのだ。
建設的な趣味も有しており、歴史学や文化事業、建設事業において専門家をも遥かに凌駕する見識を有する。
しかし、それらはあくまで殺人欲求をなだめる為の遊興の結果として身につけたものに過ぎない。
文盲であるにも関わらず、遊興でそれだけの見識を身につけられるという事が
彼の知性が並々ならぬものであるという事を証明しているとも言えようか。
征服者は度々反乱を受けるのが常だが、
ティムールの場合は征服地の人間のみならず創業を共にした部下でさえしばしば反乱に身を投じた。
それも彼が本質的にはカリスマではなく絶対的な力と恐怖で支配するタイプの君主であった為だろう。
大抵の場合、こういう支配者は破滅するのだが、ティムールは知謀と武略において世に冠絶していたが故に天寿を全うした。
ティムールはイスカンダルやチンギス・ハンと言った過去の覇王を意識していたという。
彼の雅称サーヒブ・キラーンに纏わる逸話(同じように星辰が揃う時に生まれたという伝説)もそうした意識の現れだろうか。
彼の雅称サーヒブ・キラーンに纏わる逸話(同じように星辰が揃う時に生まれたという伝説)もそうした意識の現れだろうか。
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