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ここはでもにっしょんch ぼくの考えたサーヴァントスレに投稿されたサーヴァントを纏めるwikiです。

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基本情報

【元ネタ】史実
【CLASS】バーサーカー
【マスター】
【真名】王莽
【異名・別名・表記揺れ】巨君(字)
【性別】男性
【身長・体重】173cm・71kg
【外見・容姿】「梟のような目、虎のような唇、犲や狼のような声」であり「底の厚い靴や高い冠を好み、から牛の尾で衣服を飾」った男。雲母の扇で顔を隠している。
【地域】中国
【年代】前漢末期〜新
【属性】混沌・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型 王
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷C 魔力E 幸運C 宝具B

【クラス別スキル】

狂化:EX

 パラメータをランクアップさせるが、理性の大半を失われる。
 狂化を受けても王莽は会話を行うことができるが、彼の思考は現実から乖離した空理空論に支配されており、実質的に彼との意思の疎通は不可能である。

【固有スキル】

皇帝特権:E

 本来持ち得ないスキルも獲得していると主張できる。主張できるだけともいう。

道術(外):EX

 蘇楽を筆頭とした方士たちから収集し、その構造を詳らかにした仙術・養生術・呪術体系。
 肉体延命、病魔耐性、結界、呪的治療など広範に修めており、その知識を他者に教授することも可能。
 しかし、王莽自身の魔術回路は質・量ともに劣悪を極めており、単独での術式行使は不可能となっている。
 王莽自身が術式を行使するには他の魔術回路との接続が必須であり、術式の精度や効力も相手の魔術回路の質・量・特性に左右されてしまう。
 また、この際の主導権は接続・干渉される側にある為、相手側の同意なしでは使用できない。
 相手に悪意があった場合、逆に魔術回路を焼き切られるリスクさえある。

自己暗示(正名論):B

 自らを対象とした強力な暗示。王莽の場合は儒教に基づく「名は実に先行し、これを規定する」という思想の極致。
 名は現実に反映されるという思い込みにより、対象と相対した際の王莽の精神状態が変化する。
 精神に働きかける魔術・スキル・宝具の効果に対して高い防御効果を発揮する他、決して勇敢とは言えない王莽の戦闘運用にも寄与する。
 例えば敵手の名を王莽自身に都合よく伝えることで「相手が自身より劣る存在である」「中華に劣る夷狄である」などと思い込ませれば、根拠もなく勝利を確信し続け、死ぬまで戦い続けるだろう。

制礼作楽:A

 儒教秩序における礼楽を制定したことに由来して獲得したスキル。儒教以外の信仰に干渉する事で、その神秘の効果を敵味方問わず削減する。
 楽は天の働きを真似て作られたものであり、礼は地の働きを真似て作られたもの。
 魔術理論・照応に基づいて解釈するのならば、天地自然の働きと人間社会の有り様とを結びつける儀式魔術とも言える。

【宝具】

禅譲・天之符命てんめいはただわれのみにあり

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1人
 前漢王朝を放伐ではなく禅譲という手順で滅ぼし、帝権を奪い取った手練手管。
 後世においても簒奪を正当化する手本として参照された禅譲の手順が宝具にまで昇華されたもの。
 王莽が対象の本質を理解したと思い込んでいる事が発動条件となる。(実際に理解している必要はない)
 発動条件を満たした上で、対象の権限を自身に移し替える事を天が望んでいるとする数々の符命(予言の証拠)を作成する事で、相手の持つ能力や特性を一時的に剥奪し、自らのものとする。
 ただし、これによって得た力は紛い物に過ぎず、Aランク以上のものに関してはBランク相当にまで神秘や効力が劣化する。

【Weapon】

『威斗』

 五種類の鉱石と銅で作られた、柄杓のような形の呪具。の筈なのだが狂化の影響か王莽はこれを武器として扱う。
 これに向かって呪文をとなえれば、たちどころに反乱軍が退散すると生前の王莽は信じていたという。

【解説】

 新の皇帝。前漢の外戚として台頭し、儒教的な徳治の理想を掲げて禅譲という形式で皇位を簒奪、“新”を建国した人物。
 周礼を根幹においた儒教的価値観に基づく政治姿勢で出世を重ねるが、帝位簒奪後は儒教秩序に基づく教条主義的な政治姿勢により中華内外を混乱に陥れる。
 ついには反乱が頻発するまでになり、新王朝は王莽一代で滅亡。後世では偽天子の実例の一つとして評価される。

 伯父や叔父たちが外戚として権勢を誇る中、王莽自身は質素な生活を送り、学問に励み、年長者に孝行を尽くし、名士たちと積極的に交流したという。
 この振る舞いは当時の儒教的価値観に則った模範的なものであり、その評判は朝廷内外に広まった。
 儒者・官僚・民衆のいずれからも支持を集め、その清廉さを称える声は絶えなかった。

 前漢末期、外戚の王氏一族が権力を握る中で王莽は頭角を現し、大司馬の職に就いてからは朝廷の実権を掌握していく。
 幼帝が相次いで即位する不安定な情勢の中、王莽は摂政・宰衡・安漢公といった地位を次々に手に入れ、周公旦の故事に倣い政治を掌握。並行して簒奪の準備を整える。
 そして紀元8年、各地から奇瑞や符命(予言)が相次いで出現した(捏造であったと目される)ことを根拠として、前漢最後の皇太子・孺子嬰から禅譲を受け、新王朝を建国した。

 しかしここから王莽の現実認識の欠陥が顕になっていく。
 彼が推し進めた改革は、復古主義的な儒教理念、特に周礼に基づくものであった。
 その為、周代の制度を理想として王田制を敷く事で土地の私有と売買を禁じ、奴婢の売買を禁止する事で奴隷制度の撤廃を目指し、塩・鉄・酒の専売制を敷き、五均六管と呼ばれる物価統制・金融政策を実施した。
 これらの政策については前漢王朝の頃から続く問題に対処する為のものでもあり、現代の視点から見れば先進的とも言える内容であったが、形式主義に囚われて行われた急進的な改革は早々に暗礁に乗り上げた。
 正名論に基づいて官職・地名の呼称を古制に従って大量に変更したことも行政の混乱に拍車をかけ、臣下たちは変更前後の名称の対応を覚えることに忙殺された。
 貨幣制度も何度も改変し、あまりに頻繁な制度変更が流通を混乱させた。

 対外政策においても致命的な失策を犯した。
 匈奴・高句麗・西南夷といった周辺民族を華夷思想の枠組みで格下に扱い、その君長に与えていた印綬を格下のものに取り替えるなど挑発的な行為を繰り返した。
 これが周辺民族の激しい敵意を招き、各地で戦乱が勃発。征伐の為に軍を何度も派遣するも成果は乏しく、国力を著しく消耗した。

 国内でも王田制の機能不全や重税・飢饉が重なり、赤眉・緑林をはじめとする各地の農民反乱が起きた。
 各地の豪族も自立し始め、新王朝の支配は急速に瓦解していった。
 王莽は連日明け方まで政務に励んだと伝えられるが、それは官僚機構への信頼の薄さと自身への過信の裏返しでもあり、膨大な政務を一人で抱え込もうとする姿勢はかえって行政を停滞させた。

 また、王莽は威斗と呼ばれる反乱退散の呪具の鋳造や、黄帝の先例に習い巨大な華蓋車を作らせて仙人になろうとしたなどの逸話が残っている。
 現実の危機から遊離した思考の象徴とも言えるエピソードである。

 反乱征伐に差し向けた大軍が漢の皇族を奉じた軍勢に敗れると臣下にも背かれ、首都・長安が陥落。
 王莽は逃げ場を失い、杜呉という商人によって殺害された。ここに新は一代で滅亡した。
 その首は宛に送られ、さらし首とされた。その頭部は後漢の歴代皇帝によって長く保管されたと伝わる。

 後世の評価は惨憺たるものだが、現代では一部ながら再評価する動きも見られる。
 彼の諸政策の理念そのものは前漢の矛盾や問題に対する鋭い分析に基づいており、後漢の国制に引き継がれた部分も少なくない。
 尤も、末年には儒教秩序にそぐわない淫祠邪教も数多祀るようになり、黄帝穀仙術なる怪しげな儀式を行うなど、初志貫徹すらできなかったという事は併記しておく必要があるだろう。

【人物像】

 形式主義、懐古主義、理想主義の三拍子が揃った危険人物。大変な負けず嫌い、かつ独善的。
 正名論に基づき物事の名称(名)とその実態(実)を一致させるべきと考えている。
 禅譲による事実上の帝位簒奪に走ったのも、彼の視点からすれば野心だけでなく、物事の名称(名)とその実態(実)を一致させるという正名論に忠実な行動だったと言える。

 また、理論や観念は常に現実より優位であり、現実はそれに隷属する劣位の存在であると捉えている。(型月の世界観だとある意味で的中している)
 制度の制定さえ成れば天下は自ずから治まると言わんばかりに政令の細かな変更や修正に拘泥した(もちろん現実の政治は混乱した)のも、そうした価値観の現れと言える。

 その上で、自分は理論的に正しい事をしているのだから絶対的に正しいのだという確信を持っている。
 つまり、正しい事をしているのに正しい結果が齎されないならば、間違っているのは世界の方だ、という思考パターンの持ち主なのだ。
 つまり超絶他責思考。考えを改めたりする事がなく、常に「悪いのは自分以外の誰か」であると考える。
 反省するポーズこそ取るが、本質的には自省することなど全くない。
「理想を目指すのは正しい事だ」「理論的・観念的に正しい事をしているのだから間違っているのは自分以外の何かだ」と内心では常に思っている。最悪である。

 尤も、彼が机上の空論に溺れただけの無能かと言われればそうではない。
 早々に有名無実化してしまったとはいえ王田制は前漢王朝の抱えた問題である貧富の差の際限ない拡大にメスを入れるものであったし、彼が整備した儒教政策・祭儀の整備・官僚制度の数々は新王朝が短命に倒れた後に引き継がれたものもあった。
 後漢王朝の国制に引き継がれたものも多く、彼の現状に対する分析や理論そのものは優れていたのである。

 ただし、それらを踏まえて構想を実現する能力や状況に応じた臨機応変さが王莽には欠けていた。
 そして、彼の理想の破綻を他責――つまり自らの理論を実行に移せない臣下たちの所為だと考えた事が、彼の限界であった。
 彼は政務の多くを自身の手で決済しようとして連日明け方まで励んだと伝わるが、中華の地を人間一人の実務能力で切り盛りできるわけもない。
 それどころか、王莽が改変した政治制度の影響もあって、かえって政治の混乱を招いた。

 王莽が現実に敷衍させようとした理論を破綻させたのは、彼自身の現実観の無さであった。
「世界をどうしていくか」ではなく「世界はどうあるべきか」を思考の根底に置く人間の、妥当な末路と言える。
 しかし、彼は破綻の原因が自分の所為だという事実から最後まで目を背け続け、ついには淫祠(オカルト)に頼り始めたという。

 政治的な面を除けば学究の徒としての属性が強い。
 方士を重用した事や罪人を解剖して人体の構造を把握しようとした事は――現実逃避という側面もあっただろうが――彼がただ空論を弄ぶだけでなく実践を重視する人間であった(実践が出来る人間であった事は意味しない)ことを示している。
 儒教に対する信奉と方術(現代的に言えば科学の側面も含む)に対する傾倒は、彼の中では矛盾しないものだった。(現実でも科学者が法則性から神の存在を見出し強い信心を抱く事例は珍しくない)

【関連人物】

項羽:

王莽は前漢王朝を滅ぼしたこともあってか劉邦の霊を強く恐れていたという。
型月の設定では劉邦は項羽によって中華の君主として成長させられた存在であるため、間接的に影響を及ぼしたと言えなくもない。

玄奘三蔵:

西遊記において三蔵法師の一番弟子となる斉天大聖(後の孫悟空)が誕生したのは王莽の時代の事であったと設定されている。
王莽の秕政に照応して天地が狂い、かように異常な存在が生まれたのだ――とする文化的背景があるのだろう。
裏を返せば、中華の地の神秘の根幹は人心の有り様にあるという事かもしれない。

【蛇足】

 途中までは擁護的な内容で制作しようと思ってたんだけど
(史実だと象牙の塔に籠らせておいた方が本人含め幸せだったタイプだけど、観念論や概念が現実に先行する型月の世界観だと愚民に理解されなかった可哀想な賢王扱いもできなくはなさそう。
 消費社会・貧富拡大を是正しようとした理想主義とも言えなくはないから判官びいきがデフォなFateの作風を考慮するなら擁護できるんじゃなかろうか。
「彼は国を愛したが国は彼を愛さなかった」とか「輝く星(りそう)を目指した」的な解釈で……)
 やっぱ無理あるなと思ってやめました。

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