最終更新:ID:sM1ry/9ZMQ 2026年08月15日(土) 15:45:59履歴
【元ネタ】史実 金史など
【CLASS】ランサー
【真名】完顔陳和尚
【異名・別名・表記揺れ】 完顔彝(本名)、良佐(字)、完顔禅華善(女真語の音写による別訳)
【性別】男性
【身長・体重】186cm・82kg
【外見・容姿】毛皮帽・毛皮衣の上に、女真式鉄兜と重厚な札甲を重ね着した男。
【地域】中国 金王朝
【年代】金末(12世紀後半〜13世紀初頭)
【属性】秩序・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型
【ステータス】筋力B+ 耐久C 敏捷A 魔力D 幸運E 宝具A+
【CLASS】ランサー
【真名】完顔陳和尚
【異名・別名・表記揺れ】 完顔彝(本名)、良佐(字)、完顔禅華善(女真語の音写による別訳)
【性別】男性
【身長・体重】186cm・82kg
【外見・容姿】毛皮帽・毛皮衣の上に、女真式鉄兜と重厚な札甲を重ね着した男。
【地域】中国 金王朝
【年代】金末(12世紀後半〜13世紀初頭)
【属性】秩序・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型
【ステータス】筋力B+ 耐久C 敏捷A 魔力D 幸運E 宝具A+
軍略の亜種スキル。多人数を動員した戦場において、勢いを殺さず兵を猛進させることができる。
完顔陳和尚はわずか四百の兵を率いて八千のモンゴル軍を打ち破ったという。かの名将スブタイ(スベエデイ)にさえも白星を挙げたことがある。
完顔陳和尚はわずか四百の兵を率いて八千のモンゴル軍を打ち破ったという。かの名将スブタイ(スベエデイ)にさえも白星を挙げたことがある。
あの日の皇帝陛下の赦免に値する者であると証明し続けなければならない――その覚悟を源泉とする、鋼の精神と行動力。
痛覚の完全遮断、超人的な心身などが効果となる。
複合スキルであり、本来は勇猛スキルと冷静沈着スキルの効果も含む。
痛覚の完全遮断、超人的な心身などが効果となる。
複合スキルであり、本来は勇猛スキルと冷静沈着スキルの効果も含む。
ランク:E〜A+ 種別:対人宝具 レンジ:‐ 最大捕捉:1人(召喚可能数は400人)
モンゴルの支配を逃れてきた様々な民族からなる亡命者集団から選抜された凶猛なる『忠孝軍』――それを完全に統制し、全盛期を築いた逸話が昇華されたもの。
自身の過去や信望ではなく、対象の過去の行いに質・規模を依存する、特殊な軍勢宝具。
ターゲットの被害者や犠牲者(英霊・幻霊含む)を最大で400人の軍勢として召喚・編成し、さらにアヴェンジャークラスの如き戦闘・報復能力を付与して自らと共に突撃を敢行する。
生者であれば疑似サーヴァントのような状態と成さしめ、死者(英霊・幻霊含む)であれば霊基を拡充した状態で召喚、ターゲットが絶命するまで維持し続ける。
その特性上、多くの者を苦しめた暴君や怪物、あるいは多くの難敵を打倒した英雄豪傑が対象であれば強力無比な軍勢を生み出せる。
反面、相手にとってはかつて自分が打ち破った(あるいは屈服させた)者たちで構成される軍勢であり、個々人のパーソナリティをある程度知られた状態で戦わねばならないというデメリットを抱える。
また、呼ばれた者の人格によっては軍勢の統率が乱れ空中分解する危険性や、事前にどれだけの魔力消費が起こるかの予測が困難であるなどの欠点も多い。
相手がこちらの攻略法を認知している前提の上で、潤沢な魔力を用意し、それぞれの復讐の情念を統制し、弱点を補い合って一つの軍隊として機能させる――その難易度は計り知れない。
だが、十全に力を発揮すれば如何なる敵をも打ち破る可能性も秘めている。
(ちなみに、忠孝軍は初期でも1000人、史料によっては最盛期で最大1万8000人とも言われる大部隊であったが『疾若風雨・忠孝軍』で呼び出せる人数は400人が限度となっている。
これは生前に尤も劇的な戦果を挙げたのが400騎を持って8000の敵軍を打ち破った時である為だと思われる)
モンゴルの支配を逃れてきた様々な民族からなる亡命者集団から選抜された凶猛なる『忠孝軍』――それを完全に統制し、全盛期を築いた逸話が昇華されたもの。
自身の過去や信望ではなく、対象の過去の行いに質・規模を依存する、特殊な軍勢宝具。
ターゲットの被害者や犠牲者(英霊・幻霊含む)を最大で400人の軍勢として召喚・編成し、さらにアヴェンジャークラスの如き戦闘・報復能力を付与して自らと共に突撃を敢行する。
生者であれば疑似サーヴァントのような状態と成さしめ、死者(英霊・幻霊含む)であれば霊基を拡充した状態で召喚、ターゲットが絶命するまで維持し続ける。
その特性上、多くの者を苦しめた暴君や怪物、あるいは多くの難敵を打倒した英雄豪傑が対象であれば強力無比な軍勢を生み出せる。
反面、相手にとってはかつて自分が打ち破った(あるいは屈服させた)者たちで構成される軍勢であり、個々人のパーソナリティをある程度知られた状態で戦わねばならないというデメリットを抱える。
また、呼ばれた者の人格によっては軍勢の統率が乱れ空中分解する危険性や、事前にどれだけの魔力消費が起こるかの予測が困難であるなどの欠点も多い。
相手がこちらの攻略法を認知している前提の上で、潤沢な魔力を用意し、それぞれの復讐の情念を統制し、弱点を補い合って一つの軍隊として機能させる――その難易度は計り知れない。
だが、十全に力を発揮すれば如何なる敵をも打ち破る可能性も秘めている。
(ちなみに、忠孝軍は初期でも1000人、史料によっては最盛期で最大1万8000人とも言われる大部隊であったが『疾若風雨・忠孝軍』で呼び出せる人数は400人が限度となっている。
これは生前に尤も劇的な戦果を挙げたのが400騎を持って8000の敵軍を打ち破った時である為だと思われる)
先端に火薬筒を仕込んだ長槍。いわば、使い捨ての火炎放射器が付いた槍。炎が尽きても普通の槍として使用可能。
完顔陳和尚はこの槍を使い捨ての武器として大量に用いる他、宝具で編成した軍勢にも配備することが出来る。
完顔陳和尚の存命中にこの武器が忠孝軍に用いられた記録はないが、没後、忠孝軍から選抜された飛火槍部隊がモンゴル軍に夜襲を敢行し、大戦果を挙げた事があるという。
完顔陳和尚はこの槍を使い捨ての武器として大量に用いる他、宝具で編成した軍勢にも配備することが出来る。
完顔陳和尚の存命中にこの武器が忠孝軍に用いられた記録はないが、没後、忠孝軍から選抜された飛火槍部隊がモンゴル軍に夜襲を敢行し、大戦果を挙げた事があるという。
金王朝末期に活躍した武将。陳和尚とは彼が幼少期に付けられた小字(幼名)だが、完顔陳和尚の名で汎く知られる。
滅びゆく金王朝の最後の英雄であり、モンゴルの名将スブタイを打ち破った事もある戦巧者。
だが、彼一人が活躍しても大勢を覆す事は叶わず、敗戦の末に死を覚悟して名乗りを挙げて拷問死を遂げた。
彼が歴史の表舞台に立った時代、金王朝は北方の新興勢力であるモンゴル帝国の猛攻を受け、国家存亡の危機に瀕していた。
陳和尚も若き日に一度モンゴル軍の捕虜となっている。
この地で完顔陳和尚は高く評価されていたが、故国を想う母の為に共に脱走し、従兄・完顔斜烈と共に祖国へ帰還して軍に身を投じたという。
その後は従兄に付き従い、従兄が病に伏していた折には軍を統括していた彼だが、その時下した裁定の一つが私刑であるとして罪に問われ、死刑判決を受けて投獄されてしまう。
死刑は中々執行されなかったものの、獄中生活は一年半にも及んだ。
その後、即位直後の第9代皇帝・哀宗によってその才能を惜しまれ、反対を押し切る形での特例によって赦免された。
復帰後、彼は忠孝軍と呼ばれる部隊の指揮を任される。
これはモンゴルの侵略によって故郷を追われたウイグル人、ナイマン人、漢人などの亡命者からなる多民族混成部隊であった。
様々な理由から凶暴化し統制が取れていなかった彼らを陳和尚はまとめ上げ、金軍最強の精鋭部隊へと鍛え上げた。
また、陳和尚自身は荒々しい武将でありながら陣中においても『孝経』などの儒教経典を読み、美しい字を書き記す儒将でもあったと伝わっている。
大昌原の戦いにおいて、陳和尚は入浴して着替えた後に甲冑を纏い、わずか四百の忠孝軍を率いて八千のモンゴル軍に決死の突撃を敢行。
これを粉砕し、金軍にとって二十年ぶりの大勝をもたらした。
この功績により名を馳せた彼は、その後も倒回谷の戦いでモンゴルの名将スブタイの軍を撃退するなど、金軍の英雄として獅子奮迅の活躍を見せる。
しかし、金王朝の命運を決する三峰山の戦いにおいて、大雪と飢餓によって消耗しきった金軍主力は、トルイとスブタイが率いるモンゴル軍の包囲攻撃を受け大敗を喫する。
敗走するも進退窮まり、自ら敵兵の前に進み出た彼はモンゴル軍の指揮官に対して名乗りを上げ、降伏勧告を一笑に付した。
かくして彼は捕らえられ、両脚の骨を砕かれ、口を耳まで裂かれるという凄惨な方法で処刑されたが、死の瞬間まで血飛沫を吐きながらモンゴルを罵倒し続けたという。
滅びゆく王朝に最後まで殉じたその不屈の忠義は、敵であるモンゴル軍の将校からも称賛され、もし彼が来世に生まれ変わったのなら配下に加えたいと言わしめた。
滅びゆく金王朝の最後の英雄であり、モンゴルの名将スブタイを打ち破った事もある戦巧者。
だが、彼一人が活躍しても大勢を覆す事は叶わず、敗戦の末に死を覚悟して名乗りを挙げて拷問死を遂げた。
彼が歴史の表舞台に立った時代、金王朝は北方の新興勢力であるモンゴル帝国の猛攻を受け、国家存亡の危機に瀕していた。
陳和尚も若き日に一度モンゴル軍の捕虜となっている。
この地で完顔陳和尚は高く評価されていたが、故国を想う母の為に共に脱走し、従兄・完顔斜烈と共に祖国へ帰還して軍に身を投じたという。
その後は従兄に付き従い、従兄が病に伏していた折には軍を統括していた彼だが、その時下した裁定の一つが私刑であるとして罪に問われ、死刑判決を受けて投獄されてしまう。
死刑は中々執行されなかったものの、獄中生活は一年半にも及んだ。
その後、即位直後の第9代皇帝・哀宗によってその才能を惜しまれ、反対を押し切る形での特例によって赦免された。
復帰後、彼は忠孝軍と呼ばれる部隊の指揮を任される。
これはモンゴルの侵略によって故郷を追われたウイグル人、ナイマン人、漢人などの亡命者からなる多民族混成部隊であった。
様々な理由から凶暴化し統制が取れていなかった彼らを陳和尚はまとめ上げ、金軍最強の精鋭部隊へと鍛え上げた。
また、陳和尚自身は荒々しい武将でありながら陣中においても『孝経』などの儒教経典を読み、美しい字を書き記す儒将でもあったと伝わっている。
大昌原の戦いにおいて、陳和尚は入浴して着替えた後に甲冑を纏い、わずか四百の忠孝軍を率いて八千のモンゴル軍に決死の突撃を敢行。
これを粉砕し、金軍にとって二十年ぶりの大勝をもたらした。
この功績により名を馳せた彼は、その後も倒回谷の戦いでモンゴルの名将スブタイの軍を撃退するなど、金軍の英雄として獅子奮迅の活躍を見せる。
しかし、金王朝の命運を決する三峰山の戦いにおいて、大雪と飢餓によって消耗しきった金軍主力は、トルイとスブタイが率いるモンゴル軍の包囲攻撃を受け大敗を喫する。
敗走するも進退窮まり、自ら敵兵の前に進み出た彼はモンゴル軍の指揮官に対して名乗りを上げ、降伏勧告を一笑に付した。
かくして彼は捕らえられ、両脚の骨を砕かれ、口を耳まで裂かれるという凄惨な方法で処刑されたが、死の瞬間まで血飛沫を吐きながらモンゴルを罵倒し続けたという。
滅びゆく王朝に最後まで殉じたその不屈の忠義は、敵であるモンゴル軍の将校からも称賛され、もし彼が来世に生まれ変わったのなら配下に加えたいと言わしめた。
内向的・能動的・強気。言葉よりも行動で示すタイプで雑談は苦手。
規律と責任においては誰よりも厳格で、危険な場面では自ら先頭に立つことを厭わない。
誰かに理解されることを求めず、かつて自らを赦免した皇帝の判断が正しかったと証明し続けるために、己を律し続ける男。
世俗の出世や評判には元来関心が薄く、人付き合いにも不器用な性質。
理屈っぽく人情に疎いところはあるが、獄中で死を覚悟しながら過ごした十八か月と忠孝軍を率いた経験を経て、その欠点は多少なりとも矯正されている。
……とはいえ、空気を読まずに直言する性向があるのだが。
マスターに対しては礼儀正しく、実務上は極めて忠実に振る舞う。
しかしそれは心酔や敬愛の情ではなく、あくまで軍人としての規律に基づくもの。
彼にとってマスターは上官であって主君ではない。
判断が誤っていると見なせば、かつて移剌蒲阿に対してそうしたように地位や機嫌に構わず率直に苦言を呈し、機嫌を取るような事はしない。
彼が本当に応え続けているのは、生前の哀宗の一言――法を曲げ、天下の批判を引き受けてまで自分を赦した、あの言葉である。
正しいと信じて行った裁定を恣意的判断だと断じられ、いつ訪れるかも分からない刑死を待ちながら書物のみを慰みに過ごした獄中生活。
取り乱す事はなかったとはいえ、その生活は完顔陳和尚の心をゆっくりとすり減らしていった。
「なぜ自分だけがこのような理不尽な目に合うのだ……」――そんな思いがなかったと言えば嘘になる。
だが、後に哀宗と諡される皇帝に出会った時、彼は自らの悲嘆が如何に浅はかなものであったかを悟った。
彼が哀宗に抱いたのは赦免に対する感謝、だけではない。
賢人である彼の目には、玉座に座る哀宗が、獄中で過ごす自分と同じか、それ以上に悲惨な境遇にあるように見えた。
それにも関わらず、哀宗は勇気を以って多くの批判を振り払い、完顔陳和尚の赦免を決断した。その決断が彼の立場を危うくするものであるにも関わらず。
彼が涙したのは、哀宗の決断の重みを理解していたからこそ。
世俗の名誉や利益には無関心な完顔陳和尚は、その時以来、生き方を変えた。
「自分一人を救うために天下から批判される覚悟をした皇帝には命を賭して報いねばならない」――そう考え、彼の判断が正しかったと生涯をかけて証明し続ける事を誓ったのだ。
忠誠を誓った皇帝はもうこの世になく、金王朝も滅び去って久しい。
それでも彼は、今この場での戦いぶりが、あの赦しに値するかどうかを、誰に見られるでもなく自らに問い続けている。
「私も、かつて国を滅亡に導いた放蕩で暴虐な君主たちの同類だ」――最期にそう言い残して縊死した哀しき皇帝に対し「それは違う」と自らの全てを賭して証明し続ける為に。
規律と責任においては誰よりも厳格で、危険な場面では自ら先頭に立つことを厭わない。
誰かに理解されることを求めず、かつて自らを赦免した皇帝の判断が正しかったと証明し続けるために、己を律し続ける男。
世俗の出世や評判には元来関心が薄く、人付き合いにも不器用な性質。
理屈っぽく人情に疎いところはあるが、獄中で死を覚悟しながら過ごした十八か月と忠孝軍を率いた経験を経て、その欠点は多少なりとも矯正されている。
……とはいえ、空気を読まずに直言する性向があるのだが。
マスターに対しては礼儀正しく、実務上は極めて忠実に振る舞う。
しかしそれは心酔や敬愛の情ではなく、あくまで軍人としての規律に基づくもの。
彼にとってマスターは上官であって主君ではない。
判断が誤っていると見なせば、かつて移剌蒲阿に対してそうしたように地位や機嫌に構わず率直に苦言を呈し、機嫌を取るような事はしない。
彼が本当に応え続けているのは、生前の哀宗の一言――法を曲げ、天下の批判を引き受けてまで自分を赦した、あの言葉である。
正しいと信じて行った裁定を恣意的判断だと断じられ、いつ訪れるかも分からない刑死を待ちながら書物のみを慰みに過ごした獄中生活。
取り乱す事はなかったとはいえ、その生活は完顔陳和尚の心をゆっくりとすり減らしていった。
「なぜ自分だけがこのような理不尽な目に合うのだ……」――そんな思いがなかったと言えば嘘になる。
だが、後に哀宗と諡される皇帝に出会った時、彼は自らの悲嘆が如何に浅はかなものであったかを悟った。
彼が哀宗に抱いたのは赦免に対する感謝、だけではない。
賢人である彼の目には、玉座に座る哀宗が、獄中で過ごす自分と同じか、それ以上に悲惨な境遇にあるように見えた。
それにも関わらず、哀宗は勇気を以って多くの批判を振り払い、完顔陳和尚の赦免を決断した。その決断が彼の立場を危うくするものであるにも関わらず。
彼が涙したのは、哀宗の決断の重みを理解していたからこそ。
世俗の名誉や利益には無関心な完顔陳和尚は、その時以来、生き方を変えた。
「自分一人を救うために天下から批判される覚悟をした皇帝には命を賭して報いねばならない」――そう考え、彼の判断が正しかったと生涯をかけて証明し続ける事を誓ったのだ。
忠誠を誓った皇帝はもうこの世になく、金王朝も滅び去って久しい。
それでも彼は、今この場での戦いぶりが、あの赦しに値するかどうかを、誰に見られるでもなく自らに問い続けている。
「私も、かつて国を滅亡に導いた放蕩で暴虐な君主たちの同類だ」――最期にそう言い残して縊死した哀しき皇帝に対し「それは違う」と自らの全てを賭して証明し続ける為に。
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