最終更新:ID:2LoNhq0oWg 2025年05月25日(日) 23:18:57履歴
「これはただ公の事。私情は挟みませんよ」
【元ネタ】史実 三国演義
【CLASS】ランサー
【真名】徐晃
【異名・別名・表記揺れ】公明(字) 壮侯(諡) 五子良将(異名)
【性別】男性
【身長・体重】176cm・71kg
【外見・容姿】大斧を手にした益荒男。のように見えるが目つきは冷え切っている。
【地域】中国
【年代】後漢末期〜三国時代
【属性】秩序・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷B+ 魔力E 幸運B 宝具C++
【CLASS】ランサー
【真名】徐晃
【異名・別名・表記揺れ】公明(字) 壮侯(諡) 五子良将(異名)
【性別】男性
【身長・体重】176cm・71kg
【外見・容姿】大斧を手にした益荒男。のように見えるが目つきは冷え切っている。
【地域】中国
【年代】後漢末期〜三国時代
【属性】秩序・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷B+ 魔力E 幸運B 宝具C++
常在戦場、油断大敵を念頭に置く心構えと配慮を示すスキル。自陣営全体のACを常に+10し、また敵からの奇襲を無効化する。
細柳営とは前漢の名将・周亜夫が細柳に陣営を設けた際、戦勝に浮かれず軍規・威令を緩めなかった逸話から生まれた言葉。
徐晃の兵は、戦勝を祝う宴の最中も持ち場を離れず、曹操をして「周亜夫の風がある」と感嘆させたという。
細柳営とは前漢の名将・周亜夫が細柳に陣営を設けた際、戦勝に浮かれず軍規・威令を緩めなかった逸話から生まれた言葉。
徐晃の兵は、戦勝を祝う宴の最中も持ち場を離れず、曹操をして「周亜夫の風がある」と感嘆させたという。
ランク:C++ 種別:対軍宝具 レンジ:10〜50 最大捕捉:200人
樊城を囲む関羽の包囲網を長駆して打ち破り、長駆直入の語源ともなったという逸話から。
人馬一体となって敵陣に切り込む武芸の真髄と、相手の弱点を見抜く戦術眼が合体し、昇華された突撃宝具。
進路上の攻撃対象に対し、相手が受けている不利な補正を2倍にして計上した上で強力な攻撃を繰り出す。
さらに相手が防御・回避判定に失敗する度に追加攻撃を加える。この追加攻撃は相手が判定に成功するまで連続で行う事ができる。
敵方の弱点や窮状をきちんと把握した上で仕掛ければ、連撃による大ダメージを期待できるが、
逆に敵が万全の体勢でいる時(不利な補正がない状態)に仕掛けた場合はダメージの期待値は低くなる。
敵の弱点の把握や相手を不利な状況に追い込む作戦の併用によって、初めて真価を発揮する宝具と言える。
もしも真価を発揮できたのならば、軍神と呼ばれる程の英雄や十重に守りを固めた戦陣すら打ち崩せるだろう
樊城を囲む関羽の包囲網を長駆して打ち破り、長駆直入の語源ともなったという逸話から。
人馬一体となって敵陣に切り込む武芸の真髄と、相手の弱点を見抜く戦術眼が合体し、昇華された突撃宝具。
進路上の攻撃対象に対し、相手が受けている不利な補正を2倍にして計上した上で強力な攻撃を繰り出す。
さらに相手が防御・回避判定に失敗する度に追加攻撃を加える。この追加攻撃は相手が判定に成功するまで連続で行う事ができる。
敵方の弱点や窮状をきちんと把握した上で仕掛ければ、連撃による大ダメージを期待できるが、
逆に敵が万全の体勢でいる時(不利な補正がない状態)に仕掛けた場合はダメージの期待値は低くなる。
敵の弱点の把握や相手を不利な状況に追い込む作戦の併用によって、初めて真価を発揮する宝具と言える。
もしも真価を発揮できたのならば、軍神と呼ばれる程の英雄や十重に守りを固めた戦陣すら打ち崩せるだろう
後漢末期〜三国時代の魏の武将。曹操をして「周亜夫の風がある」と感嘆させた名将。演義では大斧の使い手。
はじめ楊奉に仕えたが、曹操を明君と見て帰順。以後は各地で功績を挙げ、猛将・関羽の北伐をも阻んでみせた。
正史、演義ともに関羽とは友人関係であり、関羽からは「大兄」と敬称で呼ばれていた。
†
楊奉の下に仕官し、彼に献帝を連れて首都・洛陽に入る事や曹操との協力を進言。
曹操と楊奉の関係が決裂した後も曹操に従い、以後はその傘下の将として活躍する。
飛将と呼ばれた呂布、元黒山賊の眭固、後の蜀漢皇帝・劉備との戦いで功績を挙げ
袁紹との戦いでも顔良、文醜の撃破に関与するなど武功が多かった。
河北の戦いでも活躍。敵将の韓範の降伏をあえて許し、この事を周知して河北を安定させるように曹操に進言し、容れられた。
荊州征伐では満寵と共に関羽を攻撃し、また曹仁と共に周瑜を攻撃した。
馬超・韓遂の離反によって起こった潼関の戦いでは、敵の謀の無き事を見抜き、敵の背後に陣地を作って勝利に貢献した。
夏侯淵の西方攻略、曹操の漢中征伐にも随従し、戦功を挙げている。
劉備が漢中に攻め込んでくると、司令官の夏侯淵に従い、劉備の別将・陳式を大破。これを曹操は大いに喜んだと言われる。
しかし、司令官の夏侯淵が討死するなど戦役そのものは劣勢であり、最終的には漢中を放棄して撤退した。
関羽が北伐を開始して樊城に攻め込み、曹仁を攻囲するだけでなく于禁らの軍勢を虜とすると
さしもの曹操も遷都を考えるほどに追い詰められたが
徐晃は声東撃西の戦術で関羽と戦い、これを大破、敗走させるという大功を挙げた。
──蜀記によれば関羽と徐晃は兼ねてから敬愛しあう間柄であったが、徐晃は「これは国家の事だ」と私情を捨てて関羽と戦ったという。
曹操は徐晃の功績を古の名将である孫武や司馬穰苴にも勝るものと褒め称え、盛大な宴を催して功績に報いた。
宴の最中にあっても徐晃の軍勢が持ち場を離れないのを見て「徐晃には周亜夫の風格がある」と感嘆したとも伝わる。
徐晃の人柄は慎み深く、戦うときは斥候を遠くに出して情報収集を行い、勝てなかった場合の備えを準備してから戦ったという。
その一方で、好機と見るや食事の暇もないほど猛烈に追撃を行う事もあった。
また曹操を明君と見て彼と出会えた事を喜び、個人の誉れや人脈を求めず、曹操に忠を尽くしたという。
†
演義においては大斧を得物とする猛将。関羽との友人関係や、友情より忠節を重んじて戦うのは正史同様。
顔良、文醜に敗れたり、錦の戦袍をめぐって許褚と揉めたり、副将の王平と揉めて敵方に寝返らせてしまうなどの失態はあるものの
樊城の戦いにおいては関羽の養子(正史では実子)の関平を圧倒し、(矢傷で万全ではなかったとはいえ)関羽をも激闘の末に敗走させるなど
優れた武芸と大将の器量の持ち主として描かれる。
その最期は史実の病死とは異なり、司馬懿の孟達討伐に従った折、相手の放った矢を額に受けての戦死となっている。
はじめ楊奉に仕えたが、曹操を明君と見て帰順。以後は各地で功績を挙げ、猛将・関羽の北伐をも阻んでみせた。
正史、演義ともに関羽とは友人関係であり、関羽からは「大兄」と敬称で呼ばれていた。
†
楊奉の下に仕官し、彼に献帝を連れて首都・洛陽に入る事や曹操との協力を進言。
曹操と楊奉の関係が決裂した後も曹操に従い、以後はその傘下の将として活躍する。
飛将と呼ばれた呂布、元黒山賊の眭固、後の蜀漢皇帝・劉備との戦いで功績を挙げ
袁紹との戦いでも顔良、文醜の撃破に関与するなど武功が多かった。
河北の戦いでも活躍。敵将の韓範の降伏をあえて許し、この事を周知して河北を安定させるように曹操に進言し、容れられた。
荊州征伐では満寵と共に関羽を攻撃し、また曹仁と共に周瑜を攻撃した。
馬超・韓遂の離反によって起こった潼関の戦いでは、敵の謀の無き事を見抜き、敵の背後に陣地を作って勝利に貢献した。
夏侯淵の西方攻略、曹操の漢中征伐にも随従し、戦功を挙げている。
劉備が漢中に攻め込んでくると、司令官の夏侯淵に従い、劉備の別将・陳式を大破。これを曹操は大いに喜んだと言われる。
しかし、司令官の夏侯淵が討死するなど戦役そのものは劣勢であり、最終的には漢中を放棄して撤退した。
関羽が北伐を開始して樊城に攻め込み、曹仁を攻囲するだけでなく于禁らの軍勢を虜とすると
さしもの曹操も遷都を考えるほどに追い詰められたが
徐晃は声東撃西の戦術で関羽と戦い、これを大破、敗走させるという大功を挙げた。
──蜀記によれば関羽と徐晃は兼ねてから敬愛しあう間柄であったが、徐晃は「これは国家の事だ」と私情を捨てて関羽と戦ったという。
曹操は徐晃の功績を古の名将である孫武や司馬穰苴にも勝るものと褒め称え、盛大な宴を催して功績に報いた。
宴の最中にあっても徐晃の軍勢が持ち場を離れないのを見て「徐晃には周亜夫の風格がある」と感嘆したとも伝わる。
徐晃の人柄は慎み深く、戦うときは斥候を遠くに出して情報収集を行い、勝てなかった場合の備えを準備してから戦ったという。
その一方で、好機と見るや食事の暇もないほど猛烈に追撃を行う事もあった。
また曹操を明君と見て彼と出会えた事を喜び、個人の誉れや人脈を求めず、曹操に忠を尽くしたという。
†
演義においては大斧を得物とする猛将。関羽との友人関係や、友情より忠節を重んじて戦うのは正史同様。
顔良、文醜に敗れたり、錦の戦袍をめぐって許褚と揉めたり、副将の王平と揉めて敵方に寝返らせてしまうなどの失態はあるものの
樊城の戦いにおいては関羽の養子(正史では実子)の関平を圧倒し、(矢傷で万全ではなかったとはいえ)関羽をも激闘の末に敗走させるなど
優れた武芸と大将の器量の持ち主として描かれる。
その最期は史実の病死とは異なり、司馬懿の孟達討伐に従った折、相手の放った矢を額に受けての戦死となっている。
慎み深い武人、と言えば聞こえはいいが、その実態はマスターに対してさえ秘密主義を貫く人間不信者。
謹厳実直ではあるが、楊奉から離反した時のようにマスターを変える事に躊躇しない。良禽は木を択んで棲む、という言葉通りに。
信を置く相手、明君と見込んだ相手には胸襟を開けるが、そうでない相手に対しては表面的な対応しか行わない。
情報戦を重視する一方で、信頼関係が築けていない相手には情報を渡さず、自己判断で動く傾向がある。
とはいえ、そうした対応はマスターに対して不服を抱いている為に行っているのではない。
楊奉に仕えていた時代の困苦が、他者を信じない行動様式を徐晃に染み付かせてしまったというだけの事。
その人間性自体は善性で武人としての矜持もきちんとあり、その上で私より公を重んじる、真っ当な英霊である。
朝廷に賊上がりが蔓延り、無法が法となる混沌の世界を生き抜いてきた経験は、徐晃に人間に対する疑心を強く根付かせた。
関羽のような清廉な人間はその心根に、曹操のような非常な人傑はその才幹に全面的な信頼を向けるものの、そうでない者は何一つ信用しない。
生前はある時まで軟化傾向にあったのだが、副将の王平と揉めた末に裏切られた事で、人間不信はさらに強固なものとなってしまった。
個人的な人脈を広げなかったのは、曹操への忠誠もあるが、むしろ自身の人間不信の方が理由としては大きかったのだ、と本稿では設定する。
軍の規律・威令が良く行われたのも、本質的には兵士たちを信用していなかったが故に、油断も疎漏もなく努めた結果。
皮肉にも、そういう態度が他者には慎み深いと誤解され、高く評価されたのである。
謹厳実直ではあるが、楊奉から離反した時のようにマスターを変える事に躊躇しない。良禽は木を択んで棲む、という言葉通りに。
信を置く相手、明君と見込んだ相手には胸襟を開けるが、そうでない相手に対しては表面的な対応しか行わない。
情報戦を重視する一方で、信頼関係が築けていない相手には情報を渡さず、自己判断で動く傾向がある。
とはいえ、そうした対応はマスターに対して不服を抱いている為に行っているのではない。
楊奉に仕えていた時代の困苦が、他者を信じない行動様式を徐晃に染み付かせてしまったというだけの事。
その人間性自体は善性で武人としての矜持もきちんとあり、その上で私より公を重んじる、真っ当な英霊である。
朝廷に賊上がりが蔓延り、無法が法となる混沌の世界を生き抜いてきた経験は、徐晃に人間に対する疑心を強く根付かせた。
関羽のような清廉な人間はその心根に、曹操のような非常な人傑はその才幹に全面的な信頼を向けるものの、そうでない者は何一つ信用しない。
生前はある時まで軟化傾向にあったのだが、副将の王平と揉めた末に裏切られた事で、人間不信はさらに強固なものとなってしまった。
個人的な人脈を広げなかったのは、曹操への忠誠もあるが、むしろ自身の人間不信の方が理由としては大きかったのだ、と本稿では設定する。
軍の規律・威令が良く行われたのも、本質的には兵士たちを信用していなかったが故に、油断も疎漏もなく努めた結果。
皮肉にも、そういう態度が他者には慎み深いと誤解され、高く評価されたのである。
「かつて彼を捕らえたのは私でした。荀攸殿の言ではありませんが、彼は考えを纏めて動き出すのが遅い傾向がありますね。
まあ出す結論が過激な事が多いので、その思考の遅さが上手く歯止めになっているとも取れますが……
え? あれでもマスターから見れば頭の回転が速い方なのですか?」
趙雲
「“長坂の英雄”を侮るなと曹公は仰っておられました。慎重を期して挑むべき相手でしょうね」
諸葛孔明
「関羽殿が認めるのも納得の智者。ですが人を見る目はありませんね。
王平みたいな偏狭で、文盲で、悪知恵に長けた奴を評価するなんて、それこそ頭がどうかしています!」
司馬懿
「樊城の戦いでは勝利の一助となった軍師殿ですね。演義では最後の戦いで同道した相手として描かれたとか。
まあ私は矢であっさり射殺されたみたいですけどね、物語では」
周瑜
「曹公を完膚なきまでに破った名将ですね。曹仁様の幕下で戦った事がありますが陸でも十分恐ろしい相手でしたよ。
早逝してくれたのは呉にとっては不運でしたが、我らにとっては幸運でした」
まあ出す結論が過激な事が多いので、その思考の遅さが上手く歯止めになっているとも取れますが……
え? あれでもマスターから見れば頭の回転が速い方なのですか?」
趙雲
「“長坂の英雄”を侮るなと曹公は仰っておられました。慎重を期して挑むべき相手でしょうね」
諸葛孔明
「関羽殿が認めるのも納得の智者。ですが人を見る目はありませんね。
王平みたいな偏狭で、文盲で、悪知恵に長けた奴を評価するなんて、それこそ頭がどうかしています!」
司馬懿
「樊城の戦いでは勝利の一助となった軍師殿ですね。演義では最後の戦いで同道した相手として描かれたとか。
まあ私は矢であっさり射殺されたみたいですけどね、物語では」
周瑜
「曹公を完膚なきまでに破った名将ですね。曹仁様の幕下で戦った事がありますが陸でも十分恐ろしい相手でしたよ。
早逝してくれたのは呉にとっては不運でしたが、我らにとっては幸運でした」
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