最終更新:ID:HNQSftMghA 2023年07月23日(日) 02:01:30履歴
【元ネタ】史実
【CLASS】ランサー
【真名】大久保忠世・大久保忠佐
【異名・別名・表記揺れ】膏薬侍、徳川十六神将、蟹江七本槍(異名) 新十郎、七郎右衛門(忠世) 治右衛門(忠佐)
【性別】男性
【身長・体重】160cm・52kg 160cm・54kg
【外見・容姿】甲冑に身を固めた、半透明のぷるぷるとしたスライム侍ブラザーズ。
【地域】日本
【年代】戦国時代〜江戸時代
【属性】秩序・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷A 魔力D 幸運B 宝具C
【CLASS】ランサー
【真名】大久保忠世・大久保忠佐
【異名・別名・表記揺れ】膏薬侍、徳川十六神将、蟹江七本槍(異名) 新十郎、七郎右衛門(忠世) 治右衛門(忠佐)
【性別】男性
【身長・体重】160cm・52kg 160cm・54kg
【外見・容姿】甲冑に身を固めた、半透明のぷるぷるとしたスライム侍ブラザーズ。
【地域】日本
【年代】戦国時代〜江戸時代
【属性】秩序・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷A 魔力D 幸運B 宝具C
自らのカタチを変えるスキル。
大久保兄弟の本来の肉体は半透明であり粘性に富む膏薬──というよりスライム状のもの。
自在に粘液状の身体に変身可能で、打撃系の攻撃を受けた時、ダメージを大幅に削減する効果もある。
ちなみに普段は表面色や形状を人間のそれに近づけて擬態している。
……弟の忠佐は生涯、戦場で傷を負わなかったと言うが、その理由の一端はこの特異な肉体に依るものか。
大久保兄弟の本来の肉体は半透明であり粘性に富む膏薬──というよりスライム状のもの。
自在に粘液状の身体に変身可能で、打撃系の攻撃を受けた時、ダメージを大幅に削減する効果もある。
ちなみに普段は表面色や形状を人間のそれに近づけて擬態している。
……弟の忠佐は生涯、戦場で傷を負わなかったと言うが、その理由の一端はこの特異な肉体に依るものか。
ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1〜3 最大捕捉:1人
長篠の戦いにおいて「良き膏薬のごとし、敵について離れぬ膏薬侍なり」と織田信長に評された戦いぶりから。
宝具の効果範囲内に入った敵は、以後、大久保兄弟から一定以上の距離を取る事ができなくなり、強制的に近距離戦を強いられる。
傍目には兄弟の特異な肉体やコンビネーションが織りなす戦術的行動のように見受けられるが、実態としては運命・因果への干渉に近い。
長篠の戦いにおいて「良き膏薬のごとし、敵について離れぬ膏薬侍なり」と織田信長に評された戦いぶりから。
宝具の効果範囲内に入った敵は、以後、大久保兄弟から一定以上の距離を取る事ができなくなり、強制的に近距離戦を強いられる。
傍目には兄弟の特異な肉体やコンビネーションが織りなす戦術的行動のように見受けられるが、実態としては運命・因果への干渉に近い。
徳川家康に仕えた武将。兄が忠世、弟が忠佐。兄弟ともに蟹江七本槍、徳川十六神将の一人に数えられる。
兄・忠世は武略に優れる一方、地方の統治にも腕を振るった文武両道の将。
弟・忠佐は生涯傷を負わなかったと伝えられる猛将。
†
忠世・忠佐の大久保家は本家ではなく支流であったが度々武功を挙げて本家を凌ぐ勢威を誇ったという。
そんな家に生まれた忠世・忠佐は若くして家康と共に各地を転戦したと伝わる。
三河一向一揆の折には家康に味方して忠義を貫いた事が評価されたのもあって、家康の直属部隊・旗本先手役の将に兄弟揃って選ばれたという。
後、武田家との戦いで徳川軍が劣勢に追い込まれた折には、忠世自ら奮戦して逆境を盛り返したというエピソードもある。
長篠の戦いでも活躍し、その敵に張り付いて離れない戦いぶりは信長をして「良き膏薬」に準えて激賞されるほどであったという。
一方、徳川信康が家康の命令で切腹させられた信康事件においては「我が子を密かに逃してほしい」という家康の真意を汲み取れずに切腹させてしまった、とされる。(ただし信康事件の研究が進んだ事で史実性は疑わしいものとなっている)
天正壬午の乱においては甲斐・信濃の制圧の為に一軍を率いて北上。
小牧長久手で衝突する羽柴秀吉・徳川家康の戦いを尻目に勢力を広げたが、上杉家の後援を得た真田昌幸の前に敗北を喫する。
その後、情勢を盛り返す前に家康によって呼び戻され、秀吉への臣従が決定されるまで対秀吉戦線に配置された。
小田原の役でも武功を挙げ、家康が関東に転封されると兄弟揃って大名として遇された。
特に兄・忠世は、秀吉の命令により北条家の本城であった小田原城を任されるなど、評価が高かった事がうかがえる。
兄・忠世の没後、関ヶ原の戦いが起こると忠佐は家康の嫡子・秀忠率いる軍勢に加わったが、この時も真田昌幸の軍略に敗北を喫したという。
なお大久保家は後に大久保長安事件と呼ばれる粛清事件により急速に勢威を失い、兄弟どちらの家も改易を受けている。
兄・忠世は武略に優れる一方、地方の統治にも腕を振るった文武両道の将。
弟・忠佐は生涯傷を負わなかったと伝えられる猛将。
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忠世・忠佐の大久保家は本家ではなく支流であったが度々武功を挙げて本家を凌ぐ勢威を誇ったという。
そんな家に生まれた忠世・忠佐は若くして家康と共に各地を転戦したと伝わる。
三河一向一揆の折には家康に味方して忠義を貫いた事が評価されたのもあって、家康の直属部隊・旗本先手役の将に兄弟揃って選ばれたという。
後、武田家との戦いで徳川軍が劣勢に追い込まれた折には、忠世自ら奮戦して逆境を盛り返したというエピソードもある。
長篠の戦いでも活躍し、その敵に張り付いて離れない戦いぶりは信長をして「良き膏薬」に準えて激賞されるほどであったという。
一方、徳川信康が家康の命令で切腹させられた信康事件においては「我が子を密かに逃してほしい」という家康の真意を汲み取れずに切腹させてしまった、とされる。(ただし信康事件の研究が進んだ事で史実性は疑わしいものとなっている)
天正壬午の乱においては甲斐・信濃の制圧の為に一軍を率いて北上。
小牧長久手で衝突する羽柴秀吉・徳川家康の戦いを尻目に勢力を広げたが、上杉家の後援を得た真田昌幸の前に敗北を喫する。
その後、情勢を盛り返す前に家康によって呼び戻され、秀吉への臣従が決定されるまで対秀吉戦線に配置された。
小田原の役でも武功を挙げ、家康が関東に転封されると兄弟揃って大名として遇された。
特に兄・忠世は、秀吉の命令により北条家の本城であった小田原城を任されるなど、評価が高かった事がうかがえる。
兄・忠世の没後、関ヶ原の戦いが起こると忠佐は家康の嫡子・秀忠率いる軍勢に加わったが、この時も真田昌幸の軍略に敗北を喫したという。
なお大久保家は後に大久保長安事件と呼ばれる粛清事件により急速に勢威を失い、兄弟どちらの家も改易を受けている。
- カテゴリ:
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- Fate/Grand Order
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