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ここはでもにっしょんch ぼくの考えたサーヴァントスレに投稿されたサーヴァントを纏めるwikiです。

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此所謂一與一、勇者得前耳これはいわゆる一対一。勇者のみが前に進む事ができる!



基本情報

【元ネタ】史実 三国演義 三国志平話
【CLASS】ランサー
【真名】張遼
【異名・別名・表記揺れ】文遠(字) 剛侯(諡) 五子良将、八健将(異名) 武廟六十四将(称号)
【性別】男性
【身長・体重】179cm・81kg
【外見・容姿】頭にサイバーな雰囲気のヘルメットを被り、筒袖鎧に身を固めた中華戦士。
【地域】中国
【年代】後漢末期〜三国時代
【属性】混沌・中庸
【天地人属性】人
【その他属性】人型
【ステータス】筋力B+ 耐久B 敏捷B+ 魔力D 幸運A 宝具B

【クラス別スキル】

対魔力:D

 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

【固有スキル】

騎乗:B

 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

勢い破竹の如し:C

 軍略の亜種スキル。多人数を動員した戦場において、勢いを殺さず兵を猛進させることができる。
 張遼はわずか八百の兵を率いて十万と号する呉の大軍を撃退し、武廟六十四将にも選ばれた。

友誼の証明:C

 敵対サーヴァントが精神汚染スキルを保有していない場合、相手の戦意をある程度抑制し、話し合いに持ち込むことが出来る。
 聖杯戦争においては、一時的な同盟を組む際に有利な判定を得る。
 正史では昌豨の妻子の下を単身訪れ、演義では曹操への降伏を渋る関羽を説得。平話にいたっては孫権を説得し関羽を挟撃させている。

智嚢先生の忠言:B

 張遼は三国志平話において智嚢先生と呼ばれ軍師役を務め、演義でも知勇兼備の将軍として描かれる。
 本稿では、その理由を外付けの思考拡張用機能付き兜(サイバーヘルメット)である『智嚢先生』にあったのだ、と張遼は語る。
 効果は同ランクの軍師の忠言と同様。『智嚢先生』を被る事で、張遼は勇だけでなく知も兼備した名将となるのだ。
 なお陳宮は「思い込みとは凄まじいもの。こういうのを現代ではプラシーボ効果と言うのでしたか」とのコメントを残している。

【宝具】

遼来遼来りょう、きたり! りょう、きたり!

ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1〜30 最大捕捉:800人
『賊至乃発(賊が来たら開くように)』と書かれた曹操からの文書を開くことで発動する宝具。
 かつて共に孫呉の大軍を撃退した800の歩卒(歩兵)を召喚し、自らは白馬に騎乗。
「泣く子も黙る」と謳われた我が名を呼ばわりながら、歩兵と共に決死の突撃を敢行する。
 また、張遼の叫びを聞いた敵の精神に強烈な衝撃を与え、敵勢の統率を乱す。
 召喚した歩卒は最大で半日までしか維持できないが、退去の際、歩卒の残数に応じて味方の士気とAC(アーマークラス)を大幅に上昇させるバフ効果が発生する。

 その本領は派手な突撃ではなく、敵の攻撃を弱めつつ味方の守りを強めるバフ・デバフ効果にこそある。
 史実において突撃自体の成果ではなく、それによって上がった士気を以って敵の攻囲に耐え抜いた事の方が軍事的に重要だったように。
 同じく十万の軍勢に抗したレオニダス王の宝具が防御から攻撃に転ずるものだとすれば、こちらは攻撃から防御に転ずるものだと言えるだろう。

【Weapon】

『戟』

【解説】

 後漢末期〜三国時代の武将。丁原、董卓、呂布と仕え、呂布の敗北後は曹操の配下に加わる。
 于禁、楽進らと並んで名を馳せた勇将。合肥の戦いでは800人の決死隊を率いて10万と号する孫権軍を撃退した。
 演義では武勇は正史ほどではないものの知略での活躍が追加され、知勇兼備の将として描かれる。

 †

 単于(異民族)を騙し討ちにした聶壱の子孫で、単于の恨みを避ける為に張姓に改めたという。
 人並み外れた武勇から丁原に召し出されたが、募兵の為に都を留守にしている間に丁原は呂布に殺害された為、以後は呂布に仕える。
 董卓暗殺後も呂布に付き従い、各地を流浪。
 呂布が曹操に敗れ処刑されると、軍勢を率いて降伏し、以後、曹操の配下としてしばしば戦功を立てた。

 官渡の戦いの前哨戦である白馬の戦いでは、関羽と共に先鋒を務め、関羽が敵将の顔良を討ち取る助けとなった。
 これより前、関羽は張遼に「曹操への恩義を返した後には、旧主の劉備の下に馳せ参じたい」と語っていた。
 張遼は悩んだ末に「公は君父、関羽は兄弟(曹操の方が重い)」として曹操に関羽の言葉を報告したが
 曹操は関羽の行いを義として咎めず、去った後も追わなかったという。

 官渡の戦いの後には夏侯淵と共に昌豨と数か月に渡って戦った後、説得して降伏させた。
 昌豨は張遼が単身で妻子に会いに来た事で信頼し、喜んで降伏したが、曹操は我が身を顧みない張遼のやり方を「大将のやる事ではない」と叱責したという。

 その後は河北の戦いで袁家の軍勢や異民族を相手に活躍した張遼であったが、赤壁の戦いでは呉の水軍に敗れている。
 しかし、赤壁の敗北に乗じて起こった陳蘭・梅成の反乱に対しては
 味方の于禁が梅成の偽装降伏に騙されて両者を合流を許してしまったにも関わらず、これらを大破するという功績を挙げた。 
 なお陳蘭・梅成は天険の上に築いた砦に籠もっており、諸将は大軍を活かせぬ隘路ゆえに力攻めは困難だと言っていたが
 張遼は「これはいわゆる一対一というもの。勇者のみは前進する事ができる」という脳筋理論で攻め落としたという逸話が残る。

 孫呉の君主・孫権が十万を号する大軍で合肥を攻めると、当時、共に駐屯していた楽進・李典と七千余の兵によってこれを撃退した。
 張遼、楽進、李典は皆、不仲であったが、李典が公の事に私情は交えないと明言した事で、協調して事に当たる事ができたという。

 この合肥の戦いでは寡兵で大軍を撃退した張遼の活躍が特に名高い。
 緒戦において張遼は李典と共に八百人の決死隊を集め、自ら先鋒となって敵陣に突撃した。
 一時は孫権を追い詰めるも逃し、取り囲まれてしまったがこれを突破。
 さらに包囲されたままの味方を救出するために再度突撃を敢行し、味方を引き連れて包囲を突破しなおしたという。
 明け方から日中まで戦い続けた張遼であったが、敵将の潘璋、賀斉が押し返した為、呉軍を完全に打ち破る事はできずに帰陣。
 しかし、敵勢の士気を挫くという目論見は成功し、以後十数日に渡って包囲を受けても味方の士気が衰える事はなかった。

 その後、孫権は疫病の流行もあって撤退を決断し、自ら殿軍を務めていたが、張遼は楽進と共に追撃をかけ、敵軍を包囲した。
 しかし、張遼が孫権の風貌を知らなかった事、敵将の甘寧、凌統らが獅子奮迅の活躍を見せた事もあって
 敵軍に大損害を与えたものの、孫権を捕らえる事はできなかったという。

 とはいえ、七千の兵で十万の大軍を撃退した張遼の功績は赫々たるものがあり、曹操は大いに壮としたという。
 曹操が没し曹丕の代になると、ますます厚遇されるようになり、活躍した八百人の精鋭も皆、虎賁(近衛兵)として取り立てられた。
 その後、病に倒れた時には、曹丕は厚く見舞いを送った他、かつての部下であった虎賁(近衛兵)達は引きも切らずに見舞いにやってきたという。

 再び孫権が攻め込んでくると、病身ではあったが出陣し、敵将の呂範を討ち取る功績を立ったが、病が重くなり陣没。
 孫権は「病身であろうと軽々しく当たってはならない」と張遼を恐れていたという。

 †

 演義では呂布配下の八健将の筆頭として登場。
 呂布が敗れると、呂布を「匹夫」、曹操を「国賊」と罵倒して死を覚悟していたが、関羽の嘆願を受けた曹操に助命される。
 以後は命を救われた恩義から曹操には忠誠を、関羽には友情を抱き、彼らに義理を尽くすようになる。
 関羽をして「武芸では自分や張飛に劣らぬ」とも言わしめた達人だが、顔良・文醜には遅れを取るなど活躍では一枚劣る印象。
 一方、赤壁直後に起こった合肥の戦い(10万の呉軍を撃退した合肥の戦い以前の戦役。史実では本格的な衝突はなかった)では
 内通者を逆に利用し、呉の勇将・太史慈を伏兵によって討ち取るなど、知略にも優れた人物として描かれる。
 最期は曹丕の南征に随従するも、丁奉の矢を受けて戦死するというものになっている。

【人物像】

 勇敢さ、潔さを評価や判断基準の尺度とし、自他共にそれを貫く事を好とする、激烈な求道者。
 好悪の情も激しく、自らの美学に沿う人間ならば善悪を問わず尊敬する一方、そぐわないと見た相手を激しく嫌悪する。
 史実においては于禁、楽進と不仲であり、趙儼が統制するまで互いにいがみ合っていたという。

 厄介なのは、はじめ尊敬していた相手でも、自身の美学に反したと見るや嫌悪の対象へと転じる事。
 呂布が曹操に命乞いする姿を見咎めて「潔くない」と侮蔑し、かつては口を極めて褒めていた武周とも些細な事から仲違いしたように。

 とはいえ、自らの行いに非があると忠告されれば(それが己の美学に沿う範囲において)改められるだけの度量はある。
 己の美学が正義や善なるものだとも考えておらず、自らに課す事はあっても他者に押し付ける事はない。
 そうした態度が超然とした雰囲気を醸し出す為か、配下の兵士にはある種のカリスマとして崇敬を受ける。

 自らの美学の完遂を目指す一方、社会秩序や倫理的な善悪は二の次なので、悪どい魔術師がマスターでも裏切る事はない。
 そもそも個人の好悪のみを理由に主君を変える事を「潔くない」と張遼は判断する。
 彼がもしマスターに刃向かうとすれば『そうしなければ自らの美学を貫けない』という(本人としては)緊急事態においてのみである。

 尤も、裏切らない事と好意を持たれる事は別の問題。
 気難しい彼から嫌悪されず、尊敬の念を受け続けられるマスターは、それだけで英雄の素質を持つと言えよう。

【関連人物】

呂布

 かつての主君。抱いていた敬意は曹操への命乞いを聞いて侮蔑へと転じた。
「善悪が問題なのではない。最期に臨んで命を惜しんだ事が問題なのだ。如何に雄才を持とうと匹夫を敬う道理なし」とは本人の弁。

陳宮

 軍師としてはあまりに犠牲を是とする傾向から良く思っていなかったが、その最期の潔さは認めており、現在は高く評価している。
 また外付け思考回路『智嚢先生』を作成してもらった恩義もある。陳宮からすると「自爆させるのは(まだ)惜しい」ぐらいの評価だったようだが。

諸葛孔明

 赤壁の大敗を招いた敵の軍師の一人として警戒する一方、友人の関羽が高く評価していた事もあり、語り合ってみたい相手でもある。

周瑜

 赤壁の大敗を招いた敵の軍師の一人として警戒を顕にする。自らに勝る武勇を誇った曹仁をして苦戦せしめた男だ、と。

司馬懿

 あまり関係性は深くない。曹丕と親しかったなぁ程度の相手。勇敢ではないし潔くもなさそうだし……

【蛇足】

 勢い破竹の如しのランクは蘭陵王(500騎で敵の大軍を打ち破った)を参考にC。
 宝具は同じく十万の軍勢を防いだレオニダス王がBランクなのを参考にB。
 あと呂布を上回らないように……と公式とのバランスの兼ね合いを考えて、という調整。

このページへのコメント

勢い破竹の如しのランクをCに直し忘れてたので修正しました。やっちまったー……

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Posted by 名無し(ID:sM1ry/9ZMQ) 2025年04月27日(日) 00:19:39 返信

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