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ここはでもにっしょんch ぼくの考えたサーヴァントスレに投稿されたサーヴァントを纏めるwikiです。

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基本情報

【元ネタ】史実(『勢州軍記』『信長公記』他)
【CLASS】セイバー
【真名】北畠具教
【異名・別名・表記揺れ】天覚、不智斎(法号)
【性別】男性
【身長・体重】178cm・75kg
【外見・容姿】貴族的な優美さを漂わせる狩衣を纏い、立烏帽子を被る。腰には刀が差してあるが抜けなくなっている。
【地域】日本
【年代】戦国時代
【属性】秩序・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力D 幸運E 宝具B+

【クラス別スキル】

対魔力:B

 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

騎乗:C

 正しい調教、調整が成されたものであれば万全に乗りこなせる。

【固有スキル】

武芸百般:A

 多岐にわたり培われた戦闘技術により、あらゆる戦闘状態に対応することが可能。
 空中戦や水中戦と言った尋常ならざる戦闘や、未知・未経験の状況にさえ、培われた技術と経験を駆使することで即座に対応してみせる。
「(最後の戦いにおいて)彼は究竟の強弓であったので、只一人門外に進み出て、差しつめ引きつめ、散々に射られると、矢庭に鎧武者を多く射倒した。
 そして殿中につつと入ると、大長刀を振るい斬って出て、また大勢の敵を薙ぎ伏せ、或いは十文字の鑓をかついで出、或いは太刀を打ち振り斬って出、このように道具を持ち替え持ち替え兵法の秘術を尽くし給いし有様は、実に雄々しく見えた」──氏郷記より。
 尤も、裏切り者の手によって刀を抜けぬように細工されており、何も出来ぬまま討たれたとする説もあるが……?

一の太刀:B

 剣聖・塚原卜伝より直伝された鹿島新當流の極意。源流を辿れば武神・武甕槌命に遡るという。
 天地人の全てが噛み合い、狙ったものを逃さず打つ、自然体の一刀。宗和の心得の入口だとも言われる。
 相手より自分のほうが力量が高い場合、攻撃が見切られなくなる。

封縛の下げ緒:A

 北畠具教の最期に纏わる逸話が呪いとなってしまったもの。
 常に自身の刀が鞘に固定されており、何をもってしても抜刀できない。
 だが、それすらも呪いの一側面に過ぎず、その本質は戦いにおいて剣を振るう事ができないという呪縛そのもの。
 この呪いが故に英霊・北畠具教は、剣聖の境地たる空位に決して辿り着く事ができない宿命を背負わされている。

【宝具】

伊勢剣壇・刀光剣影いせけんだん・とうこうけんえい

ランク:B+ 種別:対軍奥義 レンジ:1〜20 最大捕捉:119人
 三瀬の変において刀を抜けなかった北畠具教が、期せずして開眼した秘技。
 氏郷記などに見られる大立ち回りの正体。

 北畠具教の最期は、裏切り者が刀に細工をしており何も出来ずに討たれたという説と
 弓、薙刀、十字槍、刀などなど得物を次々に持ち替えながら兵法の秘術の限りを尽くし、19人を斬り100人に傷を負わせるという壮絶な最期を遂げたとする説とがある。
 だが、一見矛盾するこの二つの説のどちらも真実の一面を言い当てていたのだ──と本稿では設定する。

 抜けぬ刀に手をかけた瞬間、彼の肉体は『北畠具教』という個を捨て、伊勢に集った数多の剣豪たちの技を収斂させるハブとなる。
 具教は刀を抜くことはできない。一歩も動くことはない。
 だが、その不動の肉体から放たれる剣気は、彼が記憶した武芸者たちの奥義を、物理的な影響すら及ぼす殺撃のベクトルとして空間上に再演する。
 塚原卜伝の一の太刀、上泉信綱の転(まろばし)、柳生宗厳の無刀取り、宝蔵院胤栄の外れ無き槍、そして歴史の闇に消えた名もなき武芸者たちの秘技。
 それらが、本来あり得ない同時多発的な武芸の乱舞となって全方位を蹂躙する。

 だが、放たれる技は本物の奥義の再現と言えど、あくまで過去のリプレイに過ぎない。
 目前の敵に合わせた駆け引きや、戦況に応じた変化を持たない、言わば型通りの演武である。
 故に、スキル:一の太刀が通じない相手──つまり、北畠具教の力量を超える達人には、パターン化された技の隙を容易く見抜かれる危険性を孕んでいる。

 次なる技を発明する事も過去の技に新たな工夫を加える事も叶わない。
 ただ過去に学んだ型(パターン)を再現するだけ。
 英霊・北畠具教にとって、この奥義は最強の矛であると同時に、決して破れぬ檻でもあるのだ。

快刀乱麻かいとうらんま

ランク:‐ 種別:対人魔剣 レンジ:1〜20 最大捕捉:1人
 北畠具教が英霊としての己を否定する事で成り立つ魔剣。克己宝具とは似て非なるもの。
 彼の刀を縛る『封縛の下げ緒』――すなわち、彼の最期、無念、そして歴史そのものが彼に課した敗北の運命。
 それらすべての道理を超えて、抜刀する。言ってしまえばただの居合抜き。

 しかし、『何をもってしても抜刀できない』という呪縛すらも覆して抜き放たれる刃は、逆説的にではあるが、あらゆる理法を超克する事が証明されている。
 なればこそ、その一刀は、万物万象、因果や天命すらも斬り伏せる、至上のものとなるだろう。

 故に、その名を快刀乱麻。
 北斉の文宣帝・高洋がその大器を示した逸話にちなむ名を持つ、王者の剣。
 だが、自身の存在を定義する「呪い(歴史)」をも斬り捨てるため、英霊として現世に留まる資格を喪失する諸刃の剣でもある。
 ただ一瞬だけ、生前すら到達し得なかった『剣の極点』へと至るのと引き換えに、具教の霊基は崩壊し、消滅するのだ。

【Weapon】

『打刀(無銘)』:

由来不明。刀には鞘から抜けないように細工が施されている。

『薙刀』:

青江派の刀工である直次の作。刃の表に「住吉大明神主(以下不明)」裏には「八幡大菩薩暦応五年」と刻まれているという。ランサークラスでの召喚ならばこちらを持ち込む可能性もあるだろう。

【解説】

 伊勢国司・北畠家の第8代当主。戦国時代にあっても希少な公家大名。
 剣聖・塚原卜伝に師事し、奥義『一之太刀』を伝授された武芸者としても知られる。
 織田信長に敗れて織田信雄を養子に迎えるが、織田家に対する不穏な動きを危惧され謀殺された。

 伊勢国司・北畠晴具の嫡男として生まれる。
 北畠家は南朝の忠臣・北畠親房を祖とする名門公家であり、南北朝合一後も伊勢国の国司として在地領主化し、戦国期においても公家大名として独自の勢力を保ち続けていた。
 具教はその第八代当主として、家の興隆と武威の維持を担う立場に立った。

 具教は武芸に造詣が深く、関東に名声を馳せた剣聖・塚原卜伝が諸国巡遊の折に伊勢へ立ち寄った際に入門し、鹿島新當流の奥義『一之太刀』を相伝されたとされる。
 この『一之太刀』は卜伝が生涯で三人にしか伝えなかった極意と言われ、具教はその選ばれた一人として名を連ねる。

 伊勢の地は剣の縁に恵まれていた。新陰流の開祖・上泉信綱が柳生宗厳を伴い諸国を廻った際にも具教のもとを訪れたとされ、また奈良の宝蔵院で十文字槍の体系を確立した宝蔵院胤栄とも交流があったと伝わる。
 具教の館はさながら一時代の武芸の結節点となっており、彼自身もその中心にあって諸家の技を吸収し、武芸者としての境地を深め続けた。剣のみならず弓・槍・薙刀にも通じた武芸百般の体現者として、その名は広く知られた。
 さらに、公家大名の嫡流として和歌や礼法にも精通していた、文武両道の人物であった。
 武略にも優れており、戦国北畠家の最盛期が築かれたのは彼の時代の事であった。

(一説によれば、武芸者としての交流の広さは同時に彼の情報収集能力を支えるものでもあったという。
 この説が正しければ、具教の武芸はただの個人技ではなく、和歌や礼法と同じように情報収集のためのコネクションを築くための手段だったと言える)

 だが、織田信長が上洛の兵を興すと、その途上で伊勢攻略が断行される。
(一説には妻の本家である六角家が信長と敵対したために連鎖的に織田と敵対する事になったとも言われる)
 北畠家は激しく抵抗したものの、信長の圧倒的な軍事力の前に外交的解決を余儀なくされ、信長の次男・茶筅丸(後の織田信雄)を養嗣子として迎え入れることを受諾した。
 これは家名存続と引き換えにした主権の喪失であり、具教は当主の座を退いて隠居の身となった。

 かくして隠棲した具教であったが、旧臣や諸将との人脈は依然として健在であり、織田方にとって無視できない存在であり続けた。
 それだけでなく、信長包囲網の中核を担った武田信玄に内通し、織田家を裏切る腹積もりであったともされる。
 結果的に信玄の病死によってこの謀は成らなかったが、具教と織田家との関係が決裂に向かっているのは明らかであった。

 そして具教は三瀬御所において暗殺された(三瀬の変)。信雄の家臣たちによって謀殺されたこの事件は、北畠旧臣による反織田の動きを根絶やしにせんとする信長・信雄の意思が背景にあったと見られている。

 最期の様子については記録に揺れがある。
 弓・薙刀・十文字槍・太刀と得物を持ち替えながら兵法の秘術を尽くし、多くの敵を斃したとする説がある一方で、刀に細工が施されており抜くことができないまま討たれたという説も伝わる。

【人物・性格】

 表に漂うのは公家大名の風格。澄んだ所作、言葉を選ぶ物腰、感情の起伏を面に出さない貴族的な矜持、総じて優雅という印象を与える。
 粗暴な振る舞いを好まず、問答にも剣に向き合うような静けさで臨む。
 戦国の世に育ちながらも、その本質は『武芸を通じて何者かになろうとした人間』ではなく『美しいものに誠実であろうとした人間』に近い。

 剣と和歌を、具教は同質のものとして扱う。どちらもこの世界と正直に向き合う手段だと思っている。
 型を磨くことへの執着、反復と洗練への敬意、余計なものを削ぎ落として核心に至ろうとする姿勢は、彼の剣にも歌にも等しく宿っている。
 ゆえに、武芸一辺倒の荒武者にも、技巧だけを弄ぶ文人にも、どこか距離を置いた目を向ける。

 為政者としての経験もあってか、他者への眼差しは概ね温かく公平なもの。しかし、それが時おり達観した諦めに見えることがある。
 その凪いだ心持ちは、乱世において公家・指導者としての責務を両立させようとした彼が身につけた、一種の防衛としての均衡であり、奥底には拭いきれない無念が沈んでいる。
 信長に屈した日のこと。家を守るために嗣子を迎えた日のこと。三瀬で死んだ日のこと──それらを「仕方なかった」と受け入れてはいる。
 だが、受け入れたからといって忘れられるわけでも、傷が癒えるわけでもない。

 封縛の下げ緒を超えて抜刀できたとしても、その瞬間に消えることを彼は知っている。
 知った上で、それでもいつかその刀を抜こうと思っている。
 剣聖の極みに辿り着けない宿命を背負わされた男が、それでも剣を抜こうとする理由──それは仮に問われたとしても彼自身うまく言葉にできないものだ。
 だが、あえて言葉にするのであれば、彼は証明したいのである。
 あまりにも悔いの多い生涯だったが、ただこれだけは何の無念も抱く余地がない、本当の事なのだ、と。

【因縁キャラ】

織田信長:

「貴公は確かに時代に選ばれた英雄であった。それを認めた上で言う──貴公が私に強いたことは私の生涯において最も許し難い屈辱であった。
 故に、貴公を斬らねばならぬ。ただ、私が私である為に」

武田信玄:

「内通の文を送ったことを後悔はしていない。西上の報せを聞いた時、私は確かに望んだ。このまま尾張まで攻め上がってほしいと。
 だが、貴公が三方ヶ原の戦いの後に倒れたと知った時、私は悟った。北畠の命運はもう尽きたのだと。
 もし貴公が健在であったなら……ふ、我ながら愚にもつかぬ世迷い言を言ってしまったな。忘れてくれ」

柳生但馬守宗矩:

「石舟斎殿の御子息か。剣で天下に仕え、大名にまで至った。……父君の築いたものを、そのように使いこなしたか。
 貴公は剣を持って何を守った? 家か、徳川か、己の信念か。
 私はついに、守りたかったものを何も守れなかった。だからこそ、問わずにはいられぬのだ」

宝蔵院胤舜:

「さすがは胤栄殿の技を継ぐ者。神仏に達すとの世評もあながち虚言ではあるまい。
 そなたが加えたという裏11本の式目の理も学んでみたいものだが……説法の方も聞いてみたいものだ。
 世に高僧は数あれど胤栄殿の説法は特に武芸者の心に染み入ったものよ。そなたの説法もまた心に響くものであろう」

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