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ここはでもにっしょんch ぼくの考えたサーヴァントスレに投稿されたサーヴァントを纏めるwikiです。

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基本情報

【元ネタ】岸和田流砲術 「鉄炮立はし(まりカ)の事」
【CLASS】アーチャー
【真名】無意鬼
【性別】男性
【身長・体重】172cm・66kg
【外見・容姿】鉄砲を携え、袈裟を付けたインド僧
【地域】古代インド?(日本の偽史)
【年代】古代インド?(江戸時代の偽史)
【属性】中立・中庸
【天地人属性】地
【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷A 魔力B 幸運D 宝具D

【クラス別スキル】

対魔力:D

 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

単独行動:C

 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクCならば、マスターを失ってから一日間現界可能。

【固有スキル】

幻想の声聞:E

 釈尊の弟子の一人とされた事から。
 声聞が関連するスキルを疑似的に獲得できるが、その効力はEランク相当に低下する。
 岸和田流砲術が密教思想を深めていく上で生み出された架空の存在に過ぎず、ほとんど信じられていないのでこのランク。

陣地作成:C

 岸和田流の秘伝書の一つ「四方かための大事」に曰く、目当場(矢場、角場、射撃場の意)にて
 東西南北に降三世夜叉明王、軍茶利夜叉明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、中央に大日大不動明王を祀り、
「天長地久こたん閻魔、息災安穏、天下太平国土安穏」と三返唱え様々な印を結んで、災いを避ける術があったという。

幻想の射手:A

 鉄砲の発明者としての伝承を仮託された事から得たスキル。
 同ランクの射撃およびエイミングの効果を併せ持つ上に、その銃弾は密教系の呪力も発揮する。

【宝具】

鉄炮即ち倶利伽羅剣てっぽうすなわちくりからけん

ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:5〜50 最大捕捉:1人
 岸和田流の秘伝書の一つ「鉄炮打様之大事」に曰く、鉄炮は不動明王の智慧の利剣であり、鬼神悪魔も恐れをなす功徳があったという。
 そうした記述から、その宝具は不動明王の力を銃弾に降霊させ使役する宝具と相成った。
 真名を開放する事で倶利伽羅竜王(不動明王の化身であり、その利剣に炎となって巻き付いている黒龍)が銃弾となって鉄砲から放たれる。
 放たれた倶利伽羅龍王は本物の神仏には及ばないものの、強力な除災・覆滅の概念を有し、中った者を強制的に成仏=即死させる効果を発揮する。

【Weapon】

『火縄銃』

【解説】

 岸和田流砲術の秘伝書に登場する架空の人物。
 岸和田流砲術とは江戸時代の和流砲術(鉄砲術)の流派の一つであり、上杉家に伝えられた流派であったという。

 岸和田流砲術の伝書によれば、無意鬼は釈尊(ブッダ)の弟子であり、知恵と工夫、機転に長けた鉄砲の発明者とされる。
 また、同書によれば釈尊は説法の折、鉄砲を用いて周囲を鎮めたという。
 他にも天地開闢の頃から鉄砲があったとする記述もあり、鉄砲に神秘性を付与しようとした形跡がある。
 もちろん、これらの記述は岸和田流砲術に箔をつけるために捏造された妄説に過ぎないが。

 かような偽史が作られた背景は、砲術が伝承される過程で神秘性や哲学を用意する必要性に駆られた為だと考えられる。
 砲術は火薬の調合や射撃時の心得など実学的な側面もあったが、実学的な側面を深めるだけでは限界があった。
 ある種の神秘性──言い換えれば『凄さ』『ありがたさ』のようなものがなければ流派として存続できなかったのである。
 岸和田流は密教、修験道の思想を採用したが、他の砲術の流派も、陰陽説や五行説、易の思想に影響を受けたものや、明国から秘術を伝授されたとするもの、禅宗の影響を受けたものなど多様な思想の影響によって様々な神秘性を演出している。

 しかしながら、岸和田流の奇妙な点は鉄砲が釈尊の時代から(あるいは天地開闢の時から)あった、などと堂々と虚説を述べている点だろう。
 他の流派の多くは鉄砲が南蛮渡来のものである事は否定しておらず、その上で様々な思想を借りて鉄砲に関連する“技術”に神秘性を付与した。
 しかし、岸和田流は鉄砲の由緒を改竄する事で“鉄砲”そのものにも神秘性を付与しようと試みたのである。
 鉄砲で殺しても岸和田流の秘伝を理解したのならばその功徳で成仏できる──こうした思想は岸和田流砲術を他の砲術と差別化し、流派の普及に貢献したと考えられている。
 しかしながら(岸和田流に限った話ではないが)こうした姿勢が砲術としての実用性を損ない、戯芸へと劣化していく結果を招いたとも考えられている。

【人物像】

 一言で評するならば世を拗ねたひねくれ者。反転アンチ化した仏教徒。
 手先が器用で機転の効く人物である一方、仏僧としても信心は薄く、仏門にありながら仏の教えを軽んじ、殺生を厭わない。
 仮にそれを責め立てられたとしても「まあ功徳があれば何をしようが何を殺そうが成仏できるってのがウチの教えなんで」と涼しい顔で返答する。
 こうした人物像になった背景は、自身が架空の存在であるというコンプレックスに由来する。
 砲術に箔を付ける為だけに釈尊の弟子とされ、鉄砲の発明者ともされた彼は、自らを正さずに成仏できる理由付けを欲しがる人の浅ましさを蔑む一方で、そこから生み出された己自身を厭っている。

 そうした負の感情、歪んだ自意識が仏の教えを軽んじるという形で現れているのだが、一方で本当に釈尊の教えを受けられたならば自分はこんな人間にはなっていないのではないか、と微かな期待を持っている。
 そうした心の有り様が、まさに彼が蔑む『自らを正さずして成仏を求める浅ましい人間』である事に本人は気づけていない。

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