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ここはでもにっしょんch ぼくの考えたサーヴァントスレに投稿されたサーヴァントを纏めるwikiです。

基本情報

【元ネタ】史実
【CLASS】アサシン
【真名】クンワル・シング
【性別】男性
【身長・体重】176cm・57kg
【肌色】褐色【髪色】白【瞳色】黒
【外見・容姿】マスケット銃と剣で武装した壮麗な老人
【地域】北インド・ジャグディーシュプル
【年代】1777年11月〜1858年4月26日
【属性】中立・善
【天地人属性】人
【ステータス】筋力:C 耐久:D 敏捷:B+ 魔力:C+ 幸運:B 宝具:C++

【クラス別スキル】

気配遮断:B+

自身の気配を消すスキル。隠密行動に適している。完全に気配を断てばほぼ発見は不可能となるが、攻撃態勢に移るとランクが大きく下がる。

【固有スキル】

仕切り直し:C+

戦闘から離脱、あるいは状況をリセットする能力。機を捉え、あるいは作り出す。
また、不利になった戦闘を初期状態へと戻し、技の条件を初期値に戻す。同時にバッドステータスの幾つかを強制的に解除する。
アサシンはビハール地方の反乱軍を指揮し、シヴァージーのようにゲリラ戦を展開し、イギリス軍を大いに苦しめた。

クンワルのカリスマ:D+

軍団の指揮能力、カリスマ性の高さを示すスキル。
ビハール地方での反乱軍を指揮し、イギリス軍に反抗した軍司令官としての軍団指揮力。
クンワルとはヒンディー語で『王子』の意味であり、彼がクシャトリアの血を引いていることに由来する。

戦場の星:C

砲火入り乱れる戦場を駆け、多大な活躍を残した英雄に与えられるスキル。
武勇を立て、敵味方問わず己の名を世に知らしめ、歴史にその名を刻んだ者にのみ与えられる。
自軍に対して精神的なバフ、知名度補正を付与し、作戦の成功率を向上させる。
アサシンの戦いは後世に受け継がれ、インド独立の英雄とされた。

【宝具】

侵奪抗う戦士の血脈ザミーダンダール・クシャトリア

ランク:C++ 種別:対人宝具 レンジ:1(自分自身) 最大捕捉:1人
老齢にもかかわらず、イギリス打倒に立ち上がった際、目覚めた血脈励起能力。
己の血に眠るクシャトリアの力を奮い立たせる事により、近接ステータスを合計3ランクまで引き上げ(但しステータスをA+ランク以上には出来ない)、同ランクの戦闘系スキルを3つ習得する。
しかし、使用するたびに宝具ランクはワンランクずつ下がり、強化出来るステータス数とスキル数も一つずつ減っていく。

【Weapon】

『マスケット銃、剣』

【解説】

クンワル・シングは、北インドのビハール地方、ジャグディーシュプルのザミーダンダール。
1777年11月、クンワル・シングはビハールのジャグディーシュプルを支配したザミーンダールの息子として生まれた。その家系はさかのぼるとウッジャインのラージプートに属するものであった。

時期は不明ながら、クンワル・シングはガヤーの富裕なザミーンダール・ファテー・ナーラーヤン・シングの娘と結婚した。この人物の祖先はメーワール王国の英雄プラタープ・シングにさかのぼる。
1857年5月、インド大反乱が勃発すると、クンワル・シングはイギリス打倒に立ち上がった。彼はビハール地方の反乱軍を指揮し、シヴァージーのようにゲリラ戦を展開し、イギリス軍を大いに苦しめた。
クンワル・シングはビハール各地を転戦していたが、1857年12月にはラクナウに到着し、1858年3月まで反乱軍とともに戦った。ラクナウ陥落後、同月にはアーザムガルを占領した。
だが、イギリスによってアーザムガルは奪還され、クンワル・シングは本拠地ジャグディーシュプルへと帰還した。
1858年4月23日、クンワル・シングはジャグディーシュプルに攻撃をかけたイギリス軍と戦いで重傷を負った。この結果、ジャグディーシュプルはイギリスに占拠された。

クンワル・シングはジャグディーシュプルの宮殿に避難したが、同月26日に死亡した。

だが、クンワル・シングの戦いは後世の人々に受け継がれ、のちのインド独立運動の原動力となった。インド独立後、1966年4月23日に彼の切手が発行されたばかりか、1992年にはヴィール・クンワル・シング大学が設立された。





























享年『80』歳の大英雄である。

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