松山城の北で小学校卒業まで過ごし、中学は県職員だった父親の転勤に伴い旧伊予三島市へ。高校は実家のある旧北条市から松山市の学校へ通う。大学で県外に出てふるさとの良さを再認識しふるさとで就職。県内の食や文化を紹介する南海放送の情報番組で約20年、司会・リポーターを担当した知名度抜群の元アナウンサーが、「生まれ育った松山のために働きたい」と挑む。番組では笑顔を絶やさぬ柔らかなイメージだったが、「選挙戦では、テレビでは伝わらなかった信念の部分を伝えたい」。市長に必要な要素に「正義感、公平中立性、行動力」を挙げ、「自分にはある」ときっぱり語る。前市長の中村時広氏から出馬を打診された。落ちれば家族が路頭に迷う。子供の寝顔を見て悩んだが、市政を学ぶうち「やりたい気持ちが強くなった」。“後継”批判には「中村さんはあくまできっかけ」と反論する。アナウンサーになったのは「野球の素晴らしさを伝えたかったから」。中学の野球部では厳しい練習に耐えたが、スコア係。それでも腐らず続けたことで素晴らしさを知り、スコアの経験が実況に生きた。
2023年5月8日 資産公開
松山市安城寺町の土地107万円、建物301万円、有価証券425万円、借入金150万円。