エロゲの紹介と心に残った作品の感想をダラダラ書いています。





1.はじめに


ある特定の界隈で大変な人気を誇る『ウィザーズコンプレックス』のアイリス√について、感じたことをまとめられたらと思い筆を執った。正直なところ、プレイ後の所感としては彼女の魂そのものについてへの共感はあまり強くなかったと思う。境遇には同情するし人格形成の過程も理解できるのだが、ジメジメとした日陰のような精神を持つ私には近親憎悪のようなものを抱かせたのかもしれない。いやヒロインに対して近親などというと、彼女のことを愛しているオタクに大変怒られそうなので、あまり深く考えずに、ヒロインを通じて自分の精神的な弱さを指摘されたような気になったからイラついたのだろう。という結論にしておく。

なんだか初っ端から否定まがいのことをしてしまったが、彼女の√で語られた内容は"生きること"と"社会で生きること"が切り離せない弱い自分にとっては大変に意義のあるものだったと感じている。生きるためには働かなくてはならないし、働くためには少なくとも私は、社会で生きてゆくしか方法がない。そのため社会との関わり方を明示的に語る作品にはやはり感じ入るモノがある。だが、こうして気づいたこと(感じ入った、勝手に理解した、何という言葉で表しても構わないが、それはともかく)が本質であるかどうかは分からない。

まぁそもマイナーな文化の中の決して多くの人間が手に取ったわけでもないゲームで、さらにこのような場末のHPにアクセスするような奇特な方はきっとよっぽどアイリス・ラインフェルトかういんどみるか、元長柾木氏が好きなのだろうと推測する。是非とも「そんな考え方をするやつもいるんだな」と寛大な心で読んでいただけたら幸いである。






以下はネタバレを多分に含むため、未プレイの方は注意ください。



2.所感






あのお話は精神的なパーソナルスペースの認知について語られていたと感じている。この”パーソナルスペース”という言い回しが適切かどうかはおいておくが、主観的に認識される自らの居場所のようなニュアンスだ。

主人公とアイリスは恋愛関係に発展することで”魂が近い”状態になる。これは互いが互いの存在を認め合うことで互いのパーソナルスペースが融和している状態とも言える。他人が身体的にも精神的にも近い場所にいて互いの存在を思い合うことを互いが許した状態であり、相手のすぐそばが自身の領域でもあると信じあえている状態。





こうしたお互いの認識共有によって見えるセカイが変わる(→パーソナルスペースの融和)というのは多分「Sense off」とかでも語られていたことと大差ないのではないだろうか。

※元長氏について私は全く詳しくないので、この辺の解釈が間違っていたら申し訳ないのだけれども。







家族、特に母親からの愛情を十分に受けることが出来なかったアイリスは元来パーソナルスペースが極端に狭く、排他的になっている。というのが問題の核だったように思える。だから母親との関係性を再構築し、甘える関係を是とした。それは”甘えているという負い目を排除し、自分がいても良い(いることを許した)場所を広げた”といってもよい。

そうしてひとたび目を向けると、外の世界にも同様にパーソナルスペースを持った人間が存在してる。それは当然大きさも形も人によって様々である。アイリスとほのか間で起きた問題はほのかによる一方的なパーソナルスペースの侵害であるが、外界からの刺激によって脅かされ続けるパーソナルスペースを守ろうとするばかりに他者へ気をかけることが出来なかったアイリスには必要な刺激であったと言える。

自分のセカイの外には大小さまざまな他人のセカイが広がっていて、近づいたり離れたり融和したりする。人はそうした中にいるからこそ本来可視化することが出来ないパーソナルスペースの形と大きさを認識できるのだ。(よくある例え話だが、世界に一人しかいなければ自分という概念は生まれない。逸話の真偽はおいといて、狼に育てられた少年が自身を狼だと思い込むように、他の存在は自己を映す鏡となるのである。)

アイリスは「みんな」に気づくことで自分を認めた。そうして認めた「自分」は自分と他者とを分ける境界であり、「自分」が「みんな」の中で生きている証でもある。この境界の認知と、他者にもパーソナルスペースが存在していることを知ることが作中最後にある「部外者としての誇り」へと繋がっているのだと理解した。





「みんな」に気づき「自分」を知った際のこの精神空間は非常に象徴的だと思っている




・・・と、基本的には他者のパーソナルスペースを自己のパーソナルスペースが侵さないように、尊重する必要性を説いているのだが、同時に例外の存在も示唆している。それが"友達"と"恋人"である。ほのかとの確執で語られたように"友達"は高度さえ合わせれば、時には領域同士をぶつけても良いし、"恋人"は自然と魂が重なってしまうものである。個人的にはこういう恋愛に対するある種のロマンチシズム(ドラマを不要とした関係構築)はあまり馴染まないのだが、脱線してしまうのでまぁそれはいいだろう。


3.さいごに






所感で語った他人は他人という割り切りからくる尊重は人間社会を生きる上で非常に重要な価値観だと思っている。ただしそれによって生まれるのが諦念ではなく、だからぶつけあって相互理解を促して友達になろう、という思想は実はいまいちわかっていない。それはひとえに、自身の人生経験に基づく絶対的事実として”友達の重要度”への理解が足りていないからだと思うが、空しくなるのでおいておくとする。

まとめちゃうと、彼女たちの主張や元長柾木氏が語りたかった"世を生きるハウツー"のようなものはなんとなく理解できたのかもしれない。しれないが、頭ういんどみる(この場合はまさに「友達は多いほうが楽しい」である。)には至れなかった、となるのではないか。私も早く毎日を祝勝会にしたいものである。

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