エロゲの紹介と心に残った作品の感想をダラダラ書いています。

『ぼくのたいせつなもの』を読む(感想・レビュー)-ワザリング・ハイツ -annex-
僕がこれから述べる感想よりもよっぽど学があり、よっぽど見識にあふれた感想がここに記されている。
また、あらましの纏め方も分かりやすく、これ以上のものが書ける気がしなかったので本作を未プレイの(あるいはプレイしたが思い出したい)方は是非、先に読んでいただきたい。また、冬木の人間としての自己確立に関しても非常に見事な、僕なんぞには到底及びつかない素晴らしい意見が書かれているので同じく是非とも読んでいただきたい。

ただ、言い訳を一つさせてもらうなら、僕が冬木の自己確立という同様の観点で意見を述べようとすると、
ぼくのたいせつなもの 感想〜『ぼくのたいせつなもの』を読む(感想・レビュー)second brew〜どころか、単なる粗悪品の出来上がりになるのは確定的に明らかだったため、僕らしく、別の観点からを雑多に感じたまま書いている。そこに同じようなクオリティを求めてはいけない。いけないんだ。





1.はじめに

正直なハナシ、この作品は僕のような人間に到底読み切れるような物語ではない。圧倒的に知識が足りないからだ。以下では僕が何となくそれらしいことを述べているが、言葉の通り何となくそれらしいことを述べているだけに過ぎない。
そのためこの感想を読んでくださっている皆々様も深く考えないで(なんとなくそれらしいなぁ・・・。)なんて納得していただければ幸いである。


そもそもとして、倫理観や道徳観は社会に生きる人なら誰でも持ち合わせているモノだが、それらをテーマに扱う場合に重要になってくるのは「定義を言語化する能力」である。何故ならその作品の存在意義として作品におけるキャラクター独自の定義や価値観に多くの読み手を共感させる(或いは爪痕を残す、など効果を曖昧にしてもいい)ことが必要だからだ。前提として、多くの人はその専門でもない限り自らの使用する言葉の定義を深く考えずに使っている。というよりも、考える必要がない。何故ならなんとなくで言葉の意味は通じるから。互いの共通言語として常識化しているから。つまりは、そうして、ただ「ひと」という音が、最も僕達を表現するのに、適切(≒一般化している)であるから僕達を「人」と表現しているに過ぎないのだ。

例えば、どMに対し、このブタ!と罵る嬢はブタという音に秘められた一般常識的な意味を切り取り、どMに当てはめて表現する。この時に必要なのはブタという音に秘められた一般常識的な意味とどMの振る舞いや態度の共通項を導けるだけの能力か、あるいはどMの振る舞いや態度に対してブタと表現できるといったある界隈においては一般的とも言える認識の共有である。
この事から(どのことだろうか)も分かるように、あらゆる全てを表現する、あるいはそれの表現の対象を認識するには、厳密な定義を知らずとも、そうした表現をするといった酷くあいまいな経験則的な認識さえ持っていればよいのである。

本作では人という表現に対する酷く経験則的な認識にヒビを入れ、それの厳密な定義を追求していく側面を持っている。そもそもが曖昧なものなのだから、そこに潜む前提さえ崩れれば、それはとても脆いのだ。





2.本作品の前提




本作の設定は人造生命体ケミカルが社会に浸透し、一般的になっているセカイである。ケミカルは様々な生物を模す。ネズミのような生命体から、人間と瓜二つの生命体までも作ることが出来る。その人間を模したケミカルは人と同じ機能を持ち、社会に生き、思考する事ができるため傍目には区別をつけることは出来ない。にも関わらず、ケミカルは生物学的にも法的にも「物」でしかない。






つまり、このセカイにおける人と人型ケミカルの大きな違いは「人権」の有無であり、その結果としてケミカルの自由を奪う「コントローラー」やケミカルの意思・思考を奪い目的に即した従順で都合の良い存在に変える「調整」と言った人間本位の"物扱い"が罷り通る。ヒロインが人という枠組みの中で生きていた時は間違いなく友人であった彼女ですらも、その枠から外れケミカルとなった途端にこの言い草。もはや社会の全てがケミカルを物扱いして、その価値観が常識であることが開始数十分でありありと伝わってくる。改めて凄いゲームである。





3.本論




レッテル問題に際し、そもそも「人とは何か?」を定義付けようとする時、シニフィアンとシニフィエに悩まされる。仮に人とは「社会的な関係性の中で生き、生物学的にヒトであると保証された存在」と定義したとき、果たして冬木と言うケミカルはどうなるのだろうか。彼女は冒頭で語られるように、作中において他者から人であるという認識を受けている主人公よりも社会的な関係性に富んでいた。また、生物学的にもヒトと変わりのない機能を持つが、ケミカルとして産まれたという覆しようのない事実が周囲に認知されただけで「人である主人公よりも社会的な関係性の中で生き」ていた冬木は「人」ではなく「物」と定義された。こうした認識の変化は“シニフィアン(=記号表現)が対象を指す場合、まずそのシニフィアンが妥当性や一般性を持つか否かが先行している”ということに他ならず、この場合では冬木を指す際の最も一般的な記号表現が「ひと」から「けみかる」に推移したため、彼女に対する認識も「人」から「物」に変化したのだ。

しかし本来ならば、シニフィアン(記号表現)に先んじてシニフィエ(記号内容)が存在するのが道理だ。何故なら人という言葉が生まれる前から、人は存在していたからである。基本的には言語は定義の後に作られるものである。(いわゆる現代語などは顕著だが、語感の良さから言葉が生まれ、そこから定義が生まれる場合もあるが、ややこしいのでとりあえず措いておく)ともすれば、「ひと」という記号表現の妥当性に一体どれほどの価値があるのか。少なくとも本質的な概念以上の価値があるとは到底思えまい。であるならば「社会的な関係性の中で生き、生物学的にヒト(と同じ機能を持つ存在)だと、人として社会に生きてきた実績に保証された存在」である冬木が「けみかる」であれども「人」であることに、本来であれば疑いなどないはずである。






ただ、この状態で物語が終われば話はそこまで複雑ではないのだが、冬木は先述した「調整」を受けることで、主人公への臓器移植に適した存在かつケミカルとして従順で都合の良い存在になっていく。ケミカルとしてモノ扱いされることによって社会的な関係性は失われる。それでもなお機能的に人間に近しいことは変わりないが、子宮から主人公の病気に対抗する物質を含んだ液体を分泌するといった、明らかに人と異なる部分を持ったエロゲ仕様の身体になっていくのだ。そうした中で人間的な感情の機微も薄れ始めた冬木は、人間とケミカルが混じり合い心身共に明確な境界線のない状態になっていく。主人公はその事実に悩みながらも、互いに愛情を育み、人とケミカルの「命」について考え、最後まで冬木に対して人として接することを決意する。






「社会的な関係性の中で生き、生物学的にヒト(と同じ機能を持つ存在)であると、人間として社会に生きてきた実績に保証された存在」であった冬木は、ケミカルを物として扱う「調整」によって、その定義が揺らいだ。ここで問題は「冬木が人間であるか?」から「ケミカルを物と扱っていいのか?」に移ってゆく。これは唯物論と観念論的な議論とも言えるかもしれない。
唯物論的に見れば人間もケミカルも互いに単なる原子の集合であることに違いはない。同じ原子の集合を「人」と「物」で分けるのは、心や精神等の観念論的思想であるため、事実「心」と呼べる様々な機微を持ったケミカルに対し「命なんて無い」というのは詭弁である。命の存在を観念論で支えているからこそ、冬木を人たらしめる物的な確たる証拠などない。それ故に命の所在を一般に立証できないが、裏を返せば、それは人にもケミカルにも同様に言えることなのだ。


以上2点を踏まえれば、最後に残るのは結局「自身」が「他者」を「人として受け入れるかどうか」である。受け入れられなければ、それは「物」以外の認識を持つことができないというだけの話である。思いだけが観念論に支えられた「命」を存在させる唯一の手段であり、そういう意味では主人公に最後まで人として思われ、受け入れられていた冬木は、その思いが潰える瞬間まで主人公にとっては「人」で在り続けることができるのだ。





4.まとめ





様々な弁で冬木は社会的にも、ケミカルとしても、主人公自身の問題でも、「人」であったと結論づけたが、僕が何よりも冬木が人であると感じたのは、人である主人公の冬木への「感傷」と、調整により主人公ですらも(人ではないかもしれない)と不安になるほどケミカルと混じり合った冬木の「願い」とが「死して尚も想いを残したい」という点で重なったシーンである。別々の場所で別々の状況の中、互いに同じ思いを共有することができた非常に心に刺さる構成であった。
また、ぼくの「たいせつなもの」は変わらず冬木でありつづけたが冬木という存在に限らず、冬木が残した想いとその想いに導かれて選んだ全てがたいせつなものとなったと読めるラストはとても良かったと感じる。僕としては、こうして命の所在について思考すると、どうしてもピグマリオン的な、エロゲヒロインを人として扱うことの尤もらしさに繋がってしまう。それと同時にそれがエロゲーマーとしての性だと思うが、本作から学んだことはヒロインから得られた思いや、ヒロインへの思いが僕達の中にあるのならば、ヒロインは人間であり、僕達の中で永遠に人間として生き続けることが出来るということだ。僕達が彼女らが人間であることを忘れた瞬間に、彼女らは単なる二次元へと成り下がる。それゆえに、実在しているか・していないかなどの枝葉にとらわれず、これからもエロゲの中から多くの「たいせつなもの」を見出していきたいと思った。ありがとう冬木。ありがとうエロゲー。





5.最後に





ぐ う の 音 も 出 ま せ ん で し た 。

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