エロゲの紹介と心に残った作品の感想をダラダラ書いています。




1.はじめに


考察と銘打ってはいるものの、いうほど大層なものでもない。先日プレイした『青い空のカミュ』という作品を掘り下げて、言語化してみたくなったので、こうして駄文を連ねることにしたというだけのことである。

そもそも、正直に話せばこの作品を私はそこまで評価していない。というよりかは決定的に合わないと感じる描写や不快感を伴うやり取りが散見されたため評価しきれないというのが正しいかもしれない。ただ作品構成は短いながらも良くできていたし、考えるべきポイントは多くあったと思う。蒙昧と文章を読むだけではなかなか理解しきれない難解な作品の一つではあったのではないだろうか。
(私の読解力、低すぎ・・・?)

無論そのような作品に対して、ここで行う自己解釈が"正しい"と主張する気は全くない。ただただ、プレイを終えて一日経ったところで、自分なりの理解をしなければ本作品を消化できないと感じたのだ。故に、世界にとって大した意味を持たないであろう文章と知りながらもブログに書き起こすことにした。私の解釈が誰かの解釈の助けになれば幸いである。

前置きが長くなったが本作品はざっくりといえば、"離別の物語"であると思っている。
その根拠や解釈のもととなった部分を引用しながら語っていこう。








本考察はネタバレを多分に含みます。未プレイの方は注意ください。



2.離別の物語とは





重要な前提から言うが私の作品解釈の中ではどう考えても、燐は死んでいる

現実へと帰還した蛍と帰還できなかった燐の違いはなにか?
それは現実を生きているか生きていないか。生者か死者か。それ以上の説明が浮かばないのである。




幸運の象徴たる座敷童によって歪んだ町へと座敷童である蛍はともかく、心に傷を抱えている"だけ"の少女燐が巻き込まれたのは何故か。
他の乗客や乗務員が巻き込まれていない以上たまたま電車に乗っていたからは理由とならない。
作中では「意味なんてなく起きてしまった現象」や「"ただ" "だけ"」と語られていたが、町の歪みとは無関係である者たちの中で唯一燐だけが巻き込まれたことには、世界から見たときに意味はなくとも、なんらかの理由があるはずである。





死によって情報となり、存在は他の者の中に移動する






以上を一文でまとめると、燐は作中初めから既に死んでおり、蛍が自身のルーツに基づき街の歪みに巻き込まれたことで、蛍の中に情報として存在していた燐もまた巻き込まれた、という主張である。当然燐は自身の死をある段階まで忘れているはずである。だからこそ蛍の中で生きていくことができたのだから。




両親の不仲や従兄弟との不和に起因した自殺か




青いドアの家が存在する空間は作中では世界の境界であるといったように表現されていたが、燐の死を前提とするなら古事記で言うところの黄泉比良坂のような場所であったのではないか。つまりはあの世とこの世の境界である。古事記において『伊邪那岐は死んだ伊邪那美を取り戻すため黄泉の国へと迎えに行くが、伊邪那美は黄泉の国の食べ物を食べてしまった(=黄泉戸喫)ので現世へは戻れないと断る』という話がある。そして、青いドアの家が存在する空間において桃やケーキを食したのは燐だけである。
燐は、黄泉戸喫を行ったことにより、蛍の中の存在としても現実世界へと帰還できなくなったのだ。




伊邪那岐が黄泉比良坂で追手から逃げる際に桃の実を投げたという話もある

あえて作中の食材に"桃"を選択したことには意図を感じてならない






味覚の変化が現実世界に受け入れられない死者としての定着を暗示していたのだろうか?






死を思い出し、人として現実世界に存在できなくなった燐は紙飛行機となる。それは作中で人の形では光よりも早くなければ到達することのできないと表現された純粋な存在であり、傷だらけの燐がもう傷つくことのない完璧な世界へと到達したことを示唆している。
そしてその紙飛行機はよだかの星や風車のように、蛍と燐にのみ通用する美しさの符丁として、いつかの約束通り蛍のそばに居続ける。
燐は彼女自身の重い思いを込めた紙飛行機を最愛の友人に残す、最高に重い女であった。




燐の悲しみを乗せた紙飛行機の美しさは作中で繰り返されたカタツムリの殻へのアンサーである



3.最後に






過去を清算する燐と現実に向かう蛍



上記したように蛍や燐が巻き込まれたことには世界としての意味はなかったかもしれないし不運だったのだろう。だが意味を見出すのは世界ではなくいつだって事象や言葉を受け取る(乃至は発信する)主体である。そうして考えると蛍や燐にとっては意味のあるものだったのではないだろうか。残された蛍は燐の死を受け入れ、死した燐は蛍への思いを残すことができたのだから。そうして過ぎ去った後に振り返る3日間はきっと二人にとって幸福と呼べるものだったと信じたい。

・・・ぶっちゃけ、解釈しきれていない部分もあるだろうし、そもそも解釈違いもあるだろう。無学な私はカミュなどの作中における作品引用の大半を詳しく知らないのでそれが作中にどのように関連しているのかもいまいち分かっていない。だが、私にとっては、これは紛れもなく残酷で優しい離別の物語であった。


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