エロゲの紹介と心に残った作品の感想をダラダラ書いています。



0.あらすじ



公式サイトより転用

1.初めに


『千の刃濤、桃花染の皇姫』オールクリア。 本作品を簡単に纏めるなら、様々な形を成す“忠義”というキーワードを中核として 、第二次世界大戦以降の日本の歴史をフレームワークに、神や呪術等の現実には存在しないファンタジー要素をディテールとして肉付けした上で、多くの象徴や、幸福への道、各々の生き方を示した独立戦争であると思った。和洋折衷された独特な世界観は前評判ではかの名作『穢翼のユースティア』を髣髴とさせると言われていたが、実際のところはユースティアほどダークな世界観では無く、どちらかと言えば主従関係と言ったエロゲに有りがちなテーマから「人間が人間らしく生きるには」と言った原初的な問題にまで発展した人が今日をより良く生きるためのバイブル的ゲームだと言えるだろう。

と、この素晴らしき作品を様々な観点から読み解いていくのがこの感想の趣旨です。
(作中で見られる謎「ガバ」を補完「妄想」していきたいと思います)
当然ネタバレも含みますので未プレイの方は注意。良ければお付き合いください。


2.忠義とは?


本作で言うところの"忠義"とは稀代の名作『ChuSingura46+1 -忠臣蔵46+1-』で使われるような辞書的な意味での「主君や国家に対し真心を尽くして仕えること。また、そのさま。」だけでは不完全である。また、多くのフィクションで語られるような「主君のために命を賭し、清濁併せ呑んだ盲目的な忠誠」というわけでもない。本作における忠義とは「自分の中にある揺るがない信念」であり、それは生き方であったり、最もプライオリティの高い行動原理であったり、つまりは自身が後悔しないための一本の芯のことを指す。また、忠義を選択する自由は誰にでも存在するとし、それこそが人間に与えられた最後の権利であるとも述べている。この主張は皇国の因習とされる「今まで絶対的な自衛力を持ち、二千年間守られ続けてきた平和ゆえに変化する必要がなかった、旧時代的な世襲による選択の不自由さ」に対する明確な反論であるが、エルザは作中で、そうした世襲制による将来選択の不自由さを「人間の流動性が低い制度を二千年も続けてきた結果、祖先が作り上げてきた哲学に無理やり押し込める囚人の哲学」と評した。こうした自由を求める声は現実でもフランス革命以降、西欧に蔓延った思想であるため作中の共和国という国が、現実で言うアメリカのような立場であることを邪推できてしまうのも第二次世界大戦以降の日本の歴史をフレームワークとしていると思うに至る要因の一つではあるが、それはそれとして、確かに、世襲は人の生き方をある程度縛ってしまうものであることは間違いない。仮にそこに"忠義"という価値観で充足感を得ていたとしても「自由な選択の機会が奪われる」という言説を無視することは出来ないし、事実そのとおりであるだろう。しかし、そもそも多かれ少なかれ、そうした実情が共和国でもあることは、エルザの出自とそれに伴う高すぎる地位、更には事あるごとに言われる「総督の娘」という立場が明瞭に物語っている。そのため皇国のみの問題にするのは不適当である。力のあるものには責任が生じ、全うする義務がある。それはエルザの持つ権力であったり、武人のような武力であったりしても変わらない。ともすれば大切なのは、力の捨て方ではなく力の振り方や力との在り方であり、それを見つけるためのツールが"忠義"なのだ。故にこれは皇国のみならず共和国出身のエルザにも適応できし我々プレイヤーにも当てはまる。本作に登場するキャラクターたちは常に忠義を自問し続け、見つけた場合は守り続けている。忠義は各人の行動原理を推測するために非常に重要なファクターとなるだろう。


3.学園要素は必要か?


黎明から二千年、一系の皇帝により統治されてきた皇国が世界中に侵略戦争を仕掛けている巨大国家「共和国」との戦争に敗れ支配されてしまう。皇国を売り渡した逆賊小此木を討ち、共和国から独立するため、呪術で身体能力が大幅に強化された武人たちが立ち上がる。主人公の主観を排し、大雑把に導入を語るならこんなところだろうか。しかし、武人という極めて武士と似た価値観と生態を持つ役割が存在していることや、一系の皇帝により統治され続けた歴史を持つ極めて封建的で絶対君主制的な国家であること等を踏まえれば、現代的な学園の存在は不協和音の原因と成り得るほど、アンティパシーな要素であることが分かっていただけるだろう。刀を持った武士が蔓延る中で身分階級を度外視した平等な学園制度が存在しているということだからである。恐らくそのために"チグハグ"という印象を抱いたまま、本作を終える方が多く散見されるのだと推測する。それだけでなく共和国の軍人であるエルザと皇国復興を目指す主人公たちが腹に一物抱えながら、少なくとも表面上は仲良く振る舞っているシーンも多くあり、それぞれが緊張感を欠いている(ように見える)のも本作から感じられるチグハグさを助長する原因の一つとなってしまっているのではないだろうか。要するに学園という要素と、導入から語られる目的とがズレていることが問題視されているわけだ。

作中では学園に通う理由として一応「まずは敵を知る」ことが最終的に目的に繋がると言った説明がされているものの、ぶっちゃけて言えばそのメリットよりもデメリットのほうが多そうなのである。武人であることは普段の行動や態度からとっくにバレているし、学園に通っていれば顔も当然バレているので、武人としての有事の際に少しでも顔を見られてしまえば普通ならば学園に通えなくなるハズである。果たしてそれで敵を知る事が出来るのだろうか。あるいは敵を知るために肝心の目的が疎かになる可能性はないだろうか。色々と考えることはあるが、エルザの権限が曖昧であったためか、それとも偶然今までは気づかれなかったのか、何故か不問であったりする。というか、何より学園なんぞに通っている暇があるならエルザの居ない時間帯を狙って目的達成のための武器調達や鍛錬をして有事に備えたり、資金を得るために働いたり、隠密行動で敵情を探ったほうがよっぽど目的のためには効率が良さそうだ。

・・・いろいろ述べたが、僕のようなオツムが残念なクソミドリムシでも思いつくレベルの意見を皆様が思いつかないはずはなく
やはり学園の存在意義はないかのように思えてしまうのではないだろうか。

しかし、敢えてここでそんなクソムシ(略)ならではの超理論を展開させてもらうなら、1章でもちらっと述べたが様々な面から、本作の「歴史」「登場する国家の思想」「関係性」は、第二次世界大戦以降の「日本の歴史」「他国の思想」「関係性」と近似している。そのため、共和国という存在や共和国がもたらしたものを現実社会の変化の歴史と照らし合わさせることで皇国や共和国の問題点やその後の改善案を浮き彫りにし、受け手の解釈を絞ってわかりやすくしているのではないか?と思うわけである。我ながら、これだけだと意味不明なのでもう少し具体的な説明をすると、本作では学園を“民主主義の象徴”としているのではないだろうか。そも、絶対君主制であったり、特権階級制であったり、化石のような制度を保ち続けてきた皇国では、学園も(共和国に支配されるまでは)一部の富裕層しか通うことができなかったと作中でも明言されており、共和国人や皇国人が誰でも、同じ場所で学業に励むことが出来るようになったのは敗戦後である。実際に日本も敗戦後のアメリカの間接統治下で急速な教育インフラ整備を行っている歴史を持つため、両者は意図的に近似させているのであろう。また、よく「学園は社会の縮図である」と言われることから逆説的に、講義の中に議論が含まれていることや生徒会という学園生徒の支持で学園統治・イベント運営の地位に就任する制度は民主主義を思わせるし、そうした学園の在り方それ自体が他国との干渉が最小限に留められていたため化石のような制度を保つことが出来た皇国が、民主主義に近づいていることを如実に表している。加えて、古杜音ルート(の確かエピローグ)で朱璃が「なんの気兼ねもなく学生でいられるのって幸せね」とクソニートみたいな、働いたら負けみたいな(違う)発言をしているのも、先述の理屈を正しいとするなら、これは単なる学園のことのみを指しているのではなく、民主主義的な幸福をも示しているように思える。権力が極端に一人に集中しない国の在り方は、これまで権力を持つ責任に追われていた朱璃からすると新しい価値観であったのだろう。これらを纏めると、本作における学園とは民主主義の象徴であり、その恩恵による幸福や日常の象徴でもあると推測できるわけだ。そう考えると、学園の中にある幸せを何も考えずに受け取ることも出来る中で、それを良しとせずに主人公たちが自身の"忠義"を貫き通していく姿と学園は、皇国民が望む皇国と共和国支配下にある皇国の対比構造を模しており、時間が進むごとに主人公たちにとっても平和で賑やかで心安らぐ場所になっていく学園は、共和国支配下における皇国の未来に対して、極めて暗示的であると言える。
共和国軍に攻められ、支配下に置かれた時点で皇国は変化をせざるを得ない状況に追い込まれていた。仮に共和国の支配から脱しても二千年間守られてきた皇国と全く同じ国を作ることは不可能であり、どうしても爪痕は残るのである。であればこそ、これからの皇国は共和国の優れた点は学び、従来的な皇国の欠点は改善しなければならない。学園制度等の教育インフラはその一環であり、皇国が取り入れ学ぶべき点であった。ならばやはり、従来的な皇国の欠陥を補う形としても学園要素は必要であり、その表層上のチグハグさはむしろ前述の対比を繕わずに明確にした結果だと言えるのではないだろうか。要するに変容の過程を表現するために「敢えて」チグハグにしているということだ。


4.呪術とは?因果の相殺律について。


僕は当初呪術とは、戦闘を盛り上げるため、治療の簡略化を図るため、様々な不思議現象を引き起こすため等々、現実世界に即していては起こり得ない事象でシナリオを都合よくコントロールするための飛び道具だと考えていた。しかし、4章邯鄲の夢で(ようやく)呪術はご都合主義者が振りかざす天御剣でないことが、厳密に言えば「使えば使うほど術者の寿命を縮める」デメリットがあると明かされたのである。この詳しい理由は5章でざっくりと言えば、下記のように説明された。

呪術とは大御神の力を借りて因果を捻じ曲げる行為である。そのため誰かが得すれば誰かが損するのと同じように、因果を捻じ曲げれば因果のひずみが生まれ“応報”という悪影響も一緒に引き起こすのが呪術である。しかし応報の受け皿として別世界である「根の国」を用意し、呪術を使う際にそれらの仕組みを技術として体系化してあるためこの世界自体に応報は発生しない。その代わり呪術を使う時、二千年分の因果のひずみが積もっている根の国と巫女の体を接続する必要があるため使えば使うだけ魂が汚れ、その許容量を超えた時死ぬ

この説明を受けた時、僕は非常に恐ろしいと感じた。呪術の代償に死ぬことがではなく、受け皿に別の世界を用いることが、である。 根の国は一体どんな世界なのだろうか、生命は住んでいるのだろうか。許可は取っているのだろうか。毒にも薬にもならない様々なことを考え、一人勝手に震えたが、先に結論を言えば神の世界だった。それも、二千年前の皇国統一戦争で皇国に敗れた国が信奉していた黒主大神の住む世界である。これはつまり、敗戦国は一つの世界をぶち壊されるほどの辱めを受けても仕方ないと皇国自体が体現してしまっているに他ならず、共和国の侵略は正しく因果応報である。本来ならば皇国は滅ぼされたとしてもなんらおかしくはない。長い歴史の中で薄れていく罪の意識のある/なしに関わらず、こうした二千年前の出来事と積み重ねが共和国軍の侵攻を引き起こしたことは最早言うまでもない。また本作のラスボスである禍魄は、統一戦争に勝利するため主人公である宗仁(ミツルギ)を呪術によって生み出した時に生じた因果のひずみが、皇国に悪意を持ったミツルギの製作者の想いで皇国に災厄をもたらすものとして人の形を取った存在である。その禍魄が三百年かけて作り上げた国が共和国であり、皇国によって黒主大神の信奉を禁じられた敗戦国の末裔の雪花が手引したことで皇国二千年の防衛神話は脆くも崩れ去った。こうした善悪対比や因果応報の構図は個人的にはとても興奮するが、結局のところこの物語は二千年前の戦争で生み出され、二千年間の平和によって積み重なった多くの奇跡の裏で膨らんだ負の遺産を共和国に支配されてからたったの四年間で精算しなければならないという、そんな明らかな無理ゲーだったのである。


5.神の人格とは?


本作でいう神には、神という存在を再定義し、忘れられがちな人間の強さを思い出させる傑作『天使の羽根を踏まないでっ』と同様に人格があった。しかしながら、基本的に彼らは怠慢な神で、同じ神の領域が長く自身の統治下に置かれている人間によって蹂躙され侵されてきたにも関わらず放置。また、黒主大神も「おっ。なんか穢れ来とるやん。」くらいのレベルで神の世界に積もる因果のひずみを特に意識していないようだ。これは人間に引き起こすことが出来る事象は神にとっては些事であり、人間の尺度で神の考えを理解することは出来ないということなのかもしれない。だがその神も、長く積もった因果のひずみを無理やり引き出され、人間に与えた神器を壊されたことで流石にキレた。因果のひずみを無理やり引き出して、神器を壊したのは雪花と禍魄であるが、禍魄はともかく自身の祖先が信じた神への恥辱と八岐家の冷遇に耐えかね反意を表した、いわば統一戦争から二千年間溜まった恨みの結晶とも言える雪花はそれでいいのかと思ってしまったが・・・。ともかくキレた黒主大神は「誰だ、我が世界をかき乱すのは、我が眠りを覚ます」とか言いやがります。ハイ、寝ておりましたコイツ。完全にサボりである。つまりは世界をかき乱し(?)さえしなければ因果のひずみを根の国に送っても、「寝とるし気にせんよ」ってレベルだということが分かった。でも、世界をかき乱し眠りを妨げられるのは流石にキレる。眠りを妨げられたら僕でもキレるのだから、まぁ神もそうなのだろう。そういうことにしておくと、つまりは黒主大神を信仰する雪花本人が黒主大神を怒らせる最終的な原因を作り上げているわけだ。オイオイ。(一応作中では、因果のひずみの廃棄場にされたことを嘆き、怒っていると推測しているが、そもそも眠りを妨げたのは紛れもない事実として禍魄と雪花である)どちらにせよ上述したように直接的な原因たる黒主大神の信奉を禁止し、その世界を因果のひずみの集積場とすることや、禍魄を生み出したことは皇国側に責任があるため、結局は因果応報と言えるのだが。
閑話休題、こうしてみていると神は結構適当であり人格を持っておると言っても人で言う喜怒哀楽程度ではないだろうか。また、神の世界をかき乱す行為が神を眠りから覚ましたとするならば、大御神が奇跡を起こすにもまた、まずは神の世界にアクセスして、神を眠りから覚ます必要があるだろう。千桃批判の一環として根の国で大御神が因果のひずみを処理したのをご都合主義と捉えられがちだが、大御神の世界まで到達し神を目覚めさせるほどの美しくも悲しい涙を流すことで、神の胸を打った一連の流れを、単純にご都合主義と片付けることは出来ないだろうし、個人的にもしたくはない。ついでに、桃の花が根の国にまで入りこんだ要因は朱璃と繋がった大御神が根の国へアクセスしたことであり、その際に一緒に流れ込んだのだと思っている。そこで聞こえてきた宋仁の意識を引っ張り上げたあの赤子の泣き声は、大御神の世界に大量に溢れることで、神秘的な力を持った朱璃の涙が起こした一つの奇跡なのかもしれないが、何にせよご都合主義と言う前に、そこには神をも動かした「宋仁に戻ってきてほしい」という朱璃の強い思いが前提にあることを忘れてはならない。

日常的に神を崇め、力を借りていたのに寝ていたのか?と疑問を抱くかもしれないが、呪術や祈りによって神の力を引き出す行為は神にとっては夢精みたいなもので目が覚めるほどの出来事ではないと推測される。「いや俺は夢精で目が覚めるけどね?」みたいな極めて個人的な意見はコメントやツイッターで優しく聞くとして、考えても見れば雪花は黒主大神の呪術を使うことが出来たわけだからまず間違いなく黒主大神の呪術は八岐家で受け継がれてきたノウハウであり、そうだとするならばこれまでも幾度か使ってきたと考えるのが自然である。仮に使ってなくとも、最後の戦いで八岐が黒主大神の力を借りる呪術を使って、因果のひずみを自身の力に変えていたが、それが原因で黒主大神が目覚めた描写もない。というわけで、あくまでも黒主大神は大量の因果のひずみを現世に逆流させたことで、神の世界がかき乱されたから起きたわけだ。故に同様に呪術や祈りによって大御神の力を引き出す行為は基本的には神の眠りを妨げるものではないのだろう。よって大御神も朱璃によって眠りから覚めて、初めて、長い間黒主大神の世界に自身の管轄である人間たちが因果のひずみを送り続けていたことに気付いたのだと思われる。なんとも間抜けな話だがそう考えるのが最も自然である。

寝ていた理由としては薄いが心情的な問題として、もし大御神が起きていたなら因果のひずみ問題をどうにかしなきゃだめでしょう。人間が醜く争うならともかく同じ神の世界を汚しているわけなのだから。ついでに、もし起きていたのならば、余談にて古杜音と大御神を表す金銅鏡の前でセックスした時に見られていたことにもなる。それじゃあ、大御神はただのスケベだ。しかしこれらの論調を正しいとし、神が祈りを聞き届け、直接力を行使するのが原初の呪術ではない(=呪術では神は目覚めない)とするなら、「呪術」と「原初の呪術」の違いが途端に不明瞭になる。そのアンサーとして、呪術は因果のひずみを代償の代わりとした体系化された技術であり、使用者の呪力の強さによって一度に根の国に放出できる因果のひずみの許容量が異なる。一方で原初の呪術は代償を渡すことで神の力を引き出すことが出来るため、奇跡に見合う代償こそ奇跡の裏側を担っており、因果のひずみの許容量を考える必要がなく、大きな力を行使することが出来る。と、考えるなら、仮に神が寝ていても様々な形で力を借りることができる理由付けともなるのではないだろうか。


6.宗仁の立ち位置


ここまで謎という謎を解決しつくした(?)今、残ったのは千桃最大の謎だ。滸の幼馴染という説明がされている宗仁は実は二千年生きたミツルギであり、要するに子供の頃からお互い知っている仲というわけではなく、同様に奏海もお兄様と慕う宗仁は実はミツルギであり、幼い頃からお互いを知っている仲ではないのである。果たして「幼馴染」とはなんだろうか。「お兄様」とはなんだろうか。特に考察というわけでもないオマケとして、やっつけだが考えてみた。

.潺張襯の存在を知る大人以外の武人たちは実は呪術で洗脳されていた。
謎のパワーで催眠。なんでもありか?って感じだが、幼い頃から一緒にいる仲として刷り込まれていた滸は実際には幼馴染などではなく、大人の容貌になった後に数年道場で共に稽古しただけの仲だった。当然妹も洗脳されているだけであり、幼い頃からお兄様と一緒にいたと思い込み、お兄様ラブになっていた。そう考えるとかなり不憫であるが、そもそもそう考えなくても明らかに不自然であるにも関わらず「幼馴染」だの「お兄様」だのという姿は割と不憫であるので、もはやどうしようもない。

武人の特性として成長速度が異様に早い。
呪術で身体能力を強化している武人は成長速度も他の人間と違い、子供の頃から大人と同じ身体的特徴を持つようになるという説だ。この説なら姿かたちが「ミツルギ」として完成されている宗仁が、滸と奏海と10年近くの時間を歩んでいても不思議ではない。そのため、彼女たちが築き上げてきた感情を完全に否定しない形になるのが利点であるが、武人の成長速度については一切作中で語られていなかったので、そもそもがかなり無理のある推測である。

I當未某年しか過ごしていない。
滸が相当なお花畑であることは作中で明らかにされている。ヤンデレ奏海なんて特にそれが顕著である。つまり、二人共ちょっとおかしいのだ。だから少なくとも容貌が大人になってからの関係でも「幼馴染」だと思い込むし、「お兄様」ラブにもなるのだ。そもそも、もう一つの問題としてミツルギと宗仁の非連続性についてが挙げられる。ミツルギに惚れたくせに結局宗仁と付き合ってやがるぜコイツらみたいな意見が少なからずあるだろうが、その答えも「お花畑であるから」で万事解決できる。もうこれがなんだかんだ正しいんじゃないかと思う。あの二人は頭お花畑なので、細かいことは考えずに成人レベルの養子になってからの数年の付き合いでも長年の付き合いであるかのように錯覚するし、兄だと思い込む。

この問題は正直僕には荷が重すぎるので、このあたりで納得できなければ、FDなりなんなりで補完されるのを待ちましょう。

※追記
そういえばFD出ましたが結局これ判明したんですかね?未プレイなんで分からないですが、もし判明してたなら優しいどなたか教えてください


7.各ルート雑感

^霎五




まず見た目は一番可愛かったよね。そして物語序盤のあの甘ったれたメスの声が僕の乾いた心に最高に響いた。頑なな心を愛撫でほぐすことで次第に潤いを増すように、僕の乾いた心も砂漠にあるオアシスのように豊かになっていった。個人的には朱璃を除いたヒロインたちの中では一番好きな話かもしれない。一番物語として今後の展開を語られること無く終わってしまった話でもあるが。

●ルートの概要
過去のトラウマから自信をなくしていた滸が、主人公との恋愛や共闘を経て、忠義を取り戻し奉刀会会長として相応しい人物となる。

●雑感
この話では多くの金言を残しており、一つ一つが滸の心を動かし、成長を促している点が非常に明瞭で良かった。個人的にこのルートで一番好きなセリフは「何かを憎むのは、自分を憎むことの次に楽だからな」である。何も滸の事に限った話ではなく、人間ならば誰しも持っている弱さに対して訴えかけるこのセリフは僕のような意志薄弱な人間には痛烈に突き刺さった。楽しないようにしなきゃ(こなみ)そういえば、僕も脳死状態で可愛いじゃん!としか擁護することができないアイドル要素を持っているのもこの子だ。なんというかもう、はっぴーきゅるるんである。余談では、本編であまり活躍できなかった鬱憤を晴らすかのように、武人としての心構えをしたり顔で語って会長としての面目躍如か?と思われたが、結局他の余談で「私インランニナッテシマッタノ!」とか言い出す始末で、一体どうすればいいのか分からなくなったが、めちゃくちゃはっぴーきゅるるんした。なんというか嫁ポジションがハマるというより、何かが間違えば、男に騙されてしまい、酷い目に合ったり、快楽に溺れNTRされちゃったり、オークに犯され即オチしたりする、そんなとっても可愛らしいキャラクターだと思いました。いやはや、そーじんくんが優しくて強くてよかったね。

鴇田奏海




戦後行方不明となった兄の生存と居場所を知りたい一心で小此木と契約を交わし、翡翠帝として皇家を偽ったヤンデレ妹である。精神がお兄さまラブに汚染され、倫理観が危篤状態に陥った。極度の妹スキーの僕でもあまり食指が動かなかった珍しいキャラクターでもあるが、お兄さまラブが全ての思考の根幹にあるのは好ましいし、ヒロインとしては唯一元から忠義を持っていた。当然「お兄さまラブ」だが。しかしその気持ちが強すぎるためか、お兄さまを思い過ぎるあまり若干空気の読めてない発言や行動をしてしまい僕を非常に困らせた子猫ちゃんである。

●ルート概要
逆臣小此木を討つため、帝宮を守るエルザと結託し竜胆作戦を練るが、奏海はエルザが本心では小此木を討たせた後、武人全員を一網打尽にしようと目論んでいることに気づく。見事お兄さまラブが発動した奏海は兄を守るため翡翠帝が偽の皇帝であることを公言してしまい、総督府に監禁される。奏海を救いに総督府に行くと、なんやかんやあって総督は死に共和国新総督となったエルザと手を取り合い、皇帝として新しい皇国を支えていく。

●雑感
かなり急ぎ足の展開であるが、兄の命と全皇国民の命を天秤にかけても兄と即答するような奏海が、兄の安全が確保された最後に自らが責任を取り、翡翠帝として皇国民を支えていく役割を担う終わり方は、世界の全てと兄を比べて、迷わず兄を選ぶとしても、兄以外の世の中に全くの無関心ではいられないという基本的には極めて普通の精神を持つ女の子が奏海の真骨頂であるために、内心の揺れは間違いなく存在するわけで、兄の命が助かり、兄の宿願も果たされた時に、心を切り替えて、これまで蔑ろにしてきたもののために尽くすことが出来る強さを描けていてとても美しいと思った。明確な優先順位を持っているだけなんだよな。奏海はヒロインとしてどうか?はひとまず置いといて、人間として嫌いになれないキャラクターだと思った。

エルザ・ヴァレンタイン




総督の娘として共和国軍に所属する強き軍人でありながらも、年頃の女性らしい可愛らしさを兼ね備えている金髪おっぱい。また、大義名分を自分だけでも守ろうと奮闘するも、権力がないゆえに自身の在り方に悩む繊細な一面を持つ金髪おっぱいでもあり、儚さと脆さの中で精一杯強がる姿がとてもそそる金髪おっぱいだ。宗仁の忠義に対する考えに触れていくうちに「自身の持つ最低限の高潔さ」を忠義とすることによって、武人に共和国の採用している制度が作る自由を語りながらも、その実不自由に縛られていた彼女は自由となった。言うまでもないことだが、エッチシーンでは服という不自由に縛られていたおっぱいが自由となった。(?)

●ルート概要
竜胆作戦決行日に、総督が奉刀会本部のある夜鴉町に対し、市民も巻き込む無差別爆撃をすることを知る。忠義に従い、武人を一網打尽にするチャンスを棒に振っても、市民の命を優先したエルザと宗仁は互いを認め合いながらも立場故に叶わなかった本当の意味での結託を果たし、総督を討つ。皇国に帰化したエルザの尽力で民主主義を導入し、長年の奮闘が認められて初代大統領となる。

●雑感
エルザの成長とデレっぷりが素晴らしかった。彼女はとても愛らしいヒロインだと思う。また、彼女の恋の悩みは滸と非常に似通った部分があるが、滸の悩みである慣習やパーソナルな問題とは打って変わって体裁や立場などの違いが主要因となり、双方「宗仁に相応しくないのでは」と考えるに至っている点も、個人のあり方を大事にする皇国と社会としてのあり方を大事にする共和国の対比が顕在されていて面白い。また、繰り返しになるが彼女の中にも忠義という考え方が根付くことは、国の垣根を超えて果ては、僕達ユーザーに対しても適応することができる考えであることを表していると思う。人間は弱く、自分以外の優れた人間や立場が上の人間、定められた規律や慣習に流されてしまうことがある。多くの制約が自由を縛る中でそれでも人間らしくあるためにはどうすればいいのか?その答えはこのルートの中に示されている。

つ罵娶電硫




正直個人的には一番印象の薄いヒロインで、あまり魅力を感じなかった。キャラクターとしては非常に重要なんだけどなぁ、なんせミツルギの花嫁だし彼女なしには物語は進まなかったであろう。また、彼女の明るさはゲーム全体としての雰囲気を和らげ、シリアスになりすぎないように良い緩和剤となっていたと思う。ただ彼女が何を忠義とし、主人公達に加担するのか?未だに僕は上手く言語化できないでいる。彼女の行動原理は皇国の民を守りたいからだろうか?それとも宗仁に惚れてしまったからだろうか?彼女の感覚で生きている姿は好ましく思うものの、彼女のキャラクターの深い部分があまり見えてこなかったのが残念でならない。もしやホントに感覚だけで生きているダックスフンド的ワンコキャラなのか…?たわわに実ることねおっぱい略してことねっぱいの谷間の深い部分は見えたのに・・・?いやそれは関係ねーか、ハハ。

●ルート概要
禍魄の力を封じた宝玉を守り抜き、雪花が死んだことにより総督の目的である呪術を使った他人の戦争を人工的に作る装置を作る計画が頓挫したため、朱璃ルートと違い非常に楽に物事が進み、エルザと奏海が協力して民主主義に基づく議会制政治を作り上げる。また呪術によって操られていた滸が目覚め、武装決起を起こし捕らわれていた武人たちは無事逃げおおし、権限を得たエルザの特赦で不問となった。共和国と皇国を隔てる壁は次第に薄くなり、3年が経つ頃には皇国に移住する共和国人も増えた。そして古杜音は今以上に両国を繋ぐ架け橋として共和国へ渡り、雪花と約束した優しい世界を作るための思想を広げるのだった。

●雑感
詳しく語られなかったがエピローグでは、世界平和を目指して皇国式の民の安寧を願う思想を広く流布していく。しかしながらこれは、物語の終盤で実際に雪花に八岐家の惨状と、伝統的な皇国思想の暗部を知らされて、初めて古杜音の目標というか、彼女が尽くす忠義が生まれた結果である。僕が感じた古杜音の薄さはここにあって、この段階まで芯を感じず葛藤もなく、ただ漠然と斎巫女だから。先代のことが知りたいから。そんな理由で手伝っていたような気がしてならない。恐らく強い思いや根拠を序盤から描写していないのがこの問題の根本原因だろう。重要な役割のキャラクターなので設定だけではなく、テキストでこのキャラクターをしっかりと掘り下げて行く必要があったのではないだろうか。

サ楾饉詬




大本命。正直最初は別に好きでもなんでもなかったんだけど見事に惹かれていった。最高だよこの子。物語の冒頭では、先代皇帝に皇家の生き方を知識として学んだだけの一人の女の子に過ぎなかった。敗戦と逃亡を経験し、伊瀬野で名前忘れたお婆さんに鍛えられ、敵を討つ力をつけることで、知識としてだけでなく経験として皇家の生き方を学んだ。そして宗仁と出会い、小此木と初めて対面した後、墓前で皇姫としての責務・気構えを誓った。また、呪術で操られた滸(どうでもいいが、ここから滸の威厳転落人生は始まった)の刃で宗仁が斬られそうになった時、皇帝として臣下の行く末を最後まで見届ける勇気がないことを自覚した。武士には武士の、主には主の戦いがあることを言葉でなく心で理解したことで、皇姫としての資格を手に入れる。次第に主として、相応しくなっていく姿が非常に魅力的に映った。こういう変化がじっくりと表現されてるのは良い。涙を桃の花に変えて美しく散らせる様子は高潔で美しい魂を持った朱璃らしさすらも感じさせられる。勿論それはすなわち緋彌之命らしさでもあるのだが、彼女よりもどこかあどけなさの残る朱璃が見せる涙には、皇姫としての気高さだけでなく、少女らしさも垣間見える。つまりこうした朱璃の成長や描写は朱璃が緋彌之命の生まれ変わりの器として相応しい資質を備えながらも、明確に緋彌之命とは別の美しい人格を持っていることが分かる一要素となっている。

●ルート概要
禍魄の力を封じていた宝珠が壊れたことで、宗仁でも歯が立たないほど強大な敵となってしまう。三年前の敗戦時よりも遥かに大きな厄災を与えるべく天京へ戻った禍魄を止めるため、宗仁はミツルギに朱璃は緋彌之命にそれぞれ身体を明け渡し、力を得ようとする。しかし宗仁と朱璃が互いに強い愛情を抱いていたため、ミツルギと緋彌之命は本来の力を発揮することが出来ないと悟る。皇国の未来を二人に託すことを決めた緋彌之命とミツルギ。真の皇帝として自死を決意した緋彌之命をミツルギが介錯して、それが最後の逢瀬となった。二人の思いを受け取った朱璃と宗仁は「道具」ではなく「人間」として、全てを捨ててでも互いを守る強い意志を持って禍魄と対峙する。追いつめられた禍魄は天京に黒主大神を顕現させ、災厄をもたらす。神の圧倒的な力に為す術のない状況が続く中で、宗仁が人柱となり、根の国の二千年分の因果のひずみを全て浄化することを条件に神の怒りを鎮めた。それから三ヶ月、朱璃は身を削りながら、皇帝として共和国の良さを取り入れながらも皇国の美点を守り抜く見事な政務活動を続けた。そして訪れた桃花染祭の日、天京を歩いた朱璃はまるで異国を歩くかのような違和感を覚える。宗仁がいないからである。共和国の支配から逃れ、活気を取り戻した天京の町。行ってきた政務や桃花染祭は大成功と言える。その夜、天京に街を埋め尽くすほどの悲しくも美しい桃の花びらが降り注いだ。そのこの世で最も美しい光景が大御神の元に届き、根の国を自らの力で浄化し、宗仁を朱璃の元へ送り返したのだった。

●雑感
本ルートの素晴らしさは、2人の主従関係にある。とは言え、初めのうちはそこまで魅力的には感じていなかったが主従関係の中に愛が混じったことで格段に美しくなった。道具として生まれたミツルギが、人間となっていき、人間として生まれた緋彌之命が道具にならざるを得なかった。その二人の系譜に連なる宗仁と朱璃が「人間として」二千年間積もってきた負債に立ち向かう姿は心が震えた。張り子の武人と呼ばれていた頃の宗仁には忠義が無く、知識として知っているだけであったが、その知識を遵守することで武人であることを保っていた。やがて朱璃と出会い、自分の中に忠義の炎が燃え盛る。知識だけでなく経験として武人としての生き方を学んだのだ。最後に、様々な戦いの中を武人としての戦い抜いた宗仁は忠義を持ち主の命を受け戦場を駆ける一人の臣下となった。この流れは朱璃が皇帝として相応しくなっていく流れと全く同じであり二人の成長を綺麗に交差させながら描けていると感じた。朱璃も宗仁も共に影響し合いながら強い気持ちを育んでいく。1章で忠義について語ったが、朱璃を守ったことも、朱璃を主としたことも、自ら選択しているようでいて、その実ミツルギの時の記憶と思いに動かされているだけであったというのは、まさに「忠義を選択する自由こそ人間が持つ最後の権利」の言に反しており、宗仁が本当の意味で人間になっていなかったことを表している。だが、朱璃ルートの終盤で、一年間朱璃と共に多くの情緒に触れることで人間味を増した宗仁は朱璃への愛を自覚し、本当に守りたいものを自らの意志で選択したことで、義務でもなく武人としてでもなく、愛する人を守るために戦いに身を投じることが出来た。その身に忠義を宿し、人間として生きるために、大切なものすらも捨てる覚悟は如何程のものだったのだろうか。僕には推測しかできないし、僕がそんなことを出来るとは思えないからこそ、本当に感動したし尊敬した。逆に朱璃は皇姫として相応しい精神を持ったが、最後に「人間」としての選択では解決できない問題に直面する。愛と責任の間に揺れ、苦渋の選択として大切な気持ちを鋼鉄の箱に入れて、鍵をかけて、胸の一番深いところに封印することで、「道具」としての義務を果たすシーンは非常に対照的だった。朱璃の名言もまた、たくさんあるが「捨てる心すらない獣が人を語るなっっ!!」という魂を震わせたような一喝は素晴らしかった。このゲームの中でも一番好きなシーンかもしれない。更に、OP前に「お礼を言ったとしても、あなたは為すべきことをしただけだと言うでしょうね」「だからお礼は言わない」「その代わり、私も、私の為すべきことをしてあなたに応えたい」と言った。その約束の通り、朱璃は宗仁が根の国へ行った後も皇帝として為すべきことをして応え続けた。こうしてクリア後にもう一度本編を流してみると、序盤から多くの伏線や布石が張り巡らされていたことに気付かされる。本編の全てが朱璃ルートのようなものだけに、読めば読むほど深みが増す素晴らしい物語だった。


8.最後に


こうして感想を書いて見ても、僕の幼稚な語彙では表しきれないほどの感動が込められている最高の作品でした。不満点をあげようと思えば、いくつか挙げられるものの、宗仁と朱璃の関係としてみればこれほどまでに美しく愛と忠義を描いた話はあったでしょうか。あと一歩戦闘シーンの盛り上がりに気を使っていれば間違いなくエロゲ史に残るほどの名作となっただけに非常に悔やまれますが、値段を超えて十二分に満足出来たので良しとします。この駄文を最後まで読んでくださった方ありがとうございました。おしまい。

このページへのコメント

>やーみさん
僕よりも詳しい知識をありがとうございます!エロゲ的な学園って現実で言う高校的な意味を持っていると思うんです。本作では受ける講義を自分で選択するシステムだったので大学のほうがより近しいかもしれません。
戦前の日本は複線型教育を採用しており、社会階級で通う学校が全く違ったそうで、当然教育レベルも異なっていたと思います。それが、戦後GHQの支配下で学制改革が行われました。これは義務教育の見直しは勿論ですが、社会階級で区別されない学校制度を作り上げたということです。その辺りが僕が感想でほにゃほにゃ言っていた部分ですね。

ちなみに夢精は僕もしたことがないので正直起きるかどうか分かりません・・・

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Posted by りら 2016年10月08日(土) 22:39:14 返信

(承前)
ただしことに「教育システム」という考え方だけをする場合明治初期の日本の全国識字率は5割、都市部で7割でしたっけ。瓦版が江戸の町で普及していたように、西欧文化が流入する前から教育システムは発展していました。言うまでもなく寺子屋のお陰なわけですが。一部のエリートにのみ学びの場が提供されていた皇国の体質は民主化される前の西欧により近しいものであって、この辺に関して実在日本とは少し違いそうな印象です。

最後に、夢精を人生で一回もしたことがないのですが、気持ちいいのでしょうかねあれ。

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Posted by やーみ 2016年10月08日(土) 22:11:34 返信

「忠義」という言い回しに関して。なるほど、より辞書的意味合いが近い表現を当てはめるのなら「流儀」になるのでしょう。個々人は個々人の「流儀」に対して内心で「忠誠を誓う」から今作では「忠義」という言い回しになったのかな、と想像します。
学園に関して。戦後日本の教育システムを「民主主義の象徴」として捉えるのは正しそうです。基本的人権に関する教育や、男女の差なく学べる環境は戦後GHQがもたらしたものでしょう。(銃後の活躍という考えの普及によって女性参政権が認められていったアメリカの歴史。結局戦争なのよね)

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Posted by やーみ 2016年10月08日(土) 22:09:54 返信

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