1.概要
作品名:ファタモルガーナの館/サークル名:Novectacle
西洋浪漫サスペンスホラー 全年齢・一般向け
価格:2,000円 (ショップ委託2,500円)
頒布開始日:2012年 12月31日〜 / ショップ 2013年 1月25日〜
プレイ総時間:20時間〜25時間前後(体験版は4〜5時間ほど)
エンディング数:8パターン + デッドエンド5パターン + 隠しプロローグ
楽曲数:65曲 (うち歌曲35曲)
一枚絵数:45枚 (+差分57枚)
対応OS:Windows2000 / XP / Vista / 7 (Mac対応はしておりません)
※Win8も動作致しましたが、念のため体験版での動作確認を行って頂けると確実です
CPU:Pentium以降
メモリ:128MB以上推奨
グラフィック: 800×600以上の解像度 (フルスクリーン可)
サウンド: DirectX9以降
HDD: 1GB以上の空きを推奨します
2.あらすじ
「あなた」は気づけば、古ぼけた屋敷にいた。
目の前には、「あなた」を旦那さまと慕う、翡翠の目をした女中がいる。
しかし「あなた」には記憶がなく、自分が何者なのか分からない。
生きているのかさえも。
そんな「あなた」に、女中は屋敷で起きた数々の悲劇を見せるという。
そこに、「あなた」の痕跡があるかもしれない……。
最初の扉は1603年。
豊かな薔薇が咲き誇る、美しい時代に、仲睦まじいローズ兄弟がいた。
彼らには一切の不安も、不幸の陰りもないように見えたのだが……。
二番目の扉は1707年。
その時代、屋敷は荒廃していた。その屋敷に住み着いた獣は、平穏な世界を望むものの
やがて獣本来の暴力性を抑えられなくなり、虐殺に走ることとなる。
三番目の扉は1869年。
この時代、文明の発達により人々は急いた生活を送っていた。
鉄道事業に身を乗り出す資産家の青年は、
金と権力を追うあまり自分の妻をないがしろにしていく。
四番目の扉は1099年。
女中はこれが最後の扉だと告げる。
その時代にいるのは、自らを「呪われている」と告げる青年と、
魔女の烙印を押された白い髪の娘《ジゼル》だった。
「あなた」は時代と場所を超えた四つの悲劇を目撃する。
これらを物語として終えてしまうのか、あるいはその先を求めるのかは……
「あなた」次第だ。
しかし、どこかの誰かはこう言うだろう。
「他人の悲劇だから耐えてこられたんだよ」
(以上
サークルHPより引用)
3.感想
この作品の感想を語る際、ネタバレを排することは不可能であろう。興味がありながらも未プレイの方はリンクを用意したので四の五の言わずにAmazon(22%セール中!お得だ!)なり公式ショップ(公式サイト内にあるよ)なりで購入することを強く勧める。お悩みの方は二章まで遊べる体験版(スチル鑑賞や音楽鑑賞も出来るよ!すごい!)をどうぞ。
本作で我々は「傍観者」たる「あなた」として「館の女中」と共に、呪われた館で起きた歴史を見せる扉を開いてゆき、その時代の悲劇を俯瞰していく。しかし冒頭で女中の語る「館」と「あなた」との関連性や、導入部で目的として『記憶をなくした「あなた」の記憶を取り戻すため館の歴史を見せる』と語られることからも「あなた」の本当の立ち位置は傍観者ではないことは、なんとなくだが察しがつくのではないだろうか。現に僕は、見せられる扉の数々でどこに「あなた」の欠片があるのかを探った。この時点で「あなた」は「僕」と同一になり、導入部でさせたかったであろうプレイヤーと主人公の一体化を見事に、無意識に行っていたのだ。
思えば、昨今ではどこか物語的に、あるいは俯瞰的に作品を見ることが多いと感じる。僕がプレイするADVはいわゆる美少女ゲームであり、主人公に対する自己投影は非常に困難である。それは生きづらい世の中に対する逃げ道として、成しえない理想として、現実で溜まった鬱憤を吐き出すような、そんな作品が多く存在するからだ。そうした作品の台頭は(エロゲに限らずだが)自己投影の出来る主人公よりも、自分には出来ないことを平然とやってのける爽快感・万能感のある主人公を求めるというニーズの変遷が齎したものなのかもしれない(昨今の俺TUEEEE作品のブームはそれが顕著だ)。
正味僕自身はそこまで難しく思考を巡らせながらエロゲをプレイしているわけではないからこそ、フィクションはフィクションとして楽しむことが出来ているのだと思う。あるいは単にそうした空想の中の人物に、自己を殺して当てはめることに慣れてしまっているからこそ、そう言えるのかもしれない。つまり僕自身はそうした変遷を特別悪く感じてはいない。だがしかし、そうした作品風潮が蔓延る中で、まずは本作における、圧倒的なまでの主人公との一体化への力強さに賛辞を贈りたい。(ところで、導入部は全て惨事であったがそんなギャグは今はどうでもいいだろう。)
さて、そうして序章たる四章までを経て、僕は「あなた」となるが、そこで僕はようやく「他人の悲劇だから耐えてこられた」という言葉の意味を知る。ここで、「真実を知る」か「知らないままでいる」か、正反対の2つの選択肢が与えられるからだ。お察しの通り真実を知ってしまえば他人の悲劇で済まなくなる。他人の悲劇で済まないとはすなわち「あなた」の悲劇であり「あなた」となった「僕」の悲劇だ。こうした自己投影あるいは感情移入は確かにノベルの楽しみの一つであるが、本作ではその先が悲劇であることを予め知らされている。ここは呪われた館で、この館では悲劇しか起きていない。この選択肢は僕達の「意思」に重く問いかける。悲劇を見る覚悟はあるのか?と。個人的には、性格上ここまで来たならば「あなた」が「僕」であろうが、なかろうが当然YESなのだが、自分が選んだ自分の悲劇だという認識こそが大事なのだと思う。真っ当だが素晴らしい構成力である。まずはその構成力に賛辞(しつこい)
こうして館にやってきた「あなた」は画面の前にいる「僕」となり、僕は悲劇の「傍観者」から悲劇の「主人公」に成るのだ。こうしたプロセスは、「どうしてこんなにもファタモルガーナの館に登場するキャラクターたちに魅力を感じるのか?」のアンサーにもなっている。要するに他の誰でもない「僕」が交流を深めたキャラクターたちだからこそ、より深く魅力を感じるというわけだ。
物語の細かな部分に関しては、残念ながら僕自身の実体験が豊富なわけではないので「かなしかった!」とか「すごかった!」とか「おもしろかった!」とか「ヤコポのツンデレ!」とかそんな言葉しか浮かばないため、ここではカットさせてもらうが、そうした非現実すらもまるで実体験のように思えてしまうのだから凄い。もし本当に現実世界の中でどうしようもない弱さに自分が飲まれそうになったとして、僕がここで学んだことを活かせるのかどうか正直に告白するならば自信はないのだが、出来るならばグッと堪えて正しい選択をしたいと思えた。一面の事実を真実と捉えない視野を持たなければいけないと思えた。こうした作品から自己の在り方が提示され、学ぶことのできるゲームはやはり心に残るモノがある。
ところで先程僕は「あなた」と「僕」の一体化を促す構成力について語ったが、それとはまた逆のベクトルでも本作は優れていたと言える。それはスチルであったりBGMであったり時間制限のついている選択肢やバックログにのみ表示されるテキスト等の演出であったり、そうした僕の「現実」では存在しないものたちだ。現実には静止画なぞ存在せず全てが動的であるし、感動のシーンで突然BGMが流れてくることはないし、事あるごとに選択肢が頭上に表示されるわけでもないし、重要な話を聴き逃したからと言ってバックログを表示し、もう一度読んだりセリフを言わせたりすることなど出来ない。しかし本作が「現実」ではない「ゲーム」である以上ゲーム的な構造は切り離すことが出来ない。それは即ちゲーム外にいる本当の自分を思い出させる要因の一つ足り得てしまうのだが、背景、CG、BGM、演出そのどれもが「僕」が「主人公」の「ファタモルガーナの館」として高い精度で纏っているのだ。
どういうことかと順を追って説明すると、第一に表示される背景に驚く。殆ど黒塗りで輪郭がぼやけているからだ。それは呪われた館であるが故の表現であるのだが、僕はいの一番に「どうしてこんな背景なのか?」と考えた。しかし今考えればその「何故?」「どうして?」が作品世界を理解しようという気持ちを助長していることに異論はないし、やはりここでも僕は「あなた」へと引き込まれていたのだ。また美しいスチルの絵柄を的確に表現する言葉を僕は持たないが、少なからず作風を掴みながら見たCGの数々はリアルとアンリアルの狭間を丁寧に表現しておりアンリアル(あなた)に入るリアル(僕)を置き去りにはしない。そしてBGMはもはや聞いた者にとっては言葉を必要としないほど秀逸である。全65曲という曲数の多さもそうだが、35曲の歌曲は特にファタモルガーナの館で見られるそれぞれの時代に上手くマッチしていたと思う。学がなく、経験もない僕には国や時代に関してイメージ以上のものを考える術がないが「音楽の力を重視」というサークルの理念は見事に果たされており、作品の世界観を深めていたと感じられる。それは「ファタモルガーナの館」という一つの世界の存在の説得力であり、より一層没入できた理由でもある。また僕に対し「意思」を問う選択肢は他にも存在し(なんとも意地の悪いことに)繰り返し同じ選択を選ばせる演出や、一つしかない選択肢に時間制限を設けて、セーブしようと思ったら「躊躇」となり、バッドエンドに飛ぶ演出など、なんかもう・・・なんかもうアレだ。ぐぬぬってなる。そうした趣向を凝らした選択肢の演出は「あなた」を通じた「僕」自身への問いかけであることを意識させるため、やはりここでも「主人公」は「僕」であり没入の邪魔にならないのだ。トゥルーエンドへの道筋は僕が選び僕が勝ち取らねばならないと思わせてくれる。
これら全ての調和が、本作ファタモルガーナの館の真髄であり、だからこそ悲劇は胸をえぐり、正統派ヒロインであるジゼルの笑顔に思いを馳せ、モルガーナの境遇に憤りを感じ、多くの不幸や障害にも、決して歩みを止めず手を差し伸べる主人公ミシェルに勇気を貰い、クリア後の大団円に涙したのだ。だからこそこれほどまでに面白いと感じられたのだ。エイプリルフールネタの「セブンスコート」では「真の傑作は、否応なく人の心を引きずるもの」とのキャッチコピーが起用されていたが、それに倣うなら本作では「否応なく人の心を引きずったからこそ、傑作なのだ」と言える。恐らくこれは意識していないと思うが、このような論理の倒錯は本編で多用されており、ライター自身も自称した「認識逆転」を好む性格が現れているような気がしてならない。正しく否応なく「僕」を引きずった傑作だと自信を持ってオススメできる作品だ。
現在、本編をクリアして不条理ギャグのおやばけ1・2と第一回人気投票オマケゲームとセブンスコートをクリアしたところだが本当にファタモル世界は豊富なバリエーションを持っており、製作者の愛とユーザーに対する気配りを感じる。これからプレイするアナザーエピソードでツンデレ馬鹿野郎が活躍することに期待を込めてこの文章を締めたい。
語るまでもない色々な一言
・二章のユキマサ、最終章と比べて顔怖すぎだろ
・最終章のメル、一章と比べて顔怖すぎだろ
・ていうか全てが終わった後のモルガーナ可愛すぎだろ
・本編後の存在がなんか薄い気がするけど、ジゼルこそが天使でメインヒロインだよね?
・騎士姿のミシェルカッコイイよ
・シナリオ二転三転しすぎだろ
・靄太郎さんのイラストめちゃくちゃ好きすぎてグッズ買いあさりそう
おしまい。