ギリシア神話によれば、英雄時代にクレタ島を中心に海洋にミノス王という王が君臨していたという。ミノス王はギリシアの最初に現れる支配者で多くの伝説が残っている。ミノス王は立法者としてもすぐれていたが、その后が、海神ポセイドンが王に送った美しい牡牛とまじわってミノタウロスという怪物を生んだ。その頭は牛、体は人間であったという。困った王はアテネの名匠ダイダロスに命じて、いったん入ったら出られないような迷宮をつくらせ、ミノタウロスをその奥に住まわせることにした。ミノスの息子の一人がアテネで殺されたことからアテネと戦争になり、アテネは九年ごとに七人の若者と七人の娘をミノタウロスの餌食としてクレタに送らねばならなくなった。アテネの王子テーセウスはみずから志願してこのいけにえの一行に加わり、ミノス王の娘アリアドネと親しくなって糸玉をもらい、迷宮の奥まで進んでミノタウロスを殺し、糸をたよりに出口に戻ることができた。テーセウスはアリアドネをつれてアテネに戻った。ミノタウロスの幽閉された迷宮をラビリントスといったことから、英語のlabyrinth(迷宮)という語が生まれた。エヴァンスが発掘したクノッソスの宮殿遺跡がこの迷宮でり、ミノス王も実在の王であった可能性が高い。
神の降臨地であるお山の入口に当たり,現世から神の坐す幽界への関門として多くの鳥居が建てられたと考えられています。鳥居が二筋の参道に,左右二本併行して立ち並べられた理由は不明ですが,おそらく両部思想による金胎二界を表したものではないかといわれています。これらの鳥居は,江戸〜明治時代に参拝者の奉納により,建てられはじめました。鳥居を献ずることによって,願いが「通る」という語呂合わせから生まれた信仰だとされており,願いが「通る」たびに,鳥居を大きなものに変えて奉納する風習もあります。<レファレンス協同データベースより引用>