- 穂波町
竜王山(六一六メートル)のふもとに舎利蔵というところがあります。山あいに水田が広がる
静かな農村地帯ですが、昔は少し日照りが続くと水不足になり、稲が育たずに困ることもしばしばでした。
数年来、かんばつが続いたある年のこと、村人たちで池を作ろうということになりました。しかし、
そのためには代官の許可が必要です。代官所に願いを申し入れたところ、役人が舎利蔵へ調査にくることに
なりました。
村人たちには願いがかなうかどうかの瀬戸際です。村をあげてごちそうを用意し、酒も準備しました。
やってきた役人たちは村人の心をこめた接待にすっかり大満足した……かのように見えました。
役人はようやく腰をあげて帰りじたくを始めましたが、何だか心残りのようです。村人も少し変だなとは
思いましたが、できる限りの接待をしたものですから、そのまま役人を帰してしまいました。
やがて池の許可がおりました。ところが許可された池の広さはといえば、とても水をためる程の広さには
及ばず、水不足の解消にはなりそうもありません。実は、役人は接待の他にワイロを期待していたのですが、
純朴な村人がそのことに気がつかなかった腹いせなのです。しかしすべては後の祭り。
「よーし、こうなったら、上は狭うても、下はかまん底んごと広う、そして深い池ば作るしかなか」
村人も必死です。とうとう村中が力をあわせて、底の広い、深い池を掘りあげました。
できあがった池を見にきた役人はギクッとしました。文句をいおうとしましたが、池の広さは自分が許可した
広さにまちがいはありません。深さについては何の条件もつけていなかったのですから、村人を罰しようにも
できません。
この勝負、どうやら村人の知恵が役人に勝ったようですね。
以来、舎利蔵は水に困ることは少なくなりました。いまも舎利蔵は近くに大河がないために六つの溜池に頼って
水田を潤していますが、このかま底池が一番大きく、一番頼りになるといいます。昭和三十六年から三年がかりで
土手がかさあげされ、ますます大切な池になりました。
今でも村人たちは、この池をかま底池と呼んで、先祖の努力を忘れないでいるということです。
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