- 添田町
四百年ほど昔のことです。
福岡県と大分県との県境にそびえる英彦山の峰越えの山路を、大分の毛谷(けや)村へ急ぐ美しい姉妹、
お園とお菊の姿がありました。二人の父親は、岩国藩(山口県)の剣道師範吉岡一味斎(いちみさい)
という人で、お菊に邪心を持つ京極内匠(きょうごくたくみ)という者のだまし討ちにあって
殺されたのです。敵の京極が小倉にいることを知った姉妹は、お園のいいなずけである毛谷村の
六助に、あだ討ちの加勢を頼みに向かっていたのです。六助は幼いころから、英彦山の山奥で
天狗から剣術を学び、並ぶものなしと評されるほどの腕をもつ若者です。
姉妹は「六助様の助力があれば…」と、夜を徹して岩国からはるばるやってきたのです。
姉妹は、ようやく山口村までたどりつきました。ここから先はめったに人も通らない峠越えです。
日はどっぷりと暮れ、姉妹はちょうちんを頼りに先を急ぎます。
半里ほども進んだでしょうか、もともと体の弱かった妹のお菊は、これまでの無理がたたった
のでしょう。激しい腹痛のため一歩も動けなくなってしまいました。
川のそばの松の木の下で休みましたが、痛みがおさまらないので、お園は村人の助けを求めて
山口村へ引き返しました。一人残されたお菊は、目印になるようにと松の木にちょうちんを掛け、
苦しみに耐えていました。と、そこへ一人の男が忍び寄りました。あだ討ちを恐れた京極が
ひそかによこした手下です。お菊は気力を振り絞って抵抗しましたが、ついに殺されて
しまいました。
その後、お園は六助の助太刀であだを討つことができました。そして妹を弔い、松の根元に
その亡骸を葬ったといわれています。その松は、今でも英彦山のふところ深く、今川沿いにあり、
「お菊ちょうちん掛けの松」と呼ばれ、薄幸の美しい娘をしのばせています。
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