福岡県の郷土のものがたりです。

  • 瀬高町

読み方は「つづらのたにし」。

むかし、瀬高町金栗(かなくり)という所にたいそうな長者が住んでいました。

夫婦にはかわいい娘がありましたが、その子が二つのとき、優しかった母親は病いがもとで亡くなってしまいました。

長者は娘のためにと、すぐに新しい母を迎えました。この母親は、初めは娘をかわいがりましたが、自分が娘を生むと、

まま子である姉娘につらくあたるようになりました。

十数年後―。

今日は清水寺の夜観音の日です。村人はこぞってお祭りに出かけます。母親は自分の子である妹娘には精いっぱい

おめかしをさせて祭りに行かせましたが、まま子の姉娘にはやまのように用事をいいつけました。

「家の中や外を掃除して、生のごぼうで御飯をたいて、ざるで風呂の水を汲んでお湯をわかしたら、

祭りに行ってもいい」と。

姉娘は大急ぎで仕事にかかりました。でも広い家ですから掃除もすまないうちに夕やみが追ってきます。

これではとても祭りどころではありません。泣きながら掃除をしていると実の母方のおばさんが通りかかりました。

そして姉娘が泣いているわけを知ると、掃除を手伝ってくれました。

次は風呂の水くみです。おばさんは家から前かけとしなびたごぼうとあんどんの油を持ってくると、ざるを前かけで

包んで風呂水をくみ、御飯とお湯はごぼうに油をかけて燃やしつけました。

すっかり仕事は終わりました。今度は姉娘の身なりです。おばさんは、家から姉娘に似合いそうな着物を持ってきて、

着替えさせてくれました。

生まれて初めて見る夜観音さまです。目を輝かせながら夜店をのぞく姉娘は、それはいきいきとして、

とてもきれいでした。

その美しい姉娘をじっと見つめている人がいました。浜田の庄屋の息子です。

祭りがすんで数日後、浜田の庄屋の家から姉娘を嫁にと言ってきました。母親は妹娘を行かせたりがりましたが、

姉娘のほうをという相手に根負けしてしぶしぶ承知しました。

ところがおさまらないのが妹娘。母親は「もっと良いおむこさんを」と探しましたがみつからず、最後には妹娘に

花嫁衣装を着せて馬に乗せ、「高瀬一の長者の娘はいらんかんもう」と触れ歩きました。そして、東山と山川の

境をこえて九十九という所にきたときに日が暮れて、深い谷に落ちてたにしになってしまいました。

いまでも九十九のたにしは、「お嫁に行きたい、花嫁はいらんかんもう」とぶつぶつ泣いているそうです。

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