福岡県の郷土のものがたりです。

  • 芦屋町

遠賀川河口の芦屋町山鹿地区浪懸けの海岸に、厳島神社の鳥居がたっています。

その昔、村人たちが航海の無事を船上から祈ったというこの神社には、こんな話が残っています。

寛永(一六二四〜一六四四)のころ、厳島神社の宮司の弟、治右衛門が隠岐(島根県)に渡って島浦明神に

参拝したときのことです。境内にある紅梅の古木の下で、美しい娘と出会いました。

またたくまに恋におちた治右衛門は、これも明神様のとりもつ縁と妻に迎えました。

その後、兄にかわって宮司となって治右衛門は、妻とむつまじく幸せな日々を送っていましたが、急の病に倒れ、

あっけなくこの世を去ってしまいました。突然、夫に先だたれた妻は、神前にぬかずき夜毎帰らぬ夫の死を

嘆き悲しんでいました。そんなある晩、突如として霊感がひらめき次から次へと予言を始めたのです。

元禄(一六八八〜一七〇四)のころのことです。よく晴れた日に、女予言者は村人に、

「嵐がきます。漁はとりやめなさい」と戒めました。しかし、血気盛んな漁師たちは、これをきかずに威勢よく

大海原へと繰り出していきました。水平線の彼方に船影が消えようとする時です。にわかに空がかき曇り、

雷鳴がとどろきだしました。海は大シケとなり、漁師たちを乗せた船は次々とひっくり返り、あわれ百五十人の

命が一瞬のうちに海のもくずと消えてしまいました。

この事件以来、村人の女予言者への信望は深まり、その名は四方に広がりました。

現在、厳島神社は弁財天様とも仰がれていますが、さかのぼればこの女予言者を合わせてまつったためと

いわれています。山鹿地区では、神社近くに海上で遭難した漁師たちの墓と、大願寺に女予言者の墓が残っていて、

今でも訪れる人が後をたたないということです。

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